リタはアルフレードの邸宅へと招かれる
「ありえない」
リタは眉間に深い皺を作り、馬車の小窓から見える景色を睨みつけていた。
「なにがだ?」
向かいに座っているアルフレードが小首をかしげる。
「アレがお城じゃないなんて、うそでしょ?!」
リタが指さした先にあるのは、アルフレードが個人で所有している邸宅。王城にも私室はあるが、煩わしい人間関係から逃げるための場所が欲しくて建てた屋敷だ。
コズウェイ公爵家の別邸も大きいが、アルフレードの邸宅はもっと大きい。城壁から邸宅までの距離を見れば、その差は明白。
なお、アルフレードの祖父母を乗せた馬車は、敷地内に入ることなくそのまま行ってしまった。
アルフレードは邸宅を一瞥し、からかうような視線をリタに向けた。
「この程度で驚いていたら、リタは本物の王城を見て白目を剥くんじゃないか?」
「う゛」
ないとは言えない。
「ちなみにだが……ベッティオル皇国の皇城はさらに大きかったぞ」
「……へ、へええ」
それはあまり聞きたくなかった。ちょっとだけ興味が湧いてしまったじゃないか……。
たわいもない話をしている間に到着したらしい。アルフレードの手を借り、馬車から降りる。
「ブルーノ!」
二人の到着を待っていたらしいブルーノを見つけて、リタは顔をほころばせた。若干、緊張が和らぐ。
「お二人とも無事に到着されたようでよかったです」
「ああ。準備は?」
アルフレードはブルーノではなく、彼の後ろに立っている執事らしき中年男性に話しかけた。当たり前だが、リタの知らない人だ。にもかかわらず、既視感を覚える。村に引きこもっていたリタが知る人物は限られている。その中から該当する人物を思い浮かべるのは容易だった。
――コズウェイ公爵家の別邸にいた執事と似てる?
服装が似ているからそう思うのだろうか。
中年男性はアルフレードからの質問に対し、うやうやしく頷き返した。
「ブルーノ様のおかげで滞りなく」
「……そうか」
呆れた視線をブルーノに向けるアルフレード。本来ならブルーノはアルフレードからの言葉を執事に伝えるだけでよかった。だが、この調子だと自ら指揮を執ったのだろう。それを当然のように受けいれる使用人たちも問題だが、一番の問題はブルーノの執事適性が高すぎることだ。ブルーノも高位貴族の子息だというのに……。まあ、いまさらだが。彼が側近ではなく、主従関係を結ぶことを選んだ時からわかっていた。
ブルーノのハイスペックさは、アルフレードのためにと努力した結果だ。
(おかげで手放せない。ただ、それ以上に性格に難があるのだが……)
「こちらの方が?」
「ああ。リタだ」
「リタです。しばらくお世話になります!」
勢いよく頭を下げたリタを見て、執事が目を瞬かせる。そして柔らかく笑った。
「リタ様ですね。私はアルフレード様にお仕えしております、執事のロルフと申します。滞在中、何かございましたら、お気軽にお申し付けください」
「は、はい」
最初から好意的な笑みを向けられて戸惑う。リタは思わずアルフレードを見上げた。
「どうした?」
「う、ううん。なんでもない」
もっと警戒されるかと思っていた。とは、言えない。
「なら、中に入ろう」
「うん」
アルフレードが差し出した手をリタは自然な動作で取る。
並んで歩く二人の後ろに付き従う、ロルフとブルーノ。ロルフは目の前の信じられない光景に何度も瞬きを繰り返した後、ブルーノを見やった。それに対し、ブルーノは口角を上げたまま意味深な視線を返した。
◇
リタはソファーに座り、ぼうぜんと天井を見上げていた。室内には誰もいない。先程まではメイドがいたのだが、一人にしてほしいと頼んだのだ。
「びっくりした……」
屋敷内の豪華な内装にも驚いたが、それ以上に使用人たちから向けられる歓迎ムードに驚いた。リタの正体はバレていないはずなのに、まるで一国のお姫様を相手にするかのような対応を受けた。
アルが根回しをしてくれていたのだろうか。心の中で感謝する。居心地の悪さは拭えないが、敵意を向けられるよりはよっぽどマシだ。
ゆっくりと顔を動かし、室内を見回す。リタの家が何個も入りそうな広さ。
「はあ……アルって本当に王子様なんだ」
住む世界が違う。という言葉が頭に過ったものの、同時に自分が誰の娘なのかを思い出し、それ以上考えることを止めた。
『リタ、疲れたの? 大丈夫?』
「ぷっぴぃ……」
目の前に突然現れたぷっぴぃの名前を呼ぶ。そして、すぐに口を閉じた。代わりに、心の中で話しかける。
『ぷっぴぃ~。大丈夫だよ~。でも、心配してくれてありがとう。嬉しい』
ぷっぴぃを抱きしめ、深く息を吐く。
『リタ』
『ネロに、マロンにアズーロ、ロッソも。ありがとう』
次々に姿を現すリタの大切な友達。彼らが側にいてくれるだけで、ざわついていた気持ちが落ち着く。ぷっぴぃはリタの腕の中、ネロとマロンは膝上。アズーロはリタの右肩に、ロッソは左肩に。
――ああ、ずっとこうしていたい。
現実逃避を始めたリタを呼び戻すように、ノック音が響いた。
「リタ、私だが……入ってもいいか?」
「アル? うん、いいよ」
念のため姿を消したぷっぴぃたち。残念に思いながらもアルフレードを迎え入れる。アルフレードはリタの顔を見て、苦笑した。
「落ち着かないようだな」
「そりゃあね」
「ロルフも言っていたと思うが、困ったことがあればなんでも言ってくれ。自分の家のようにくつろいでくれ、と言いたいところだが……」
「そんなの無理」
「だよな。……ぷっぴぃたちはこの部屋にいるのか?」
「うん。いるよ」
「なら、今話そう」
「なにを?」と首をかしげる。
「現在、庭を改装中だ。リタがいた村をイメージして作ってもらっている。それが終わり次第、精霊たちを『リタの大切な家族』として迎え入れるつもりだ。その後なら彼らも姿を現して自由にできるだろう。ただ、動物のフリを続けてもらう必要はあるが……」
「本当に?!」
「あ、ああ」
興奮してアルフレードに顔を寄せるリタ。アルフレードは驚き、やや引いているがその耳は微かに赤い。
「ありがとう。アル。嬉しい」
アルフレードの手を両手で握り、感謝を告げるリタ。しかし、アルフレードは困ったように眉を下げている。
「いや、お礼を言われるほどのことではないんだが……」
「そんなことないわよ! ここにくるまでの間だけでもアルに感謝することがたくさんあったのに。私を匿ってくれるどころか、私の大事な友達のことまで……アルには感謝してもしきれないわ」
「はは……。それを言うなら、命を救ってもらった私の方が、リタに返さないといけない恩がまだまだあるだろう」
「ああ。いや、でも、それも今回のことで帳消しでしょ」
「そんなわけあるか」
呆れたような表情を浮かべるアルフレード。
「一国の王子の命を救ったんだぞ。それに、何度も言っているだろう。私は甲斐性なしではないと。これから、本格的に恩返しをしていくつもりだから覚悟しておけよ」
いつのまにかアルフレードから逆に手を握られているリタ。そのことに気づいた瞬間、心臓が高鳴った。
――し、至近距離でその顔は反則だわ。
「しゃー!」
二人の空気を壊すようにネロの威嚇音が響いた。アルフレードが驚いてリタの手を離す。
「ネ、ネロ?」
慌ててリタがネロを抱き上げた。
「どうしたの? なにかアルに伝えたいことでもあった?」
『別に。今なら姿を現しても大丈夫そうだから』
「ああ、そういう」
ちら、とアルフレードを見れば、いつのまにかぷっぴぃがアルフレードに甘えている。
「じゃあ、せっかくだからブラッシングしようか」
ネロの尻尾がピンと立ち上がり、ゆらゆらと揺れ始める。リタはそれを見て、リュックからネロ用のブラシを取り出した。ソファーに座れば、ネロが膝上に移動する。いつものようにブラッシングを始めた。
隣にアルフレードも座り、その膝上にはぷっぴぃが。アルフレードに撫でてもらってご機嫌だ。
「あ、そうだアル」
「ん?」
「ここの調理場って借りることできる? 道中、ぷっぴぃたちに協力してもらったから、そのお礼になにか作ってあげたくて」
「ああ。なら、ロルフに話しておこう。できれば……」
「できれば?」
「私の分も作ってくれると嬉しいんだが……」
「それはもちろんいいけど……。いいの?」
「なにがだ?」
「プロの作った料理の方がおいしいと思うんだけど……」
「……私にとっては、リタが作った料理の方がおいしい、と感じるらしい」
「え?」
思わぬ答えにきょとんとするリタ。アルフレードは気まずげに視線を彷徨わせた後、リタを見た。
「もともと、私は食事に関心がない。にもかかわらず、なぜかリタの料理はおいしいと感じたんだ。私がリタの料理を残したことは一度もなかっただろう?」
「そういえば……」
むしろおかわりをしていた気がする。コズウェイ公爵家では残していたのに。不思議に思っていたが、単純にリタの料理がアルフレードの好みだったということらしい。リタの頬が赤く染まる。
――嬉しい。
「わかった。アルのご飯も作るね」
「ああ。よろしく頼む」
「うん」
ほほ笑みあう二人を見て不機嫌そうに尻尾を揺らすネロと、目を輝かせて見つめるぷっぴぃ。他の三匹は静観する姿勢だ。
こうして、リタと精霊たちの新生活が始まった。
◇
一方、ベッティオル皇国。
「またか……」
「またのようですね」
ダニエーレの苦々しい呟きに、アドルフォが軽い口調で返す。
――いったいどの口がっ!
と言ってしまいたいが、今はまだその時ではない。
ダニエーレはくしゃくしゃになった新聞を開き、もう一度目を通した。大手新聞社が発行した新聞。一面を飾っているのは『貴族の連続不審死』。そこにはいくつかの事実と憶測が書かれていた。亡くなったのはいずれもアドルフォが皇太子になるのを反対していた者たち。これは事実だ。
憶測として書かれているのは『一連の事件は全て精霊の仕業』という説。
精霊に選ばれなかったアドルフォ。だが、それには理由があり、『精霊たちはアドルフォを次期皇帝として認めているが、自分たちの力を貸す必要はない、と判断して契約を結ばなかった』『にもかかわらず、反対する者たちが続出した。精霊たちは怒り、その者たちに罰を与えているのではないか?』そう記事には書かれている。なんとも都合のいい内容だ。
この記事を鵜呑みにしている民はどれほどいるのか。ただ、アドルフォへの疑いを持っている者たちが声を上げることは……もうないだろう。そう声高に言っていた者たちが順に『不審死』を遂げているのだから。そう、『不審死』。未だ死因ははっきりしない。共通しているのは、亡くなった者たちの顔が皆まるで悪魔を見たかのような表情だったということ。これこそが『精霊の仕業』だと言われているゆえんでもある。
――こんなに早く動き出すとはっ……。
シルフのおかげで、アドルフォが一連の事件の犯人……いや、黒幕だということはわかっている。けれど、その明確な証拠がない。故に、ダニエーレはまだ動けない。下手をしたら、自分の身が危うくなる。
「父上」
「どうした?」
「来月、ボナパルト王国でも立太子の礼があるのですよね?」
「ああ」
「ここは次世代の交流をはかるべく、私が祝いに行くのはどうでしょう?」
アドルフォの立太子の礼はイレギュラーなこともあり、国外には周知させなかった。アドルフォとしては不満だったのだろう。
「いや、それなら私が行くつもりだ」
「父上がですか?」
「ああ。ステファニアの件で話があるからな」
「なら仕方ありませんね」
暗にステファニアの婚約を匂わせると、アドルフォはあっさり引いた。
「私が留守の間は頼んだぞ。……帰ってきた時にはこのような事件は解決しているといいのだが」
「そうですね。早期解決に尽力したいと思います」
「そうしてくれ」
「はい」
にこりとほほ笑んだアドルフォを見て背筋が凍る。が、ダニエーレがそれを顔に出すことはない。
ボナパルト王国の立太子の礼など本当は興味がないが、今のアドルフォを行かせるわけにはいかない。特に、ステファニアに近づけさせるわけには。
「父上。ステファニアによろしくお伝えください。『いつのまにか、かわいい妹が隣国に旅立っていて兄は寂しがっている』と」
「ああ。忘れず、伝えよう」
以前なら妹を案じる兄としての言葉としか受け取れなかったが、今では裏があるように思えてならない。アドルフォが部屋を出て行くまで、ダニエーレの緊張は解けなかった。
「シルフ」
『ハイ』
「私がボナパルトに行っている間、アドルフォの見張りを頼む。なにか不審な動きがあれば逐一私に知らせてくれ」
『ワカリマシタ』
ここ最近、力を酷使しているシルフの声色に元気はなかったが、余裕のないダニエーレがそれに気づくこともなかった。