18.フローラの祈り
ノミの市での騒動の翌日は、大神殿での祈祷だった。大聖堂に集まった200人ほどの信徒の視線を背中に受けながら、フローラは一心に女神に向かって祈祷を行う。
祈祷の最中は、ただ聖句を呟くのに集中する。すぐ他のことを考えそうになる頭を、必死に聖句で満たす。そうしないと間違えてしまうからだ。
そんなフローラに、女神ヴァルシアがフローラに優しく微笑みかけてくれているような気配がしている。フローラはそれに安堵感を覚えた。誰かに見てもらっている、というのは思いの外精神を安定させてくれるものだ。
聖句を終えて目を閉じて黙祷を捧げていると、ふとレオンハルトのことが思い出された。
――いつもは礼拝の前にフローラの元に来て、フローラに言葉をかけてくれるレオンハルトだが、今日は来なかった。
代わりにきたのは副団長のコンラートだった。
昨日が昨日だったのでレオンハルトとは顔が合わせづらかったフローラは一安心しながらも、レオンハルトはどうしたのかと聞いた。
そうしたら、『団長は、今ちょっと動けなくて……』とコンラートは答えた。
レオンハルト様はお忙しいんですかと訊ねると、コンラートは首を振った。
『そういう意味じゃなくて、本当に、物理的に動けないんです。昨日、急に体中が痺れたそうで。いや、もうほとんど痺れは取れてるんですけどね。医者に診せても理由は分からなくて、今日は安静にしておこうってことになりまして……』
もしかして昨日の別れ際に女神ヴァルシア様に止められたアレが、まだ尾を引いているのかもしれない。
昨日あんなことがあったとはいえ、――きっとレオンハルトはフローラのことなど嫌いになってしまっただろうとはいえ……、やっぱり、体が動かないのは可哀想だ。
(どうか、レオンハルト様が快癒なさいますように)
フローラは、そっと女神に祈った。女神が頷いたような気配がした。
そして、礼拝が終わる。
いつものように、たくさんの信徒たちがフローラに詰め寄ろうとしてくる。それを騎士たちがガードして、信徒たちを聖堂から出て行くよう促す。
そうしているうちに、いつもならレオンハルトがやって来てフローラを聖堂から連れ出すのだが、今日はいない。
誰も来ないその聖壇で、フローラはしばらく待っていた。が、それでもやっぱり誰も来ない。担当者がいないため、忘れられているのだ。
(レオンハルト様……)
誰もいないガランとした大聖堂で、フローラは目を伏せて溜め息をついた。
仕方ない、今日は一人で聖堂を出よう。それで、誰か騎士に話をつけて、仕事が終わったことを説明しよう。
でも、今日はそれでいいとして、明日からはどうしよう。明日には、きっとレオンハルトも復帰する。
レオンハルトに、駄目な人間だとバレてしまった。しかも、フローラは感情をぶちまけてしまった。きっと幻滅したはずだ。
今思えば、確かに何もかも彼の言うとおりだった。フローラには女神から与えられた聖なる力があるのだし、それを使うときは、もっと慎重にならなければならなかったのだ。
安い水晶を光らせただけのアクセサリーが『願いを叶えるお守り(本物)』になったのは、思いも寄らぬできごとだったが……。
それを作ったのはフローラなのだし、やはりあの騒動はフローラに責任がある。
それを、まるで自分には関係がないかのようにレオンハルトに言ってしまった――ような気がする。だからレオンハルトは怒ったのだろう。
もしかしたら、今頃お見舞いに来ている『気になる人』に愚痴っているかもしれない。
『あの聖女は思ったほど凄くなかった、自分の力の使い方も知らない、しかも責任も取らない、駄目な人間だった』と……。
それについては、否定しない。自分が駄目な人間である自覚はある。
……問題は、ここからだ。
そんなことがあったのに、それでもフローラは聖女で、レオンハルトは聖女騎士団の団長として、フローラと近しい立場で居続けるのだ。
それが、気まずい。どう接したらいいのやら分からない。
フローラは女神ヴァルシア像を見上げた。
優しい微笑みをたたえた、美しい女性の姿の白い石像――女神ヴァルシア。
(ヴァルシア様、私、どうしたらいいですか……)
『……しょう』
……ふと、優しい女性の声が聞こえた気がした。
『あなたは心から反省しました。その想いをレオンハルトに伝えてみましょう。自分だけで抱え込むのはよくありません。レオンハルトも鬼ではありませんから、逃げないでちゃんと向き合うことが肝要です』
「え?」
ヴァルシア様?
やけにはっきりとした常識的なアドバイスに我が耳を疑うフローラの後ろから、男性の声がかかった。
「フローラ様」
一瞬、レオンハルトかと思ったが……すぐに違うと悟った。
レオンハルトほど低い声ではなかったし、なんというか……鼻に掛かったような、無理をして作ったような爽やかな声だったのだ。
振り返ったフローラが見たのは……。
「やぁ、これはお美しい! 噂に聞く以上にお美しいお方だ!」
そこにいたのは、いかにも金持ちそうな身なりの男だった。
「銀の髪はまるで絹糸のようだし、紫の瞳は宝石のように輝いておられる。滑らかな肌はまるで絵画から抜け出したようだ」
「ありがとうございます」
フローラは相づちを打ちながら、必死に頭の中を捜索する。もしかしたら、以前会ったことがある人物かもしれないからだ。人の顔を覚えるのが苦手なフローラにとって、こういう場面はとても緊張する。
だが男性は胸に片手をやり片足を引くという貴族の男性がやる礼をして、にっこりと笑ってこう言った。
「お初にお目に掛かります、聖女フローラ様。私はアルチュール・シュトラウスと申します。この街で商売をし始めました、しがない貧乏人でございます」
「はぁ……」
初対面か、よかった。失礼なことにならなくてすんだ。
それにしても。
(貧乏人だなんて、なんでそんな嘘を……)
小脇に抱えた帽子からは派手な飾り羽根がぼーんと飛び出しているし、着ている服の仕立てもいい。大きな宝石のついたペンダントをこれみよがしに首から下げ、指には色とりどりの特大の宝石の指輪をはめている。これが貧乏人なわけがない。
フローラの戸惑いなど知ったことではないといった様子で、アルチュールはにっこりと、これまた輝くような笑顔をした。だが目が笑っていない。
「フローラ様。私、あなたとお話ししたくてたまらなかったのですよ」
「私と?」
「はい」
アルチュールは嬉しそうに頷くと、帽子の中から一通の封筒を取り出した。
それを両手で持って差し出してくるので、フローラは戸惑いながらもそれを受け取った。
その封筒には、『魔女ローゼ様へ』という宛名書きがあった。
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