シルフ、皇帝から『皇女に毒を盛った犯人捜し』を命じられる
皇城に帰ってきて早々、シルフはダニエーレから命じられた。
「シルフ。ステファニアに毒が盛られた。犯人につながる情報を捜してきてくれ」
そう言ったダニエーレの顔には、珍しく焦りが滲んでいた。てっきりステファニアが暗殺されたからだと思ったのだが、どうもそうではないらしい。ステファニアは生きており、盛られた毒は『麻痺毒』だったという。つまり命に別状はなかったのだ。――それなのになぜ、そこまで焦りを見せるのか?
気になりはしたものの、命令には従う他ない。どちらにしろ、シルフには拒否権がないのだから。
いつものように小鳥のフリをして、皇城内を飛び回る。風に乗って、人々が話している内容がシルフの耳に届いた。その中に気になる内容があった。
ハウスメイドが二人、こそこそと顔を寄せ合い話し込んでいる。シルフは近づき、力を使った。彼女たちの会話を一言一句聞き漏らさないように。
「キアラが無断欠勤している? それっていつものことじゃない」
「そ、そうなんだけど、そうじゃないの!」
「じゃあ、どういうことよ?」
「昨晩キアラの様子がおかしかったでしょ? だから私、気になって朝会いに行ったの。そうしたら……」
「……そうしたら?」
「キアラがいなくなっていたの! しかも、キアラのお気に入りだった服とか宝石とかが全部なくなってた」
「それって……つまりキアラは夜逃げしたってこと?」
「たぶん」
「……ねえ。それ、誰かに話した? 私以外の誰かに」
「ううん。まだ。内容が内容だし……もしかしたら帰ってくるかもしれないでしょう? 一日くらいは様子見るべきかなって……どう思う?」
「なら、知らないフリをしましょう」
「え?」
「あの話、聞いたでしょう。その後にキアラがいなくなったのよ。キアラが関わっていなかったとしても怪しまれるに違いないわ。どうせキアラがいなくなったのはそのうちバレるんだから、私たちはなにも知らなかったフリをしましょう」
「でも……」
「なに? 巻き込まれたいの? 私は嫌よ。事情聴取だけでも時間はとられるし、周りからも変な目で見られるかもしれない。最悪、キアラの共犯者だと思われる可能性だってあるわ。それでもいいの?」
「いや!」
「なら黙ってなさい。それが無理なら、あなた一人で話してきて。私は何も聞かなかったフリをするから」
「ううん。止めとく。私も知らなかったフリをする」
「それが賢明だわ。私たちはいつも通り仕事しましょ」
「うん」
掃除の担当をしているらしいハウスメイド二人は、青白い顔で頷き合った後、各々いつも通り仕事を始めた。その様子をしばらく見ていたシルフは、これ以上二人から情報は取れそうにないと判断し、飛び立った。
◇
ステファニアの寝室。そこには部屋の主であるステファニアはもちろんのこと、皇后であるアデライデ、第一皇子であるクラウディオ、第二皇子のマルコ、第三皇子のアドルフォ……皇帝であるダニエーレを除く家族全員が揃っていた。
ステファニアの意識ははっきりしている。マルコが作った解毒剤のおかげだ。ただ、まだ若干の痺れが残っているため、ベッドで安静にしなければならない。今はステファニアの見舞いにきてくれた家族のために、上半身だけ起こした状態だが。
末の姫であるステファニアはまだ十八歳。一番上のクラウディオは二十五歳で、三男のアドルフォも最近成人したばかりの二十歳だ。そのせいか、兄弟仲が悪い彼らもステファニアにだけは皆優しかった。少なくとも、表面上は。
「ス、ステファニア、大丈夫?」
「マルコ兄さま。大丈夫。兄さまが作ってくれた、薬のおかげで、後遺症も、残らないって、お医者様が。ありがとう。兄さま」
痺れが残っている影響か、ステファニアの口調はたどたどしい。心配をかけまいと笑みを浮かべるステファニアを見て、マルコの眉尻が下がる。
「それにしても、誰がステファニアに毒なんか盛ったんだか。おまえ、誰かからの恨みでもかったのか?」
からかうようなクラウディオの口調。本心から言っているわけではないことはステファニアにも伝わっている。そもそもステファニア以外が毒に犯されていたとしたら、クラウディオは見舞いにも来なかっただろう。しかし、この場には冗談が通じない相手がいた。
「兄上。そういう冗談は面白くありませんよ」
「そうよ、クラウディオ」
諫めるアドルフォと便乗するアデライデ。クラウディオは途端に不機嫌になった。いつもならなにかしら言い返していたが、さすがに今のステファニアの前でするのは気が引けたのだろう。口を閉ざした。
皆が黙ったタイミングで扉が開く。入ってきたのは、一時退出していたダニエーレだ。
「父上、なにか分かったのですか?」
アドルフォの言葉に、ダニエーレは顔を上げる。その表情は険しい。「ああ」と低く頷いた。
「ステファニアに毒を盛ったのは、掃除を担当していたハウスメイドのキアラだった」
犯人の名前に反応した者がクラウディオ。
「ハウスメイドですか……。ハウスメイドがいったいどうやって毒を?」
至極あたりまえの質問。今回使われた毒は、幼い頃から毒を摂取して慣れているはずのステファニアにも効いたくらい強いものだった。そんな毒を簡単にハウスメイドが手に入れられるとは思えない。けれど、そのアドルフォの疑問に顔色を変えた者がいた。
マルコが「まさか」と呟く。
その考えを肯定するように、ダニエーレは説明を続けた。
「キアラの担当は各皇子の部屋だ」
「つまり、そのメイドがマルコ兄上の部屋から毒を持ち出した……ということですか?」
聡いアドルフォが先を読んで答える。マルコは慌てて首を横に振った。
「そ、それはないと思う。毒や薬類は研究室に保管してあるからっ。研究室の掃除は自分でしているし……」
「では、その研究室の鍵はどこに?」
「そ、それは自分の部屋に……」
自分の失態に気づいたマルコが口を閉ざす。ダニエーレが「はぁ」と息を吐き出した。
「今後は鍵の管理も徹底するように」
「はい。も、申し訳ありません」
深々と頭を下げるマルコ。その姿が見ていられなかったのか、アドルフォが口を開く。
「マルコ兄上。今回の件、たしかに兄上の管理不足は否めません。ですが、そもそも一番悪いのはそのメイドです。だから、兄上がそこまで気にする必要はないと思いますよ」
「あ、ありがとう。アドルフォ」
「いえ」
にこりとほほ笑む弟アドルフォと、眉を下げて感謝を述べる兄マルコ。はたから見れば、どちらが兄か分からない光景だ。
「ステファニア。ご、ごめんね。僕のせいで」
「マルコ兄さま。アドルフォ兄さまがおっしゃるとおり、マルコ兄さまのせいではありませんわ。それに、すぐにマルコ兄さまが解毒薬を作ってくださったから、この程度で済んだのですよ? 感謝こそすれ、恨みは全くありませんわ」
「マルコ兄上が作った毒なら、ステファニアがこうなったのも納得ですね。ただ……犯人の意図がわかりません。なぜステファニアを狙ったのか。どうして麻痺毒だったのか……」
「ああ。それについては私も気になっている」
アドルフォの言葉にダニエーレも賛同し、二人して顎に手を当て考え込む。
「皇帝陛下」
割って入ったのはアデライデだ。
「それで、そのメイドはどちらに? もう尋問は終わっているのでしょう? 私も会いたいわ。私の大事な娘に手をかけたんですもの、相応の罰を与えなければ」
「私の手で」と、嗜虐性を滲ませた笑みを浮かべるアデライデ。その目は肉食獣のようにぎらついている。ステファニアを思っているような言葉を口にしながら、その実、ここ最近の鬱憤をメイドにぶつけたいだけというのは、この場にいる皆が分かっている。
ダニエーレは首を横に振って応えた。アデライデの眉間に皺がよる。
「キアラは郊外の森で死体となって発見された」
「なっ」
「早々に始末されたということですね」
皆が息を吞む中、アドルフォだけが冷静に分析した。
一介のメイド如きが皇女を害する理由はない。殺したいほどの恨みを持っていたとしても、それを実行するにはリスクが高すぎる。ましてや、マルコの毒薬を使ってまで。黒幕がいると考えるのが妥当。
しかし、ダニエーレは「いや……わからない」と答えた。
「わからない?」
「キアラの死体に残っていたのは、獣に食われた痕だけだった。人間の手が加わっていた証拠は残っていなかったのだ」
「そういうこと、ですか……」
可能性はあるが、裏付けるだけの証拠がない。考え込むアドルフォ。ダニエーレは両手を叩いてその思考を遮った。
「とにかく皆、身辺に気をつけるように。それを伝えたかっただけだ。さて、ステファニアにはまだ休息が必要だ。そろそろ部屋を出て休ませてやろう」
「ああ、そうですね」
「う、うん。ステファニア。ゆっくり寝てね」
「じゃあな」
「おやすみなさいステファニア」
「お見舞い、ありがとうございました。お父様。お母様。アドルフォ兄さま。クラウディオ兄さま。マルコ兄さま」
皆が出て行った後、ステファニアは体をゆっくりとベッドに横たえた。その顔に浮かぶのは『無』。純情な少女の一面は完全に消え去っていた。
一方、一人になったダニエーレは、脳内で『キアラの件を報告した時の全員の反応』を思い出していた。
キアラの名前を出したのはわざとだ。シルフと暗部のおかげで『キアラ』の情報はある程度集まっている。
キアラ・ベル。ベル男爵家の次女。いずれはどこかの家に嫁がなければならない立場故か、常日頃からハウスメイドという立場を利用し独身男性に近づいていた。狙うのは貴族か、金持ちの商人。顔が良ければなおよし、と仲間内では話していたという。勤務態度は不真面目でデートを優先するあまり無断欠勤することもあったとか。けれど、爵位持ちの令嬢ということや、相手の男性がそれなりの身分の人だったということもあり、周りも強くは言えなかった。確かに皇城勤めはキアラにとっては最適な環境だっただろう。そして、その相手の中にはクラウディオの名もあった。
キアラの名前を出した時、クラウディオが最初に反応した。終始無言だったが、それは自分との関係性を知られたくなかったためだろう。想定内の反応。ダニエーレが確認したかったのはその後の表情だ。クラウディオは自分が見られているとも知らずに、感情を素直に表に出していた。クラウディオの顔にあったのはキアラへの嫌悪だ。その表情を見て『違う』と判断した。それに、クラウディオがこんな手の込んだことをするとも思えない。後先考えずに手を下すタイプだ。
マルコの反応も想像通りのもの。自分の毒が使われたことに驚き、管理を怠ったことを後悔していたがそれだけ。ステファニアに麻痺毒が盛られたと判断したのは宮廷医師だ。それを聞いてからマルコを呼び出し、診せ、解毒剤を作らせた。その流れに、様子に、おかしなところはなかった。そもそも、マルコがステファニアに毒を盛るというのも考え難い。兄弟の中で唯一マルコが心を許している相手がステファニアだ。それに感情抜きにしても、マルコが黒幕なら、自分の仕業だとわかる毒を使わないだろう。
アドルフォとアデライデについてはキアラとの目立った接点はなかった。立場上、命令することはできただろうが、二人とも積極的に犯人を捜そうと会話に加わっていたところを見るに、怪しいところはなかった……と思う。もし、全て演技だったとしたら……いや、これ以上家族を疑うのは止めておこう。
完全に全員の疑いが晴れたとは言い難いが、黒幕は別にいたと考えるのが適当……と結論付けたダニエーレは、次の命令をシルフに下した。
◇
数日後、すっかり回復したステファニアは皇城の廊下を一人歩いていた。もちろん、完全な一人というわけではない。護衛がついている。ダニエーレの命により、今まで一人だった護衛が二人体制になった。
すれ違う人々がステファニアに快気祝いを告げる。それに笑顔で応えるステファニア。
ステファニアが足を運んだのは図書館だ。中に誰もいないことを護衛が確認し、ステファニアは中に入った。
「静かに本を読みたいの」
ステファニアのお願いに戸惑ったものの、護衛は受け入れ、外で警護をすることにした。図書館の入口は一つ。その場所だけ守っていれば危険はないだろう。そのかわり、なにかあれば大声で呼ぶよう言い、ステファニアは了承した。
一人になったステファニアは、まっすぐに持ち出し禁止書庫へと向かった。そこにあるのは、皇族のみが閲覧を許可されている本。
ステファニアが目を走らせた先にあるのは、歴代の皇族が記した日記だった。幼い頃、面白半分で読んだことがあった。その中の一冊を手に取る。――たしか、これに載っていたはず……。
椅子に腰かけ、日記を開く。
内容は面白おかしい日常を書いた日記でもなく、日々の苦悩を記した日記でもなく、淡々と事実を記した日記だった。日記というよりは、まるで後世に伝えるべき事柄をまとめた文献のような。
「このことをお兄様も知っていたのだわ。ということは、やっぱりアレは警告……」
『次は命を狙うぞ』という。それだけは避けたい。となれば、このまま大人しくしていてはダメだ。
――――私は皇位なんていらないもの。それで命を狙われるなんて、たまったもんじゃないわ!
今までは目立たないように息をひそめて生きていたが、これからは生き残るためにも動かなければならない。ステファニアは思考を巡らせた。
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ぷっぴぃへの質問コーナー
Q.普段ぷっぴぃはなにをして過ごしていますか?
A.「普段? リタの前でゴロゴロしてるわ! そうしたらリタが取り合ってくれるの! あとはそうね……おいしいものをいーっぱい食べてるわ。え? そのせいで太ったんじゃないかですって? そんなことないわよ。アタシは精霊なのよ。太るなんて概念ないんだから!(鼻に砂糖をつけたまま、フガフガして退場)」




