ラズリアの過去②
数時間後、青年が目を覚ました。魔力が多少回復して目覚めたようだった。
「あれ、俺は……」
『目を覚ましましたか、人間』
声に驚いたのか、青年は慌てて起き上がろうとする。が、魔力がまだ回復しきっていないのかフラフラと座り込んでしまう。
『まだ安静にしていないといけませんよ。魔力はひと眠りした程度では全快しませんから』
「せ、精霊様……俺が起きるまで、待っていてくれたのですか……?」
『えぇ、貴方を助けたのはただの気まぐれでしたが、貴方に興味を持ちました。少し、私の元で師事を受けてみませんか』
ラズリアは青年の目の前に手を出す。
「師事……? 精霊様は、俺に何かを教えてくれるのですか?」
『えぇ、権能の使い方――剣と、魔法の使い方を教えましょう。貴方は、私の師事を受ける事で強くなれる』
「権能というのはよく分かりませんが……これもまた、精霊様の気まぐれですか?」
『えぇ、ただの気まぐれで、暇つぶしです。貴方は強くなり、私は暇をつぶせる。良い条件ではありませんか』
青年は差し出された手を見つめながら悩む。確かにラズリアは青年にとって命の恩人だ。しかしながら本人が言うには気まぐれに助けたと。そんな者を信じてよいのだろうか? ……悩むだけ無駄だろう。恩がある以上、断れるはずがない。
青年はラズリアの手を取る。
「分かりました、師事を受けます。俺としても、強くなりたいと思っていた所です」
『ふふ、そうですか。良い暇つぶしになる事を期待しています。私は精霊、ラズリアです』
「俺は、カルロスです。姓も無いただの平民ですが、お師匠様。ご指導の程よろしくお願いします!」
こうしてラズリアとカルロスの、精霊と人間の奇妙な師弟関係が生まれたのであった。
それからラズリアがカルロスに教えたことは、言葉にするだけであれば簡単な事だった。
剣の扱いを教え、魔力の使い方を教える。ある程度使えるようになったら魔物と戦わせ、戦闘の経験を積ませる。
カルロスからしてみれば、辛い日々の連続だった。血反吐を吐こうが訓練は終わらず、魔力を使い果たして倒れても叩き起こされる。魔物との戦闘もいくら傷付き剣が振れなくなろうともラズリアの回復魔法で治され即座に戦闘復帰させられる。弱音を吐く暇すら与えられぬ訓練は、次第に内容も規模も大きく膨れ上がっていった。
そんな日々が続けば強くなるのも当然であり必然。
カルロスは魔物を狩ることで国に認められ、爵位と姓を受け与えられる。それでも訓練は続き、ラズリアはカルロスが今以上に強くなる事を望み、カルロスはラズリアへの恩を返すことは自分が強くなることだと思い必死に喰らいついていった。
そして気が付けばカルロスは数々の魔物討伐に於ける武勲が認められ、王になるまでに至った。建国されたばかりの小さな国であったから、武勲を立て続ければ王になるのは当然であろう。
ラズリアがもたらした魔力や権能に関する知識は国の糧となり、平民にまで浸透していく。
ここに至るまでに四十年。流れるように過行く日々は、長いようで短く。ラズリアは最高の暇つぶしができたと思うに至る。
『カルロス、良い暇つぶしとなりました』
「はっはっは、何を仰いますかお師匠様。まだこれからですぞ」
歳を重ね低くなった声を出しながら、カルロスは言う。
カルロスは王となり、既に結婚もし子をもうけた。王としての責務もあるし、歳の影響もあり自由に前線に繰り出すことは出来ず、『剣聖』としての腕は打ち止めとなりかけている。
『いいえ、ここまででしょう。貴方はこの四十年間、私に良い暇つぶしを与えてくれました。これは賞賛に値しますよ』
「なっ……! まだお師匠様の元で研鑽を積みたく存じます!」
カルロスは誰もいない王の広間で声を響かせる。
しかしながらラズリアはその声に応える事はできなかった。
『カルロス、これからは私の事は忘れ国務に励みなさい。そして、私の――精霊の存在を口外しないように箝口令を敷きなさい』
「何故ですかお師匠様! この大恩、まだ返しきれていません!」
『四十年前に魔物に襲われていたのを助けた事ですか。それを未だに恩と感じているとは思いませんでしたね』
「王になれたのもお師匠様のお陰です! それ以外にもお師匠様の教えは民草にまで至ります! この国は、お師匠様がいたからここまで大きくなったのです!」
カルロスの言う事は事実だ。
誰であろうと容易に権能を調べる事ができる水晶を生み出すことができた。魔力や魔物に関する知識を教え説く学院も設立した。これらは全てラズリアがもたらした知識によるものだ。それらに付随する冒険者ギルドや商業ギルドの設立も説明するまでもないだろう。
『恩と感じているのであればカルロスよ、一つ頼まれてくれないか』
「何なりとお申し付けください」
『口伝にて次代の、そしてこれから先の王に精霊の存在を伝えなさい。そして、私が現れた時に願いを聞き入れるように、と』
「そ、そのような事で良いのですか……?」
『えぇ、構いません。いつ現れるかは分かりませんが、この口伝、しかと後世に伝えるように』
「この命に代えましても、必ずや」
カルロスは地に膝を付け頭を垂れる。これまでの敬意を最大限に払って、もう一人の母を慕う子のように。
『カルロス、この四十年は非常に愉快でした。再び相まみえる事を心から願っています』
ラズリアはそう言うと、光を霧散させカルロスの前から姿を消す。
「お師匠様……お慕い、しておりました……」
誰もいない広い王の広間には、せせりなく声のみが木霊した。