13
「サディ、分かってくれ。私は忙しいんだ」
「そんな……」
サディ様の悲しみが、部屋の入り口にいる僕のところまで漂ってきた。あんなに可愛らしいサディ様が頼んでいるのだから、少しくらい言うことを聞いてもいいのにと僕は思う。
その時、廊下の奥から慌ただしい物音が聞こえてきた。そちらを見ると、茶髪の使用人が額に汗を浮かべ、一生懸命こちらに向かって走ってきていた。
僕は彼の気迫に押されて後退りする。使用人は僕なんかに目もくれず、凄い勢いで部屋の中に飛び込んでいった。
「申し訳ありません! ハード様ぁ!」
部屋に入るなり、彼はスライディング土下座を決めた。そんな慌ただしい使用人を見て、伯爵はおやおや、と声を出した。
「あれがサディが撒いてきたという使用人かい?」
「ええ、お父様。すっかり撒いてしまったわ」
「そうかそうか」
「どうかお許しをぉ! ハード様ぁ!」
使用人は切実に言った。伯爵は顎に手を当てると、うーむと唸った。
「そんなことを言われてもな。貴様の犯した失態は、使用人としてはあってはならないことだ」
男は絶望したようで、床に手をついたまま呆然としている。
「しかし貴様のお陰で、こうしてサディに会えたことも事実だ」
その言葉を聞いて、茶髪の使用人の表情はパァッと明るくなる。
「ハード様ぁ!」
「だからといってお咎めなしという訳にはいかない。貴様は鞭打ちの刑だ」
使用人は何が起こったのかまるで分からないようだった。唇の端から、彼は「ハード様……」と、伯爵の名前を小さく溢した。
「サディ、鞭は持ってきているかい?」
今度はサディ様が顔を輝かせる番だった。
「ええ! 持ってるわ!」
「それでは一緒にあいつを懲らしめようじゃないか」
「お父様!」
そうして2人は茶髪の使用人に鞭を浴びせた。その勢いは物凄く、スコールの如く男の体を打ち付けるのだった。
サディ様の表情はとても生き生きとしていて、すこぶる楽しそうだった。そんな娘の姿を見て、伯爵も満足そうに微笑んだ。2人はぴたりと息を合わせ、何度も何度も鞭を振るい続ける。
「ぐぴゃああああ!」
使用人の叫声が響く。僕は彼のことを羨ましく思いながら、父娘のささやかなひと時を、物陰からひっそりと見守った。
「今日は街にお出かけしましょうか」
僕達が部屋に入るなり、ベリィ様はサディ様に向かってそう言った。
「やったー。お出かけお出かけ」
頭上で無邪気に喜ぶサディ様の声を聞いて、彼女もやはりまだ幼い子供なのだと思う。
「そうと決まったら早速出発しましょう」
ベリィ様はそう言うと、パチンと指を鳴らした。
「馬と馬車を」
「はっ!」
部屋の片隅にいた使用人が、やはり俊敏な動きでその場から去っていくのだった。
4人のマッチョ奴隷達が、玉座ごとベリィ様を運んでいる。彼らのすぐ後ろを、僕はサディ様を乗せてついていった。
館の玄関扉が開かれると、目の前にゴージャスな馬車が現れた。全体に金の装飾が施されたそれは、嫌でも人目を引くだろう。日光に照らされて、金の光沢が鋭く光った。
玄関の前で待機していた使用人が、馬車の扉を開け、ベリィ様とサディ様を迎え入れた。彼女達は迷うことなくそこへ乗り込んだ。
使用人が4人のマッチョ奴隷達から2人を選出し、慣れた手付きで首輪とハーネスを取り付けて馬車へと繋いだ。これでは馬車ではなく人力車だといえそうだが、彼らも僕同様、イジュメール家の馬に過ぎないので、全く馬車で間違いはなかった。
作業を終えた使用人が御者台に乗ろうとした時、籠の中からサディ様の「使用人、青太郎も繋いでちょうだい」という声が聞こえた。
「とはいってもサディ様、奴はまだ子供です。足手纏いになるかと……」
使用人がそう言うと、サディ様は「構わないわ。彼なら大丈夫だし、何事も経験させないと」と返した。
「はあ……」
渋々といった感じで、使用人は僕を馬車に繋ぐのだった。




