悪魔を召喚しました
「あ、あった。これがお兄様が使ってた悪魔召喚の書、グリモワールだわ」
ノートルダム公爵家、つまり私の住む屋敷には父と母、私と兄二人、そして姉一人が住んでいる。
勿論召使や執事、侍女も含めればもっと多いのだが、残念ながら記憶が戻る前のオリヴィエはやりたい放題で召使を虐げる典型的な我儘令嬢であったため、家族以外の名前は一切覚えていない。
しかしながら、それはあまりにもデッドエンドにひた走るので今後徐々に覚えていくつもりだ。
話はそれたが、一番上の兄カーシェ・ノートルダムの部屋に忍び込んで、見つけたのは一冊の禍々しい本だった。悪魔や、その召喚方法が書いてある魔導書グリモワール。この本が、私のデッドエンドを変えてくれる可能性がある唯一の本だ。
「そう、これを使って悪魔を召喚する」
このゲームをデッドエンドの運命から救うことを決意したが、実際にどうすべきか考える必要があった。特に私のデッドエンドでは、ヒロインを殺すために呼び出した悪魔との契約違反により地獄に引きずり落とされて殺される、ということしか分からないのだ。
私の読みだと、恐らくオリヴィエはロクな知識も持たないまま悪魔を召喚し、そして無知であるが故に、知らないまま何かしらの契約違反を犯したことで悪魔に取り殺されてしまった。
そもそも悪魔の契約ってなんだ?オリヴィエはいつ、どうやって悪魔と契約したんだ?
「恋と魔法と召喚陣」がクソゲーと叩かれ販売中止となった由縁は、そのあまりの鬱展開とバッドエンドの連続だけでなく、あまりの説明の少なさもある。正直フルコンプした私ですら、ゲームの舞台である聖ロストベルト皇国の舞台設定や、テーマである魔法や召喚の具体的な知識は一切ない。
私が持っている知識はせいぜい攻略キャラクターにかかっている呪いと、その呪いが掛けられた背景、そして私を含めバッドエンドでどうやってキャラクターが死ぬかだ。
このような空白の情報について疑問は尽きないし、ノートルダム公爵家の書庫にも悪魔召喚についての本は、何一つ存在していなかった。しかし、散々書庫にある本を荒らしながらも、読み進めていった中で、ある魔法に関する歴史書の一説にこう書いてあった。
ー魔導書グリモワールには、数々の悪魔召喚の儀式について記している。グリモワールには比較的低級な悪魔が記されているため、これまで多くの召喚術師が知をつかさどる低級悪魔を呼び出し、その英知を求めたー
つまりだ、悪魔召喚を行っていたカーシェお兄様の持つ悪魔召喚の書(恐らくグリモワール)を奪取し、その中に載っている知の悪魔を呼び出し、知を授かる契約を結ぶ。
下級悪魔であれば、公爵家の農場にいる家畜の血を差し出せば、契約を結べる可能性がある。そうして契約した悪魔に教師として、様々な召喚術について教えてもらい、ゲーム本編開始前に完璧な召喚術師になり自身のデッドエンドを取りあえず回避する、といった感じだ。
「そう上手くいくかは怪しいけど、取りあえずグリモワールは手に入ったわ」
ーオリヴィエは、グリモワールを手に入れたー
ネトゲのアイテム獲得風に言うとこんな感じだろう。チャラーンというような、レベルアップの音声も欲しい。お兄様の部屋にこっそり入って、ベッドの下から(エロ本かと突っ込みたくなったが、見つかりたくないという意味では同じだ)グリモワールを見つけた私は浮かれていた。
しかしながら、ウキウキでバカみたいに広い寝室のベッドの上でグリモワールを開いた瞬間に私は分かりやすく頭を抱えた。
「なにこのミミズみたいな文字、読めね~~~。この初心者に優しくないクソゲーが」
思わずお嬢様らしくない汚い言葉が出て、本を投げ捨てそうになった。ベッドに項垂れながら、私は心底「恋と魔法と召喚陣」のゲームシステムに絶望していた。あれ、日本のゲームだよねコレ。普通全部読めるようになってるんじゃないですか、某乙女ゲーム会社さん。
溜息をつきながら、パラパラと本をめくりながら全体に目を通すが、どのページをみてもよく分からない文字と魔法陣の模様が書いてあるだけだ。これだからヒロインすらも殺すハード系クソゲーはダメだ、初見での難易度があまりにも高すぎる。
半ば諦めようとしてグリモワールを焼こうか悩んでいたその時、私は本の中にある手がかりを発見した。
「あれ、このページだけ栞が挟まってる」
綺麗なカスミソウの栞が挟まっていたページの魔法陣には見覚えがあった。全てを思い出した日、兄が部屋の中に書いていたものとまったく同じだ。あの日、確かに魔法陣の中には悪魔が召喚できていた、ということはこの通りに魔法陣を書けば私でも召喚に成功する可能性はある。
「これなら、あの日とまったく同じ状況で、同じ魔法陣を書けば成功するかも」
しかし、だ。
私はあの日に見た部屋の中に膝をついて、溜息をついた。カーシェお兄様が悪魔を召喚した部屋は、あの日の痕跡を一切残さずがらんどうとしている。取りあえず、グリモワールの通りに魔法陣だけは何とか書けても、カーシェお兄様が呟いていた詠唱の全ては思い出せない。
「最後が、我と契約を結ばん、って言ってたのは覚えてるんだけど」
そもそもゲームでは、詠唱のシーンなんてあっただろうか。
オリヴィエが悪魔を召喚した場面は特になかったのではないか。
そもそもオリヴィエが悪魔を召喚していたと発覚するのは、ゲームの終盤のクリスマスダンスパーティーの前に攻略キャラの前に立ちふさがり、低級悪魔を使ってオリヴィエを愛する呪いをかけようとしたシーンからだ。
その後、ヒロインすらも殺そうとして、ヒロインの光の魔法により悪魔の闇魔法が無効化され、攻略キャラの呪いも破られて、オリヴィエは悪魔との契約違反により殺される。
前世を思い出して客観的に考えたら、オリヴィエの攻略キャラへの執念とヒロインへの憎悪はすごいと思う、勿論悪い意味で。正直デッドエンドになっても仕方がないことをしているけれど、もう同じ轍は2度と踏まないように今回はうまく立ち回るつもりだ。
オリヴィエ以外に悪魔を召喚した人間って誰か他にいただろうか。スチルや詠唱シーンが出るようなメインキャラで、あ、そうだった、オリヴィエの他にもう一人悪魔を召喚する主要人物がいた。
「恋と魔法と召喚陣」と最終重要人物件、オリヴィエに次いで死ぬ可能性が高いキャラクター、所謂全員攻略して最後にプレイするとルートが変わる系の隠しルートキャラが、隠しトゥルーエンドで悪魔を召喚している。
「そうか、トゥルーエンドのあのセリフなら再現できるかもしれない」
私は羽ペンを取り、記憶にある言葉を紙に書き出していった。その時のスチルに合ったものもすべて、彼が悪魔を召喚した時の全てを再現できるように。そうして、時間、場所、モノ全てを準備するために、部屋の外へと駆け出した。
「ーBAZUBI BAZAB LAC LEKH CALLIOUS OSEBED NA CHAK ON AEMO EHOW EHOW EEHOOWWW CHOT TEMA JANA SAPARYOUSー」
しんと静まったノートルダム公爵家の保有する教会の中、私の声だけが響いていた。足元にはグリモワールの通りに書いた魔法陣、そして並べられたろうそくの炎が揺らめいている。
家族が寝静まったのを確認してここまで隠れて来たが、屋敷を抜け出して隣接する教会まで走る間、お母さまやお兄様には見つからないかひやひやした。恐らく誰にも見つかってはいないが、油断はできない。特にカーシェお兄様にバレれば、グリモワールを盗んだことすらもバレてしまう。
時間は宵闇が深まった午前2時、この世界で最も魔力の濃い夜の時間だ。教会のステンドグラスから月明りが差し込み、魔法陣を照らしていた。月明りが魔法陣を照らした時、魔法陣の中心に召喚者である私の血液を垂らす。
私の指先から零れた血液が、魔法陣の中心を彩った時、静かだったはずの森の木々がざわめき始めた。
「ー来たれ 天を追放されし者 冥界の守り手よ」
私は記憶の通りに言葉を紡ぐ。言葉をかみしめるたびに、締め切ったはずの教会の中で風が吹いて、ろうそくの炎を揺らした。
「汝 暁を喰らい 夜の帳を征する者 闇の朋友にして同伴者よ」
血を流した右手の指をそっと、魔法陣の中心に差し出して再び血液を落とした。そうすると、チョークで書いた魔法陣を血液がなぞっていき、魔法陣が赤く染まっていく。
「生娘の純潔と共に その溢れる鮮血を啜り 宵闇の世界を治める者よ」
魔法陣が眩い紫色の光を帯びて輝き始め、足がすくみそうになるほどの圧力が教会の中を支配した。教会の外ではカラスが泣きわめき、眠りに落ちていた世界が目覚めていく。
「あまたの軍勢を有し、王に定められし者」
言葉を紡ぐたびに、世界が、私が、きしんでいく。それでも、私の唇は言葉を紡ぐのをやめない。否、自分でも自分自身を制御することが出来なかった。手が震え、立っているのもやっとなのに、それでも詠唱は続いた。
「アルタ カルマ 千の形を持つ月の庇護のもとに」
その時、世界は眠りから目覚めた。魔法陣から発される眩い光が教会の中を覆った。魔法陣に差し出した手に、誰かの手が重ねられた。
「我と契約を結ばんー」
「いいよ、結ぼうか。僕と」
荒れ狂う教会の中で、酷く穏やかでそして慈愛に満ちた声がそこに響いた。地平を割るような圧力を出していたとは思えないほどに、柔らかな男の声だった。
手を引かれた先に、誰かがいるのが分かった。それを確認する前に、その誰かに引き寄せられ魔法陣の中で抱きしめられる。眼が眩むほどの光が段々と薄くなり、そこにいる誰かの輪郭がぼんやりと見えるようになる。
眩い光の中から現れたのは、残酷なまでに美しく、そして息をのむほどに気高い男だった。
月明りに照らされたシルバーグレーの髪は雪のように滑らかで、そこから覗く血を固めたようなルビーの瞳が弧を描いて私を見つめている。陶器のように美しく、亡霊のように白い指先が私の頬に触れて、ゆっくりと唇をなぞった。
「待っていたんだ、ずっと、こうして召喚されることを」
男はとろけるような笑顔で私を見つめていた。それは世界の美しいもの全てを凝縮したようでもあり、そしてすべてを闇に引きずり込む魔性的なあやうさも秘めていた。私は言葉が出なかった、何を言っていいか分からない。
「君の名前を聞かせてくれるかい」
「あれ、ええっと、その」
「ああ、そうだね、幼い君が動揺するのも無理はない。お互いに自己紹介から始めればいいさ」
そうして、目の前のあまりに美しい男は、それこそ王子様が着ているような純白の豪奢な燕尾服を翻して私の前に跪いた。繋がれたままの手を、まるで宝物のように優しく握られて、祈るように手の甲に口付けを落とされる。
それは悪魔というよりは、むしろ騎士のような出で立ちだった。
「僕は、アスモデウス。王の位をソロモンから賜った第4位の悪魔だよ」
私が何も言えなくなったのは、彼の美しさだけではない。そして思わず耳をふさぎたくなるような彼のスペックでもない。
「え、その、貴方、何処の何方ですか」
私の口から思わず零れ落ちた言葉を聞いたアスモデウスなる悪魔は、少しだけ悲しそうに笑って、もう一度アスモデウスであると名乗った。
私がここまで動揺しているのには理由がある。
私はこの目の前の美しい男のことを何も知らない、一切何も。
つまりこの男はゲームの中の登場人物でない完全なるイレギュラーであるのだ。もし攻略対象であるのならば、いざ知れず、良く分からない、しかも王の位などというとんでもない悪魔と契約を結ぶなんて不可能だ。それこそDEADEND一直線ではないか。
唇を開こうとする私に、アスモデウスなる悪魔が優し気な微笑みを見せる。残念ながら、あまりの情報量に動揺し、パンク寸前の私が言えるのはこれだけだ。
「取りあえず、チェンジで」