8
ウィルフリードは僕目掛けて馬を走らせた。来ないでくれぇ、と僕は思う。
「エ、エムバペぇ!?」
母が僕の存在に気付いたようだった。それから彼女は、「待ってウィル! 止まって!」と大声で叫んだ。
愛する者の声とあって、ウィルフリードがそれに逆らうことはなかった。彼の乗る馬がピタリと立ち止まる。
「なんだファイザ? こいつは奴隷の癖に俺達を妨害するんだ。止めてくれるな!」
「彼は私とあなたの子供よ!」
「な、何ぃ!?」
ウィルフリードは驚いた顔で僕の方を向いた。見開かれた青い瞳と、癖っ毛のあるブロンドの髪。見れば見る程、僕と彼は親子なのだなと思う。
「そ、そんな……、俺に子供なんて……」
ウィルフリードは震えた声で言った。母がすぐに喋り出す。
「あなたと離れ離れになってから、すぐに妊娠していることに気付いたわ。彼は、エムバペは、紛れもなくあなたの息子よ」
我が父ことウィルフリードは呆然としている。これはうまくいけば、サディ様を、イジュメール家を、救うことができるかもしれない。
僕は咥えていた大槍を地面に落とす。それから四つ脚から二足歩行へと立ち上がる。
「お父……さん……?」
僕はウィルフリードを真っ直ぐ見て言った。僕と同じ青い瞳が、うるうると潤んだ。
「お父さん!」
僕はすたこらと父の方に走り出した。彼は馬から降りると、持っていたグレイブを床に置いた。それから僕を迎えるように、こちらに向かってよろよろと歩き出す。
「お父さん! お父さん!」
ウィルフリードは両手を広げて僕を迎え入れた。僕は思い切り抱きつきにいく。父はそれを難なく受け止めた。銀の鎧がひんやりと冷たい。彼はそっと手を僕の背中に回した。
「エムバペっていうのか?」
「うん」
「おっきいなぁ……ははっ」
サクリ、と、心地のいい音が鳴った。右手に持っていた穂の欠片を、僕は父の首に突き刺したのだった。
「え、エムバ……ペ……?」
僕が体をのけると、ウィルフリードは前のめりに床に倒れた。首からぴゅんぴゅんと血が迸り、辺りを真っ赤に染めていった。
「いやああああああああああああ!!」
母の絶叫がこだまする。母を乗せた騎士も、「ウィルフリードさぁあああん!!」と声を荒げた。
「貴様あ!! よくも、よくもおおお!!」
その騎士は剣を振り上げて、僕の方に馬を走らせた。僕は武器を持っていないので焦った。ウィルフリードのグレイブが1番近くにあり、僕はそれを取ろうとダッシュした。
しかしそれは無用な心配だった。サディ様の鞭が炸裂し、男は吹き飛んでいった。
主人を失った馬がやがて立ち止まる。母は馬から降りると、ウィルフリードの元へとよろよろと歩いていった。
血の海の只中に、先程再会したばかりの伴侶が倒れている。彼女の心中を察すると心苦しいが、致し方ない。全てはサディ様の為なのだ。
「……ウィル? ねぇ、……ウィル……」
首を掻っ切られ、冷たくなった我が父ウィルフリード。青い瞳を大きく見開いたまま絶命している。
僕があなたの息子でよかった。そうじゃなければ、確実に僕は殺されていた。
ドサリ、と母は倒れた。あまりのショックに気を失ったのだろう。血の海の中に、夫婦仲良く並んでいる。
僕はサディ様の方を向いた。
「大丈夫ですか? サディ様」
「ええ、大丈夫よ」
鞭片手に彼女は言った。その傍らにはベリィ様が横になっている。
「ベリィ様はどうですか?」
「大丈夫。命に別条はないわ」
「よかった……」
本当によかった、と僕は思う。しかし安心するにはまだ早かった。伯爵の安否が気がかりである。




