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紐を切るだけの簡単な仕事

作者: 木崎優
掲載日:2019/11/07


 カミーユと名付けられた少女がいた。

 彼女は赤子の頃から愛くるしく、年を経るごとに愛らしさは美しさに変わり、誰もがひと目見たいと望むほどに、美しい少女だった。


 そんなカミーユには幼少の頃から不思議な力が備わっていた。


「あら大変。紐がほつれそうだわ」


 カミーユの視線は壮年の男性の、その背後に向けられている。街中を行き交う人々は多く、カミーユの呟きを拾った者は、衣服でもほつれているのだろうかとわずかに首を傾げた。

 だがカミーユが見ているのは繊維のほつれなどではない。男性の背後に浮かぶ、背中から伸びる紐に繋がれた、風船のような物体がカミーユの目には映っていた。


 カミーユには誰もが風船を持っているように見えている。大きさはさまざまだったが、色は白で統一されているそれが何かを知ったのは、祖母の死に際に立ち会った時だった。


 紐がほころび、完全に切れた時に、祖母は命を落とした。



 ――ああ、これは魂なんだわ。


 抱いた考えに疑問を抱くことはなかった。カミーユはそういうものなのだと素直に受け入れ、命の終わりが近い者の紐はほつれていくのだと理解した。


 そして今、カミーユの前には祖母と同じように、紐がほつれかけた風船を持つ男性がいる。


「そこのあなた。最近体調はいかが?」


 不意に向けられた不躾な質問に、男性は目を瞬かせた。普通であれば、見も知らぬ相手にこのようなことを聞かれれば、何事かと警戒するだろう。

 だが男性は気を悪くするどころか、カミーユの美しさに相好を崩した。


「そうですね。胃の調子があまりよろしくないですが、その程度ですよ」

「まあそうなの? 少しでも調子が悪いのなら医師に診てもらうことをお勧めするわ」

「ええそうですね。機会があれば」


 男性にとってはたわいもない会話でも、カミーユにとってはそうではない。老齢とは言えない年齢の者の紐がほつれるのは、病気が身体に巣くっているのが原因だと知っていたからだ。

 救えるとは限らないが、それでも見て見ぬふりができなかったのはカミーユがこれまで苦労を知らずに育ったからだろう。


 侯爵家という地位のある家に生まれ、何人もの使用人にかしずかれ、美貌ゆえに邪険にされたことのないカミーユは良い意味でも、悪い意味でも、純粋だった。




 ある日のことだった。

 なかなか寝付けず読書をしていたカミーユの前に、ひとりの青年が現れた。


 寝室に備えつけられているバルコニーに人の気配を感じたカミーユは、危機感を抱くことなくカーテンを引いた。これまで害されたことのないカミーユにとって、自分を害する者がいるかもしれないとは微塵も考えなかった。


「こんばんは」


 窓に隔たれているせいでかすかにしか聞こえなかったが、たしかに青年はそう言っていた。

 カミーユは同じように「こんばんは」と返すと、緩やかに首を傾げた。


「こんな夜更けにどうかされたの?」


 小さく窓を開けて、青年に話しかける。見知らぬ男性に気軽に話しかけるなどあまりにも無謀な行動だが、今この場にはカミーユと青年しかいない。

 そのため、カミーユの行動を諌める者はいなかった。


「少し疲れたのさ」

「まあそうなの。お疲れさま」

「だからね、ここで休憩していってもいいかな?」

「ええ、どうぞ」


 そして窓を閉めようとしたカミーユは、いつものように何気なく青年の背後に視線をやって、硬直した。

 浮かんでいるはずの風船がどこにも見当たらなかったからだ。


 夜とはいえ、青年の相貌がわかる程度の月明かりはある。そして白い風船はそう簡単に夜闇に溶けたりはしない。


「あなたは誰?」

「紐を切るだけの簡単な仕事をしている者さ」

「死神なの?」

「そう呼ばれることもあるね」


 紐という単語で連想しただけの言葉は、大抵の人ならば何を言っているのかと眉をひそめたことだろう。

 だが青年は、唐突に出てきた質問を馬鹿にすることなく、真剣に頷いた。


「お名前は?」

「とっくの昔に忘れてしまったよ」

「そうなの? 自分の名前も忘れてしまうなんて、死神って大変なお仕事なのね」

「そうだよ。だからここで休憩しているんだ」

「どうぞ疲れた体を癒していってちょうだい。でも家人に見つかると大変だから、夜明けまでよ」

「ありがとう。君の好意にどう報いればいいのかな」

「あら、そんなの必要ないわ。お仕事頑張ってね」


 ひらひらと手を振って、カミーユは今度こそ窓を閉めた。




 それから二日に一度、青年はカミーユの元を訪れた。


「やあ、今晩も休んでいっていいかな?」

「ええどうぞ。でも夜明けまでよ」

「わかっているさ」



 頻繁に会えば、青年がどのような人物なのかと興味が湧くのも当然で、カミーユは日に日に寝る時間が遅くなり、代わりに男性と語らう時間が増えていった。


「死神さんはいつから死神なの?」

「さあ、忘れてしまったよ。生まれた時からかもしれないし、死んだ時だったかもしれない」

「私も死んだら死神になれるのかしら」

「なれるかもしれないし、なれないかもしれないね」


 ふた月ほどが経った頃、カミーユは魂が見えることを青年に明かした。この時も青年は馬鹿にすることなくカミーユの話を最後まで真剣に聞いていた。


「それは大変だったね」


 そして向けられた労わりの言葉は、カミーユの心に沁み込んだ。


 カミーユは純粋で、そして何よりも初心だった。


 昨年十六を迎え、カミーユは社交界に出入りするようになったのだが、話しかけてくる男性はいなかった。自信のない者は見向きされるはずがないと尻込みし、自信のある者はまた別の自信のある者の足を引っ張り合った。

 そのため、カミーユにとっての身近な男性といえば父親や使用人くらいなもので、異性として意識するには身近すぎた。



「こんばんは。今日も休んでいいかな?」

「ええどうぞ」


 そんな中で現れた、異性として意識できる青年に心を奪われるのは無理からぬことだった。


 初心で純粋なカミーユでも、淑女としての嗜みは持ち合わせていた。青年はバルコニーで、カミーユは室内。ふたりを繋ぐのは、少しだけ開いた窓の隙間だけ。

 どれほど焦がれる思いが募ろうと、青年を招き入れることだけはしなかった。



 青年との交流が一年も続いた頃、カミーユに縁談が組まれた。相手は侯爵家を継ぎ人柄も良いと評判の男性だ。

 社交場に出るようになって二年も経つのに、浮いた話のひとつもない娘を心配した父親がこぎ着けた縁談だった。


「はい。わかりました」


 青年のことが頭をよぎったが、カミーユは素直に頷いた。

 家長の言うことは絶対で、逆らうことはできない。それに父親が自分を心配しているのだということは、カミーユもよくわかっている。

 断るという選択肢はカミーユの中にはなかった。


「やあ、今日も休んでいっていいかな?」

「ええどうぞ」


 いつものように訪れた青年に、カミーユは縁談の話を告げた。

 嫁ぐことが決まった身で夫となる男性以外と交流をしてはいけないと、そう考えたからだ。


「だからあなたと会うのも今日が最後ね」

「そうなのかい? それは残念だ」


 カミーユは心の奥底では青年が行かないでほしいと懇願してくれるのでは、と少女らしい思いを抱いていた。だからこうもあっさりと引き下がられたことに、胸に棘が刺さったような痛みを覚えた。


「でも良かったね。誰も話しかけてくれないと嘆いていただろう? 君は美しいから、もったいない話だと思っていたんだよ」

「まあ、お上手ね」


 初めて向けられた賞賛の言葉にカミーユの頬が朱色に染まった。先ほど刺さった棘も忘れて、最後の語らいを楽しむことにしたカミーユだった。




 それから一週間後、カミーユの縁談は泡と消えた。

 夫となるはずの男性が急死したからだ。



 父親が次の縁談を持ってきたが、健康そのものだった彼もまた、最初の縁談相手のように突然亡くなった。

 カミーユは美しく、縁談を望む者も多い。それからも何度か健康で人柄も良く、家格の合う相手との縁談が組まれたが、そのどれもが泡と消えた。


 縁談相手が続けて五人も亡くなれば、カミーユとの縁談に難色を示す者も出はじめた。

 だが舞い込む縁談がなくなることはなかった。それどころか、以前よりも増えているほどだ。牽制し合っていた相手が減ったことにより、自信のある者が縁談を申し込み、恐れを知らない者もまた同様に。さらには物見山で申し込む者までいた。


 カミーユの父親は連日のようにやってくる縁談の申し込みを精査し、これはという人物との縁談を取りつけ――その誰もが命を落とした。



 十名が死んだ頃、第四王子がカミーユの結婚相手に名乗りを上げた。


 その王子は恐れを知らず、また善良な人間だった。美貌に心奪われたわけではなく、呪われていると噂されたカミーユに同情してのことだった。


「不運が重なっただけだろうに、呪いなどと馬鹿馬鹿しい」


 そう豪語する王子は朝昼晩に医師の検診を受け、寝る時ですらそばに護衛を置いた。万全の状態でい続けることによって、呪いなどないと証明するためだ。


 これまでカミーユと縁談を組まれた相手は遅くとも一週間で死んでいたが、一週間が経ち、二週間が経ち――ひと月が経っても王子は死ななかった。


 悪意ある者は「王家との縁を繋ぐために何人も死に至らしめた」と噂し、善意ある者は「王子が彼女にとっての運命の相手だ」と噂した。


 同情心から結婚を申し込んだ王子だったが、呪いがないと証明されたからといって一度組んだ縁談を反故にするような真似はしなかった。夫婦になるのなら愛そうと心に誓い、婚姻の日取りを決めるために王に謁見を申し込み――


 まるでその誓いをあざ笑うかのように、謁見の場で心臓が止まった。



 王子の献身により、カミーユの周囲に振りまかれる死は裏のあるものではないという証明がなされた。



 国を管理している者たちの間では、カミーユを敵国に嫁がせて王を殺させようと企む者すら現れはじめた。どうして縁談を組まれた相手が死ぬのかはわかっていないというのにだ。


 総勢で十一名の死。そして政略に利用しようとする動き、それに加えて王子が目の前で死んだことによって、重かった王の腰が上がった。


 ただ縁談を組まれた相手が死んだだけ。落馬や急病、そのどれもが偶然で、裏に誰かがいるわけではない。

 縁談を申し込むなと触れを出すわけにもいかず、年若い娘に呪いの道具のような扱いを受けさせるのは忍びなく、だからといって放置していればいつかは利用しようと強硬手段に出てくる者もいるだろう。

 だが呪いなどという荒唐無稽な存在を国が認めるわけにはいかない。


 そしてカミーユはたぐいまれな美貌で人を、国を惑わせる悪女として幽閉されることになった。

 迷いに迷った王が選んだ、苦肉の策だった。




 カミーユがこれからの一生を過ごすことになったのは、森の中にぽつんと建つ塔だった。与えられたのは最上階。私室と寝室、それから湯あみ場まで揃っている部屋は罰としては豪勢で、罪がない身からすれば窮屈な空間だった。


 食事は日に三度、侍女が運んでくることになっている。鉄の扉の下部に空いた穴から差し入れられ、空の食器もそこに返すようにと言われていた。


 これまで蝶よ花よと育てられたカミーユには到底耐えられるはずのない生活だったが、それでも嘆かなかったのは、私室にバルコニーが備え付けられていたからだろう。

 外の景色を見て心を和ませてあげようという配慮なのか、はたまたそこからの身投げを望まれているのか――他人の悪意に無頓着なカミーユは後者の可能性など露も考えず、素敵な場所を用意してくれたと感謝した。


 悪意にさらされたことのないカミーユにとって、誰かが意思を持って人の命を奪うということはありえないものだった。


「やあ、こんばんは」


 いつものようにバルコニーに現れた青年に、カミーユの頬が自然とほころんだ。


「今日も休んでいいかな?」

「ええどうぞ。だけど――」


 いつものように告げようとしたカミーユの言葉がそこで一度止まる。


「――気の済むまで休んでいってちょうだい」


 朝になれば様子を見にきていたメイドはここにはいない。それに思い至ったカミーユは、いつもと少しだけ文言を変えた。


 いつ寝ても、いつ起きても、咎められることのない生活。青年が来る日も二日に一度から毎日に変わっていった。

 それでも、夜明けになれば今までどおり青年は姿を消した。


「ねえ、もう少し長くいてはくれないの?」

「日の光がどうにも苦手でね」


 ほんの少し開いた窓の向こうで青年が肩をすくめた。カミーユは胸元で手を強く握ると、決心したような強い眼差しを窓に向け、これまで決して広げることのなかった隙間を大きく開いた。


「なら中に入ればいいわ。ここなら陽の光は届かないでしょう?」

「おや、いいのかい?」

「どうせここには私しかいないもの」


 外界の人と交流を持つことは禁止されている。

 だからカミーユが接することができるのは、誰も立ち寄れないようなバルコニーに現れる青年だけ。

 異性を招き入れようと、咎める者はこの塔にはいない。


 大きく開かれた窓を、青年はゆっくりとくぐった。


「思ったよりも背が高いのね」


 正面に立つ青年を見上げながら、カミーユは照れ隠しのような台詞を吐いた。青年はいつも手すりに寄りかかり窓に近づこうとはしなかったので、こうして見下ろされるのも、間近で青年を見るのも、カミーユには初めてのことだった。


「君は思ったよりも小さいね」


 青年の手がカミーユの頭に置かれ、そのまま髪を撫でるように下がり、頬に触れた。父親とも使用人とも違う手にカミーユは瞬きすら忘れて青年を見つめている。


「目を閉じて」


 そっと囁くように乞われてカミーユが目を閉じると、柔らかいものが唇に触れた。触れるだけの優しい口づけに、上気する頬をごまかすようにカミーユは微笑んだ。


「死神にも体温があるのね」


 頬に触れる手も、先ほど触れた唇も温かいものだった。胸元に手を置くと、ドクドクと心臓の鼓動すら聞こえてくる。風船がないというだけで、青年は生きた人間とそう変わらない――カミーユにはそう見えていた。









 カミーユの世話――食事の配膳を命じられていた侍女は恐々とした足取りで廊下を歩いている。

 この塔は数百年も前に気の狂った王女が幽閉された場所で、それ以来使われていなかった。今回カミーユが塔に入ることになり急遽掃除や手入れを行ったのだが、陰鬱とした空気までは払うことができていない。


 しかも運の悪いことに、今日は料理番の侍女が寝坊をしたせいで、いつもよりも朝食の時間が遅れた。


 この塔に幽閉されている令嬢の世話係は日々変わる。情が湧いて脱獄の手助けをしないためだ。

 そのため配膳を担当することになった侍女は、塔に配属されたばかりだった。初仕事が遅れた朝食を届けることだとは、昨日の段階では思いもしていなかった。


「それにあの扉、そこまでしないといけないものなのかしら。物々しくて、怖いのよね」


 昨日案内された際に目にした重くいかめしい鉄の扉を思い出し、侍女は小さく息を吐いた。


 部屋の中にいるのは何人もの男性を死に誘いこんだ悪女で、その姿を人目に晒さないようにと、鉄でできた頑丈な扉が新しく取りつけられた。


 そう話は聞いているのだが、たかが令嬢ひとり。その姿がどれほど美しかろうとやりすぎなのではないか――そんな気持ちを抱いていた侍女だったが、部屋の前に着き食事を穴から中に入れようとして、動きを止めた。


 中からかすかに声が聞こえてきたからだ。

 この部屋にはカミーユしかいない。ほかの誰も出入りできないようになっている。

 唯一外界と繋がるバルコニーがあるにはあるが、地上までは遠く、梯子を作れるようなものは部屋に用意されていないはずだった。


 侍女は食事を床に置き、好奇心のおもむくままに穴から中を覗き込み――



 そこには誰もいない空間に向けて、ひとり楽しそうに話すカミーユの姿があった。




 

 





 普通の人の目には映らない青年は、時に死神と呼ばれ、時に悪魔と呼ばれた。

 青年が何かを知る者は、誰もいない。

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― 新着の感想 ―
[一言] 死神の嫉妬で何人も死んでるんだけど… カミーユは、死神との逢瀬を楽しんでいるようにも見えて、これはハッピーエンドなのかなって、最初読んだ時は、思いました。 でも、よくよく読んでみたら… 周り…
[一言] 死神の嫉妬で婚約者が死ぬのかー。 一種のホラーだねぇ…(^_^;)
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