第21話 誘い
「こんなことで、嘘なんか言わない。マジに成績が壊滅した。
で、うちの高校で遠足があったのは話したよね?」
「寄席に行った話なら聞いたよ」
「あれ、今から考えると、自力で東京に出て学ぶっていう選択肢を与える目的だったんだと思うよ。でさ、自分の中でもいろいろと整理できなくて今まで言わなかったけど、江戸城を見てきた。
坂井さんは、見たことある?」
恵茉は、少し警戒するような表情になった。小桜がなにを言い出すのか怖いのだろう。政治的な話に踏み込む気はないのだ。
「ないなぁ。
上野から南や東には行ったことがない」
それでも、恵茉は小桜の問いに答えた。
「だよね。俺もそうだった。
だけど、400年前の江戸城の規模とそれを裏打ちした富を考えたら、俺、歴史観がまるっと変わってしまったんだよ。あれは、ちまちました出土品とかをガラス越しに見ていても、掴みきれない感覚かもしれないな。世界最大規模の城かもしれないよ、あれ」
「大仙陵古墳を見た感覚かなぁ?」
恵茉はそう聞いてくる。政治的な話なのか、確認を取る意志が裏には隠されているはずだ。
元より小桜は、そのような話をするつもりではない。
本題の話として、大仙陵古墳を見た感覚と江戸城を見た感覚は違うと小桜は思う。一言で言って、触れない歴史と触れる歴史の違いなのだが、それを体感したときのショックを言葉で伝えきれる自信はない。
「中学の修学旅行で見た、というより遠くから眺めたよね。でも違うんだ。あれも大きくて、入れないからわけがわからなくて凄かったけど、あれ以上に具体的に来るものがある。高低差もあるし、ずっと大きいし、目的が見える軍事施設だからかもしれないけど、それ以上に具体的に歴史に触れるんだ。
だってさ、桜田門を通れるんだぜ」
「えっ!?
桜田門外の変の?」
「そうだよ。
俺だって、史跡として残されているとは予想していたけど、まさか通れるとは思っていなかった。そしてさ、その規模たるや」
恵茉は、驚きとともに目を瞠っている。
※
歴史の教科書に載っているようなものには、直接触れることはできない。これは関西圏を除く地方都市に住んでいると、いつの間にか刷り込まれてしまう誤った常識だ。教科書に載っているような遺物を博物館のガラス越し以外で見ることなどないのだから、自然とそういうものと思い込んでしまうのだ。
なので、中部から関西に抜けて旅行する際には、「関ヶ原IC」「小牧IC」「 長久手IC」などに驚き、「賤ヶ岳サービスエリア」に呆然としたりするのだ。歴史用語が実在の地名として、次々と目前に現れるのだから……。
「政木城と……」
「俺も比較対象はそこだったけど、比べ物にならないよ。調べたんだけど、内郭面積だけで25倍以上あるし、となると縦横の距離で5倍の規模ってことになる」
「なんか、全然ぴんとこない……。
今日の小桜さんの話、わかんないことばっかだ」
小桜は、前に恵茉の言っていたことを思い出す。「小桜さんがいてくれて、小桜さんだけは私の話を理解してくれたし……。小桜さんだけが、私に理解できない話もしてくれた」と。これは、恵茉がわからないことに嫌悪感を持つような人間ではないことを示している。
とはいえ、わからなさすぎる話は相手を不快にさせる。それもわかっている小桜である。
「そりゃそうだ。俺だって立場が逆だったら、坂井さんと同じこと言っていると思うもん。実際に見たかどうかの差しかないよ」
そう言いながら、小桜の胸に賭けの計画が浮かぶ。珍しく、勝率とオッズの両方が悪くない賭けだ。
「そうだ、俺、JRの切符が2枚余っているんだ。青春18きっぷは5枚セットで買わなきゃだし、受講日数は23日間だからね。
で、それを使って、一緒に見に行かない?」
「えっ、それは悪いよ……」
「余り切符だし、勉強会だし」
小桜はさらに押す。
かつてなかったというほどの、押しの一手である。あの恵茉と三城の不吉な夢を見ていなかったら、ここまで押すことはなかっただろう。
「俺ももう一度見たいし、調べたら江戸城の周囲にはいろいろな史跡もある。そういうの、きちんと見ておいた方がいいと思うんだ。絶対に、あとあとから効いてくるよ、こういう知識」
「……そっか。
じゃあ、見てみようか。小桜さんの受けたショックっての、私も感じられるかはわからないけれど」
ついに恵茉が折れた。
「それは保証するって」
そこはもう、自信満々で保証する小桜である。
「じゃあ、次の土曜でどうかな。お盆は避けたいだろうし」
恵茉からの実行日の提案に、内心舞い上がった小桜だが、その思いが顔に出てしまうのは必死で押し隠そうとしている。これはデートではない。勉強会なのだ。そう押し通さねば、魚が網から逃げてしまうかもしれない。
「うん、俺、いろいろ調べておくよ。あと、歩ける服装と足回り、夏だから日焼け止めは必須かもね。江戸城一周コースはジョギングコースになっているぐらいだけど、だからって足に豆ができたらキツイからね」
「わかった。私もいろいろ調べてみるよ」
「よろしくお願いします」
そう言って、お好み焼きの鉄板を挟んで頭を下げ合う2人である。見ている者がいたら、その初々しさに嫉妬していたかもしれなかった。
その後、雷害で止まっていた政木に帰る電車が復旧し、2人は新幹線に乗った。小桜も非常時用にと親から持たされていた1万円に手を付けるが、これは大っぴらに使える機会でもあった。新幹線ホームはごった返しており、列車の中の混雑は予想がついた。そんな状況の中に恵茉を放り出すのは躊躇われたし、恵茉の父と恵茉を無事に送り届けるという約束もしていた。
小桜の両親も文句は言わないどころか、逆にここで使わなかったら小桜を叱るだろう。
小桜はなんとか自由席を1つ確保し、恵茉を座らせてその横に立った。
申し訳ないと小さくなる恵茉に、「レディ・ファースト」と告げ、小桜は文庫本を手に取る。あまりの混雑に恵茉と話すのは無理だったし、恵茉という異性に対してがっついているとも思われたくなかった。
これで、高校生男子が外見を取り繕うのも、なかなかに大変なのである。
数ページ文字を追い、ふと視線を下に向けると恵茉のノートが目に入った。
時間を惜しんで数Ⅰの問題を解いているのだ、
それを見た小桜は戦慄していた。恵茉は、小桜のノートを見た。そして、その解法をすでに使っていた。
速い。
1問解くのにここまで速いのは、割り算をほぼまったくしていないからだと見ていてわかる。分数の形にして、できる約分だけして、あとで辻褄を合わせる。これで、具体的な数値計算は1回だけで済んでしまうのだ
小桜の心中は複雑だった。
恵茉が苦手な科目を克服したのは良いことだ。だが、それは同時に手強いライバルを自ら作ってしまったことになる。中学の時に一度も勝てなかった相手に、大学入試戦線においても連敗するのは避けたい。
ただ、1つだけ言える。小桜が絶対的に恵茉の上に立てるだけの勉強し結果を出せば、この先葛藤は発生しない。
小桜はその困難さを思い、小さくため息を吐いていた。
※
人の勉強した跡を眺めるだけで、瞬時に超えてくる奴っているんですよねぇ。
なかなかに、付き合うのがしんどかったりするのだ。だが、そういったものまで含めての友情であり、恋。
そういう友人、恋人は、実は誇らしくもあったりして……。
次話、「再びの東京散策1」。いよいよデートだ、デート。いや、勉強会だったな。
本日分の表紙は、掌編小説(140字)@縦読み漫画(原案)配信中@l3osQbTDUSKbInn さまからいただいた第Ⅵ弾に変更です。
ありがとうございますー。本当に感謝なのです。




