そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)3.9 < chapter.4 >
南部行きの列車の中で、ターコイズとラピスラズリは深刻な問題に直面していた。
「……え? ちょ、これ……どういう……?」
「……マジか……」
切符に記載された席番号を何度も確認する。
P-7列の窓側と通路側の二席。間違いなく、ここが自分たちの席である。
では、ボックス席の向かい側の乗客はというと――。
「……何の冗談だよ……」
そう言って顔をひきつらせた人物は、顔中にピアスをつけたユキヒョウ族の男である。この顔には見覚えがありすぎる。
ラピスラズリはターコイズに問う。
「ター子さん、この人の顔どう見えてる?」
「どうって聞かれてもなぁ……?」
ターコイズは戦闘用キメラである。自動防御や攻撃反射、幻影看破などの特殊能力があるため、《幻覚魔法》による変装や擬態、誤魔化しは効かない。
「ゾンビゴーレムじゃない。本人だ。間違いない。こいつ、グラスファイアだぞ」
「やっぱりこれってター子さんのせい?」
「すまん。また勝手に『連鎖する奇跡』が発動したかもしれない」
「その特殊能力、確率論にケンカ売ってない?」
「そうでもないぞ。カモメのゲロが二日連続で脳天に直撃する程度の、よくある奇跡しか起こせないからな」
「それが日常になってる時点でおかしい」
「そうか?」
そんな会話を交わしながら、二人は指定の座席に腰を落ち着ける。
目の前にエランドファミリーの若頭がいても、騎士団は彼を逮捕できない。彼が関与したとされる事件は軽く三桁にのぼるものの、物的証拠も状況証拠もなく、すべては噂や推測に留まる。前科もなく、市民カードも勤務先の社員証も持っている。グレンデル・グラスファイアという男は、法的にはただの『一市民』でしかないのだ。
それが分かっているからこそ、グラスファイアは逃げようとはしない。堂々とした態度で、さも当然のように話しかけてくる。
「いやぁ~、まさか王立騎士団の方とご一緒できるなんてなぁ~! 今日はどちらまで?」
サザンビーチ在住のお前の身内に会いに行くんだよ! とは言えず、咄嗟についた嘘は酷いものだった。
「ヌーディストビーチだぜ。袋の裏まで、全身まんべんなく日焼けしようかと思ってな」
お前は真顔で何を言っているんだ?
ラピスラズリは相方の視線の意味を読み取れない男ではない。けれども今は故意にスルーした。
腹の探り合いになると思っていたグラスファイアは、ラピスラズリの素のノリに対応しきれず、オウム返しのようになってしまう。
「ヌーディストビーチで、袋の裏まで……??」
「ああ! この日のために、アソコの毛もきっちり処理してきたからな! ちゅるんちゅるんのスベッスベ!」
そうなの?
と、下半身に向けた視線で訊ねるターコイズとグラスファイアだが、ラピスラズリの下半身に発声器官はない。ご本人様の返答は得られなかった。
そんな謎のやり取りから、彼らの旅は始まった。
午前十時、列車は中央駅を出て、南に向けて走り出す。目的地は南部最大の観光地、サザンビーチ。元は海水浴場の名称だが、近年、観光客にも分かりやすいよう最寄り駅と市の名称を『サザンビーチ』に変更した。中央市からは直通特急で六時間。駅を出たらすぐ目の前が海水浴場で、宿やレンタル自転車、バーベキューセットなどは中央市内のアンテナショップからも予約可能。鉄道や馬車を乗り継ぐ必要がないため、中央市近郊の海水浴場よりも『時間的に近い観光地』として人気がある。
けれども、『近い』と言っても六時間である。
車内販売の弁当で早めの昼食を済ませて、その後はどうにも間が持たない。やむを得ず、ターコイズは車内売店ですごろくのようなボードゲームを購入。情報部員二名とマフィアの若頭による、エンドレスすごろくバトルが勃発した。
「ター子さん? なんかこのボードゲーム、内容重くない……?」
「子供向けかと思ったら、なかなかエグいぜ、このルール……」
「ん? そうか? えーと、いち、に、さん……あ! すまん! また『大恐慌』マス!!」
「マジかよクソ! せっかく駅前の物件買い占めたのに!!」
「はい破産! グラスファイア無一文!!」
「テメエもだろボケ!」
「残念でしたー。俺さっきのマスでこのカード引いてるぜ~♪」
「『本社移転』って何!?」
「登記上の本社を税率の低い僻地の小国に移転させることで、『大恐慌』もしくは『追徴課税』を一度だけ回避できます」
「ハアッ!? これ対象年齢いくつだよ!?」
「えーと……パッケージには『五歳から』と書かれているが……?」
「五歳児に『登記上の本社』とか理解できんの!?」
「知育玩具だから、ちょっと難しめに作ってあるんじゃないか?」
「あー、たぶんそれだぜー」
「税金逃れの方法教えてどうすんだ!?」
マフィアの若頭がまともなツッコミを入れてしまう珍事件が発生するも、突っ込まれた側が異常さに気付いていないので、このツッコミはスルーされた。
「次俺だよな? よし、六だ。絶対六……セイッ!」
と、ラピスラズリが気合と共に振った賽の目は五。止まったマスは『浮気発覚』である。
「結婚している場合は五百万、していない場合は百万の慰謝料を支払う……マジかよ……」
「ざまあみろ」
「あ! ちょっと待って! やった! 回避! このカード使える!」
「え……うっわ! 『無罪を勝ち取る弁護士』!? これ絶対に子供向けゲームじゃねえって!!」
「『浮気発覚』もしくは『事件』マスでの支払い及び懲役を回避できますぅ~♪」
「最悪だ。いろいろ最悪じゃねえか、このゲーム……!」
マフィアの若頭がそう言いながら頭を抱えているのだから、何もかもが最高に狂っている。
午後四時。
そんな楽しいゲームを通じ、表面上はすっかり打ち解けた三人はサザンビーチに降り立った。
日没まではまだ時間があるが、どこかへ遊びに行くには半端な時間である。まずは宿を決めるべく、二人はグラスファイアと別れようとしたのだが――。
「大変だぁーっ! 海岸にクジラの群れがあぁーっ!」
そう叫びながら駅舎に駆け込んできたのは、たった今別れようとしている男と瓜二つのユキヒョウ族だった。目鼻立ち、体つき、淡い灰色の毛並の猫耳も、双子のようにそっくりである。
男は駅員室に駆け寄り、駅員に何かを伝える。すると駅員は放送用マイクのスイッチを入れ、駅構内にアナウンスを始めた。
「お客様にお知らせいたします。ただ今、サザンビーチにおいてクジラの群れが座礁しているとの連絡がありました。クジラを海に戻すために人手が必要です。ご協力いただける方がおられましたら、サザンビーチ中央の海の家、『ラ・パチュカ』までお集まりください。クジラたちには一刻の猶予もありません。どうぞ、ご協力をお願い申し上げます」
幾度か繰り返された放送のさなかに、男は観光客たちを引き連れ、小走りでビーチに向かっている。本気でクジラの命を心配する者もあれば、旅の記念に、という者もいるようだ。たとえ動機が何であれ、クジラの巨体を押すにはとにかく人手が必要となる。ラピスラズリとターコイズも協力しようと、互いの目を見て頷き合った。
そんな二人に、グラスファイアが声をかける。
「なあ……さっきの男、俺に似てなかったか……?」
グラスファイアは驚きに目を見張り、わずかに震える声でそう言った。
この言葉には、二人も心底驚いた。
グラスファイアは『双子の兄弟』の存在を知らない。
ピーコックから渡された資料によれば、グラスファイアの出生記録には不自然な点があった。彼の母親は妊娠中、きちんと定期健診を受けていた。そのカルテは土砂に埋もれた病院から掘り出され、今は騎士団本部に保管されている。カルテに記載された胎児は二人。グラスファイアは『双子の男の子』として母の胎内に命を宿していた。
けれども、生まれた子どもの記録は一人分。もう一人はたった一言、『死産』とだけ記されている。
世の中には『双子が生まれやすい家系』というものがある。グラスファイアの家系がそれであるとしたら、母親と息子が二代続けて双子であってもおかしくない。
そしてあの町には、『双子は不吉』とする伝承がある。アズールの母と同じく、グラスファイアと一緒に生まれた『もう一人』も、どこか別の町に養子に出されたのかもしれない。
そう考えた情報部は、掘り起こされたカルテの中から『同じ月に生まれた子ども』の記録を探した。するとたった一人、それらしいカルテが見つかった。
アレクサンデル・グッドシュプール。
誕生日はグレンデル・グラスファイアの三日前になっているが、こんな数字はいくらでも書き換えられる。サザンビーチから来た旅行客が突然産気づき、ラ・パチュカで出産した、ということになっている。
しかし、カルテにはそれ以上の記載がない。そこでサザンビーチ市役所に問い合わせてみると、たしかにそういう名前の人物がいた。何年か前に母親を病気で亡くし、今は妻と二人、母親の恩師が住んでいた町『ラ・パチュカ』を店名に、海の家を営んで生計を立てている。
あまりにも完璧にはまったパズルのピースに、情報部は溜息の大合唱となった。
市役所に残された記録によれば、グッドシュプールなる女性は魔法薬の調剤師であった。一時期、魔法薬の勉強のためにラ・パチュカのグラスファイア家に下宿していたらしい。
その時期というのが、まさにグレンデル・グラスファイアの生まれたころ。
この女性のこと、双子の片割れのことを、グラスファイアは知っているものと考えていたのだが――。
「なんでサザンビーチに、ユキヒョウ族がいるんだよ……『ラ・パチュカ』って……」
グラスファイアは心底驚いている。演技ではなさそうだ。
ターコイズとラピスラズリは、あえてこの話題への返答を避けた。
「座礁したクジラ、お前も助けに行くだろう?」
「早く海に戻してやらないと死んじまうぜ?」
「あ、ああ。行く。行くけども……」
ほら行くぜ、と言わんばかりに、ラピスラズリはグラスファイアの手を掴んで駆け出した。