9
とある日の逢魔時、いつものように僕が廊下に突っ立っていると、サディ様の部屋の扉から、ガチャリという開錠音が聞こえてきた。ちらと僕がそちらを見ると、扉の隙間に痩せこけたサディ様のお顔が覗いていた。
「サディ様!」
思わず僕は声を上げる。
「サディ様!」
隣の使用人も、僕に釣られて歓喜の声を上げた。
「大丈夫ですか? サディ様。お体の方は?」
僕が尋ねると、サディ様は「ええ、まあ……」と答えた。消え入りそうな声だった。
「青太郎、ちょっと……」
扉の中から、彼女はそう言って僕を手招きをした。一体どうしたのだろうと思う。もしや早速調教を再開するというのではないだろうか。
僕はわくわくと胸を膨らませたが、サディ様のテンション感からいって、それは無さそうだった。僕は彼女に誘われるまま、部屋の中へと入っていった。
サディ様は部屋を少し入った所で、僕に背中を見せる形で立ち止まった。そしてそのまま静止する。
「あのー……」
何も言わずに固まってるサディ様に僕は困惑する。しばらくは棒立ちの僕達の間を、ひっそりと時間が流れていった。
「この間はごめんなさいね」
不意にサディ様が言った。唐突にそう言われ、僕は何のことだか分からなかった。
「え?」
「ほら、この前この部屋で、あなたのことを役立たずと罵ってしまったじゃない。実際にあなたは私の命を救ってくれたというのに」
なーんだ、そんなことか、と僕は思う。
「何を仰るのですか。サディ様が謝るようなことは1つもございません。事実、私はサディ様のお兄様方を救うことができなかった役立たずなのですから」
「そんなことはないわ」
サディ様はきっぱりと言った。
「私、お兄様達のことがショック過ぎて、おかしくなってしまっていたの。冷静に考えたら、あの状況であなたがお兄様達を救える訳なんかないのにね……。本当にごめんなさい」
言ってることは確かにその通りなのだが、サディ様ともあろうお方が、そんな簡単に謝らないで、と思う。
「いえ、全然大丈夫です。お気になさらずに、いくらでも私を罵って下さい」
僕がそう言うと、サディ様の方から「ふふっ」と小さく笑う声が聞こえた。それから彼女はくるりと反転し、僕の方にコツコツと近づいて来た。そのまま僕とサディ様の体が重なる。サディ様の腕が、僕の体を優しく包み込んだ。サディ様の体は柔らかく、とてもいい匂いがした。
「サ、サディ様あ!?」
僕は激しく狼狽した。こんなことがあっていいのだろうか。いや、決してよくはないだろう。僕とサディ様は奴隷と主であり、主従関係に当たる。そんな2人がこうやって抱き合ってるなんてちゃんちゃらおかしい。一体どうしてしまったんだサディ様! サディ様あ〜!
「サディ様、いけません! 私みたいな汚らわしい奴隷にそんなことをしては!」
僕は必死で訴えた。サディ様は「あらあら」と可笑しそうに言った。
「確かにあなたは奴隷。豚や馬となんら変わらない畜生よ。だから何? 時には私だって、豚や馬を撫でたり抱いたりしたいと思うもの」
なるほど、と僕は思った。確かにサディ様のような慈悲深い少女は、動物や植物に対して優しく接することだろう。
何を勘違いしてるのだ、と、僕は恥ずかしくなった。少しでもサディ様に恋愛感情みたいなものを持たれているとでも思ったのか。馬鹿馬鹿しい。そんなことがあり得る筈がないし、そんなのはサディ様ではない。
僕とサディ様はどこまでいっても奴隷とその主でしかなく、それ以上でも以下でもない。そしてそれを僕も望んでいるのだ。
サディ様の温もりを全身で感じながら、それにしても長いな、と僕は思った。
「あのー……」
恐る恐る僕は声を出した。
「うるさい」
サディ様はぴしゃりと言った。抱きしめられてるのにつっけんどんな態度。このミスマッチは何なのだろう。僕はなんともいえない気持ちになる。
それからくすん、と、サディ様の鼻が小さく鳴った。思えば先程の「うるさい」も、何やら涙声だった気がする。
「もう少しだけ、このままでいさせて……」
やはりサディ様は兄達のことで弱り切ってしまっているのだ。僕はそっとサディ様の背中に手を回すと、その華奢な体をきゅっと抱きしめた。