『おばあ様』と『おじい様』
ネロとぷっぴぃは、激しいののしり合いをしていた。いや、正確には激高しているのはネロのみ。
いつもの黒猫とマイクロブタの姿なら、まだかわいげがあったかもしれない。が、夜の帳のような黒のドレスを身にまとった美女と、朝の光のような白のドレスを身にまとった美少女の口論はなかなかの迫力だ。まあ、その姿はリタたちには見えないのだが。
『どうして、人間たちの前で力を使ったのよ?!』
『別にいいでしょ』
ツーンと、顔を背けるぷっぴぃ。その態度にネロの怒りのボルテージはさらに上がっていく。
『いいわけないでしょう! あれくらいならリタの薬だけでもどうにかなったのに、なぜリタの正体をバラすような行動を』
『もし、どうにもならなかったら?』
『は?』
どういう意味だと睨みつけるネロを無視して、ぷっぴぃは遠くを見ている。その瞳に映るのは現在、ではなく過去。不意にぷっぴぃがネロを見た。ネロがビクッと体を強張らせる。
『リタの薬が効かなくて、ピアみたいに死んじゃったら?』
『それは……』
『ないとはいえないでしょ? あの人間はピアよりももっと歳上みたいだし』
ただの食あたりだからといって、死ぬ可能性がゼロとはいえない。人間はアタシたちが思っている以上にあっけなく死ぬ。ぷっぴぃがシュテファニーを見てそう呟けば、ネロもシュテファニーを見る。
『アタシたちはピアを見殺しにした』
『ちがうっ! あれは仕方なかったのよ!』
『本当に? リタにもそう言える?』
『それは……』
『アタシは今でも忘れられない。ピアが亡くなった時のリタの嘆きを』
『で、でも、あの人間はピアじゃない』
『うん。でも、リタはあの人間にピアを重ねて見てる』
アタシたちの目には全くの別人に見える。ピアははつらつとした美人で、シュテファニーは大人しい……はっきりと言えば地味な女性だ。夫のマイケルの方が顔の造形は美しい。でも、あの茶色の髪や、アルフレードやリタに接する時の雰囲気はなんとなくピアと似ている。なにより――
『アタシには聞こえたの。リタの願いが。あんたには聞こえなかったみたいだけど』
『……私にだって聞こえたわよ』
リタが心の中で無意識に唱えた願い。
(アルのおばあちゃんがはやくよく治りますように。症状が悪化しませんように。お母さんのようになりませんように)
その声はピアの時ほど大きくはなくとも、リタと仮契約を結んでいる精霊たちには届いた。
『あのリタを見てみなよ。あれを見ても言える? アタシの判断が間違ってたって』
『……っ』
ぷっぴぃが示した先では、リタがシュテファニーに抱きしめられていた。顔を真っ赤にしながらも、嬉しそうなリタ。ネロは口を閉ざした。二人の言い合いを見守っていた他の精霊たちからも、否定の言葉は出なかった。
◇
精霊たちにずっと見られているなんて知らないリタは、シュテファニーに抱きしめられ動揺していた。
――な、なんで、こんなことになったんだっけ。
さかのぼること数時間前。
「さあリタ。次はこれを着てちょうだい?」
「え……はい」
これで何着目だろうか。リタはすっかり元気になったシュテファニーに言われるがまま、ドレスに袖を通していた。
最初メイドが持ってきたドレスは五着。それなのに、いつのまにか倍に増えている。
シュテファニー曰く、アルフレードの母フランチェスカが着ていた古着だから気にしなくていい……というがどれもこれもリタからしてみれば高級品。「はいわかりました! 全てもらいますね!」なんて言えるわけがない。
(というか、今まで残していたってことは、それなりに思い入れがある品なんでは?)
「あの、私が着るのはさすがにおこがましいといいますか」
「あら、どうして?」
「アルのお母様ってことはつまり……王妃様のドレスってことですよね?」
「ええ。でも、あの子が着ることはもうないドレスよ。あの子には娘もいないし」
「いや、でも……」
「捨てるよりもマシだとは思わない?」
「う゛」
そう言われてしまったら受け入れるしかない。なにより、シュテファニーの圧ある笑みには勝てそうになかった。
「うーん。かわいい! けど、やっぱり昔のデザインっていうのがちょっとねえ~」
「そうかい? リタにとても似合っているように見えるけど。なあ、アルフレード」
「はい」
シュテファニーの隣に座っているマイケルから同意を求められたアルフレードはおざなりに返した。正直、流行などに興味はないからわからない。似合っているのだからそれでいいじゃないか、と思う。なにより、早く終わらせてほしい。とはさすがに言えなかった。
シュテファニーは「これだから男は」とでも言うように首を横に振り、溜息を吐く。
「そう見えるのはリタの素材がいいからよ。これが、そこら辺の令嬢ならとんだお笑いものになるわ」
なかなか切れ味のある発言だ。リタは目を丸くする。
――さすが、アルのおばあちゃんだわ……。
男二人は「たしかに」と頷いている。
「はあ。ここが王都なら仕立て屋を呼んで一から作らせたんだけど」
他にいい案はないかと頬に手を当て、考え込むシュテファニー。
リタはぎょっと目を剥いた。
「シュテファニー様! 私、このドレスだけで十分ですから!」
「……」
「え?」
今の今まで目が合っていたのに、突然ふいっと顔を背けられた。どうして、と動揺して思わずアルを見る。「もしかして怒らせた?」と不安になったが、アルフレードは呆れた顔で『お・ば・あ・さ・ま』と口パクで言った。――え、ええ? ま、まさかそれが原因? そんな馬鹿な。
困惑しながらも、口を開く。
「お、おばあ様?」
「あら、なあにリタ」
すっと顔を元に戻し、ほほ笑むシュテファニー。リタは「はは」と乾いた笑みを浮かべた。
「なら、私のこともおじい様と。リタ?」
「は、はい。おじい様」
「ああ」
と満足げなマイケル。
「さ、リタ。残りのドレスも着てみましょうか」
「は、はい……」
シュテファニーに言われるがまま、衝立の後ろでドレスを着替えては、三人にお披露目する。その中でも特にリタに似合っている、とシュテファニーが判断した五着をリタのサイズにお直ししプレゼントしたのだった。
◇
「そろそろ時間です」
「あら、もう?」
アルフレードの言葉に反応したのはリタではなく、シュテファニー。マイケルも残念そうな表情を浮かべている。ドレス選びが終わった後、歓談していた三人。その間、アルフレードは部屋を出たり入ったりしていた。
アルフレードが咎めるような視線を二人に向ける。
「これでも遅いくらいですよ。もっと早い時間に出るつもりで、ブルーノを先に帰らせたんですから」
「あら、それはごめんなさいね。リタと話すのが楽しくてつい……」
「本当に、あっという間だったね」
リタも楽しかった、と頷く。リタの表情を見て、アルフレードは「はあ」と息を吐き出した。
「続きはまた今度にすればいいでしょう。二度と会えないわけじゃないんですから」
「それもそうね。リタ」
「はい」
「今度は本邸に遊びにきてちょうだいね」
「は、はい」
本邸がどこにあるかはわからないし、自由に外出できるのかもわからないが、そう言ってくれる気持ちが嬉しい。マイケルは「それか」と提案する。
「私たちがアルフレードの屋敷に遊びに行くのもいいね」
「そうね。それもいいわね。楽しみが増えたわ」
ふふ、と嬉しそうに笑うシュテファニーにつられてリタも笑う。なんだか胸の真ん中がポカポカする。
「話がまとまったようなら馬車へ。おばあ様たちの準備はもう済んでいるんですか?」
「もちろんよ。荷物はすでに馬車に乗せてあるわ」
「え? おばあ様たちも一緒の馬車に?」
「それができたらよかったのだけれど……」
残念だわ、とシュテファニーがわずかに目を伏せる。聞けば、帰りの馬車は二台用意してあり、リタとアルフレード、シュテファニーとマイケルの二手にわかれるらしい。これも安全に帰宅するための策、なんだとか。どちらも、コズウェイ公爵家の紋章が入った馬車、護衛騎士もついている。経路も一緒。二台ともアルフレードの屋敷の前で一度停め、リタたちが降りた後シュテファニーとマイケルは本邸へと……
「それって……おばあ様たちが危険なめにあう可能性があるってことなんじゃあ……」
リタが眉間に皺を寄せると、シュテファニーが「まあ」とほほ笑んだ。
「リタは優しい子ね。でも、大丈夫よ」
「わが公爵家の騎士達は強いからね」
「ええ。むしろ、襲ってきてほしいくらいだわ」
「そうすれば、私たちも表立って動けるからねえ」
クスクスと笑い合う老夫婦。絵面としては仲睦まじい光景のはずなのに、見てはいけないものを見た気分になるのはなぜだろうか。
「いっそのこと、私たちも一緒の馬車で帰るようにすればよかったかしら」
「いやいや、そうしたらリタを怖がらせることになるよ」
「それはダメね」
痺れを切らしたアルフレードが「もういいですか?」と急かす。
「もう。せっかちなんだから。リタ」
「はい」
「また会いましょうね」
「はい。お、おばあ様。おじい様」
照れくさそうに言えば、二人が破顔する。そして、シュテファニーはリタを抱きしめた。リタは一瞬迷ったものの、抱きしめ返す。隣ではマイケルとアルフレードが握手を交わしている。
「屋敷の中に入るまでは油断しないように」
「はい。おじい様もお気をつけて」
「ははっ。私もまだまだ現役だから安心しなさい」
「っ、そのようですね」
アルフレードはマイケルと握手をかわしたまま、顔を顰めていた。
二組の男女を乗せ、二台の馬車は走り出す。しばらくしてリタは口を開いた。
「アルのおばあちゃんとおじいちゃんっていい人だね」
「は?」
「だって、アルのためにたくさん協力してくれてるじゃん。しかも、素性もはっきりしない私にもよくしてくれて……」
お貴族様ってもっと威張っているイメージがあったけど、そうでもなかった。アルも私の中にあった王子様像とはちょっと違うし。
「……え。アルそれどういう表情?」
眉間に皺を寄せ、難しい顔をしているアルフレード。
「どこから否定すべきか迷っている表情だ。いや、そもそも否定する必要もないか、余計なことは言うなとあの人たちなら……」
顎に指を当て、ぶつぶつ呟いている。
「ねえ。もしかして、アル寝不足?」
「なに? っ!」
アルフレードの顔を覗き込めば、驚いたように後ろに下がった。
――顔色が悪い。
儚さレベルがマックスだ。
「私は大丈夫だ。リタの方こそ、お尻は大丈夫か?」
アルフレードの質問にリタの頬に朱が差す。
「だ、大丈夫!」
公爵家の馬車は驚くほど快適だ。しかも、やわらかいクッションが最初から用意されていた。
「ならいいが」
「そんなことより、アルの顔色の悪さの方が問題だよ」
「そんなにひどいか? ただの二日酔いなんだが……」
「二日酔い……」
「ああ。昨晩おじい様とちょっとな」
「ああ……え、それなら早く言ってくれればよかったのに。二日酔いの薬も私作れるから」
「そうなのか?」
「うん。あの村に商人がきていた頃はお酒も手に入っていたから、お母さんよく二日酔いになっていたんだよね」
「へえ……まあ次からは頼むことにするよ」
「うん。任せて!」
「ああ。でも、彼女の手伝いはいらないからな」
リタに、というよりはぷっぴぃたちに向かって言ったのだろう。確かにぷっぴぃならアルのために率先してお手伝いしそうだ。
「でも、ぷっぴぃたちは善意から手伝ってくれようと」
「わかってるよ」
呆れたように呟くアルフレード。
「わかっているし、感謝もしている。それに、おばあ様の件はいい機会でもあった」
「いい機会?」
「ああ。リタが凄腕の薬師だという証明になったからな」
納得したようにリタは頷きかけ、すぐに複雑そうな表情を浮かべた。
「いや、でも、あれって私の実力ではないから……なんか二人を騙している気分」
「リタは馬鹿正直だからな」
「ば、馬鹿正直」
「そのとおりだろう」
言い返せずに黙り込む。
「それが悪いとは言わない。ただ、この先はそういうのも必要になってくる。むしろ、機会は多くなるだろう。ってことだけは理解しておいた方がいい」
「……わかった」
私がベッティオル皇国の皇帝の娘であることや、精霊の愛し子であることは、これから会う人たちには秘密だ。(すでに知っている人たちは例外として)自分や友達を守るために、アルやボナパルト王国にこれ以上迷惑をかけないためにも。――絶対バレないようにしないと。
腕を組み、壁に頭を寄りかからせ、目を閉じているアルフレードの顔をちらりと見る。同時に頭に浮かんだのは、シュテファニーとマイケルの顔。
「おばあ様と、おじい様。か」
もし私が普通の家の子だったら、『おじいちゃん』『おばあちゃん』と呼べる存在がいたのだろうか。
会いたいわけじゃない。ただ、どんな人なのかが……少しだけ気になった。
リタが無意識に零した呟き。
それに反応するように、アルフレードがぴくりと動いたことなど、リタは気づかなかった。