妄想のプロローグ
「――あー、やっぱり駄目! うん、ぜんっぜん駄目だね! こんなのありきたりすぎてもーつまんない! 可愛い女の子にちやほやされて、俺つえぇーうぃー! なんてやってるだけじゃねえかよ!」
ぐしゃぐしゃと原稿用紙を丸め、頭を掻きむしる人影。
黒ぶち眼鏡に透き通るような不思議な色をした長髪、柔らかそうな体を包むはだけた部屋着、頭のそれは王冠のような形をしており、うさ耳リボンがくたびれている、腰の翼もだらけていた。
「んー……やっぱり三日坊主なんだよなぁ、ボク」
尖らせた唇にペンを乗せる少女。
「なんかこーう……ビリビリっと来て、ズガガーンって感じのー、うーん……うぅぅうううっ!」
作業机を叩き、立ち上がった少女は急ぎ足で向かう。
「好奇心が足りない……冒険が足りない……ワクワクも、ドキドキもないっ!」
締めきっていたカーテンを開け放ち、眩しい光を浴びるように窓を全開にする。
「あーあ、こんな時、あの子がいてくれたらなぁ......」
窓辺に頬杖をつきながら、少女は思い浮かべる。
あの楽しかった日々のことを。
あの輝かしい冒険の日々を。
「............あ、いいのできた」
すぐさま少女は机の前に座り、原稿用紙に筆先を走らせる。
そこに、いつか訪れてくれる「あの時」を込めながら。
「あの子」との再会を願いながら、彼女は――アリスは『妄想』する。
――帰ってきて、ドロシー…………。
――昔々、あるところに、冒険が大好きな女の子ドロシーと物語が大好きな女の子、アリスがいました。
二人はとても仲が良く、いつも一緒に遊んでいました。
ですがある日、世界が変わってしまった日のことでした。
ドロシーは悪い王様、オズに封印されてしまい、何百年も眠りについてしまいました。
アリスはひとりぼっちになってしまいました。
そんなアリスは悲しみを紛らわせるために、今日も冒険話を書き続けています。
いつか来るであろう救世主と、相棒ドロシーとの再会を待ちわびながら…………
しかし、アリスは知らない。
彼女のそんな『願い』が、世界の形を変えていたことに。
彼女のそんな『妄想』が、人の心さえも変えてしまうことに。
たった一日、たった数時間で、アリスの不思議の国は変わってしまう。
そう、アリスの『妄想』のように…………
「…………なに、これ」
アリスは驚愕に目を見開く。
覚えのある街並み、覚えのある服装、覚えのある景色…………もう言葉も出ない。
「一体……何が……」
ただ食料を買いに来ただけなのに、見渡せば見渡すほど、あの『妄想』の数々が思い浮かぶ。
思い描いた冒険の日々が、鮮明にかつ悲しく、アリスの胸を突き刺す。
「まさか……そ、んな……嘘だよ……だって、だって、今まで……ずっと」
アリスは後ずさる、現実から目を背けるように。そこで、ある「弱い心」が手招く。
――そうだ、そう、これが現実じゃない。きっと夢だ、妄想、そう、『妄想』なんだよ。だって、こんな都合のいい話はないもの。
逃げてしまえばいい。そう、逃げてしまえば何の問題もない。
こんなことになったなんて、まさかなるとも思ってなかった。
――今の今までなかったのに、まさか……いや、まさか……そんなはず。
『妄想』、それがアリスに与えられた権限だった。
考えたどんな現象でも起こさせてしまう、アリスにはそれが許されていた。ある時期までは。
ここ数か月は全く発動することなく、気に掛けることすら忘れるほど。
それが、なぜ今になって発動したのか、アリスには到底理解ができなかった。
だけど、だけど……アリスの胸を叩くこの感情だけは、分かっている。
「…………ドロシー、ボクは……一人でも、できるかな?」
いない右隣を見つめるが、もちろん返事はない。
分かっている、だが、どうしても聞かなければいけない気がした。だって――
「――そこのお嬢さーん、お困りでございますかー?」
アリスは知っている。この物語は……いいや、この『妄想のプロローグ』は、彼女が最後に願った希望なのだから。
「あらー、誰かと思えばアリス・キャロルさんじゃないですかぁー……ようやっと会えましたよ、『運命の人』?」
まるで挑発するように目を細め、にっこりと笑みを描く少女。
一言でいえば死神を模したような少女だ。
黒髪ロングに黒目、片目を花で覆われ、フリルとレースに包まれたゴシックロリータに身を包んでいる。そして何より、古ぼけたそのトランクが異質感をさらに引き立てていた。
「待ってたよ、ボクの『運命の人』……さぁ、世界を救いに行こうじゃないか!」
「はい、そのためにわざわざ来たんですから」
アリスの駆け足に続く少女。
こうして、本来の物語が幕を開け始めていた。