王子様は虐げられた平民の少女を救いたい
その光景を見かけたのは偶然だった。
「いいからさっさと寄越しなさいよ!」
「でも、これは私ので……ちょっと、ルリナちゃん……乱暴にしないで」
学園の廊下で、茶髪で猫のようなつり目のいかにも気の強そうな令嬢が、淡い金髪を三つ編みにした大人しそうな女生徒から髪飾りをむしり取っていた。
「じゃあね~」
「ルリナちゃんったら……」
髪飾りを奪い取った令嬢はご機嫌な様子で教室の方へ歩いていき、残された金髪の女生徒は肩を落として溜め息を吐いている。
「なんだ、あれは」
「あの茶髪はルリナ・ホレイショ子爵令嬢ですね」
「殿下、あの女生徒は青リボンなので平民でしょう」
私の疑問に、傍にいた側近達が答える。
この学園には貴族も平民も通っているが、貴族は赤、平民は青とリボンで色分けされている。学園内では身分の上下に関係なく過ごすことが許されているものの、平民からすればそれと知らずに貴族に無礼を働くことがないように目印があってほしいという意見からリボンで見分けがつくようにしているのだ。
そうすると、今の光景は貴族が平民から物を奪っていたということになる。
この学園内でそんなイジメが行われているとしたら由々しき事態だ。王族として見過ごせない。
「ホレイショ子爵令嬢だな。少し調べるぞ」
「はっ」
私は側近達を引き連れて実態調査に乗り出した。
調べた結果、わかったのはあの女生徒がルリナ・ホレイショ子爵令嬢の従兄弟だということだ。名前はケイト。幼い頃に両親が亡くなり、ホレイショ家に引き取られたらしい。
引き取っただけで養女にした訳ではないのか。ケイトの母親は平民に嫁いだとはいえ、元は子爵令嬢だ。ホレイショ家を継いだ兄は実の妹の忘れ形見であるケイトを蔑ろにしているのだろうか。
それから昼休みになって、食堂で食事を終えて教室へ戻る途中に私はまた件の二人を見かけた。
「ちょっと、ケイトちゃん! 私、あのおかず飽きちゃった! 明日から別のにしてよね!」
「……じゃあ自分で作ったら?」
「嫌よ。何で私がそんなことしなくちゃいけないのよ。そういうことをする必要があるのはケイトちゃんでしょ。ケイトちゃんの料理の腕前が上がるように協力してあげてるんだから感謝してよね」
ルリナは我が儘な振る舞いでケイトを困らせていた。
どうしてケイトが料理をしているんだ? 子爵家には料理人がいるだろうに。
まさか、ケイトを使用人扱いしているのか。
その後も、たびたびルリナがケイトに我が儘を言っているのを見かけた。
「ケイトちゃん! 私の宿題のプリントは?」
「はい。ここにあるわよ」
ケイトが鞄から取り出したプリントを奪うルリナ。自分の宿題をケイトにやらせているのか。
「ケイトちゃん! お菓子もらったけど私の口に合わないからあげる!」
「ありがとう……私もこんなに食べられないけれど」
不味いお菓子を押しつけるルリナ。口に合わない物や気に入らない物をケイトに押しつけているのか。
「はあ? これ、あの伯爵家の令息からの手紙じゃない! また貰ったの隠してたわね、ケイトちゃん! 駄目よ! 私がちゃんと断ってきてあげるから、ケイトちゃんはここで大人しく待っていてよね! ついてこないでちょうだいね!」
「ルリナ……っ、でも私やっぱり……」
伯爵家という格上の相手がケイトにラブレターを送ったのがよっぽど気に入らないのか。手紙を奪うとケイトを置き去りにして自分が伯爵令息に会いに行ったようだ。相手は目を丸くするだろうな。呼び出したのとは違う相手が来て。
しかし、これで決定だな。ケイトはルリナに虐められている。おそらく、家でも冷遇されているのだろう。
王子としてこの学園で貴族の横暴は見過ごせない。
なんとかしなければと思っていた矢先、またしてもルリナがケイトに絡んでいるのを見かけて私は止めに入った。
「ケイトちゃんってば眠そうね。昨夜は遅くまで刺繍してたんでしょ。絶対に今週中に間に合わせなさいよね」
「わかってるわよ……」
「おい、ホレイショ子爵令嬢!」
私が割って入ると、ルリナとケイトは振り向いて目を丸くした。
「で、殿下?」
「えと……」
いきなり私に声をかけられて驚いているようだ。まあ、学年も違って接点もないから無理もない。
「それ以上、ひどい真似は許さないぞ! 彼女から離れろ!」
「え?」
私はケイトを背に庇い、ルリナを睨みつけた。
「私の目の前でこれ以上彼女を傷つけさせない! イジメは止めるんだ!」
「え、ちょっと……」
「ケイト嬢。君の苦しみはわかっている。でも、もう大丈夫。安心しろ。私が守ってやる」
「はい?」
ケイトは戸惑っている。怯えているのかもしれない。
無理もない。両親を亡くし伯父に引き取られたものの、子爵家で冷遇され使用人扱いされ、従姉妹から虐げられてきたんだ。
「あの、いったい……」
「言い訳は後で聞こう。おい、ルリナ嬢を連れて行け」
私は側近達に命じてルリナを別室に移動させようとした。そこでイジメについて白状させよう。
「ちょっ……何するのよっ!?」
「ルリナちゃん!?」
捕まえられそうになってルリナが暴れ出した。
「やめてよ!」
「ルリナちゃんに何するの!」
「大丈夫だ、ケイト嬢。これから彼女には自分の罪と向き合って貰うから……」
「はあ!? ……ちょっと! ルリナちゃんを放しなさいよこの変態どもっ!!」
側近達がルリナを抑え込もうとしたのを見て、ケイトが僕を突き飛ばして側近に跳び蹴りを食らわせた。
……ん?
***
「つまり、殿下達は私がルリナちゃんに虐められていると思っていた訳ですか?」
仁王立ちになったケイトに尋ねられ、私は正座したまま頷いた。
「なんだってそんな誤解をしたんですか!」
「えっと、最初に、髪飾りを奪われているのを見かけて……」
私がそう言うと、ルリナはちょっと首を傾げてから「ああ」と言ってぽんっと手を打った。
「私がケイトちゃんの緑のリボンと交換して貰った日のことね」
「ああ……」
ケイトも思い当たったようで目を瞬かせた。
「私とケイトちゃんは髪飾りやアクセサリーは共同で使ってるんです」
「ほとんどルリナちゃんのものだけど、私にも使っていいっていってくれて……あの日はルリナちゃんが朝寝坊して」
「寝ぼけてたから間違って、赤いリボンをつけようとして茶色のリボンをつけちゃったのよ。茶色は嫌いだし私の髪の色と似ているから目立たないし……だからケイトちゃんに交換して貰ったの」
「でも、ルリナちゃん。あの茶色のリボンの方が私の緑のリボンよりずっと高価で手触りもいいのに。私のは安物よ。子爵令嬢がつけるようなものじゃ……」
「でも茶色は嫌いなの! お父様のプレゼントだけど、趣味が悪いんだから!」
「じゃあ、ケイト嬢に弁当を作らせて、おかずに飽きたと文句を付けていたのは? 子爵家なら料理人がいるだろうに、なぜケイト嬢に作らせているんだ?」
「あれは……えっと、私、卒業したら結婚しようと言ってる恋人がいて……平民なんですけど」
「ケイトちゃんは花嫁修業をしているのよね。うちのシェフに料理を教えてもらって、私は味見係りなのよ」
「シェフが作った方が美味しいのに、ルリナちゃんは私の練習に付き合ってくれてるんです」
「宿題をやらせていたのは?」
「そんなことしてません。自分でやってますよ」
「ああ、殿下は誤解しているんですよ。ルリナちゃんは忘れ物が多いから、宿題とか大事な物は私が鞄に入れて学校で渡すようにしているんです」
「口に合わないお菓子を押しつけていたのは……?」
「ちゃんとしたお店のちょっと高級なお菓子なんですけど、私は昔からアーモンドが苦手で……」
「美味しいって評判のお菓子だから、クラスの女の子がよく持ってきて交換したりするのよね。いらないとは言えないから受け取って、後でこっそり私にくれるんです」
「伯爵令息からの手紙を奪って自分が会いに行ったのは……?」
「私はルリナちゃんに迷惑かけたくないから、自分でちゃんと断ろうと思ったんですけど……」
「ケイトちゃんには恋人がいるし、何回も断っているのにあの男しつこいのよね! ケイトちゃんが会いに行くのは危ないから、私が代わりにがつんと言ってやったの!」
「夜遅くまで刺繍をさせていたのは……」
「来週の頭がケイトちゃんの恋人の誕生日なのよ~。一針一針愛を込めてるのよね~?」
「私、不器用なので頑張らないと間に合わなさそうで……」
なんてこった。全部、私の思い込みだったのか。
虐められているどころか、むしろすごく仲よしじゃないか。
物事の表面だけを見て、一方的に片方を悪人だと決めつけてしまった。
なんと狭量で視野が狭かったのだろう。ルリナの見た目が強気そうで、ケイトは大人しそうだと見た目の印象でも先入観を持ってしまっていた。
「申し訳なかった……」
「まあ、殿下の目には私が悪役令嬢でケイトちゃんがヒロインに見えたのね! ケイトちゃんって昔からお転婆で男の子とも平気で喧嘩しちゃう子なのに、見た目は可憐だものねー」
「やめてよ、ルリナちゃんったら……平民の悪ガキを相手にして育ってきた私と子爵家のご令嬢のルリナちゃんなら、普通に考えて私の方が逞しいに決まってるでしょう」
「私のお父様が、ケイトちゃんが男の子だったら私と結婚させて跡継ぎにしたのに、って残念がっていたわよ?」
「伯父様はそういう冗談がお好きなんだから……もう!」
話を聞こうともせずに善悪を決めつけようとした自分の愚かさを思い知った私は、この一件についてをレポートにまとめ、自分の失態を父上に報告した。
父上と母上からはルリナ嬢とケイト嬢にお詫びの品が贈られ、私に対しては少々のお小言と「よい経験になったな」という励ましの言葉を頂いた。
私は自分の恥をさらすことになるが、思い込みで他人を裁こうとしてはいけないという教訓を伝えるためにこの失敗談を他の貴族にも伝えることした。この話を知った貴族は自分の子供達に「殿下と同じ失敗をしてはいけない」と言い含めて教育したようだ。
ルリナとケイトには謝ったが迷惑をかけてしまったし、もう少しでルリナにとんでもない傷を負わせてしまうところだった。猛省しているが、彼女達のおかげで自分の未熟さを思い知ることが出来た。
その後、とある男爵令嬢が私の婚約者に虐められていると訴えてきたが、私は婚約者と男爵令嬢の双方から事情を聞き、婚約者の冤罪を晴らすことが出来た。
男爵令嬢はとても愛らしくて庇護欲をかきたてる容姿をしており、流す涙も本物に見えたため、以前の私だったら疑うこともせずに鵜呑みにしてしまったかもしれない。
だが、失敗した経験があったために慎重に対処することが出来た。
失敗は人を成長させるのだな。
今思うと、あの時失敗していたおかげで私は自分の認識を疑うことを知ったのだ。自分は間違っていない! などと思い上がるような人間にならずに済んでよかったと思う。
おかげで婚約者とは良好な関係のままでいられるし、嘘をついた男爵令嬢は罰として停学と謹慎処分になった。しかし、男爵夫妻が娘の虚言癖を重く見て領地へ送ったため、恐らくもう学園にも社交界にも戻ってこないだろう。
ケイトは卒業するとすぐに平民の恋人と結婚して子爵家を出たそうだ。
ルリナはなんとケイトに懸想していた伯爵令息と婚約した。何度もケイトを守って直接断りに来る勇敢さに伯爵令息が陥落したらしい。最初は可憐な容姿のケイトに惹かれたそうだが、「ケイトちゃんに近寄らないで!」とぷりぷり怒るルリナがだんだん子猫みたいで可愛く見えてきたらしく、現在では結構な溺愛ぶりだという。
さてと、私も婚約者とのお茶会に行くか。
あの一件の前までは、婚約者のことを「きつい顔立ちで気位の高い才女」だと思い込んでいたが、男爵令嬢の件をきっかけによく話すようになると、実はなかなかおっとりした性格で少々危なっかしいことが判明した。取り巻きを引き連れていると思っていたのは、時々思いも寄らぬ天然ぼけを発揮する婚約者を心配して友人達が連れ添ってくれているだけだったらしい。
まったく、物事というのは見た目だけで判断してはいけないな。
終