手に入れた証拠と、奪われた最愛の姉
ステファニアは廊下を歩いていく。すれ違う人は何人かいたが、誰も彼女のことを気にしている様子はない。四人兄弟の中でも一番影が薄いステファニアは、以前からそう扱われていた。それは、ボナパルト王国へ嫁いだ身であっても変わらないらしい。そのことに本来なら不満を覚えてもいいのかもしれないが、この時ばかりは感謝していた。
目的の場所、マルコの調剤室に難なく入り込む。かかっていた鍵は、事前にリタがネロを通じて手に入れた鍵を使って開けた。
「あった……」
パズルボックスは資料を保管してある棚の奥にあった。目当てのものを見つけることができ、ステファニアは安堵の息を吐く。
「お願いします」
彼女のつぶやきに答えるように、影が不自然に揺らめき、そこから黒猫――ネロが姿を現した。
「これをリタに渡してください」
ネロの背中にパズルボックスをくくりつける。ネロは微かに頷く動作を見せ、再びステファニアの影にもぐりこんでいった。山場は越えた。後はこの部屋から出て鍵をかけ、戻ってきたネロに再び託せば、マルコの手元に戻してくれるという寸法になっている。
ステファニアは人の気配がないかを確認して、部屋を出た……つもりだった。
「ステファニア」
「! ア、アドルフォ兄様」
振り向くとそこにはアドルフォがいた。
「そこは、マルコの調剤室だよね。どうして、そんなとこから?」
一番見られてはいけない人に見られた。内心焦りつつも、素知らぬ顔で返す。
「それが……マルコ兄様に用があったのですが、いらっしゃらなくて……」
「そうか。だけど、おかしいね」
「え?」
「あれから、鍵の管理を徹底するようにしてたはずなんだけど」
「……マルコ兄様に確認してもらった方がいいかもしれませんね。このとおり鍵は開いていましたので。それで、私はてっきり中にマルコ兄様がいるものと思って入室してしまったのですが……」
そう言ってステファニアは扉を一度開けて見せる。
心臓がバクバク鳴っている。
アドルフォはこれで納得してくれるだろうか。身体検査でもされたら、この部屋の鍵を持っていることがバレる。すでにパズルボックスは自分の手から離れているので安心だが、それでも鍵を所持していることと嘘をついた理由を聞かれたらまずい。
内心冷や汗をかいていると後ろから「ステファニア。こんなところにいたのか」と声をかけられた。
現れたのはアレッサンドロとマルコ。意外な組み合わせに驚きつつ、ステファニアは心の中で最悪の展開だと呻いた。
アレッサンドロはステファニアの危機的状況を知ってか知らずか、のんきに話を続ける。
「いやあ、ベッティオル皇国の城はすごいな。うちとは大違いだ。おかげで迷子になってしまったぞ。運よくマルコ皇子と出くわさなかったらどうなっていたことか!」
「ハハハ!」と大口を開け笑うアレッサンドロに先ほどまであった緊迫感が霧散する。アドルフォは「そうですか、それはよかった」と言い、マルコを見やった。
「それよりマルコ。また、調剤室の鍵が開いていたようだが、どうなってるんだい?」
「あ、ご、ごめんアドルフォ。ぼ、僕がかけ忘れたんだ。あ、後でかけておくよ」
「……今持っていないのかい?」
「う、うん。劇薬が服についちゃったからあわてて部屋に戻って、き、着替えた時に脱いだ服の中に入れたままにしちゃってっ。と、取りに戻っている途中でその……」
「俺を見つけたってことか! それはすまなかったな! 忙しいところ邪魔をしてしまったようだ!」
「う、ううん! だ、大事なものは全部鍵付きの棚に閉まってるから大丈夫。その鍵を置いてある場所は僕しか知らないから」
「そうか。なら大丈夫だな!」
「う、うん。あ、そ、それよりステファニア。ぼ、僕に会いに来てくれたんでしょう」
「はい。久しぶりにマルコ兄様とお話ししたくて。よろしいでしょうか?」
「も、もちろん」
ステファニアとマルコは目を合わせ、ホッとしたようにほほ笑んだ。しかし、アドルフォの言葉で固まる。
「その会話、私もいれてほしいな。久しぶりなのは私もだから……いいよね?」
「おお! それはいいな! ステファニア、兄弟水入らずでゆっくり話してくるといい。……ただ、その前に一度部屋までついてきてもらってもいいか? 部屋までたどりつけるか不安でな」
アレッサンドロに毒気を抜かれた様子のアドルフォ。
皆でアレッサンドロを送っていく流れになった。アドルフォとマルコを先頭に、ステファニアとアレッサンドロが続く。アレッサンドロはにこにこ笑顔を浮かべながら、そっとステファニアと距離を詰めた。互いの手の甲が微かに触れる。それを合図ととらえ、ステファニアは隠し持っていた鍵をアレッサンドロに手渡そうとした。その時、まるで見計らっていたかのようにアドルフォが振り向いた。
「……随分仲が良いのですね」
「おお! そう見えますか?!」
「……ええ、まあ」
恥ずかしがるどころか、嬉しそうな反応を見せるアレッサンドロ。アドルフォは新婚夫婦の固く結ばれた手を一瞥しただけで顔を戻した。
鍵をアレッサンドロに渡し、部屋の前で別れる。
そして、ステファニアはアドルフォに連れられ、マルコとともにアドルフォの執務室へと移動した。
ステファニアとアドルフォが対面して一人掛けの椅子に座り、マルコはまるでアドルフォの部下のように彼の後ろに立っている。その光景に苦い思いを抱きながらも、顔には出さない。
おそらく、アドルフォは先ほどの調剤室での出来事を突き詰めてくるだろう。そう身構えていた。
しかし、彼の口から出てきた言葉は全く違った。
「どうしてリタも一緒に連れてこなかったんだい?」
「え?」
困惑気味のステファニアに、アドルフォがもう一度尋ね直す。
「リタをなぜ連れてこなかった?」
その声色にはあからさまに非難の色がのっている。
「も、申し訳ありません。リタ……彼女は長旅に慣れておらず、途中で馬車酔いをしてしまったのです。今はルミナス辺境伯のところで体を休めているところですので……」
「ということは、こちらに来る予定ではあるんだね?」
「は、はい! お疑いならルミナス辺境伯に確かめていただければ」
「いや、そこまでする必要はない。来るならいいんだ。それよりも……ステファニアは随分彼らと仲良くなったようだね」
「え、ええ。……その方が兄様のためになると思ったのですが、違いましたか?」
「いや? あっているよ」
アドルフォは満足そうにほほ笑む。
「僕は精霊には選ばれなかったけど、兄弟には恵まれたようだ」
その言葉にステファニアは無言でほほ笑み返すしかできない。マルコも同じような表情を浮かべている。
二人ともかたい笑みなのだが、アドルフォは気にせず続ける。
「ちなみに、上皇が死んだあと、ステファニアの前にシルフが現れたりはしなかったよね?」
「え? はい」
「私の前には」と頷く。
「そう……。やっぱり無理だったか」というアドルフォの小さなつぶやきに、彼がシルフとの契約を狙っていたことを読み取りステファニアの顔が強張る。彼女の中で彼がダニエーレの寿命を故意に早めた可能性が高まった。
ここで黙り込んだら怪しまれる。と、ステファニアはなんとか声を絞り出す。
「アドルフォ兄様に精霊の力は必要ないでしょう。現に、精霊の力などなくとも立派に皇帝としてやっているではないですか」
あからさますぎたかと思ったが、アドルフォはその言葉で十分自尊心が満たされたようだ。
空気が和らいだことにステファニアは安堵する。が、次の彼の言葉に思考が停止した。
「もう一度、よろしいですか?」
「わかりにくかったかい? 私が合図を出したら、ステファニアはアルフレード王子を引き留めておく。その間に私がリタを連れ出す。そして、おまえはコレを彼に飲ませるんだ」
そう言ってアドルフォが渡してきたのは小瓶。その小瓶には見覚えがあった。マルコが毒物を入れる際に使っていた容器だ。つまり、この中身は毒。
「こ、この中身の効能は?」
狼狽えるステファニアの様子をじっとアドルフォが見ている。それがわかっているのに、動揺を隠せない。
「父上に盛ったのと同じものだよ。マルコが開発したものだからバレることはない」
「で、ですがあちらにはリタがいます。万能解毒剤を作れた彼女ならば……」
「大丈夫。リタが第二王子の死をしった時にはもう、彼女は私のものになっているからね」
自信満々に口角を上げるアドルフォ。その笑みを見て、ステファニアの背中に嫌な汗が流れた。
「ア、アドルフォ兄様はリタになにをする気なのですか?」
「ステファニアは本当に彼女のことを気に入っているんだね。安心していいよ。彼女にはこの世界で一番高貴で、幸せな女性となってもらう予定だから」
「この世界で一番? まさか……」
血の気が引くとはまさにこのこと。ステファニアの声が震える。
「リタはボナパルト王国の第二王子妃なのですよ?!」
「ああ。今はまだ、ね」
「っ!」
だからアルフレード王子の命を奪おうとしているのかと気づく。単に彼のことが気に食わないのかと思っていたが、それだけではないのだ。
「どうして……どうしてそこまでリタに固執するのですか? 彼女は稀有な薬師ではありますが、生まれは平民ですよ」
「……さあなぜなんだろうね。自分でもよくわからないけど。もしかしたらこれが恋のなのかもしれないなあ。ひどく惹かれるんだよね。彼女のあの瞳に」
思い返しているのかアドルフォはぼんやりと呟く。その表情をみてステファニアは彼が本気なのだと確信した。衝動的に立ち上がる。
「ダメです! リタだけは絶対にダメです!」
気づけばステファニアの口からは繕うことない言葉が飛び出していた。
慌てて口を手でふさぐがもう遅い。アドルフォは訝し気に眉根を寄せる。
「なぜ?」
その問いに返すことはできず、ステファニアは口を閉じ、俯き、首を横に振る。
「……ステファニア。知っていることを話すんだ」
アドルフォの声色が変わった。それでもステファニアは俯いたまま、顔を上げられない。
舌打ちが聞こえてきて、ステファニアは体をびくりと震えさせた。
「マルコ」
近くに二人分の気配がして、慌てて顔を上げようとした時には、無表情のアドルフォに体を押さえこまれていた。
「マルコ兄様っ」
「やめて」と続けたかったが、マルコの表情を見てそれ以上は言えなかった。無駄だ。彼はアドルフォに逆らえない。マルコの指がステファニアの口を無理やりこじ開ける。抵抗しようとしたが完全に押さえ込まれていて動けない。マルコの手にした小瓶の中身が口内へと流れ込んでくる。飲み込みたくないのに、飲んではいけないのに、喉が勝手に動く。ステファニアの瞳から涙がこぼれた。ぼやける視界の中、マルコの罪悪感を滲ませた顔が見えた。そんな表情をするくらいなら、止めてくれればいいのに。という言葉は実際に口にできたのか、否か。わからないままステファニアの意識はそこで途切れた。
◇
ステファニアに飲ませた薬はマルコ手製の自白剤だ。
アドルフォが政敵に使うため、マルコに作らせたもの。
後遺症が残る可能性がある、強力なもの。それでも、命を奪うよりはましだとマルコはステファニアに飲ませた。
その結果、とんでもないことがわかった。
ベッティオル皇国出身の、平民の出でありながら隣国ボナパルトの第二王子妃に上りつめた凄腕薬師。リタはなんと――ダニエーレの隠し子だったのだ。
つまり、マルコにとって彼女は腹違いの妹。まあ、正直それについてはどうでもいい。
問題は……彼女が精霊の愛し子であるということだ。しかも複数の精霊と契約しているという。
彼女は『精霊の儀』を行っていないのに? と思ったが、その理由もステファニアは教えてくれた。本来、あんな格式ばった儀式をせずとも精霊との契約はできるらしい。年齢制限もない。では、どのような条件がそろえばいいのかと、気になるところではあったが、残念ながら詳しいことはステファニアも知らないらしい。
また血縁者を一人手にかけることになるのか、とマルコは憂鬱な気持ちになる。なにより、彼女はステファニアのお気に入りだ。今度こそステファニアは許してくれないだろう。
だが、マルコのその予想は杞憂だったらしい。と、アドルフォの表情を見て理解する。
アドルフォの目はランランと輝き、口角は上がり、頬は上気している。
「なるほどな。だからか。ならば、なんとしてでも彼女を手に入れなければ」
「ア、アドルフォ。そ、それって、つまり、彼女は殺さないで捕まえて、利用するってこと?」
「うん。その考えであっているよ」
その言葉にマルコはホッとする。
「び、びっくりした。か、彼女を皇后にするのかと、お、思った」
「ん? それは予定通りするよ」
「……え?」
「精霊の愛し子が次代の皇帝となるのが習わしだ。けれど、さすがにその座は渡せないからね。ならば、せめて彼女にはそれに順じた座を用意してあげるべきだろう? それに、彼女と私の子供なら優秀な子が生まれるだろうからね。愛し子に選ばれるのは間違いないだろうし」
「なっ、何を、言って、か、彼女は腹違いとはいえ、血がつながった妹、なんだよ?」
「そんな証拠はどこにもないよ」
「で、でもステファニアがっ! そ、それに、精霊の愛し子で、紫色の瞳ってことは、ち、父上の子で間違いないはずっ」
「うーん。でも、彼女は『精霊の儀』を受けずに愛し子になったイレギュラーな存在だ。であれば、彼女が父上の子でない可能性だって十分あると思うんだよね。それに、あの父上が母上に隠れてそんな大層な事ができたとも思えない。とすると……彼女は父上以外の皇族の血を引く私生児だが、精霊たちに異様に気に入られ、愛し子となった……説が有力かな。そして、精霊たちは彼女を今代の皇帝……先代の愛し子の子と結ばせるつもりだった。けれど、残念ながら彼女は皇帝と会う前に隣国の第二王子に見初められ、断り切れずに結婚してしまった。そこで、精霊たちは第二王子を罰することにした。そして、本来結ばれるべき二人が夫婦となりめでたしめでたし、だ。……いかにも民衆が好みそうな話だと思わない?」
にこにこと笑うアドルフォだが、マルコの顔色は悪い。否定も肯定もできず、ただ震えることしかできない。かろうじて出た言葉は「ステファニアはどうするの?」だった。
アドルフォが思い出したかのように「ああ」と呟く。
「しばらく閉じ込めておく必要はあるけど、手を出すつもりはないから安心して。マルコ兄上との約束は守るよ。その代わり、手伝ってもらうよ。第二王子の処理。リタを完全にこちらに引き込んだら、ステファニアも解放してあげるからさ」
「ね」とほほ笑むアドルフォ。
マルコは「わ、わかった」といい、それ以上考えるのを諦め、そっと目を伏せた。




