アルフレードはダニエーレと交渉する
ボナパルト王国の第二王子、アルフレードは美しい顔に珍しく緊張の色を宿していた。
――それも仕方ない。
大国の皇帝であり、世界で唯一大精霊と契約している大物を相手にするのだ。
と、ベッティオル皇国側からは思われているかもしれないが、アルフレードが緊張している理由は別にあった。
「こちらがボナパルト王国、第一王子アレッサンドロから預かった手紙です」
あいさつも早々に、手紙を差し出すアルフレード。ダニエーレの側仕えがその手紙を受け取り、手紙にある封蝋が本物かを確認した後、ダニエーレに渡した。
「……」
ダニエーレが読み終わるのをじっと待つ。
数秒後、ダニエーレは「ふむ」とあごを一撫でし、アルフレードに視線を向けた。
これから二人の間で大事な話が交わされる、という空気を読んだのだろう。ステファニアがさりげなく席を立とうとした。が、ダニエーレはその必要はないとジェスチャーで示す。
ステファニアが再び腰を下ろしたのを確認し、ダニエーレは口を開いた。
「これまたずいぶん急な話だが」
「はい。そうおっしゃるのも当然だと思います。ですが……こちらとしては今だからこそ、なのです」
ピクリ、とダニエーレの片眉が上がった。
「その言葉の真意は? 意味も教えてくれるのだろう?」
「もちろんです」とアルフレードは頷き返す。
アルフレードが語ったのは、ボナパルト王国の赤裸々な内部事情だった。
『ボナパルト王国の第一王子と第二王子の継承争い』については他国でも有名な話。ダニエーレももちろん知っていた。しかしその実、争っているのは王家を除いた者たちだけ、というのは初耳。
最初より興味を引かれている様子のダニエーレを見て、アルフレードは核心に迫る部分を告げる。
「王家では内々に兄上が立太子する、ということで話が進んでいます」
勘違いしている者が多いが、兄弟仲は至って良好だ。こうして第一王子の手紙をアルフレードが託されたのがその証。と、断言する。
ダニエーレはアルフレードが語った話の全てを信じたわけではないようだが、『このタイミングで』という点については納得したらしい。
「だから今、ステファニアに求婚を、ということか」
ステファニアの表情が変わる。が、それもほんの一瞬、次の瞬間には元に戻っていた。
「はい。立太子が内々に決まった今だからこそ、……です」
「なるほどな。……だが、ステファニアを望む声は多くあるのだぞ?」
『王妃』という肩書に釣られるとでも思っているのか? という視線。鋭い視線だが、アルフレードが狼狽えることはない。これくらいは想定内だ。
「ええ、もちろんそうでしょう。ステファニア様は、美しく、聡明な方ですからね」
アルフレードの言葉に、ステファニアはわずかだが頬を染めた。それは『嬉しい』というよりは、自分よりも美しい者から言われたことへの『羞恥』にも似た感情。アルフレードから言われても、お世辞としか受け取れない。不快、とまではいかないが、素直には受け取りがたい。……ステファニアは無言で頭を下げ、礼とした。
ところが、ダニエーレには別の言葉が響いたらしい。
「ほう……ステファニアを『聡明』、とな」
意味深な視線を向けられる。その視線の意味がなんとなく分かった。――どうやら兄上の言う通り、ステファニア様もうわさ通りの人ではないようだ。
「はい。ですが、ステファニア様をそう評価したのは私ではなく兄上です。そもそも、私はステファニア様とお会いするのは今日が初めてですから」
「あら」とステファニアは首をかしげた。ダニエーレが視線でその先を話すように促す。
「アレッサンドロ様とお会いする機会も、さほど多くはなかったと思うのですが」
会ったのは片手で数える程度だというステファニア。しかも、周辺国の王族を招いたパーティーでだ。そう判断されるような出来事があったかしら、と首をひねっている。ちなみに外交を避けているアルフレードは、一度も参加したことはない。
「さあ。私も詳しい話は聞いていませんので……。もし気になるようでしたら兄上にその旨、お伝えしておきましょうか?」
「あ、いえ、そこまでは……」
ほほ笑んで、話を濁したステファニア。心の中で舌打ちをする。――やはり、直接頼むしかないか。
「一つ、お願いがあるのですが」
唐突なアルフレードの『お願い』に、ベッティオル皇国側に警戒の色が走る。その警戒をできるだけ和らげようと、アルフレードは意図的に笑みを浮かべた。その笑みに見とれる面々。
「今すぐ返事を送っていただけないでしょうか。明確な答えを書く必要はありません。ただ、私から手紙を受け取った、とわかる手紙をできるだけ急ぎで送っていただきたいのです」
「……それは、アルフレード王子がここに来た時の服装に関係があるのだろうか?」
「はい」
話が早くて助かる、と力強く頷き返す。
「私があのような格好をしていたのは、国境を越えたあたりで命を狙われたからです。相手は全員黒づくめの格好をしていたため顔は分かりませんでしたが……おそらく第一王子派の誰かが雇った暗殺者だと思われます。明らかに素人の動きではありませんでしたから。運よく腕のいい薬師と出会うことができたため助かりましたが……最悪ここに辿り着くことすらできなかったかもしれません」
ちなみに暗殺者たちを撃退したのもその薬師なのだが、それについてはまあ言わないでもいいだろう。
アルフレードの話を聞き、ダニエーレの眉間の皺が深くなる。ダニエーレは視線を騎士の一人に向けた。確かアルフレードの着替えを監視し、アルフレードのカバンを持って一度退出した騎士だ。騎士が頷き返す。おそらく、『かばんの中には裏付けとなる物が入っていた』という意味だろう。
はあ、とダニエーレは深く息を吐き出した。
「その薬師には感謝せねばな」
「はい」
ステファニアも無言で頷いている。この場にいる者たちの中でダニエーレの言葉の意味を真にわかっている者は、おそらくアルフレードとステファニアだけだろう。
アルフレードが狙われたのは国境を越えてから。もし、そのままアルフレードが命を落としていたら……死人に口なし。犯人はベッティオル皇国にいることにされていただろう。それどころか、アルフレードの死すらも利用しようと、なにかしらたくらんでいた可能性がある。
「すぐに手紙を送ろう。レターセットをここに」
側仕えが頭を下げ、一度退出する。
「手紙は書く。が、こちらからも一つ頼みがある」
「! その頼みとはどのような内容で?」
もちろんできる限り受け入れるつもりはあるが……アルフレードの表情が強張る。
「ステファニアを二年、いや……一年だけでもいい。賓客としてボナパルト王国で預かってはくれないだろうか」
「「?!」」
アルフレードだけでなく、ステファニアにも動揺が走った。
「それは、なぜ? とお聞きしても?」
「かまわない。どうせ、そのうち知れ渡ることだ。だが、正式な発表があるまでは知らないフリをしていてほしい」
アルフレードは同意の意を込めて頷き返す。
「近いうちにわが国でも、第三皇子が立太子する。……が、アドルフォは精霊と契約を結べなかった」
思いがけない話に目を剥く。
第三皇子であるアドルフォ皇子が立太子するだろうことは予測していた。けれど、それは精霊に選ばれることが前提だ。よもや、選ばれないとは想像もしていなかったのだ。
「それは……」
――国が荒れる。
ベッティオル皇国は別名『精霊に愛された国』。精霊の存在があるからこそ、他国からも一目置かれているのだ。それなのに、精霊と契約を結べなかった者を皇太子にするなんて、国民は納得するのだろうか。いや、それでも納得するしかない。彼以外皇帝になれる者など、他には……
アルフレードは「はっ」と気づき、ステファニアに視線を向ける。ステファニアの表情は強張っていた。
「アルフレード王子ならよくわかるだろう。余計な諍いにステファニアを巻き込みたくないのだ。なに、一年もあれば落ち着くはず。その間だけでいい」
「……分かりました。むしろ、こちらとしては願ってもいない話。それでは、手紙の宛先を第一王子ではなく、国王へと変更していただいてもよろしいでしょうか」
「ああ、元よりそのつもりだ」
ちょうどいいタイミングで側仕えが帰ってきた。ダニエーレは一筆したためた後、
「シルフ」
と風の大精霊を呼び出した。一羽の鳥が現れる。鮮やかな緑色の鳥だ。その鳥にアルフレードは既視感を覚えた。
「この手紙をボナパルト王国のジョヴァンニ国王に渡してきてくれ」
『ワカッタ』
シルフが嘴を開き、その手紙を体内に取り込もうとしたその時。アルフレードの口から「ヴェルデ?」という名がこぼれた。シルフの嘴が空を切る。
よろよろと顔を上げたシルフ。シルフとアルフレードの視線が交わり合う。
「シルフ?」
ダニエーレに名を呼ばれ、シルフは我に返った。今度こそ手紙を飲み込み飛び立つ。その姿はまるでアルフレードから逃げるよう。
「……シルフを知っていたのかい?」
話が纏まったからか、砕けた口調になったダニエーレ。けれど、アルフレードの態度は変わらない。――はずなのに、浮かべている笑みはどこか冷たく、壁を感じる。
「いいえ。私の勘違いでした。道中、似た鳥を見たものでつい」
「似た鳥を……。その鳥を見たのはどこで?」
「国境の近くです。あんな辺鄙な場所で大精霊様とお会いするわけがありませんからね。私の勘違いです」
「そうか」
「ええ」
アルフレードは頷きながらも、ダニエーレの紫色の瞳をじっと見つめ返した。
先に視線を逸らしたのはダニエーレ。
「ああそうだ。こちらの要望が通った場合のことなんだが、アルフレード王子の帰国に合わせてステファニアも連れて行ってもらいたい。その際、こちらから護衛をつける。帰りは安心して帰るといい」
「お心遣いありがとうございます」
――今回の黒幕へのけん制にもなるだろう。さすが抜け目がない。……しかし、リタへ会いに行くのは当分先になりそうだな。
心の中でリタへ謝罪しつつも、アルフレードはとりあえず目先の仕事に集中することにした。
◇
アルがいなくなってから、リタはぼーっとすることが増えた。ただ、残念ながらそれを指摘してくれる者はいない。そばにいるのはリタを心配しながらも、気を引いて紛らわせることしかできない精霊たち。
ぷっぴぃがリタの目の前でどんぐりを頭に乗せ、二足歩行を披露している間。他の精霊たちは顔を寄せ合い集まっていた。
『なあ、リタ。大丈夫なのかよ?』
ロッソの言葉にネロが『大丈夫なわけないでしょ!』と睨みつける。
『と言っても僕たちにできることは少ないからねえ……』
『そうね。いっそのこと私たちの正体をバラして、話しかけるのはどうかしら? そうすれば、リタも話し相手が出来て寂しくないでしょう?』
アズーロの提案に皆一斉に口を閉じた。
『……バラすのはなし。って以前、話し合って決めたでしょ』
ネロがちらりとぷっぴぃを見やる。そう決めたのはぷっぴぃだ。
『でも、あの時とは状況も変わっただろう。そろそろ、いいんじゃないかな?』
アズーロの意見を支持するマロン。それに対し、ネロは不安げに呟いた。
『それでリタが私たちへの態度を変えたらどうするのよ』
『それは』
『だいたい!』
マロンの言葉をネロが遮った。
『だいたい、あの男をこの村にいれたのが間違いだったのよ!』
『仕方ないだろう? 彼を招き入れたのはリタだ。その後、彼の面倒を見ると決めたのも』
『それは、そうだけどっ。そもそもリタとあの男が会わないようにドライアドがちゃんとしてくれていればっ!』
『『ネロ』』
アズーロとマロンが咎めるような声色で名を呼ぶ。ネロは気まずげに『ごめん』と返した。
溜息を吐くロッソ。
『まあ、ネロの気持ちも分かるさ。あの男と出会わなければ、リタがああなることはなかった。でもさ、リタがこの村から出ようとしなかっただけでもよかった、と思うべきじゃないか?』
『え?』
『人間とのかかわりを求めて外に出たい、と言う気持ちが生まれてもおかしくはないだろう』
『っ。でも、ここにはリタの』
『ああ。リタの気持ちが変わらない限り、ここを出ることはないだろう。だがな。その日が絶対にこないわけじゃない。いつか、突然出たいと思う日がくるかもしれない。俺は今回、そのことに気づかされた。それだけじゃない。もしその時がきたら、俺たちは正体を明かすしかないんだ。この体のまま、ついていくわけにはいかないんだからな。いつそうなってもいいように、覚悟しとかねえと』
確かに、とマロンとアズーロが頷く。ネロは不機嫌なまま。けれど、ロッソの考えを否定はしなかった。きっと、ぷっぴぃも否定しないだろう。皆、リタを主と認めているのだから。
『そうね。とりあえず、私たちもリタを慰めにいきましょう。寂しがる暇もないくらい、私たちが構い倒してあげないと』
ネロは甘えた声を上げながら、リタに近づく。その姿を見てクスッと笑ったアズーロとマロンが、後に続く。ロッソは呆れたような視線を向けたものの、仲間外れは嫌だとリタを中心とした輪の中に入って行った。




