そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.9 < chapter.5 >
座礁したクジラは計五十二頭。見た目の特徴から、ナガスクジラの仲間と思われた。浅瀬に入り込んだ子供を助けようとしているうちに潮が引き、群れの個体すべてが砂に乗り上げてしまったらしい。
普段はのんびりとした空気の漂うサザンビーチも、今は切迫した緊張感に包まれている。
正直な話、地元住民はクジラに対して特別な思いがあるわけではない。「助けたい」というよりも、「さっさと海に帰ってもらいたい」が本音だ。クジラ漁で捕獲した個体以外は食用として流通させることもできないし、クジラの死骸は撤去に時間と金がかかる。モタモタしていれば腐敗が進み、砂や水が汚染されてしまう。ここで死なれると悪いことばかりだから、必死に海に帰そうとするわけである。
沖に近いほうにいた十数頭は水の魔法や風の魔法で押し戻すことができたのだが、困った事に、何度押し戻してもクジラはビーチに近付いてきてしまう。浅瀬に取り残された仲間を心配して、決して離れようとしないのだ。
「あー……これ、むしろ浅瀬の個体から先に救出しないとダメなんじゃあ……」
ラピスラズリの発言に、隣でクジラを押していた地元サーファーが答える。
「そうしたいんですけど、こんなデカいのを押し流せるような魔法使いがいないんですよ」
「南部国境警備隊は? まだ来てねえのか?」
「いや、いることはいるんですけどね。ほらそこ、警備艇来てるでしょ? でも今日、午前中に海賊警報が出たんで。多分、主力部隊は軍艦島より南にいますよ」
「海賊かー。留守番部隊はクソザコだからなぁ……」
「ヴァイラルビッチがいなくても、せめてラヴィアンローズが残ってくれれば良かったんですけど……」
ヴァイラルビッチは旗艦、ラヴィアンローズは副隊長の艦である。いずれも武装海賊との戦闘に使用される『戦闘艦』であり、乗員は白兵戦・魔法戦どちらもこなせる優秀な騎士団員が選ばれている。クジラの十頭や二十頭、彼らならものの数分で沖に押し返せるだろう。
だが、彼らを待つには軍艦島は遠すぎる。はるか南の沖合にポツンと浮かぶあの島は、この浜から三時間以上もかかるのだ。小型快速艇なら三十分で移動できるが、大型戦闘艦に同じ速度は出せない。それに、今は潮が引いている途中である。この後六時間ほど、小型船舶以外がサザンビーチに近付くことはできなくなる。
ラピスラズリはしばし考え、グラスファイアに提案する。
「海底凍らせてくれねえか? ツルっと滑らせれば楽に動かせるだろ?」
グラスファイアは顔をしかめ、それから首を横に振る。
「一頭ならできるかもしれないけど、これ、全部?」
「無理?」
「普通に無理。逆に提案したいんだけど、変身すれば? 何で人間の格好のまま押してんの?」
「あ、それな! みんなちょっと離れて! 俺、狼に変身するから!」
そう言ったラピスラズリを、周囲の人間が慌てて制止する。
「アンタ人狼か!? やめとけ! この水深じゃ足つかねえぞ!」
「犬かきで引っ張れる重さじゃねえべ!?」
「変身するなら半獣にしとけって!」
「大丈夫だって。俺、人狼じゃねえから。よっと!」
ボン、と変身したラピスラズリ。その姿に、ビーチにいた人間は残らず目を見張る。
そこに現れたのは、体高二メートル、体長三メートルを超える超大型肉食獣、フェンリル狼だった。
真っ黒な狼は鼻先を水中に突っ込み、クジラの身体を「えいっ!」と押す。するとクジラは、沖のほうに一メートルほど移動した。
「やった! 動いた!」
「やるじゃあねえか!」
「フェンリルのあんちゃん! こっちだ! この辺に向かって押してくれ! この辺は水深がある! その仔クジラならギリギリ泳げるぞ!」
「わかった!」
ラピスラズリは仔クジラをグイグイ押していく。と、クジラのほうも、必死に尾びれを動かして深いほうへと逃れようとする。
「おお! いい感じじゃねえか!」
「もう少し! もう少し!」
「あと三メートル!」
「イケるぞこれ!!」
「みんなで押すぞ! せーの……っ!!」
そりゃあ! と威勢のいい掛け声とともに、仔クジラは浅瀬を脱した。比較的水深の深い場所をたどり、沖で待つ仲間の元へと逃げていく。
「ッシャアッ! 救出成功!!」
「この調子だ! どんどん行こう!」
「次はこっちをおねがいしまーす!!」
「はーい!!」
一頭を救出できたことで、現場に漂っていた諦めムードが払拭された。
あちこちに分散していた力自慢のミノタウロス族、人狼族、獅子族などがラピスラズリの元に集結し、一頭ずつ、全員の力を合わせて確実に救出していく。
ターコイズもビーチにいた風属性の人々を集め、風圧で大波を起こし、クジラを押し流す。
こちらに協力した人々は、どちらかと言えば体力に自信がない小柄な人間や女性が多い。風属性は日常生活ではあまり役に立たないため、人狼やカラカルのように身体能力も高い種族でない限り、進学や就職で極端な低評価を受けがちだ。力の弱い自分たちにもできることがあったのかと、誰もが嬉しい驚きに目を輝かせている。
「風属性でもこんなことできるんだね!?」
「こんな使い方したの、はじめてなんですけど~!」
「オジサン何者!?」
「あ、ワタクシ、王立騎士団情報部の者です。特務部隊と一緒に出動する色違い制服の」
「ああ! あの!」
「あれって特務部隊じゃなかったんですか?」
「別なんですよ、一応」
「白が貴族で黒が市民階級だと思ってたー!」
「よく言われます」
ターコイズはウサギ族やタテハチョウ族、テントウムシ族やトビネズミ族を引き連れ、魔法による救出を続けた。
地元在住の魚人族らが水の魔法でサポートしたこともあり、クジラたちは順調に海に帰っていった。けれども最後の一頭、一番大きなクジラだけは、風や水の力では動きそうになかった。
ラピスラズリたちも必死に押しているが、クジラの巨体はびくともしない。
「駄目だこれ! 砂の抵抗大きすぎ! グラスファイア! 海底凍らせてくれ! 一頭ならイケるって言ってたよな!?」
「ああっ!? いや、確かに言ったけども! デケエよ!」
「滑りが良ければ押せるんだって! 頼むよ!」
「えー……それは分かるけど……おい、やめてくれよ、こういうの……」
ラピスラズリがグラスファイアを説得する間に、ターコイズはあの男、アレクサンデル・グッドシュプールを連れてきている。ほかにも数人、かき氷店の人虎やアイスクリームショップのイエティらが集まった。氷属性の人々で力を合わせ、氷のレールを作ってくれ、ということである。
この状況で逃げ出すわけにもいかない。グラスファイアはバツの悪そうな顔のまま、集まった人々と簡単な打ち合わせを行う。
「ウィザード協会のマスター認定持ってるの、俺だけですか? じゃあ、俺がメインスペル組み立てますんで……」
よりにもよってセンターか!
そんな表情を隠しもしないグラスファイアに、ターコイズは笑顔で告げる。
「頑張れよ! 薄々気づいてるとは思うが、これが終わったら感動のご対面タイムだぞ!」
これってやっぱりそういうこと!?
と、顔の筋肉だけで語ってみせる器用な芸当に、ターコイズは小さく拍手する。
そうして最後の一頭は、グラスファイアの尽力によって救出された。
サザンビーチは歓喜の声に包まれた。