リタは初めて貴族の別邸にお泊まりする
村がまだ活気づいていた頃(当村比)。――おじさんは私を見るたび言った。
「リタはピアさんによく似ているな。大きくなったら、とんでもない美人になるぞ」って。
お母さんに直接言うと奥さんに怒られるからって、おじさんはいつもこっそり。そっちの方がダメじゃない? と幼いながらに思ったけど。言わなかった。だって、おじさんの言葉が嬉しかったから。『美人になるぞ』って言葉じゃなくて、『お母さんによく似ている』っていう言葉が。
自慢の母と似ているって言われたら嬉しいに決まっている。それくらい私は母が大好きだった。いや、今でも大好きだ。
だからなのかな……
「リタ」
日だまりのように包み込む声色。抱きしめてくれるあたたかい腕。愛おしいと伝えてくれる眼差し。どれもこれもが懐かしい。
「お母さんっ」
リタは縋りつくように母に抱きつき返した。
これが夢だということは理解している。それでも嬉しいものは嬉しい。
思う存分、母に抱きしめてもらった後、リタは謝罪を口にした。
「ごめんね。村を離れることになっちゃって」
「なにを言ってるの!」
体を引き離されたかと思うと、ピン! とおでこを指ではじかれた。瞬きを繰り返す。
「子はいつか親離れするものでしょう!」
「いや、でもっ」
「リタもそんな歳になったのねえ。で? 相手はどんな人? リタが選んだ人なら、いい人なんでしょうけど……まさかイケメンなんてことはないでしょうね?」
ギョッとリタは目を剥く。
「お、おおおおお母さん。別にそういう理由で家を出たわけじゃないから!」
「え、違うの?」
「違う!」
食ってかかる勢いで否定すると、母がきょとんした表情を浮かべ首をかしげた。
「そうなの? でも、そのわりにあなた……」
続きを言う前に、母はリタの目の前からかききえた。意識が急に覚醒するのを感じた。
「お母さん……」
ゆっくりとまぶたを開く。最初に目に入ったのはぷっぴぃの寝顔。幸せそうな顔で寝ている。リタは顔だけを動かし、周囲を見回した。現状を把握して、思わず笑う。場所は違えど、見慣れた風景だ。体を右向きにして寝ているリタの右側にはぷっぴぃが。左側にはネロがしっぽを揺らしながら丸くなっている。アズーロ、マロン、ロッソは起きているようで、顔を寄せ合って集まっていた。
――いつも通りだ。
起きた瞬間襲ってきた寂しさ。けれど、それらを普段通りの彼らが消してくれた。
ありがとうと溢れる感情を口にするかわりに、目の前にいたぷっぴぃを抱きしめた。ぷっぴぃが「ぐふうっ」と苦しげな声を上げる。
「わっごめんね。ぷっぴぃ!」
「ぷぴっ……大丈夫~」
ネロはぐったりしたぷっぴぃを見て鼻で笑い、体をリタにすりつけた。
――お。ブラッシングをご希望ですか?
いそいそと専用のブラシを取り出す。ブラッシングされているネロは目を閉じて気持ちよさそうだ。
「ふふっ。……あ、そういえば皆、食事は本当に採らなくても大丈夫なの?」
精霊だから必要ない、と旅支度をする時に聞いたが、今までの暮らしぶりを思えば心配になる。
『うん! でも、落ち着いたらまたリタの作ったご飯が食べたい~』
『生命維持に必要ない、というだけで、私たちにも趣味嗜好というものがあるから』
ぷっぴぃの言葉を補足するようにアズーロがつけ加える。つまり、彼らの好物が『リタの作ったご飯』だということ。
リタは破顔した。
「任せて!」
アルにも調理場を貸してほしいってお願いしておかなくちゃ。と、脳内のメモに付け加える。
その時、扉のノック音が聞こえた。
「はい?」
「リタ、入ってもいいか?」
うわさをすれば、アルだ。精霊たちはすでに姿を消している。リタが「いいよ」と返すと、アルフレードが部屋の中に入ってきた。
「まだ着替えてはいなかったか」
「うん。起きたばかりだから。アルは……あまり眠れなかったの?」
顔色が悪い。寝不足に見える。まるで病弱な王子様。いや、まるで、ではなかった。アルは本物の王子様だ。
アルがむっとした表情を浮かべた。
「よく言う」
「……え? 私なにかした?」
まさか寝相が悪かったとか? いや、そんなことはないはず。ということは寝言? もしくは歯ぎしり?
そういうのはないと思っていたのにっ。いや、でも過度なストレスに晒されるとそういう症状が起きるとかなんとか……。
「ロ、ロッもがっ」
不安になって、一番正直に話してくれそうなロッソに尋ねようとしたらアルフレードから口をふさがれた。なにをするのだと言いたかったが、アルの手に唾をつけてしまいそうで口を閉じた。黙ったリタを見て、アルが手を放す。
「彼らには聞かない方がいい」
「な、なんで?」
「リタのためだ」
真剣な表情で言われ、リタは青褪める。――そんなにひどかったの?!
「わ、わかった」
せっかくアルが気を遣ってくれたのだ。その親切心に甘えようと、リタはこの件については触れないことにした。昨夜のことについて暴露しようとしていたロッソとぷっぴぃはがっくり肩を落としている。まあ、リタとアルフレードにはその姿は見えないのだが。
昨夜のリタは珍しく寝つきが悪かった。何度も寝返りを打ち、最終的にアルフレードに抱き着く形で落ち着いた。一緒の部屋で寝たことはあっても、抱き着かれたのは初めて。さすがのアルフレードも動揺せずにはいられなかった。が、様子のおかしいリタを見て、そのままの姿勢を受け入れたのだ。そのせいで寝不足になったのだが、アルフレードはそれをリタには告げるつもりはないらしい。
「寝起きのところ悪いが、すぐに着替えてくれ。荷物を片付けてここを出る」
「え? 朝食は?」
「包めるものを頼んだ」
「そっか。……なにかあったの?」
アルフレードが頷き返す。リタは今度こそ暗殺者? 追手? と警戒心をあらわにしたが、アルフレードは首を横に振った。
「悪い内容じゃない。馬が異様に元気なんだ」
「へ?」
「だから早めに出ようってことになった。ブルーノの見立てだと、今出れば、今夜中に次の目的地につくそうだ」
「へえ~」
「本来なら二日に分ける予定の日程だったんだがな。……馬があまりにも元気なため予定が変更になった」
「へ、へえ……」
含みのあるアルフレードの視線に気づかないフリをして、リタは笑顔を浮かべる。
「まあ早くつく分にはいいことなんじゃない?」
「まあな」
「じゃあ、私は着替えるからアルは出て行って!」
「ああ」
素直に出て行ったアルフレード。リタは急いで着替え、荷物を片付ける。とは言っても、もともと少ないので時間はさほどかからない。
「……ねえ、馬を元気にしてくれたのってもしかして」
『アタシよアタシ!』
手を動かしながら聞くと、「よく気づいてくれました!」とばかりにぷっぴぃが声を上げた。
「やっぱり! さすがぷっぴぃ!」
「ふふん~」
リタたちのために長い距離を歩いてくれている馬たちのためにしたことだ。ブルーノの前でやらかしたわけでもないし、とリタは先程のアルフレードからの視線については気にしないことにした。リタにとってはアルフレードよりも長年ずっと一緒にいたぷっぴぃたちの気持ちを優先するのは当然。
「よし、行こう!」
外套のフードを被り、リュックを背負って立ち上がる。次の目的地はどこかは知らないが。(知っていても知識がないので意味はない)リタはすっかり初めての旅というものに夢中になっていた。――お尻が痛いのは問題だけど。アルやブルーノさんはよく平気でいられるなあ。やっぱり慣れ?
部屋を出ると、廊下でアルフレードが待っていた。
「もういいか?」
「うん」
アルフレードが部屋の中を最終チェックし、鍵をかけた。階下にいる女将に鍵を返す。ブルーノは先に外に出て準備をしているらしい。
女将の「またのお越しを」という声を背に二人は宿を出た。
道路にはすでに馬車が。馬の側にはブルーノがいた。
「おはようございます」
「あ、お……」
ブルーノのあいさつに「おはようございます!」と返そうとして、最初にアルフレードから声を出さない方がいいと言われたことを思い出して口を閉じた。代わりに頭を下げる。それで、十分に通じたらしく、ブルーノは嫌な顔一つなく荷物を預かってくれた。
「先に」
「うん」
手を借りながら馬車へと乗り込む。次いで、アルフレードも乗り込んだ。走り出す馬車。次の目的地へと。
◇
「リタ……起きろリタ!」
「ふぁい!」
耳元で呼ばれ、飛び起きる。近くにアルフレードの顔があってぎょっとした。
「な、なに?!」
「なにじゃなくて、着いたぞ」
「え、もう?」
「ああ」
リタはがっくりと肩を落とす。
途中まで外の景色を楽しんでいたはずなのに、いつのまにか意識が飛んでいた。もったいないことをした。
馬車の外はすでに暗くなっている。足元に気をつけながら降りた。
「……城?」
目の前には大きな建物。母から聞いたことがある城くらい大きい。
アルが『次の目的地』なんていうからてっきり宿だと思っていたのに。まさかのいきなり城だなんて……。
けれど、残念ながらリタの予想は外れていた。
「ここは私の母の生家であるコズウェイ公爵家の別邸だ」
「アルのお母さんって王妃様でしょう。そりゃあ大きいわけ……え? 別邸?! この建物が本邸ではなく別邸?!」
「ああ」
開いた口がふさがらないとはこのこと。リタの目には十分城に見えるのだが、城どころか、本邸ですらないらしい。いや、王妃様の実家で、しかも公爵家なんだから普通なのかな?
「ん? ってっことは、ま、まさかここにアルのおじいさんとおばあさんがいるの?!」
「ああ」
「え?!」
「二人には私が国を出ている間のアリバイ工作をお願いしていたんだ。私がここに滞在しているようにな」
「な、なるほど。また襲われたら困るもんね」
「今回はリタもいるからな。まあ、あちらも今はそんな余裕がないだろうが……一応な」
「ふうん。あれ? 黒幕が誰かはわかっているんだ?」
「ある程度の予想はついている。それより、中に入るぞ」
「え、あ、うん」
ドギマギしながらアルフレードの後をついて歩く。つい、いろんなところに目を向けてしまう。あの宿も豪華だったけど、ここはその比じゃない。――すごい。
建物の中は語彙力がなくなるくらい豪華だった。エントラスはリタの家の何十倍、いや、何百倍も広く。天井にはシャンデリアがある。
「アルフレード様」
出迎えたのは老齢の執事。当然だが、アルフレードとは顔見知りのようだ。
「おじい様とおばあ様は?」
「すでに寝室に入っております。ですが、アルフレード様が帰ってきたら報告するようにと言われておりますので」
「なら、私が後で会いに行くと伝えてくれ」
「かしこまりました」
「それと、彼女の部屋は」
「準備できております。ご希望通り、アルフレード様のお隣に」
それでいい、とアルフレードが頷き返す。
「案内は私がする」
「かしこまりました」
「行くぞ」
「う、うん」
執事に頭を下げ、リタはアルフレードを追った。
どれくらい歩いたのか、ようやくアルフレードの足が止まる。
――アルの案内がないと確実に迷子になりそう。
「ここがリタの部屋だ。私の部屋は隣、なにかあれば尋ねてくるといい」
「え、あ、うん」
「それじゃあ、中へ」
と、言ってリタの部屋の扉を開ける。どうやら部屋の中の案内もしてくれるらしい。助かる。
「ふああ」
建物の規模からして、部屋も広いとは思っていたが、想像以上だ。
「着替えは用意してくれているコレに。風呂はこの扉の向こうだ。使い方は」
丁寧な説明でわかりやすい。ただ覚えることが多い。リタは必死に頭にたたきこんだ。
「わからなくなったら、私に聞きにくればいい。ただ、今から私は祖父母に会いに行ってくる。できるだけ早く戻ってくるつもりだが……その間に困ったことがあればこのベルを鳴らせ。メイドを呼ぶベルだ。祖父母にはブルーノと同じ説明をしてある。その情報はある程度メイドたちにも共有されているはずだ。貴族の暮らしに慣れていなくても、変に思われることはないだろう」
「わかった。ありがとう」
「いや。……本来は着替えも風呂もメイドが世話をするんだが」
「それは必要ない!」
「だろうと思って今日は断っている」
「あ、ありがとう」
不安になる単語が聞こえた気がするが、とにかく今は目先のことに集中しよう。それに、アルフレードを頼ると決めたのは自分だ。ならば、自分も相応の努力をしなくては。
なにより、皇帝の手先に掴まるよりはよっぽどマシだ。アルフレードはリタの気持ちを尊重してくれるから。
「じゃあ、おやすみ。また明日」
「うん。おやすみ。また明日」
母以外にできた「また明日」を言い合える相手。リタはむずがゆい胸を押さえながら、部屋を出るアルフレードを見送った。




