そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.9 < chapter.7 >
クジラ救出後、参加者たちは海の家『ラ・パチュカ』で祝杯を揚げていた。
一杯目はサザンビーチ管理組合の奢り、二杯目以降は自腹という祝勝会だが、あれだけの数のクジラを、一頭も死なせることなく救い出せたのだ。誰もが誇らしい気持ちで、威勢よく二杯目、三杯目をオーダーしている。
参加者が程よく盛り上がってきたところで、ターコイズが手を叩いた。
「はい、注目~っ! もう皆さん勘付いておられると思いますが、ここで感動のビッグイベント! なんと! ここに生き別れの、双子の兄弟がいます!」
既に酔っ払いだらけの祝勝会だ。この上さらにおめでたい話があるとなれば、テンションが上がるのも必然。一斉に指笛が吹き鳴らされる。
ターコイズとラピスラズリは、それぞれグラスファイアとグッドシュプール氏を引っ張り出してくる。
「こちらのグレンデル君と店長のアレクサンデルさんは、同じ母親から生まれた双子の兄弟です! 各種記録は王立騎士団情報部が確認済み! 間違いなく、確実に、二人は双子の兄弟です!」
「今日はこの二人の、二十九年ぶりの再会の日です!!」
騎士団の制服を着た二人がそう言うのだから間違いない。皆一斉に拍手し、祝福の言葉を贈る。
アレクサンデルは店長らしく慣れた仕草で一礼し、はにかみ顔で挨拶した。
「皆さん、お祝いの言葉をどうもありがとうございます。えーと、実は、今日は騎士団の人が来る、としか聞かされてなかったんです。まさか、兄弟を連れてきてくれるなんて……本当に、素敵なサプライズをありがとうございます!」
粋なことをしやがって、と盛り上がる店内。続けて視線を向けられたグラスファイアは、逃げ場のない空気に押されて一礼する。
「その……ありがとうございます。俺は本当に何も聞かされてなくて、双子の兄弟がいること自体、ついさっき知った感じです。正直、どんな顔していればいいのか……」
と、言いながらアレクサンデルを見ると、アレクサンデルは泣き笑いで両手を広げていた。
兄と全く同じ顔の、もう一人の『お兄ちゃん』。
その笑顔を前にして、ヘーゼルは平静を保っていられなかった。
ワッと泣き出し、アレクサンデルと抱き合う。
この男の中身が『妹の生霊』で、彼女がどれだけの時間と悲劇を経験してきたか。それは誰にも分からない。外見上は生き別れの兄弟が再会を果たし、感動のあまり泣き崩れているようにしか見えないのだ。
店内には割れんばかりの拍手が鳴り響いていた。
祝勝会もお開きになり、グラスファイアと情報部の二人は海沿いの道を歩いていた。
真っ暗な浜辺に、寄せては返す波の音。夜でも賑やかな観光地の喧騒も、今のグラスファイアの耳には届かない。
自分の兄弟は一人ではなかった。
けれどもいまさら、彼と親しくするわけにもいかない。なぜなら、今の『グレンデル・グラスファイア』は中央最大勢力のエランドファミリーで、若頭という肩書を与えられているからだ。さきほどの周囲を巻き込んだ『感動の再会』も、情報部側の脅迫でしかない。あえて言語化するならば、いつでもお前の兄弟を人質に取れるぞ、といったところだろう。
今夜は泊っていってくれ、との申し出も、断るしかなかった。これ以上アレクサンデルと関われば、彼と、彼の妻の身に危険が及ぶ。今の自分には、騎士団以外にも敵が多いからだ。
せっかく見つけた『お兄ちゃん』とは、もう二度と会えない。
残酷すぎるこの状況に、グラスファイアは誰を責めることもできなかった。この状況を作り出したのは他ならぬ自分自身。壊れてしまった兄の心を元に戻すための行動が、結果的に、もう一人の兄との『絶縁』を決定づけてしまった。
どこまでも皮肉な運命に、グラスファイアは呪いの言葉を吐き捨てる。
「畜生……畜生! このクソッタレ! どうしていつも、こんなことばっかり……!」
無言で後ろを歩く大きな二人は、幾度か視線を交わし合い、声をかけるタイミングを図っていた。
そしてフッと物音が途切れたところで、ラピスラズリが声をかける。
「グラスファイア。お前にはちょっとしんどい話かもしれねえけどな? もう一つ、知らせておきたいことがあるんだ」
グラスファイアは足を止めた。
街頭の下で、振り向くことはせずにこう返す。
「なんだよ。もうこれ以上、何があるって?」
「この間の屋敷でお前がぶん殴って気絶させた長髪の男な? あれ、お前の従兄だぜ?」
「……嘘だろ?」
「嘘じゃねえよ。これ見ろよ。祝勝会の間に送ってもらった、あいつの母ちゃんの若いころの写真だ」
「……」
振り向いたグラスファイアの顔には、何の表情も無かった。どんな顔をすればいいのか分からなかったのだろう。無表情のまま、両の目から、涙が滂沱と頬を伝う。
「……どういうことだ……?」
「お前だけじゃなくて、お前の母ちゃんも双子だったんだよ。ラ・パチュカには『双子は不吉』って言い伝えがあった。だからお前の母ちゃんの妹は、隣町の夫婦に預けられた」
「……母さんの、妹……」
「この人が産んだのが、お前がぶん殴ったうちの隊員だ。間違いなく従兄弟同士なんだよ。お前らは」
「……いまさらそんなこと知らされて、どうしろってんだよ……」
「分からねえか? それなら教えてやる。『何もするな』って意味だ」
「……」
「こんな意味のねえループ、もういい加減終わりにしたいんだよ。救えねえモンは救えねえ。でも、お前は天涯孤独なんかじゃない。それだけの話だ」
「……なるほどな。分かったぜ。お前か……」
「あ?」
「毎回毎回、『リセットボタン』を押していたのはお前だな?」
「だったらなんだ?」
「決まってんだろ? こうするんだよ」
「っ!」
ノーモーションで放たれた氷の魔法に、ラピスラズリは対応できなかった。
顔の左半分が氷に覆われ、反射的に身を屈めたところに《衝撃波》を食らい、後方に吹っ飛ばされる。
「ぐ……っ!」
相方が攻撃されて、ターコイズがただ眺めているはずがない。グラスファイアはターコイズからの攻撃に備えていたのだが、それは無かった。
「……なんだ?」
ターコイズはこちらに手を伸ばしかけた中途半端な姿勢のまま、ピタリと動きを止めていた。
「……止まっている……のか?」
真上の街路灯に群がる蛾の群れも、宙に浮いたまま動かない。
色とりどりに点滅していた歓楽街のネオンも、同じ色のままである。
世界のすべてが静止している。
「……これはお前の仕業か?」
数メートル先の路上に転がった氷まみれの男は、楽しそうにくつくつと喉を鳴らす。
何も答えず、こちらを見つめる目だけで答える。
それがどうした?
その目がどうにも恐ろしく、グラスファイアは咄嗟に身を引いた。
けれども、すでに手遅れである。
「う……っ!?」
どこからともなく降り注ぐ灼熱の石礫。これは戦時特装時の限定技、《スヴィティ》だ。しかし、ラピスラズリは変身していない。これがどういうことかといえば――。
「イイイィィィーヤッホオオォォォーウッ! おいおいどうした!? こっちの世界の自分さん、ちょお~っと弱すぎなんじゃねえ!?」
ラピスラズリがもう一人いる。
グラスファイアがこの状況を理解する前に、『もう一人のラピスラズリ』はこちらの世界では存在しない武器、魔導式自動小銃『イクスピエイター』を発砲していた。
この武器は撃ち出せる弾が魔弾《ティガーファング》に限定されているため、余計な切り替え機構が存在しない。ターコイズの『ヘヴィーゲイジ』と同じく、チャージタイムゼロで連射可能な非常に強力な武器である。
「オラオラオラオラアアアァァァーッ! とりあえず死んで詫びろやあああぁぁぁーっ!」
このラピスラズリは、グラスファイアがシアンを殺したことで強制停止した、『最初の世界』の住人だった。世界そのものが強制停止してしまったため、生きることも死ぬこともできず、今も時空のはざまに存在し続けている。こうして別の並行世界で『ラピスラズリ本人の意思による一時停止』が行われた場合のみ出現できる、非常に限定的な助っ人なのだ。
だが、グラスファイアにそんな裏事情は分からない。
「ウオラアアアアアァァァァァーッ! ブチ抜けえええぇぇぇーっ!!」
貫通力に特化した《ティガーファング》での、同一箇所への高速連射。これを防げる防御魔法は存在しない。
「が……あ……っ!?」
《魔法障壁》を貫通し、グラスファイアの腹に大穴を開ける魔弾。
グラスファイアは血と内臓をぶちまけて昏倒し――と、そこまでは良かった。
異変が起こったのは次の瞬間だ。
世界に鐘の音が響く。
「なんだ!?」
「どこから……!?」
空のすべてがその音を奏でているような、深く、複雑な反響音。美しくもあり、同時に畏怖の念を禁じ得ないその音は、ゆっくり、ゆっくりと回を重ねていく。
二人のラピスラズリは空を見上げ、それぞれの世界のフェンリル狼に問う。
「これ……時計塔の鐘か……?」
「こんなのはじめて聞くぜ? 何が起こっている?」
問われたフェンリル狼たちは揃って顕現し、声を合わせて答える。
「「強制介入だ!」」
それはなんだ、と訊くより早く、その答えが示された。
空が割れ、巨大なゼンマイ時計が姿を現す。その時計の針は、文字盤の上を高速で逆回転していて――。
「まさか……おい、嘘だろ!? またあの日からやり直せってのか!?」
「勘弁してくれよ! 『振り出しに戻れ』って!?」
「さて、どう思う、もう一人の私。この男の存在についてだが……」
「シアンと同じだろうな。この男がここで死ぬと、世界のどこかに矛盾が生じるのだろう」
「とすると、やはり、既に確定した何らかの未来があるということか」
「だろうな。でなければ、こう何度も『やり直し』を要求されることも……」
「おいフェンリル!? カミサマ同士で勝手に納得してないで、分かりやすく説明してくれ!」
「これはどういう状況なんだ!?」
訊かれたフェンリルたちは、面倒事を押し付けるように互いの肩を小突き合い、ウゥーッと威嚇し合った末、こちらの世界のフェンリルが解説役に選出された。
「四月にピーコックが担当した案件を覚えているか? これから建てようとしているビルが、なぜか七千年も前の『遺跡』として出土してしまったあの件だが……」
「ああ、忘れようったって、忘れられるモンでもねえだろ。あんな不気味な案件」
「あの『遺跡モドキ』が発見されたおかげで、私たちが『現代』だと思っているこの時間は、すでに誰かが通過した『過去』であることがハッキリした。私たちよりもさらに先の時間軸に到達し、そこから七千年前まで、馬鹿げたスケールのリセット&リトライを実行した者がいる」
「……で?」
「私たちにとっては『未来』の時間軸で、グラスファイアは何か重要な役割を与えられている。彼がそれを為すことは、この世界の運命の中に『確定事項』として存在する。よって、その『確定事項』に反する事象が起きた場合、世界は矛盾が生じていない時点まで強制リセットされる、というわけだ」
「それがあの地震の前日か? ってことは、あの地震はただの自然現象じゃなかったのか?」
この問いに、フェンリルは首を横に振る。
「そうとも言い切れない。地震そのものは関係なく、ただ単に、その日に起こった何らかの事象が運命の分岐点となった可能性もある」
「面倒くせえな。結局二十年も前からやり直すのかよ。せっかくラスボスっぽい奴倒したのに……」
「そのことだがな、二号。私たちは認識を誤っていたんだ。この男は敵ではない」
「は? 何言ってんだよ。誰がどう見ても敵だろ?」
「私としてもそうとしか思えないのだが、どうやら創造主は、私たちにこの男を救わせようとしているらしい」
「……どういうことだ?」
「それは私が聞きたいくらいだ。もしかしたら、まだ私たちが知らないことが……」
フェンリルの話の途中で、世界は光に包まれた。
もう何度目とも知れぬ、忌々しい『やり直し』のホワイトアウト。十二回目の鐘の音と共に、ラピスラズリの意識は新たな並行世界へと放り出される。
停止した世界の中に取り残されたのは、ラピスラズリの舌打ち一つだけだった。