賽の河原_1
懺悔する。俺には、親より早く死んでしまった、もっと生きていたかったであろう子供たちと混じって、賽の河原で石を積む資格も無いのだ。そんな話をする。
今日、大学の同期5人でドライブに行った。一緒に行った者のうち2人は正直そこまでは仲良くない、会うのも2年振りくらいの男女1人ずつだった。もう2人はこんな感じになってる俺の事をちょくちょく気にかけてくれてた男女1人ずつ(とはいえ数ヶ月に1回しか会わない)だった。
今年は皆が大学院に入学して2年目であり、学生最後の年だった。他の皆は学業や研究と並行して、つい最近までみんな就活を頑張っていたのだった。俺はというと、なにも頑張って来ておらず、来年からの身の振り方は当然のように未定であった。俺以外の頑張った皆は、既に企業からの内定を貰っていた。車内で就活お疲れさまの話題になるのは当然の流れだった。
そうなるだろうなという覚悟はしてたし、
(ここで出てくる「覚悟」というワードチョイスがもう俺の心の奥底を表しているのだが…)
ここ最近は心の調子が良くて、このメンツならまあ楽しめるだろうなと踏んで参加した会なので、初っ端から楽しめないならそんなもん行くなと言う話なのである。実際みんなの企業の話もちゃんと面白かった。楽しく聞くことができた。
最初の停車地に決めていた海水浴場に寄った。まだ6月ではあったが暑かったこともあって、サーファーとか、ダイバーとか、上裸の兄ちゃんとか、ウェットスーツの可愛いねーちゃんとか、とりあえずもう夏だった。また、とあるスクールアイドルアニメの聖地だったらしく、そっちの方を見ると厚めの長袖を着た、まだ夏じゃないオタクが少し居た。
少し歩くと大きめの鳥居があって、当然そこから先は神社の境内だった。俺は鳥居をくぐる前に一礼するタイプの人間だ。けれども別にそこに誇りとかを持っているタイプの人間ではなかった。よく分からない久々に会う同期がいる中、堂々と歩いて行って深々とお辞儀をするのは正直恥ずかしかった。
卑怯な俺は、そこで、歩調を緩めて5人の中で最後尾を歩き、他の人が鳥居の前でどうするかその様子を伺う事にした。内心では「こういうの礼した方良いよね」とか言いながらペコッとしてくれたらいいな、とか思いながら。すると、前を歩いていた全員が当然のことのように鳥居を前にスっと立ち止まり、深々と一礼をした。
少し予想外ではあったが、俺にとって嬉しい誤算であるのは間違いなかった。別に俺は信心深いとか、家が神道だとかそういう訳では無い。俺にとって鳥居の前で頭を下げる行為は、言ってしまえば、単なる広義のルーティーンに過ぎない。神への祈りとかでは決して無い。その「ルーティーン」がこの場にいる全員に共通したもので、別に恥ずべき事なんかでは無いんだよ、という確認が取れたという一点のみにおいて、俺は嬉しかった。少しではあるが、この場に居やすさを感じられた。5人のうち最後に深々と頭を下げながら、俺は確かにみんなと同じなんだという安心感を感じて、境内に入った。
道を進んでいくと、御神木とか、凶のおみくじを結ぶやつとか、段々と神社チックになってきた。お賽銭箱もあったのでお参りもする流れになったのだが、俺ともう1人(そこそこ俺と仲が良い男女1人ずつのうち男の方)が財布を持っていなかった。そこで、もう1人居た男(2年ぶりの2人のうち1人)の五円玉1枚で、男3人いっぺんにお参りしてしまおうという事になった。
なんだそれ、て話ではある。でもやっぱりこの状況も、内心俺は嬉しかった。俺と同じだ。結局こいつらの信心深さも、その程度のものなのだ。鳥居の前で頭を下げるのは神様がいるからじゃなくて、ただの習慣だからそれに従ってるだけなんだ。この場にいる全員の信心深さの度合いを下側からも上側からも測定できて、その測定値の範囲の中には確かに俺も居た。それだけで俺は満足だった。
3人横に並び、五円玉を1枚だけ投げ入れて、二礼二拍手一礼の習慣に倣い、男3人は頭を2回下げる。パンパン、と手を合わせた後のほんの少しの沈黙。真剣に神に祈る神聖な時間では無く、いつも通り、自分の中の叶えたい願いを洗い出すための妄想タイムだった。そこに神聖さを見出せない罰当たりな俺でも、この静かな時間は好きだった。
「勤め先が見つかりますように。」
不意にポロっと口走ってしまった。もちろん口を開いたのは俺だった。
軽率だった。俺を挟んで両脇にいる2人の空気がほんの一瞬、いや0.7瞬くらいだけ寒くなった。嫌な寒気だった。
(しまっ…)
おれが(た)と思うよりも先に、五円玉を出してくれた2年ぶりに会う男が「フフっ」と笑ってくれた。あの「フフっ」は確実に、俺へのフォローだった。彼本人的にもほとんど無自覚の、脊髄反射的なフォローだと思う。
俺はまだ(しまった)と思いきってはいない。(しまっ…)で「フフっ」が入ってきてくれたおかげでその気持ちがかき消された。
そうだ、俺は今ただ、ジョークを言っただけなんだ。この場を和ませるための、これはただのちょっとブラックな自虐だ。そう思い込むことが出来た。思い込む、と書くと不正確になってしまう、ほとんどわだかまりもなく、俺は本当に、素直にそう思えたのだった。嫌な寒気もすぐに消えていた。俺の気持ちは軽かった。なんの変化も起きなかったと、そう言って差し支えなかった。
二礼二拍手一礼の習慣に倣い、最後の一礼を3人ともニヤつきながら終えた。その後で顔を見合わせて
「笑っちゃったわ。」
「ちょっと、ツッコミづらいやつやめてほしいんだよなあ」
と笑い合った。
俺は、気持ちが軽いを通り越して、調子づいていた。俺はその瞬間、自虐で笑いを取った話題の中心だった。
「口に出すと叶わないとか言うからな。」
調子づいている俺はまた、軽率に口走った。男2人は自然に笑ってくれていた。気を遣わないという気遣いだった。馬鹿な俺はそんな気遣いにも気付かず、楽しく得意気になっているただの道化だった。
いや、違う。全然違う。全部だ、全部が間違っている。
これを書いている今、やっと分かった。やっと思い出した。
気遣いだの何だのって、馬鹿か俺は。全部間違っていた。
何が間違っていたのかは最後に書く。周りの人たちから見たら当たり前すぎて、馬鹿馬鹿しすぎて、もう。
書いている途中に懺悔したいことが変わってしまった。もう日付も変わってしまっている。
とりあえず話を進めようと思う。
5人はそこから、10分程歩いた。不必要にあえて書くのならば、和気藹々と歩いた。神社チックな感じは段々と薄くなり、小道
(参道、と呼ぶほど立派ではなかった。こんなこと言って、俺はどこまでも罰当たりなやつだ。)
からは海辺が見えてきた。
海水浴場のように砂浜がある訳でもないし、かといってゴツゴツした岩礁のような感じでもない。片手で持てるくらいの大きめの石から、頑張れば両手で持てるくらいの小さめの岩までが敷き詰められた海岸だった。これを書いている今調べたのだが、そういう海岸を岩石海岸というらしい。岩石たちは波に削られてすっかりと丸くなっていた。波打ち際では水飛沫が起こっていた。海水浴場でのそれよりは大きな、しかし、映画の最初に出てくるような岩礁でのそれと比べるとずっと小さな、可愛いくらいの水飛沫だった。
青い空と静かな飛沫を上げる海。そしてもう少し近くに視点をやると、所々に、健気に積み上げられた石の塔が、ぽつぽつと、あった。
賽の河原だ。
親よりも早く天に召された子供が、その罰として冥土にある河原で石を積み続け塔を作る。やっと積み上げたと思った頃合で鬼がやって来て、塔を全部蹴飛ばしてしまう。子供は泣きながら、またその石を積み直す。永遠に、積んでは蹴飛ばされ、積んでは蹴飛ばされる。
女の子2人が石の塔を指差して
「これ何?」
と聞いた。他の男2人は黙っていた。賽の河原を知らなかったのか、単に女たちの声が聞き取れなかったのかは知らない。俺は賽の河原の話をし始めた。別に俺は、この空想上の逸話を皆に教えてやりたい訳では無かった。ただその場の繋ぎにとも言えるし、黙っていると俺の口が寂しいから喋っているだけなのであった。そんな調子で話すもんだから、俺が話し始めて間も無く女2人は男2人とともに、目の前の綺麗な景色の方に興味が行ったようであった。鬼がやって来て蹴飛ばすくだりを話す頃に少し大きめの飛沫が上がり、その音に掻き消されて、俺の声は誰の耳にも拾われていない気がした。
まあいいか、と思いながら、そんな事よりも俺は海に入りたい気分になってきた。
こう書くと唐突に思われるかもしれない。実際唐突ではあるのだが、俺に言わせれば海に入るための条件は色々と整っていた。裸足になっても足が砂で汚れない。足場も良い。いや、足場が良くはないのだが、角がない石なもんだから裸足で踏んでも痛くないし、なんというかこう、グラグラして心をくすぐられるような、程よく悪い足場なのである。さらに、ここに来るまでの車内で、2年ぶりに会った方の女の子が、以前行ったドライブでお台場の海に足だけ浸かった話をしていた。お台場のレインボーブリッジの下の海なんて、言ってしまえばクッソ汚いのだ。大学生の深夜のノリでもないと入れないだろう。その子の性格的に、当時だって進んで入りたくは無かっただろうが。というわけで、この綺麗な海に俺が入っても、別におかしいってことは無いだろう。そんな風に俺は頭の中で、海に入りたいというこの衝動を正当化する理由を数えていた。
俺は小道を外れ、波打ち際に向かってわざとらしく大股で歩き始めた。
他の皆の方も振り向かずに一目散に歩いていき、ギリギリ濡れない地点でしゃがんだ。とても綺麗な海だった。
入りたい。これは入っても良いだろう。入らねばなるまい。
少し後ろに下がって、靴を脱ぎ靴下を脱ぎ、ズボンを膝上まで捲った。その頃には他の皆も俺の近くまで来てくれていて、笑っていた。
俺は海に入った。海に膝の下位まで浸かった、別にただそれだけだった。皆が陸の側から「冷たくない?」とか「あんまり深く行くなよ」とか話してた気がする。あんま冷たくない、普通に気持ちいい、いやもうちょいいけるっしょ、なんて答えて、チャプチャプ浸かっていた。その間皆はただ、笑っていた。
そろそろ上がらねばなるまい。
30秒くらいして俺はそう感じた。事前の見立て通り、砂もゴミも無いため足も汚れず、乾いて程良く熱い石を踏めば足の水気もすぐに無くなった。靴を置いた場所にしゃがみ込み、俺は海を見渡した。海はただの海だった。
振り返って陸の方を見た。皆は既に、元いた小道に向けてゆっくりと帰り始めていた。靴も履き終わって、すぐにでも合流できる状況ではあった。それでも俺は、前を歩く皆よりもさらにゆっくりと、わざと皆との距離が開くようにして前を追った。
海に入ったのは俺1人だけだった。以前にお台場のクッソ汚い海に入ったはずの彼女も、その話を車内で「そういうの学生のうちにやりたさ、あるよね」と聞いていたはずの他の3人も、海には入らずに、ただ陸からニコニコしていた。
小道に戻ろうとする彼らが通り過ぎて行った足元には、2つの小さな石の塔があった。それらに気を留めることもなく、彼らは談笑しながら歩いて行った。ゆっくりと歩く俺がその2つの塔の所に辿り着く頃には、彼らは皆、小道に戻っていた。
俺がさっき水に浸かったところまでの丈よりも低い、ただただ健気な塔たちだった。ここに来る観光客が、祈りを込めてなのか、ただ前例に倣ってなのかは知らないが、とりあえずそうやって出来た祈りの象徴だった。その意味を知らない者からは見向きもされない。それを見ているとなんだかむず痒くなった。ここに居る中で俺だけが子供な気がした。
俺は右足を伸ばして、足の裏を石の塔に当てた。そのまま、優しく力を込めた。