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「な、なんですか……?」
ぼくは涙をぬぐいながら、じっと見てくる同居人におそるおそる尋ねた。
「今お前、なんて言った?」
「え?」
男はやはりしんけんな表情で、ぼくの顔をまじまじと見ている。
「チャチャ・ブラウニー……」
ぼくはたじろきながらそう答えた。
「なんてことだ!」
男は突然立ち上がり、大きな声を出した。そして牢屋の中をあっちへこっちへと、落ち着きなく歩き回った。
「なぜその名前を知っている? なぜその名前を知っている? いや、分かる、分かるぞお。その茶色い髪と瞳は紛れもなく……」
彼は1人でぶつぶつと忙しそうだった。
「お前、名前は?」
いきなり男はぼくに尋ねた。
「ペ、ペプチド。ペプチド・ブラウニー」
「やっぱりだ!」
男は上体を大きくのけ反らせながら、またもや大きな声を上げた。
「な、何なんですか……?」
ぼくがあたふたしていると、その同居人は勢いよくこちらにかけよってきた。そして彼はぼくの両手を強くにぎった。
「俺の名前はアミド・ブラウニー。お前のお兄ちゃんだ!」
そうしてぼくは兄のアミドと出逢った。よくよく見ると、ぼく達はとても似ていた。顔の形や体の大きさの違いはあれど、ブラウンの髪と瞳はおそろいだったし、鼻の形もよく似ていた。
兄はぼくより2歳年上だった。彼もぼくと同じように狭い奴隷部屋でママから生まれ、ママと時を過ごし、ベリィの調教を経てからここに連れてこられたらしかった。
「この世はどこまでいっても地獄だ。自分が何の為に生まれたのかまるで分からない。尤も意味なんかないのだろうな。俺達は奴隷として、虫ケラのように生きていくしかないんだ」
兄は冷たい牢屋の中で、全てを諦め切ったようにそう語った。
「だけどそんな絶望の中で、お前に会えたことだけが唯一の救いだ。これからこの地獄の中を、互いに手を取り合って、共に強く生きていこう」
ふんいき的に、思わずぼくはこくりとうなずきそうになるが、いや、ちょっと待て、と踏みとどまった。
「いやいや、抜け出そうよ、こんなクソみたいな所。これから一生こんな所で働き続けるなんて、そんなのぼくイヤだよ」
兄はうつろな目でこちらを見ている。
「そんなの俺だって、いや、誰だって嫌に決まってる。だけど逃れられる訳ないじゃないか」
そう言うと、兄の目は部屋の中をぐるりと見回した。当然ぼく達は、檻と壁に囲まれていた。
「この監獄から抜け出すことなんて不可能だ。それに万が一ここから脱獄して外に出れたとしても、イジュメール家の敷地は高くて分厚い塀で囲まれているんだ。見張りだっている。俺達は日々を粛々とこなしていくしかないんだよ」
キッパリと兄にそう言われ、ぼくはむしょうに腹が立った。
「うるさい! そんなのやってみないと分からないじゃないか! 何をそんなに諦め切っているんだよ! ママはぼくに、きっとお兄さん達が助けてくれるって、そう言ってたぞ! 全然助けてくれないじゃないか!」
「いや、無理なもんはどうしたって無理なんだよ。それに助けてくれるってのは、精神的にとか、そういう意味で母さんは言ったんだよ。普通考えたら分かるだろ」
「うるさい!」
その時、どこからかドタドタと足音が聞こえてきた。その音はだんだんと近づいてきて、やがてぼく達の檻の前で止まる。ちらと見ると、そこに見張りの使用人が立っていた。
「うるさいのはお前達だ。そんなに罰を受けたいのか?」
その茶髪の使用人の手には、しっかりとムチがにぎられている。
「すみません。もう大人しくします。ほんとすみませんでした」
兄は召使いみたいにうやうやしく言った。使用人はしばらくこちらをじっと見ていたが、やがてその場から立ち去っていった。
「ほら見ろ。この監獄にだって見張りはいるんだ。どう頑張ったって無理だろう」
ぼくは何も言い返すことができず、押し黙った。
「ちゃんと現実を見るんだよ。そして余計な希望は抱かないことだ」
そんな全てを悟ったように言う兄を、やはりぼくは好きになれないと思った。




