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月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なりとはよくいったものだと思う。
専属奴隷としての日々は一日一日が濃密で、一瞬一瞬がかけがえのない時間だった。鍛錬と愉楽に塗れた日々の中を、僕は手探りで、懸命に泳ぎ続けた。
気付くと僕は10歳になっていた。
眼前の火の輪はとても高い位置にある。もう少しで炎が天井に届くのではないかという勢いだった。
「さあ、青太郎。潜りなさい」
サディ様に言われて、僕は四つ脚で駆け出した。思い切り地面を蹴り上げる。僕は宙を高く舞い、火の輪の中心を綺麗に潜り抜けた。そのまま重力に従って、僕はすとんと地面に降り立つ。まるで猫のような、美しく静謐な着地だった。
「素晴らしいわ」
サディ様にそう言われて、僕はこの上ない喜びを感じた。
僕の手足には、スイカ程もある大きな鉄球付きの枷がはめられている。サディ様は僕のお尻を鞭で叩いた。
「さあ、行くのよ青太郎」
「Heheeeeeeeen!」
僕は四肢に科せられた重みを物ともせず、サディ様を乗せて部屋の中を走り回った。
「いいじゃない青太郎」
そう言ってサディ様は僕のお尻を鞭で叩く。僕はさらにスピードを上げた。
「ふふふふふ」
サディ様のおしとやかな笑い声が、僕の何よりの栄養である。
眼前の鉄球はやはり馬鹿でかく、僕はそれから伸びるピアノ線の先にある、革のグリップ部分を犬みたく噛み締める。
「上げなさい」
サディ様にそう言われ、僕は首を持ち上げた。そのまま四つん這いの体勢を維持し続ける。鉄球の重みは感じるが、今の僕にとってはさほど苦ではなかった。
「そのまま私がいいって言うまでキープするのよ」
サディ様はそう言うと、ソファーに座って本を読み始めた。僕は彼女の言う通り、その体勢を維持して、微動だにしなかった。
1時間程が経っただろうか。サディ様は読書に集中なさっているようだった。流石に疲労は覚えたが、それでも僕はまだまだ同じ体勢を維持することができた。
不意にサディ様が顔を上げてこちらを見る。彼女はその可愛らしい瞳をぱちくりさせて、「あら」と、思わず漏れてしまったかのように声を出した。
「まだやっていたのね。すっかり忘れてしまっていたわ」
薄々そうではないかとは思っていた。そりゃないぜと僕は思う。
「それにしても青太郎。あなた、中々成長したわね」
サディ様に褒められて、僕はこの上なく嬉しい。
「あいあほーおあいあふ!」
僕は革のグリップを噛みながら、感謝の意をサディ様に伝えるのだった。
広大な農園の中を、僕はマッチョ奴隷と2人で馬車を引く。広がる田園風景はとても長閑であるが、あちこちに奴隷と監督官が点在していて、彼らの圧倒的なヒエラルキーの差から繰り出される暴力は、中々の剣呑さだった。
御者台に乗った使用人から、僕達も間欠的に鞭を浴びる。籠の中にはサディ様とベリィ様が乗っていらっしゃる。
今の僕達は彼女達を街まで運ぶ馬に過ぎなかった。そういうと普段は違うみたいだからちゃんちゃらおかしい。僕達はいつだってイジュメール家の馬であり豚であり犬であり、奴隷なのだ。
前方の畑に見知った童の姿が見えた。ペプチドは僕の存在に気付くと、やはりいつものように、作業しながらじーっとこちらを眺めるのだった。
そのきらきらとした瞳は親愛を映しているかのようにも見えるし、何かしら伝えたいメッセージがあるかのようにも見え、全く何も考えていないようにも見えた。
僕はその絡みつくような視線に鬱陶しさを感じながらも、それなりに見返してやるという優しさを見せた。
ペプチドの横を通り過ぎた後、なんとなく気になってちらと振り返ると、案の定彼は未だこちらに熱視線を向けていた。
不意に御者台から鞭が飛んでくる。僕はさっと向き直ると、ぱっからぱっからと走行を続けた。




