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僕が決めあぐねて唸っていると、天使は呆れたように「あとは奴隷くらいしかないわよ」と言った。
奴隷という言葉を聞いた瞬間、僕の鼓動が高鳴るのが分かった。
それは憧れだった。僕はずっとずっと奴隷になりたかった。
「奴隷にさせてください」
気付くと僕はそう口走っていた。それは本能から湧き出た言葉であり、反射的に発せられた。
「は?」
天使は怪訝そうな顔でこちらを見た。何を言っているのだろう、こいつは、と、彼女の思惑が容易に想像できた。眉間に皺を寄せる天使の周りを、光のラメが瞬き煌めいている。
「僕を、奴隷に、生まれ変わらせてください」
ゆっくりと、力強く、僕は明確な意志を相手に伝えた。整った天使の顔が更にくしゃくしゃに歪んでいく。
「はあ? あんた何言ってんのか分かってんの?」
「はい、分かってます。夢だったんです。ずっとずっと、奴隷になりたかったんです」
天使は心底呆れ果てたように僕を見た。その冷え切った目はうんこのうんこでも眺めているかのようだった。
「いや、奴隷とかめっちゃキツいからね。自由とか人権もないし、劣悪な環境で一生こき使われるんだから」
「覚悟しています」
「覚悟してんじゃねえよ、きめえなあ」
天使は心底不快そうに言った。
「それに今のあんたはよくっても、来世のあんたはどう思うかしら。記憶はリセットされるのよ」
「え、そうなんですか」
「当たり前じゃない。あんた前世の記憶あるの?」
確かにそうか、と思う。記憶を失った僕はどうなってしまうのだろうか。
「記憶を引き継ぐとかできないんですか?」
「できる訳ないじゃない。そういう決まりなの。だからあんたの記憶も転生前に消させてもらうから」
どうしたものかと僕は困ってしまう。記憶が無くなった自分を想像することができない。
「生まれ変わったら性癖なんかも変わるんですかね?」
「知らないわよ」
僕は考える。何も無くなった自分、真っ新な自分を。
思えば僕の性の目覚めは幼稚園の頃だった。かおりちゃんという女の子がいた。園児達の中で一際体が大きく、いじめっ子だった。僕は彼女に打たれたり、電気あんまをされることで快感を覚えていった。
いや、違う。僕はそれよりもずっと前からMだった。かおりちゃんを避けようと思えば避けれた筈なのに、自ずから彼女に近づいたのだった。
いじめられたかった。かおりちゃんに虐げられることを望んでいた。ナチュラルボーン、ドM。僕にもう迷いはない。
「奴隷にさせてください」
「あんた話聞いてた?」
「ちゃんと考えてみたんです。僕がドMになった要因は環境によるものだったのか、本能的なものだったのか。僕は物心ついた頃から既にドMでした。それはきっと来世でも変わらない。頼みます、天使様。どうか僕を奴隷に生まれ変わらせてください」
僕は地面に両膝をついて頭を下げた。きっと僕を見下ろす天使の目は酷く冷たく、絶対零度にまで達していただろう。なんなら僕の後頭部を踏みつけてくれたって一向に構わない。
それから僕の頭上で天使が大きく溜息を吐くのが聞こえた。
「後悔しても知らないからね」
僕は心の底から彼女に感謝した。
それから本格的に親決めに入った。
「奴隷に親もクソもないだろうけど」
天使の言葉は尤もだった。事実僕にとってそれはどうでもいいことだった。親よりも所有主、サディスティックで麗しい貴婦人に隷属することができたら本望だった。僕がそんな希望を伝えると、天使は相変わらず軽蔑しきった目を僕に向けた。
「まあ、概ねあんたの糞キモい希望通りにしてやったから、感謝しなさい」
天使にそう言われ、僕は地面に這いつくばった。
「本当に何から何までありがとうございます。この御恩、本当にどうしたものか。なんなら私めをいくら甚振ってもらっても構いません」
「マジきもい」と天使の冷たい声が響く。
「キモすぎるからさっさと私の前から去りなさい。転生」
彼女がそう言うと、辺りは閃光に包まれたかのように真っ白になった。眩い光の中で、僕の意識は朦朧としていく。そんな中、天使の慌てふためく声が聞こえてきた。
「あっ、ちょっと待った! まだ記憶消してなかった、ストップ! ストーップ!」
やがて僕の意識は途絶えた。