アルとの再会は突然に
本日の天気は曇り。雨が降る前兆なのか、若干空気が湿っている気がする。
リタは空を見上げ、力一杯背伸びをした。
「ふぅ……あ、マロンおはよう」
足元にいるマロンに気づき、声をかける。マロンはあいさつを返すように片手を上げた。次いで、畑からアズーロが飛び跳ねながらやってくる。二匹が並んだ姿を見て、リタはほほ笑んだ。
「アズーロもおはよう」
手を差し出せば、その手にアズーロが飛び乗り、腕を伝って体をのぼってくる。そして、顔の近くで「ゲコッ」と鳴いた。
「ふふっ。さて……今日はどうしようっかな~。まだ朝ご飯の時間には早いし……少しお散歩でもしよっか」
アルがいた頃は、よく食べるアルのために早起きして朝食の準備をしていた。けれど、一人になってからは食事量も減り、時間をかける必要もなくなった。にもかかわらず、体は当時と同じ時間に起きてしまう。どうやら体に染みついてしまっているらしい。アルがいたのは、たった数日間だったというのに。
しかし、リタの心は不思議なほど凪いでいた。最初は寂しさが勝っていたものの、次第にいつもの自分を取り戻したのだ。それもこれも、側にいてくれる動物のおかげ。
――お母さんが亡くなった時に比べたら、これくらいどうってことないし。
母と違い、アルは生きているのだ。互いが生きている限り、再び会う可能性はゼロではない。可能性がある、というだけでリタの気持ちはずいぶん軽くなった。
「ふっ」
ふと昨日のぷっぴぃを思い出した。リタを慰めようとしてくれたのか。ぷっぴぃは見事な技を披露してくれた。どんぐりを頭に乗せ、二足歩行をして見せたのだ。――いつの間にあんな技、習得していたのよ。
しかも、ぷっぴぃは数歩歩いた後、「どうだ!」という顔でリタを見上げたのだ。その表情が今も頭から離れない。あまりにもかわいすぎる。
それに、慰めようとしてくれたのはぷっぴぃだけではない。ネロは用もないのに、リタに甘えてきた。普段、ブラッシング以外では甘えてこないのに。ロッソは常にリタの視界に入る場所にいた。いつもは部屋の中を自由に動き回り、姿を見せないことが多い。マロンとアズーロに関しては、常日頃から優しいので言うまでもない。だが、いつも以上にリタを気にかけてくれているようだった。
――私は幸せものだなあ。
会話ができなくても関係ない。彼らの優しさは十分伝わっている。いや、それが分かるくらい一緒の時を過ごしてきた、というべきか。
そんなことを考えながら散歩していると、いつの間にか湖へと着いていた。
なんとなく湖を覗き込む。濁っているわけではないが、底まではよく見えない。代わりに水に反射して己の顔が映った。母とよく似た顔立ちの自分が。成長してからは、ますます記憶の中の母と似てきた気がする。下を向いていたら、己の茶色の髪が視界に入った。その毛先をつまむ。
「伸びてきたな~」
母と同じ茶色の髪。顔立ちも似ている。一目で分かる違いといえば、瞳の色。母は青。リタは紫だ。
「そういえば……アルの瞳の色って、お母さんと似ているかも。もっと薄くした感じ?」
母の瞳がこの湖のような深い青だとすれば、アルの瞳の色は澄んだ空の色。
だからアルを思うと妙な感情が込み上げてくるのだろうか。気持ちがざわつくというか。……いや、たぶん関係ない。ただアルがイケメンだからに違いない。
――これが血は争えない、というやつか……。
むかーし。母に顔も知らない父について尋ねたことがある。その時の母はかなり嫌そうな顔をしていた。それでも、どうしても聞きたいとお願いすると、渋々教えてくれたが。
『黙っていると絶世の美女』と近所でも評判だった母が父の話をする時だけは、まるでおとぎ話に出てくる魔女のような形相になっていたのを今でも覚えている。
『あのクソ野郎について? あのクソ野郎はね~顔がいいだけのクソよ! うん〇よ! う〇こ!』
ちなみにこの一言で分かる通り、母は口が悪かった。気もかなり強かった。
ただ、若い頃はそうでもなかった……らしい。(母曰く)母がそうなってしまった原因は、件のクソ野郎にあったそうだ。
母は元貴族だったが、父のせいでその身分も失い、父からこの村に閉じ込められてしまったと言っていた。詳しい経緯は知らないが、父が自分の子どもを身ごもった相手に非人道的な扱いを平気で行う人だ、ということは理解できた。
『あのクソ野郎が――だと知っていたら絶対に受け入れなかったのに! あの顔に釣られて、浮かれて、あのクソ野郎の正体を調べなかった私も悪いけど。あいつの所業に比べたらマシよ!」
母がなによりも怒っていたのは、『一度も会いにこないどころか、リタの様子を聞こうともしないこと』だった。
私としては、ソレについてはどうでもよかった。母が父の役目も担っていてくれたし、愛してくれたから。父に会いたい、と思ったことすらなかった。ただ、自分の父親がどんな人かくらいは知りたかっただけ。それだけだ。
「アルは父とは違う」
毒舌というか、口は悪いが、人間性が腐っているようには見えなかった。少なくとも、父のような無責任なことをするような人ではないだろう。
――わざわざお礼しにくるって言うくらい、律儀なところもあるし。
実行されるかどうかは分からないが、そう言ってくれるだけで嬉しい。
「よし!」
湖を覗き込んでいたリタがいきなり立ちあがったせいか。アズーロがびっくりしたように飛び跳ねた。
「戻ろう」
マロンとアズーロを連れて帰路に着く。森の中、道なき道を歩いていると、なにか音が聞こえた気がした。足を止め、耳を澄ませる。
――複数の足音。走ってる?
リタの肩からアズーロが、手のひらからマロンが飛び降りる。音が聞こえてきた方を注視していると、しばらくして一人の男が飛び出してきた。
「アル?!」
見事な銀髪と人外な美貌。見間違うわけがない。
「リタ?! チッ」
「ちょ、会うなり舌打ちなんて」
「いいから。逃げるぞ!」
「逃げる?! 逃げるって……まさかまた襲われてるの?!」
アルから腕を引かれ、わけも分からず走り出す。後ろを振り向けば、遠目に黒づくめ……ではなく商人のような格好をした男が二人。――あの二人が?
そうは見えない。が、二人がアルを追いかけてきているのは間違いない。
それに、今気にするのはそこではなかった。
「まってアル。アズーロとマロンがっ」
まだあそこにいるのだ。しかし、アルは止まらなかった。
「大丈夫だ。彼らなら」
「そんなわけっ。分かった。先にアルだけ逃げて。アズーロたちは私が」
「ダメだ!」
腕を振り切ろうとすると、アルに必死な形相で叫ばれた。驚いて固まる。
「な、なんで」
「なんでって……あいつらが狙っているのは私じゃない。リタだ!」
「は? なんで私が」
「説明する時間が惜しい。今は逃げに専念するぞ」
「ちょ、待ってきゃっ!」
痺れを切らしたアルから荷物のように抱えられ、どんどんアズーロたちと離れていく。視界がぶれぶれでアズーロたちの姿が確認できない。――お願い。迎えに行くまで大人しくどこかに隠れていて。
心の中で願うしかできない。大声を出したらあの人間たちに目をつけられるかもしれないから。
いつの間にかぽつぽつと雨が降り出していた。次第に本降りになっていく。そのおかげか、完全にあの男たちの姿は見えなくなった。
無事、村へとたどり着き、ようやくアルは降ろしてくれた。
と、思えばきつく抱きしめられる。
「な”っ?!」
変な声が出た。それほど、衝撃的だった。
「ア、アアアアアアルルルルルル。は、離して」
「ダメ、だ」
アルの温もりに捉われ、荒い吐息混じりの声に思考が遮られ、リタは固まる。
――え、えろおおおおおおおおおおお。
しかし、次の言葉で理性は戻ってきた。
「離したら、行くだろ」
リタの表情がすんっと元に戻る。
――なによ?! この抱擁は抱きしめるじゃなくて、拘束のためかいっ!
「ふんっ!」
アルのみぞおちあたりに拳を当てる。
「ぐっ」
力が緩んだすきをついて抜け出した。そして、走り出す。
「あ、おいっ」
今度こそアルの制止は聞かない。アズーロとマロンが無事か確かめないといけないのだ。村から出ようとした瞬間、「ゲコッ」と鳴き声が聞こえた。
「あ、アズーロ。マロン」
見覚えのある水色のカエルと茶色のハリネズミ。両手を差し出せば、それぞれに乗る二匹。
「よかった」
顔が見える位置まで手を上げて、二匹がどこもケガをしていないのを確認し、安堵した。
「リタ。とにかく家の中に入ろう」
「……分かった」
アルには言いたいことがたくさんあるが、それ以上に聞きたいことがたくさんある。二匹を抱きかかえたまま、リタはアルを連れて家の扉を開けた。
「わっ?! ぷ、ぷっぴぃ?!」
まるでリタになにがあったのか知っているような様子で、飛びかかってきたぷっぴぃ。後ろでアルが支えてくれなかったら、そのまま後ろに倒れていたかもしれない。
ネロがやってきて、ぷっぴぃのお尻をべしっと叩いた。「プピッ!」と叫び、ネロを睨みつける。
「ぷっぴぃは相変わらずだな」
「プピ?!」
ぷっぴぃは勢いよく顔を上げる。そして、アルの顔を見て目を輝かせた。「プピプピ」と喜びの声を上げ、アルの周りを走り回る。そんなぷっぴぃを見たアルは軽く屈むと、ぷっぴぃの頭を撫でた。浮かれた様子のぷっぴぃに、冷たい視線を向けるネロ。
「ア、アル。これ」
「あ、ああ」
リタが差し出したのはタオルと着替え。ぷっぴぃとアルが戯れている間に離れへと取りに行っていたのだ。ついでに着替えてきた。
アルはリタから着替えを促され、ようやく自分がどういう状態か気づいた。いきなり降ってきた雨のせいで、服が濡れている。外套のおかげでびしょびしょ、まではいっていないが、このままだと体温が奪われるのは間違いない。
「あっち向いてるからその間に着替えてね」
「ああ」
リタは何食わぬ顔で後ろを向いたが内心はドキドキだ。衣擦れの音にさえ反応してしまいそうになるのを、心を無にしてなんとか耐えた。
着替え終わった二人は机を挟んで正面に座った。なぜか、動物たちも皆集まっている。妙な緊張感が漂う中、アルは口を開いた。
「単刀直入に言おう。リタ、君はベッティオル皇国、ダニエーレ皇帝の隠し子だな?」
「……」
『皇帝の隠し子?』
突拍子のない話に思考が停止する。次いで、笑いが込み上げてきた。
「ふ、はははははは」
笑いすぎて涙まで滲んでいる。
「私が皇帝の隠し子? ないない。もし、そうならこんなところで暮らしているわけないって」
皇帝なら複数の奥さんを持つことだって可能だろう。しかも、母は貴族で、子どもまでできているんだから。たとえ、なにかしらの事情があって隠す必要があったとしても、もっとちゃんとしたお屋敷を用意してくれたに違いない。
笑い飛ばしたリタ。だが、アルの表情は変わらない。その表情を見て、口を閉じた。
「……先日、皇帝と会った」
「え? アルって皇帝に会えるくらい偉い人だったの?!」
しかし、驚くべきはそこではなかった。
「皇帝の瞳は紫だった。紫の瞳は珍しい。特にリタや皇帝のような濃い紫はな」
「……珍しいっていっても絶対ないわけじゃないでしょ」
「ああ。だが、そこで会ったんだ」
「会った?」
「ヴェルデに」
「……ヴェルデに?」
思いがけない名が出てきて、眉間に皺を寄せる。
「私の呼びがけにも反応した。間違いない」
「ヴェルデがなんで……」
「さぁ。ただ、ヴェルデは違う名で呼ばれていた。……シルフと」
「シルフ?」
リタが首をかしげると、アルは訝しげな表情を浮かべた。
「まさか知らないのか? 精霊について。国民ならそれくらい……いや、リタの母上はわざと教えなかったのか」
「お母さんがなに? 精霊って?」
「詳しくは彼らに聞いた方が早いだろう」
「彼ら?」
アルはぷっぴぃ、ネロ、アズーロ、マロン、ロッソに視線を向けた。つられてリタも視線を向ける。そばにいたはずのぷっぴぃは、リタたちにお尻を向けてどこかへと行こうとしていた。その背中がまるで都合の悪いことから逃げようとしているように見えて、声をかけた。
「ぷっぴぃ?」
歩みは止まったが、振り向かないぷっぴぃ。もう一度名を呼べば、『観念しなさい!』とでもいうようにネロがぷっぴぃのお尻を引っかいた。
「いったぁぁぁぁぁぁぁい!」
「え? い、今ぷっぴぃ喋った?!」
ぷっぴぃが『しまった!』と硬直する。ネロは呆れ顔。ロッソは「くくく」と笑い、アズーロとマロンは苦笑していた。
ぷっぴぃたちの正体を知っていたらしいアルも驚いた表情を浮かべている。
そして、リタは……ぼうぜんとぷっぴぃを見つめた。




