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ソイ兄いわく、彼はママが外にいた時の子供らしかった。奴隷に身をやつす前、ママは夫とソイ兄と3人で暮らしていたという。
夫婦は街のすみっこに店をかまえ、商売をやっていた。主に穀物を取り扱っていたという。ゆーふくとはいえなかったが、家族3人で日々生活していた。
ひどい父親だったと、ソイ兄は遠い目をして言った。気が小さいのを隠すように大酒を飲み、酔っ払ってはママやまだ幼いソイ兄に暴力をふるったという。また、父はギャンブルが大好きで、夜な夜な賭場へと出かけていった。
ソイ兄は父のことが大嫌いだった。母や自分を苦しめる悪い奴。外に出かけたまま、そのまま帰ってくるなと何度願ったかは分からない。その願いがある日通じたのだろうか。父親は家に帰って来なかった。
父が戻らずに数日が経過した。ソイ兄は喜んだ。これであの悪しき暴力から解放され、母と2人で幸せに暮らすことができる。しかしそんな幻想はすぐに打ちくだかれることになった。
ある日、家に数人の大人達がやってきた。彼らは入ってくるなり、店のあちこちを物色し始めた。彼らは家自体をぎんみするように眺めていて、その様子は決して買い物をする客だとは思えなかった。
「何なんですか?」
うろたえるママを、彼らは縄でしばり上げた。抵抗して叫び声を上げるママに向かって、1人の男が冷たく言った。
「今日から店とお前は我々の所有物だ」
ソイ兄の父は賭場でさんざん負けていて、借金はぼうだいにふくれ上がっていたらしい。追い詰められた彼は、店と嫁を売ることにしたのだ。
「やめて! 離してええ!」
大男にかつがれながら、母はわめき散らした。
「ママーッ!」
当時5歳だったソイ兄は、必死で大男にしがみついた。しかし、すぐに蹴り飛ばされた。
「ガキに用はねえんだよ」
母親を連れ去られ、ソイ兄は店の床にむなしく転がった。店の物色を続けていた1人の男が、「もうここは君の家ではないんだ。さっさと出ていってくれ」と冷たく言った。
それからソイ兄は孤児院に引き取られることになったという。なんとも胸くそ悪い話だった。
「俺は何一つ納得できなかった。なぜあの優しくて純朴な母さんが、糞親父の犠牲にならなければいけないのか。そんなことがあっていい訳がなかった」
ぼくとアミド兄は2人並んで体育座りをしながら、うんうんとソイ兄の話にあいずちを打った。
「俺はずっと母さんに会いたかった。そして再び一緒に暮らしたかった。風の噂で母さんがイジュメール家にいることを知って、俺は彼女を救い出すために、使用人として潜入することにしたんだ」
なるほど、とぼくは思う。それからもソイ兄の話は続いた。
ソイ兄は15歳の時、イジュメール家の使用人に応募した。ソイ・ブラウニーだと、チャチャ・ブラウニーの息子だとバレるかもしれないので(もっとも奴隷の名前など、イジュメール家の連中はつゆほども気にしていなかったのだが)、ソイ兄は偽名を使った。使用人の彼の名前はイソフ・ラボーンというらしい。すばらしいネーミングセンスだとぼくは思った。
なんとか面接に受かり、ソイ兄はこれでイジュメール家に潜入できると思った。しかし、面接に受かったからといって、すぐに使用人として働ける訳ではなかった。地獄の研修期間が一年ほど続いたという。
研修では使用人としての精神性や、れいぎさほーをてっていてきに身に付けさせられた。また、基礎体力の向上やにんたい力の強化など、肉体的にもきたえ上げられることになった。
ひどく辛い毎日だったが、それでも全ては母を救う為、ソイ兄は全てのカリキュラムをたえしのんだ。当初研修生は30人程いたのだが、最終的に残ったのは片手で数えられるだけだったという。
研修を終えて、ソイ兄は晴れて使用人となることができた。実際にイジュメール家の面々につかえてみて、すぐにこの一族がろくでもないことが分かったという。
ママと再会を果たした時、ソイ兄はカンゲキして身震いした。ママは小汚いせまい部屋で、同居人の女と共に閉じ込められていた。その時のソイ兄の役目は、彼女達をイジュメール家の晩餐まで連れて行くことであった。
およそ10年振りに会う母は、ひどく痩せこけていて、その年月以上に年をとって見えた。そんなママの姿に、ソイ兄は胸がぎゅっとしめつけられる思いだったという。今すぐ彼女を抱きしめてあげたい、そんな衝動にもかられた。
しかしそれはダメだとソイ兄は思う。母と接触するのはまだ早い。もしも自分達の関係が周りにバレたら、どうなることか分からないのだ。
それに自分はまだイジュメール家について全然把握できていない。脱出の目処が立ってから、彼女に正体を明かすことにしよう。
ソイ兄はそう思い、感情を押し殺して業務に集中した。
晩餐で彼が見たのはひどい光景だった。イジュメール家の男達が、女の奴隷達を次々とりょうじょくしていくのだった。
目の前ではずかしめられる母を見て、ソイ兄は怒りに震え、拳を強く握り締めた。すぐ飛び出して、男達をぶん殴ってやりたいとさえ思ったが、すぐにとらえられるだろうし、それでは潜入した意味がなくなった。
ごめん、待っててくれ、母さん。必ず助けるから。
ソイ兄は歯を食いしばり、目的を達成することを心にちかった。




