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狭い奴隷部屋にペプチドの泣き声が響く。
こいつはいつも泣いてんな、と僕は思う。しかしここのところその程度は減少傾向にあった。今日の彼はギャン泣きである。
サディ様という年端の変わらない主の登場に、まだ残されていた僅かなプライドがずたずたに引き裂かれたのであろう。あんなのはご褒美めいたプレイの一環でしかないというのに、一々傷付いて馬鹿みたいだと思う。
僕は大の字になって冷たい床に寝そべった。馬として酷使した手足がきりきりと痛んだ。それは名誉の負傷である。僕がサディ様を乗せて駆け回ったあの時間が、思い出の中できらきらと輝いている。
それからもサディ様は度々僕達の元に訪れるようになった。
十字架に磔にされた僕とペプチドの前に、イジュメール家の母娘が鞭を片手に立った。
「さあ、サディ。叩いてみなさい」
「はい、お母様」
サディ様はそう言うと右手を大きく振り上げた。
「うぐぅ!」
ペプチドの胸に鞭が炸裂する。僕ら奴隷が着ている薄い麻の服では、肌に直接ダメージを受けるのと大差なかった。彼の胸には真っ赤なみみず腫れが残るであろう。尤もそれはドMにとって勲章でしかなかった。
「もっと手首のスナップを効かして。こういう風に」
ベリィ様の鞭が僕の胸を打った。スパーンと綺麗な音が響いた。
「ぼへみあ〜〜ん!」
僕は歓喜の叫び声を上げた。サディ様は熱心にベリィ様の所作を見入った。
「こうかしら?」
再びサディ様がペプチドに鞭を入れる。「うぎゃあ!」と彼はだらしない悲鳴を上げた。
「そう、いい感じよ」
ベリィ様は愛娘を褒めながらも、再び僕に鋭い鞭を入れた。
「らぷそでぃ〜〜!」
母娘は交互に目の前の奴隷を打擲した。パンパンスパパーンと、鞭打つ音をベースとして、僕達子豚は歌うのだった。
僕とペプチドは赤いトゲトゲの首輪をはめられて四つん這いになった。首輪からは鎖が伸び、その先端はサディ様の手の中にある。
「今日のあなた達は私の犬よ。飼い主に従順な犬畜生と化しなさい」
いつもイジュメール母娘の犬に過ぎないというメンタリティなので、普段となんら変わらないと僕は思う。馬でも犬でも何にでもなります。
「おすわり」
サディ様にそう言われると、僕とペプチドはお尻を床につけた。
「うんこ次郎、お手」
サディ様はペプチドの前に左手を差し出した。ペプチドは以前のように反抗することはなく、死んだ目で彼女の手の平に右手を乗せた。
「おかわり」
もちろんペプチドは次に差し出されたサディ様の右手に左手を乗せた。
「ちんちん」
やはりペプチドはだらんとした両手を胸の前に掲げた。生気のない目からしても、それはまるで幽霊のようだった。
「よくできましたー」
サディ様にお褒めの言葉を授かっても、ペプチドは全く嬉しそうではなかった。相変わらず死人のように佇んでいる。
「だけどー」
サディ様は右手を後ろに振りかぶった。
「可愛くない!」
サディ様の掌底が、ペプチドの顎に食い込んだ。ペプチドは「ぐるこさみん」と言いながら後ろに吹っ飛んだ。なんて理不尽で素晴らしいのだろうと僕は思う。
「青太郎、お手」
サディ様は何事もなかったかのように僕に左手を差し出した。もちろん僕はそれに右手を乗せる。
「おかわり」
やはり僕は差し出された右手に左手を乗せる。
「ちんちん」
例に倣い、僕はそのポーズをとった。
「よくできましたー」
それは身に余るお言葉だった。僕はとても嬉しく思うが、その先のことに意識がいった。撲たれてソフビの人形のように飛んでいくペプチドの姿がフラッシュバックする。僕も今にそうなるのだと思うと胸が高鳴った。
ところが、サディ様が腕を振り上げることはなかった。彼女は僕の頭に手の平をポンと置く。
「よーしよし」
彼女の手が左右に動いて、僕の頭を撫で付ける。はわわ、何てことだと僕は驚愕する。自分のビジュがいいからであろうか。予想とは違ったが、これはこれで素晴らしかった。興奮した僕は犬の如くハアハア言い、舌をだらんと垂らした。
「きめえ」
結局僕はばちこんとビンタを受けた。後ろに倒れながら、僕は今という幸福な時間を充分に噛み締めた。




