リタは多くの真実を知る
今、リタの目の前では信じられないことが起きていた。
「ぷっぴぃが喋った……」
しかも、かなり流暢に。
ぷっぴぃが賢いのは知っていた。ぷっぴぃだけじゃなく、リタと一緒に暮らしている子たち皆がそうだということも。森に住む動物たちも賢いが、彼らはその比ではない。
おそらくぷっぴぃたちは『天才』なのだろう。脳が異常に発達した存在。
そんな彼らが仲間内でどのような扱いを受けていたのかは、なんとなくリタにも想像できた。
特異な存在はハブられるのが常。
こんな小さな村の中でさえ、リタとリタの母は特別扱いされていたのだ。ただ容姿が人より優れていたせいで。いや、もしかしたら母の貴族っぽいところが透けて見えていただけかもしれないが。
いじめなどがあったわけではない。むしろ、皆親切だった。ただ、彼らとの間には常に薄い壁が一枚あった。薄いくせに、決して壊れない頑丈な壁が。
そういった体験があったからこそ、リタはぷっぴぃたちを快く家に招き入れた。他人事とは思えなかったから。母もにぎやかになると喜んでいた。
――まさかぷっぴぃが人間の言葉を話せる程、頭がいいとは思っていなかったけれど。
「まさか……皆も喋れる?」
恐る恐るネロに尋ねれば、ぷっぴぃが勢いよくネロに顔を向けた。おそらく止めようとしたのだろう。けれど、ネロは
「ええ、そうよ」
と躊躇なく頷き返した。
「なんでバラしちゃうのよー! リタには内緒にするって決めたでしょ!」
ぷっぴぃがネロに突っかかっていく。が、ネロは「そんなの覚えていないわ」と顔を背けた。いつものようにケンカを始めた二人に狼狽えるリタ。二人を止めたのはアズーロだった。これもいつもどおりだ。
「二人とも止めなさい。今はそんな言い合いをしている場合ではないでしょう。ぷっぴぃ」
「……なに」
「ぷっぴぃも本当は分かっているでしょう。これ以上隠すのは無理よ。リタに話しましょう。私たちのこれからのためにも。ね?」
「……分かった」
少し拗ねたような声色のぷっぴぃ。一方、最初からそのつもりだったらしいネロは
「そうと決まれば。ぷっぴぃ、頼んだわよ」
とぷっぴぃをリタの前へと押し出した。
「え、ちょっ」
「ぷっぴぃ……」
名前を呼ぶと、目と目があった。けれど、すぐに視線を逸らされる。リタはできるだけ優しくぷっぴぃに話しかけた。――ぷっぴぃが不安がっているような気がしたから。
「ねぇぷっぴぃ。ぷっぴぃが知っていること。私にも教えてくれない? 私、ぷっぴぃの口から聞きたい」
他でもない、ずっと一緒にいたぷっぴぃの口から。そう言えば、再びぷっぴぃと視線が合った。
「……分かった。リタがそういうなら」
「ありがとう」
ぷっぴぃは一つ頷くと、深呼吸をして、口を開いた。
「アルが言ったとおり、アタシは、アタシたちは皆本物の動物じゃない。精霊なの」
「精霊……」
「そう。ちなみに、アルが言っていた『シルフ』っていう名前は風の大精霊の名前。って、いってもリタはそもそも精霊がどういうものか知らないと思うけど」
「うん」
どこかでその名を聞いた気がしないでもないが、その程度。
「じゃあ、まずはその説明からね。この世界には、いろんな種族がいる。『人間』とか、『イノシシ』とか。そして、その中には『精霊』っていう種族もいるの。それがアタシたち。でも、基本的に『精霊』は人間の目には映らない」
「え? でも……」
「アタシたちが見えるのは、アタシたちが人間の目に映るように仮の姿を作ったから」
「仮の姿を、作る」
「そう。アタシたち精霊は、特殊な力が使えるの。たとえば、こういうの」
突如、ぷっぴぃとリタの間に拳一つ分くらいの光の玉が現れた。その光の玉は徐々に大きくなっていき、部屋全体を明るく照らす。リタは眩しくて思わず目を閉じた。数秒後、ゆっくりまぶたを開くと、先程の光は消えていた。ホッと息を吐く。――目がつぶれるかと思った。
「すごい、ね」
あんなに明るい光を見るのは初めてだ。
「でしょう。でも、アタシたちの力はこんなもんじゃないのよ! なんていったって、アタシたちは精霊の中でも特別な力を持つ大精霊なんだから!」
胸を張るぷっぴぃにリタが返したのは「へぇ」の一言。思っていた反応と違ったのか、ぷっぴぃは瞬きを繰り返した。そして、すぐに納得したように頷く。
「そうよね。やっぱり、リタはそんな反応よね」
「え?」
「ううん。なんでもない。ね。人間はこんな力、持っていないでしょ?」
「うん」
「でもね。アタシたちと契約をすると、この力が使えるようになるの」
「へえ~」
「……そして、アタシたちが初めて契約を結んだ相手が、この国の初代皇帝」
「そうなんだ」
リタは目を丸くする。が、それ以上の反応はない。リタらしいと苦笑しながらも、ぷっぴぃはもっと分かりやすい言葉を追加した。
「つまり、初代がアタシたちと契約を結んだから、この国は誕生したのよ」
「ええ?!」
ようやく理解したリタ。
「ただの人が持つには大きすぎる力だもの。当然といえば当然の結果よ。ただ、当時のアタシたちはその先にあるものまでは想像していなかった。自分たちの力がどんな影響をもたらすのか、深く考えもせずに力を貸していたの。ベッティオル皇国はどんどん大きくなっていった。……大きく、なり過ぎた。精霊の力なしでは、成り立たないくらいに」
辛そうなぷっぴぃを、リタは心配げに見つめる。ぷっぴぃは大丈夫だというように首を横に振り、話を続けた。
「初代皇帝も不安になったんだと思う。今わの際に、アタシたちに一つお願いをしたの『どうか自分の子どもたちにも、精霊の力を貸してやってくれないか』ってね。アタシたちはそれを受け入れた。……またアタシたちは選択を誤ったのよ。彼と彼の子どもは別人。性格も考え方も違う。そんな当たり前のこと、少し考えれば分かったはずなのに……」
ぷっぴぃの言葉でなんとなく想像できてしまった。初代皇帝は良い人だったのかもしれないけれど、その子どもたちが同じだとは限らない。受け入れたのを後悔するような出来事があったのだろう。
「その『お願い』を途中で破棄することはできなかったの? 初代皇帝はもう死んでいるんだから」
「……ムリ。初代皇帝はもういないけど、契約を破棄するには『お願い』をした側……主側が撤回するしかないの。アタシたちから一方的に破棄することはできない。それが精霊と人間が契約を結ぶということだから」
「そんな……」
「歴代の皇帝の中には、初代と同じく優しい子もいた。そんな子でも、『お願い』の撤回どころか、一代限りの契約解除すら受け入れてはくれなかった。私たちがどれだけ懇願しても、国の力を維持するため、聞き入れてはくれなかったの。……まあ、一国の王としては当然の判断よね」
諦めたようなぷっぴぃの口調に、リタの胸は締め付けられる。そんなリタの表情を見て、ぷっぴぃは慌ててもう一度口を開いた。
「で、でもアタシたちもただ従っていただけじゃないのよ! 契約の穴をついて、今では最低限の力しか貸していないんだから。昔と比べたら雲泥の差よ!」
「なるほど……契約の穴。だから、リタなのか」
「「え?」」
今まで黙っていたアルの突然のつぶやきに、リタとぷっぴぃがそろって顔を向けた。アルは難しい顔で、じっとリタを見つめている。次いで、ぷっぴぃを見た。
「リタを選んだ理由は、『皇帝の子ども』にもかかわらず、『その地位につく可能性が限りなく低い』から、じゃないのか?」
「……それもある。理由はそれだけじゃないけど」
気まずげに、けれど、ぷっぴぃは認めた。つまり、それは……。
「え、じゃあ私が皇帝の子どもっていうのも本当なの?」
「うん」
「っ!」
頭が真っ白になる。
「っていうことは、皇帝がこの村に私とお母さんを閉じ込めたってこと?」
「うん」
「お母さんのいうとおり、とんだクソ野郎じゃない」
思わず低い声が出るのも仕方ないだろう。
「リタ」
「なに、アル」
「話はまだ終わっていない。というか、ここからが本題なんだが」
「え?」
アルの言葉に眉間に皺を寄せる。本題? じゃあ、今までのは?
「リタ、もう忘れたのか? さっき追いかけてきたやつらのこと」
「……あ!」
すっかり忘れていた。商人のような男二人。――たしか、アルはあの二人の狙いが私だと言っていた。
「え、ってことはあの二人の後ろにはもしかして?」
「おそらく、皇帝がいる」
「なんで今さら」
「おそらく、私がシルフを国境付近で見かけたと言ったからだろう。それで、リタのことを思い出したんだと思う。それに……皇帝の息子三人は、一人も精霊と契約が結べなかったらしい」
「子どもが三人……」
「さらに下に一人、娘がいるぞ」
「ええ?! そんなに子どもがいるの?!」
「ああ。って、今はそんなことを気にしている場合じゃないだろう」
「う"。はい……」
「皇太子は第三皇子に決まったと言っていた」
「あれ? 別に精霊と契約しなくてもいいんだ? まだ娘が残っているんだよね?」
「ああ。私も詳しいことは分からないが……そうするしかない事情があるんだろう。それと、これは私の推測なんだが、おそらく皇帝は精霊の力を諦めていないと思う。あいつらがリタを捜しているのがその証拠だ」
「私を捜してるって……まさか、いまさら皇女にでもしようってこと? それで、精霊と契約させて利用しようって?」
なんて自分勝手な、と憤るリタ。
「それで済めばいいけどね」と固い声で呟く、ぷっぴぃ。
「え?」
「……ぷっぴぃ、今のはどういう意味だ?」
「殺される可能性もある、ってこと」
「は?! な、なななななんで私が」
「過去にもあったのよ。そういうことがね。契約した者が皇帝にふさわしくないならそういう方法もある、ってこと。それを今の皇帝も知ってる」
「で、でも、それなら大丈夫でしょ。私が契約しなければいいだけの話だし」
リタを白い目で見つめるアル。
「え? それじゃダメなの?」
焦ってぷっぴぃを見る。が、微かに視線を逸らされてしまった。
「……も、もしかして、すでにもう契約を? 勝手に? 詐欺?」
「ち、違うっ。いや、違うっていうか。まだ仮契約だから仮契約!」
「仮契約?」
「そうそう。リタはアタシたちに名前をつけてくれたでしょ?」
「ああ。うん」
「そして、それをアタシたちは受け入れた」
「うん。……って、まさかそれだけで契約ってできるの?!」
「まさか! ただあの時、契約するための条件がそろっていたというか。『精霊が好きなモノ』と『精霊の名前』、そして『同意』が」
「精霊が好きなモノは、まあ分かるとして同意? 私同意なんてしてないけど」
「無意識にしてたの! リタはアタシたちに名前をつけて、一緒に暮らそうって言ってくれたじゃん」
「うん。それは言った」
「でしょっ。そして、アタシたちはそれを受け入れた。リタもアタシたちを受け入れた。そこで契約が結ばれたの。っていっても、真名ではないから、仮契約なんだけど」
「へぇ~」
「「リタ、考えるの放棄したでしょう(だろう)」」
呆れたネロの声とアルの声が重なった。アルがこほん、と咳ばらいをする。
「そこで、だ。話の続きなんだが……リタ、ボナパルト王国にこないか」
「へ?」
「ちょっと待ちなさい」
ネロがリタとアルの間に体を入れた。といっても、ネコの姿なので迫力はないが。
「リタ、騙されちゃダメよ」
「え?」
「この男。皇帝と会えるくらいの身分の持ち主なのよ。裏があるに決まっているでしょ」
アルを睨みつけるネロ。険悪な雰囲気に焦るリタ。
「ちょ、ちょっと待って。アルがそんなことするわけ」
「忘れたの? イケメンは?」
「クソ……。いや、でもアルは違う」
「そうよ! アルがそんなことするわけないでしょ」
ぷっぴぃがリタの意見に同意する。が、ネロはそんな二人を睨みつけた。
「あんたたちはイケメンに弱いんだから黙ってなさい!」
「「はいっ」」
「さ。どういう魂胆があるのか、正直に話しなさい」
対峙するネロとアル。アルは動揺することなく、姿勢を正した。
「まずは、改めて自己紹介しよう。私は、アルフレード・ボナパルト。ボナパルト王国の第二王子だ」
「王子?!」
「ほらやっぱり」
「君たちは、最後まで人の話を聞く我慢強さを持っていないのか?」
冷たい視線を向けられ、思わず背筋が伸びる。――美人の真顔、こわすぎる。
さすがのネロも口を閉ざしていた。二人が黙ったのを見たアルフレードは、満足げな表情を浮かべ、再び口を開く。
「ボナパルト王国は建国してからずっと、精霊の力に頼らず続いてきた国だ」
「……そんなの、他の国だってそうでしょ」と呟くネロ。それに、アルフレードは頷き返す。
「ああ。だが、うちが一番古い。その長い間、精霊の力を頼りにしようと考えたことは一度もなかった。歴代の皇帝の近くにいた君たちは知っているだろう。うちが皇国に精霊の力を貸してほしい、と頼んだことは一度もなかったはずだ」
「まあ、そうね」
「そもそも、考え方や生き方がベッティオル皇国とは違う。だからこそ、断言できる。うちは安全だと。それに、現国王も、王太子になる予定の兄も、リタや精霊にむちゃを強いるような人ではない。なにより、私が、させない」
アルフレードに真剣な眼差しで見つめられ、リタは心臓がドキンと鳴った。
「……そんなの信用できないわ」とネロがうなる。
「それなら、ここが安全な場所になるまでの間だけならどうだ? 君たちがついているとはいえ、あの連中が頻繁に現れるとなると、安心して暮らすこともできないだろう」
「それは……」
「私はただ、リタに命を救ってもらった恩返しをしたいだけだ。他意はない」
「……」
「リタ、迷っているんでしょ」
ずっと黙っているリタの膝に、右前足を置くぷっぴぃ。
「この家にはお母さんとの思い出がたくさんあるし、なによりあの湖には……。でも、リタがここにいると、リタの大切なモノをめちゃめちゃにされるかもしれない。森にいる子たちも危険なめに遭うかもしれない」
「うん……」
「アタシは、アルの提案に賛成。リタの心配ももちろんだけど、リタに危険なめにあってほしくないから。だからさ、一時的にだけでも、アルのところで匿ってもらおうよ。アタシたちもついていくからさ」
「ぷっぴぃたちもついてきてくれるの?」
「もちろん。アタシたちはリタと仮契約を結んでいるんだから当然でしょ」
「そっか……」
リタはふーっと息を吐き出すと、決心したように顔を上げた。




