エイリアン vs オカズガール
「奴隷ー!」
手を振りながら制服の紺スカートを翻し、坂田美桜が駆けてきた。俺にまっすぐ向かって坂道を降りてくる。背にしているのは満開の桜並木。美しい。あぁ……なんて美しい光景なんだ。
「奴隷っ!」
俺のすぐ前まで来ると、坂田は切らしていた息を少し整えて、春に似合う眩しい笑顔を見せてくれながら、言った。
「春味にしてみたの! 食べてみ?」
そう言って、自分の人差し指を差し出す。
「なぁ……」
俺は前から気になっていることを聞いてみた。
「俺たちって……、付き合ってるのかな?」
彼女の顔から微笑みが消えた。
防御するように肩で壁を作ると、汚いものでも見るような目で俺を罵倒しはじめてくれる。
「キモい……。あんたのそういうところが、いつもキモい。あたしのことエロい目で見るのはいいけど、変な願望もつのだけはやめてよね。あんたはあたしにとって奴隷。ただの奴隷なんだから!」
キツイが、いつものことだ。傷つきはしない。むしろこれが俺には気持ちいい。
ただ、これだけは言っておこう。俺の名前は『奴隷』ではない。ちゃんと『羽奥将校建ハルト』という名前がある。ちゃんと坂田も覚えてくれている。が、あまりに長ったらしい名前のためか、それとも軽んじられているのか、彼女は俺のことをいつも名前で呼んでくれない。
しかし女心はよくわからないものと聞く。彼女は最近、四六時中俺の側にいる。好きでもない男とこんなにも一緒にいてくれるものだろうか? 同じボランティア部の部員というだけで? もしかして、口では憎たらしいことを言いながら、心の中にはいつも俺を住まわせてくれているのだろうか。フフ……。
坂田はかわいい。
俺の目の中で、他の女子にはありえないぐらい、かわいい。
辺りは桜色。
ムードは満点だ。
もしかして今、これって告白するチャンスなのではないだろうか。
「なぁ、坂田……。立場的には奴隷でもいいから、俺と付き合ってくれないか。そして俺のことはこれから『ハルくん』と呼んでくれ」
そう言いたくて、そう言おうとしながら、俺は美少女坂田と並んで春の道をもじもじ歩き続ける。坂田はしきりに「ねぇ、食べないの?」と美しいその人差し指を差し出してくるが、それどころではない。俺は今、春の陽気に便乗して、告白のタイミングを伺っているところなのだ。
前方に見えてきた緑色のコンビニエンスストアの自動ドアが開き、中からうちの高校の制服を着た女が走り出てきた。同じクラスのやつだ。それを見つけて坂田がかわいい声で言う。
「あっ、あれ福田さんじゃん」
おさげの三つ編みを揺らし、駆け出してきた福田都理子は、ふくよかな体を翻すと、牛乳瓶メガネをかけた顔をこちらへ向け、叫んだ。
「あっ、ボランティア部の坂田さん! ……と、なんとかくん! 大変ダス!」
「どうしたの?」
「どうしたんだ?」
俺たちのほうへその巨体をどすどすと揺らしてやって来ると、福田さんは泣きながら坂田に訴えた。
「ワタスの食糧が……! エイリアンに荒らされてるダス〜!」
コンビニの自動ドアがまた開いた。
中から福田さんの言うエイリアンらしきやつが現れる。
俺はそいつの姿を見て、思わず背筋がゾゾッと震えた。
そいつは俺よりも少し体が大きくて、全身が黒光りしていた。背中に油に濡れたような羽根があり、はっきりいって地球の昆虫の『G』に似ていた。
手にはいっぱいのフライドチキンを抱えており、それを持ってゆっくりとどこかへ逃げて行こうとしている。
「あああ! ワタスの食糧が……!」
福田さんがそれを指さして泣き喚く。
「このままじゃ地球上のコンビニフライドチキンがすべて食べ尽くされてしまうだ! 助けてボランティア部のひと!」
「任せろ!」
俺は坂田美桜のかわいい手を握ると、急いでその白梅のような人差し指を、食いちぎった。
「こらー! いきなり食うな!」
坂田は怒ったが、仕方がない、緊急時だ。
彼女が言った通り、爽やかな春の味がした。いい味だ。まったりする。塩の利いた梅味のジューシーな鶏肉のような坂田の人差し指を咀嚼すると、口の中でほろほろと溶けていく。そしてビリビリと、俺の脳に電流のようなものが迸った。
「キターーーッ!!」
坂田の指を食った俺は常人の300倍のパワーを発揮する。
俺はエイリアンに掴みかかり、その四肢をもぎ、油に濡れたような羽根を引きちぎる……ことが出来なかった。気持ち悪すぎて出来なかったのだ。
「これは……、生理的に無理だ!」
「ナンダ、オマエハ」
エイリアンが俺を見た。
「私ノ邪魔ヲスルツモリカ? 死ネ」
ギザギザのいっぱいついた、黒くて細い手をカクカクいわせて、エイリアンが殴りかかってきた。
「負けちゃったねぇ……下僕」
地面に仰向けに倒れた俺の顔を、坂田が春の太陽を背に覗き込んでくれる。
俺は癒やされた。坂田が今ここにいてくれなかったら心に重傷を負っていたところだ。
あんな……Gみたいな異星人に殴りかかられて、そのグロテスク極まりない顔をドアップで見せられて俺がまだ生きているのは、坂田のかわいすぎる顔をこうやって見て口直しをしたからだ。そう、思えた。
「……で、アイツはなんなの?」
坂田が福田さんに聞く。
「知らないダスか? 今、テレビでもネットでも、みんなが騒いでるダスよ?」
そうなのか。ちっとも知らなかった。俺も坂田も、日々ボランティア活動で忙しいからな。エイリアンにやられてボロボロに弱っている俺が口に出せずにそう思っていると、福田さんがエイリアンの名前を教えてくれた。
「地球のコンビニフライドチキンを食い荒らしているエイリアン──その名もジー・カッブ星人ダス」
「あれのどこがGカップだよ!」
思わず元気にツッコんでしまった。あんなのにそんな魅力的な名前をつけるのなんて許せない。いたたた……、エイリアンにやられた肋骨が……。
「『ブ』ダスよ。ジー・カッ『ブ』。『ゴキカブリ星人』の略らしいッス。ヤツはこのワタスと同じくコンビニのフライドチキンが大好物で、日本中のコンビニを襲っては、フライドチキンを強奪しまくってるッス」
「警察は何をしてるんだ!」
「『治外法権』らしいッスよ。宇宙人はそいつの母星の法律でないと裁けないらしいダス」
「許せない!」
坂田のボランティア精神に火がついたようだ。
「なんとかしなさい、下僕! あんなヤツらを野放しにしておいたら秩序がメチャクチャにされるわ!」
無理だ……。
Gにそっくりなアレに触るのは、心が弱い俺には無理だ……。
「ところでさっきの能力は何ダス?」
福田さんに聞かれた。
「坂田さんの指をこのひとが食べたように見えたッス。……で、緑色の超人みたいなのに変身したと思ったら、あっさりやられたッス」
坂田が説明した。
「あたしは体の一部を他人に食べさせることが出来る『オカズガール』なの。あたしを食べたひとは尋常じゃないほどのパワーアップをするわ。特にあたしをエロい目で見てるひとだと100倍ぐらいパワーが上がるの」
そして俺を虫ケラのように見下すと、言った。
「コイツ、あたしのことエロい目で見すぎてるから、コイツがあたしを食べると緑色の超人ハルくんに変身するの」
そうだ。その通りだ。
しかし……勝てなかった。
俺は坂田の指を食って得たパワーで、今まで何体ものバケモノと戦い、簡単に倒してきた。
しかし、今回は、勝てなかった……。
勝てる気もしない。
俺は無力に項垂れて、ただ坂田と福田さんの会話を聞いていた。
「坂田さんはどうやってその能力が自分にあることを知ったんダスか?」
「お父さんとお兄ちゃんには子供の頃から食べられてたのよ」
「じゃあお父さんとお兄ちゃんはさぞかしパワーアップしたんダスね?」
「栄養がつきすぎたのか、世界中の被災地や戦災に見舞われた地でレスキュー活動に飛び回っているわ」
そうだったのか……。さすがは坂田の家族、奉仕精神に溢れているな。
「じゃあ、そのお父さんとお兄ちゃんが今ここにいてくれればよかったダスなぁ」
「うん。あの二人ならあんなキモい星人に負けることはなかったのに」
返せる言葉がなかった。
「ところで坂田さんってどんな味がするんッスか?」
「食べてみる? ポキッ」
「ひゃあ! 小指を……! 小指を折っただ!」
「ほら、食べてみて? 美味しいよ?」
「モグモグ……こっ、これは!?」
「うまいっしょ?」
「うみゃいっ! 絶品の梅しお味のフライドチキンみたいな味ダスっ!」
そう、そんな味だった……。見事な春味に自分を仕上げてきたよな。
……待てよ?
あの宇宙人がもし、坂田からフライドチキンの香りがしていることに気づいたら……
「オイ」
も……、戻ってきやがった!
「私ハ、ジー・カッブ星人の『ゴギガギーガー・ゾゾザムザ』デアル。ソコノ女。貴様カラ、凄ク、イイ匂イガスルナ」
気がついたら俺は、坂田をお姫様抱っこして全力で逃げていた。
「ちょっ……! 怖い怖い怖い怖い!」
俺の腕の中で坂田がかわいく暴れた。
「走るの速すぎる! ジェットコースターじゃないんだからっ! 怖い! 下ろして!」
「フウ……。ここまで逃げれば大丈夫だろう」
俺は足を止めた。
かなり走った。ここはどこだろう。俺は今、超人ハルくんに変身しているので、もしかしてアメリカぐらいまで走ってしまったかな?
そう思ったが、電信柱に貼られた地名のプレートを見ると隣町だった。それにしても数秒で2kmぐらい走ったことになる。
「足、速いダスな!」
福田さんがついて来ていた。そうか、坂田の小指を食べたから……
「ソノ女、食ワセロ」
宇宙人もついて来ていた! さすがG! 足…速っ!
俺は再び全力で駆けた。
30秒は走った。
足を止めたところはどこかの路地裏だった。
「隣の県まで来たダスな」
福田さんが教えてくれた。
坂田は俺にお姫様抱っこされながら、子供のように泣いていた。よほど怖いのだろう、スーパーマンに抱っこされて全力で走られるのは。
「とにかく……。アイツを倒さなければ」
俺は福田さんに聞いた。
「ゴキ星人は何体地球にやって来てるんだ?」
「1人ダス」
「アイツだけかよ!」
「でも、Gは一匹見たら100匹いると思えっていうダス。放っておいたらきっと増えるダスよ」
「それはいえる……。どうしても今のうちにアイツを倒さなければ……!」
どうすればいいのかは、わかっていた。
しかしそれを坂田にお願いするのは勇気がいることだった。
しかしこのままではフライドチキン味の坂田はあの宇宙人に食べられてしまう。ゴキなんかに食べられてたまるか。俺は坂田を地面に優しく下ろすと、勇気を振り絞って、お願いした。
「坂田! 指だけじゃ無理だ! お前の全てを食べさせろ!」
薄暗い路地裏には誰も来なかった。
坂田美桜は、ビルの壁を背に、するすると制服の上着を脱ぎはじめた。
「優しく食べてね」
「あ……、ああ……。ところでどこからどこまで食べれるんだ?」
「胸は膨らんでるとこ全部。お尻は柔らかいとこだけ食用可だよ」
「そ……、そうか……。じゃ、まず、唇から……」
「唇は食用じゃないし、なんかやだ」
「そ、そんなぁ……」
「とりあえず……ハイ」
坂田の上着も下着もすべてが地面にファサッと落ちた。
「ここからどうぞ。食べて?」
そう言ってツンと差し出した坂田の裸の胸を、俺は見つめた。
シチューパイだった。
美しい人間の女の子の胸にふたつ、立派なシチューパイがついている。
「た……食べるぞ?」
「うん。美味しく食べて」
横で福田さんが手で自分の目を隠し、指の隙間から思い切りガン見している前で、俺は坂田の胸にむしゃぶりついた。俺の頭の上で坂田が「あん」と言った。
うまい! なんてうまいシチューパイだ!
皮はサックリ、中はとろっとろだった。溢れ出してくる白いクリームシチューを俺は夢中で啜った。
白飯が欲しくなる! こんなに白飯に合いそうな濃厚シチューパイは初めてだ!
坂田が言った。
「じゃ、次はお尻をどうぞ」
突き出された裸の尻を、目を血走らせて俺は凝視した。
なんて丸みだ! これはまるで特上デザートの杏仁豆腐じゃないか!
いただきますを言うのも忘れ、俺はそこにかぶりついた。坂田が「ひゃんっ」と言うのが頭の上から聞こえた。
うまーーーっ!
こんな美味い杏仁豆腐がこの世にあったなんてーーーっ!
うわーーーっ! 凄い! めっちゃ食べたのに食欲が止まらないぞ!
胸と尻のえぐれた全裸の坂田を抱きしめ、その梅しおフライドチキン味のする肩を俺がコリコリと歯でこそげ取っていると、後ろから宇宙人の声がした。
「見ツケタゾ! ソノ、イイ匂イノスル女ヲ食ワセロ! ……ン?」
宇宙人が俺の姿を見て驚いたようだ。しかし俺は今、自分がどんな姿になっているのかわからない。ただ非常に清々しい、いい気分だ。何かをやり終えて、賢者になれたような、そんな心地だった。
「ああっ!」
福田さんが実況してくれた。
「仏のように蓮の葉の上に乗って座禅を組んでるダス!」
「ナンダ、貴様……」
宇宙人も俺の姿を見て感想を口にした。
「サッキヨリ小サクナリヤガッタナ。殺気モ消エテイル。サッキヨリ弱クナッタンジャナイノカ?」
オカズガール坂田美桜を食べると人間の潜在能力が解き放たれる。指一本だけでも俺は300倍ぐらい強くなる。初めて指以外の部位を食べたのだ、パワーアップ量は半端ないはずだ。しかし今、俺は自分が強くなった気はしていなかった。むしろ自分がとても小さくなって、そんな自分を取り囲むおおきな宇宙が見えている。『解脱した』とはこういう心境なのでしょうか。
「マズハ貴様ヲ、サクッと倒シテカラ、ソノ女ヲ、喰ウ!」
宇宙人が俺に襲いかかってきたようです。
わたしは何もしませんでした。
する必要がありませんでした。
ただ仏の微笑みを浮かべ、座禅を組んだまま、後光をピカーッと煌めかせて、目を閉じ、拝むように右手を自分の顔の前に差し出しました。
ゴキ星人は勝手に宇宙の彼方まで吹っ飛んでいました。
「凄いダス!」
福田さんが興奮している。
「なんて清らかな笑顔で、なんてエグい攻撃を繰り出すんダスかーーーっ! ……神!?」
なんだか知りませんが、わたしは勝ったようです。
「美味しいっ!」
そう言いながらコンビニのフライドチキンを頬張る坂田を、俺は心配して見つめた。
制服の上からでもわかる。胸とお尻がまだえぐれたままだ。あれから二日経っているのに。
坂田の食べられた部位は、時間が経てばトカゲの尻尾のように再生する。外部からの栄養を摂取することによって、指ぐらいならものの数時間で元通りに生えるのだが、今回はやはり時間がかかるようだ。
「いっぱい食べて早く再生しろ」
優しく、俺は言った。
「俺たちは日本中のコンビニフライドチキンを宇宙人から守ったヒーローとして表彰され、一年間コンビニフライドチキン食べ放題の権利を貰ったんだ。遠慮なく食いまくれ」
「最高ダスー!」
福田さんも喜んでいる。
俺たちはコンビニ駐車場脇で座り込み、三人でフライドチキンを食べた。福田さんは両手をナイフとフォークみたいにキンキン鳴らして興奮している。
コンビニフライドチキンはうまい。確かにうまい。
しかし俺は、シチューパイと杏仁豆腐のあの味が忘れられなかった。
「なぁ、坂田」
「何? 下僕」
「また……おまえのシチューパイと杏仁豆腐を食べさせてくれないか」
「やだよ。再生に時間かかるもん」
「じゃあ俺と付き合ってくれ!」
「凄いタイミングで告ったダス!」
福田さんが驚いた。
「え〜? あたしのこと、エロい目で見てるだけのひとかと思ったら、本気だったの〜?」
フライドチキンにかぷっと噛みつきながら、坂田の頬が、紅くなった。
「……いいよ。ハルトとは色々と……気が合うなって思ってたから」
俺はフライドチキンを持った自分の手を、思い切り春の青空に突き上げ、ガッツポーズを決めた。