賽の河原_5
懺悔する。俺はこの懺悔を、今までの話に出てきた同期たちを含めて今この瞬間俺と関わってくれている全ての人に捧げる。読み手のあなたも例外ではない。「この物語の書き手」は、今この瞬間これを読んでくれている読み手のあなたに向かって、告白する。
俺はうつ病だ。1年ほど前から心療内科に通院しており、投薬による治療を行っている。
うつ病は、病気だ。当たり前の話だ。この際、障害と言ってもいい。脳が通常じゃないんだ。抑うつ状態になるようなホルモンを脳が出しており気分が落ち込み、現実を認識する方法が悲観的な方向に変わっていく。俺はそういう障害を抱えている。これは自分が犯した罪でもなければ、それに対する何かしらの罰でもない。ただの病気だ。よって、俺はうつ病であることを懺悔はしない。断固としてしない。そこに俺の罪はないからだ。俺が負い目を感じる必要は少しもないからだ。
俺が懺悔したいのは、病気であることをいつまでも認めなかったことだ。
心の違和感には5年ほど前、大学入学の直後から気が付いていた。頑張ろうとすると、苦しかった。楽しいと感じることが減っていた。身体的な不調もあった。休んでも遊んでも、その違和感が取れることは無く、むしろ膨らんでいった。皆と一緒に学び、皆と一緒に遊べばいつか治ると思っていた。いつか俺も皆と同じ、「普通」になれると思っていた。けれどもそれは今思えば、喉が渇いている時に海水を飲むような行為だった。皆の「普通」にあてられてどんどん悪い方向にいった。俺の心の中で、「普通」の概念はどんどん肥大していき、俺を圧迫していった。
本当にありがたいことに、それほどまでに心が苦しい俺でも大学を卒業するところまでは出来た。皆と同じことが出来ているのが嬉しかった。大学院に進学したのだって、なんやかんやと理由を付けながら、皆と同じが良かったからなのではないかと思う。今の今まで側にいた皆にそのままついて行けば、俺の苦しさは無くなってくれるのだと信じ込んでいた。
大学院に入学する直前の春に、俺は完全に潰れた。他の皆はそれぞれの生き方を自分で頑張って見つけていた。彼ら自身が何の為に生きるかを見定めて、それに心血を注いでいた。きっと本当は、初めからそうだったのだ。今までは皆と同じことをしていればよかった。何かしらが、その模倣の頑張りを認めてくれた。それが、「みんなと同じように」の具体的なレールが無くなった瞬間に、俺は完全に途方に暮れた。そこから自分で頑張ってみようなどという気力は残っていないのだった。
こんなにも辛い生をわざわざ生きている理由が本格的に分からなくなってきて、それでも死ぬのは怖かった。この頃にはもう色々と自覚していた。入学即休学して、病院に行き、うつの診断をもらい、薬を飲み始めた。
薬の力は凄まじい、とまでは行かずとも、薬で良くなっているなと自覚することは出来た。調子に乗った俺は、あろうことか薬を自己判断でやめてしまった。すぐに悪化した。また病院に行き、先生に優しく注意を受け、また薬を飲み始めた。それからしばらく、学校に通うこともなく、本当に何もせず、ただ薬を飲んで休んでいた。なんとなく良くなった気がしていた。また「普通」に戻れるかもしれない、そう思った。呆れたことに、この期に及んで俺はまだ「普通」に固執していた。「普通」に戻りたくて、会っていなかった人との関わりを急に増やし始めた。「普通」の人はうつ病の薬なんて飲まないから、また自己判断でやめた。そうして、ここで書いたこの話に至るのであった。
大学に入る前からその気があったのかもしれないが、俺は、他の皆についていって安心したいのだった。俺がやりたい事というのは特に無いのだった。逆にそれでいて良くここまで、大学を卒業するに至るまで、積み上げてこられたなと思う。でもそうやって積み上げたものだって人の真似っこに過ぎないんだ。ここに来て休んでしまうような俺に取ってはなんの意味もないものなのだ。休学したての病んでいた時期はそう考えていたし、今回の、ドライブにいった日の帰り道にもそのような思考に至ってしまうのだった。
俺が懺悔したいことがもう一つある。それは、病気で歪んだ認知のもとで物事の判断を行なって、不必要な思い込みや不合理な行動を取ってしまっていたことだ。
初めに書いていた神社でのお参りの話で、俺は何度も「気遣い」があったと思い込んでいたが、もっとシンプルにこうは考えられないだろうか。3人はただ友達だったのだと。仲が良い3人が五円玉1枚でケチなお参りをして、真ん中に居たやつが調子に乗って冗談を言った。それだけで全部説明出来る事だ。物理的に存在するわけでもない「嫌な寒気」だのを持ち出して長々書く話よりは、よほど合理的ではなかろうか。
いやそれよりも、一番初めに書いてある
「一緒に行った者のうち2人は正直そこまでは仲良くない」
こんなこと本当に、よく書けたもんだ。
この2人のうち男の方、五円玉の彼とは、学部時代2年の秋学期から3年の終わりまでずっとお互い気に掛け合ってた。ツイッターとかでずっと話していた。そういえば彼も病みがちだった。随分と、元気そうになっていたな。最近2年間は話していなかった、それだけだった。女の方とはなんと、2年前のドライブ、夜にお台場の海に行ったまさにそのドライブに、俺は一緒に行っていたのだった。一緒にお台場のクッソ汚い海に入っていた。その女の子が怪訝な顔をしていたのはもしかしたら、俺の記憶の欠落(と書くと仰々し過ぎるので、こんなものは単に、ド忘れと書けばいい)がもとになって会話にいびつな所が出ていただけかもしれなかった。
俺の脳味噌は現実の認知を捻じ曲げて、昔の記憶も封じ込めて、コンプレックスを感じてしまうような友達は「友達」じゃなくして、「気を遣ってくれる自分より凄い人」とか「自分とはあまり関わりのない人」に全部書き換えて、書き換えられた自分の認知の中で健常ぶって生きて、健常になったと思い込んだら薬もやめて、それで限界が来たら泣いて、死のうとして。
そんな事してて何になる?
一つ、分かったことがある。俺の認知が、現実の世界を変えることなんて有り得ない。俺の認識の仕方一つで世の中の事実が変わるなんてことはない。
俺は大学を卒業した。大卒の学歴はオールマイティパスでもなんでもない。しかし、俺がそれを意味のないものだと思ったところで、俺が勉強して、大学を卒業した、という事実は変わらず、事実そのものとしてあり続ける。
俺は大学で色々な人と関わった。全員が友達ではないかもしれない。でも事実として、2年間も関わりがなかった昔の知り合い同士で遊んだ。それはある程度の仲がいい友達と言って良いかもしれない。少なくとも、俺の認知一つで、知り合いが知り合いじゃなくなることなんて起こり得ない。俺の思考だけで友達が友達じゃ無くなることも無い。(こっちは、俺がそれを望む場合を除いて、ではあるが。)
ただ、俺の行動が現実を変えることは起こり得る。友達の前で泣いた、それで友達がいなくなってしまうのは、まあ残念だけれども、仕方がないよね。そういうふうにして、思考と行動を一つ一つ区切って考えてみるのが、今俺が出来る最善の心構えだと思う。
彼は俺が電車を降りる直前に、「申し訳ないとは思わないでほしい」と言ってくれた。この言葉を聞き取ることが出来て、それを覚えており、ある程度咀嚼できるまでに心が落ち着いて来たのは、幸運だった。
彼と俺は友達だろう。彼とだけでない、ドライブの日に居た同期のみんなと俺は、友達だろう。それが、今の俺の認知に基づいた判断である。
今更ながら、俺のことを気にかけてくれている人がたくさんいることが、見えてきた。俺はその人たちに迷惑を掛けているのかもしれないが、何か良い影響も与えることが出来ているかもしれない。マイナス面を考えるのならば、プラス面も同時に考えるのが合理的だろう。
まずは、病気の症状である認知の歪みや激烈な辛さを和らげるために、再び病院に行き、薬をもらうことから始めるのが合理的であろう。先生にはもう少しきつく注意されるかもしれないが、それは俺の行動が原因なのだから仕方がないだろう。
こんな具合で、もちろん完璧ではないだろうが、自分の感情や思考を世界の事実と切り分けて考えてみることを、少しずつ始めて行こうと思う。
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ここまで「俺」の懺悔に付き合ってくれた、この物語の読み手のあなたに感謝する。この物語は創作である。現実世界にいる書き手が体験した事をベースに書いたお話かもしれないし、書き手の全くの空想上のお話かもしれないし、その中間くらいかもしれない。一応、この物語の書き手は「俺」ではない、そういうことにしておいてほしい。しかし、書き手の悩みや苦しみを物語中の「俺」に投影してことは認める。もう一度、これを読んでくれたあなたに、感謝を。「俺」は、そしてこの物語の書き手は、あなたが見ていてくれたおかげで救われた。本当にありがとう。
これからも生きていこうと思う。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
初めての執筆ですので読みにくい箇所等があったかと思います。これから精進して参ります。
感想等あれば是非お書き込みください。お待ちしております。今後の励みになります。