22
僕は少女をベッドまて連れていくと、そこに優しく横たえた。
「それではおやすみなさい」
僕はすぐにその場から立ち去りたかったが、彼女はそうはさせてくれなかった。
「待って青太郎。おやすみのキッスを、私にちょうだい」
「な、キ、キス!?」
「ええ、キッスよ。それがないと眠れないわ」
やはりそんなことを頼まれるなんて、僕が知っているサディ様は、もうどこにもいなかった。
僕は身を屈ませると、心の中でさようなら、と唱えながら、彼女のほっぺに口づけをした。
「うふふふふ」
少女は満足そうに笑うと目を閉じた。今度こそ僕は彼女から離れ、部屋を出て行った。
イジュメール家の長い廊下を歩きながら、もうここにはいられないな、と僕は思う。
奴隷として扱われず、全くもって調教を受けることができない。そして何より、圧倒的な女王であったサディ様が、もうどこにもいない。
僕は階段を下りる。元々はスゴクの部屋であった2階の自室には戻らずに、僕は下降を続けた。
館の一階に着くと、僕は迷わずに玄関の方に向かった。
外に出たところで、見張りの使用人に声をかけられた。
「青太郎様、どちらへ行かれるのですか?」
僕は何食わぬ顔で、「今日は夜間のパトロールにも参加しようと思ってね」と答えた。
「そうでしたか。お気をつけていってらっしゃいませ」
使用人は恭しく言った。イジュメール家を救った英雄である僕を、誰も疑いはしないだろう。
農園の見張りや門番もスルーして、僕は外の世界に飛び出した。街の方にはちらちらと灯りが点在していたが、他はどこまでも夜の闇が広がっていた。
一から出直しだな、と僕は思う。焦ってなどいなかった。この世界で僕は流れ、やがて新たな女王様を見つけ出すだろう。
向かうなら東がいい、と僕は思う。きっと待ち人に会えるような気がするから。
街とは逆方向に僕は進み始める。歩きながら、身に付けた重い鎧を外しては地面に放った。
僕は奴隷着の薄い麻の服一枚だけになる。それは本来の自分、ありのままの僕の姿だった。
僕は四つ足で駆け出した。もう何も押さえつけるものはない。僕は自由だ。そのまんま東へ。風のように疾走する。
朝日がきらめいて、世界に光が降り注ぐ。歓迎するように小鳥は囀り、木々は艶やかに生い茂る。
眼前の小川は、陽射しをきらきらと反射させていた。まるで光の粒子が、あちこちに散らばっているようだった。
僕は夜通し走り続け、やがてこの地に辿り着いた。
館を出てから、しばらくは広大な平原が続いた。そこを抜けると、例の如く森林地帯が広がっていた。
そのまま森を走り続けていると、眼前に小川が現れ、僕は立ち止まった。喉も渇いていたし、一旦休憩をとることにしたのだ。
草むらに僕は腰掛け、目の前に流れる川を眺めた。もうすぐイジュメール家では、朝食の時間が訪れる。僕が部屋を訪れなくて、サディ様はどのように思うのだろうか。珍しく寝坊か、体調でも悪いのかしらとでも思うのだろうか。よくよく考えると、僕が今まで遅刻したことは一度もなかった。
僕がいないことに気付き、サディ様はどのような反応をするのだろうか。慌てふためくのか、怒り出すのか、それとも悲しむのか。
伯爵は、ベリィ様はどうだろう。彼らは僕について、どのようなことを思うのだろう。
尤もそれはどうでもいいことだった。今の僕にとっては何の関わりもない。昔の彼女達とのいい思い出だけを携えて、僕は新たな旅に出かけるのだ。
そろそろ出発しようか。そう思って立ち上がろうとした時、後頭部に鈍い衝撃が走った。視界が揺れ、目の前が黒く染まっていく。僕は訳も分からずに意識を失った。




