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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

また、桜の木の下で花見をしよう

作者: 美月

 とんとん、と肩を叩かれた感覚に俺の意識は浮上した。目を開くと、10センチ先に顔があり、俺は「うわぁっ!?」と叫びながら、のけぞった。その拍子に、後ろにあったものに思いきり後頭部をぶつける。痛みに呻いていると、俺の前にあった顔の主がこらえきれないとばかりに大笑いした。他からも遠慮のない笑い声が上がる。

龍也(たつや)、お前なぁ! 子どもっぽい悪戯やめろよ!」

 俺が顔の主である龍也に文句を言うと、まだ笑いの衝動が収まらないらしい龍也はすかさず反論してきた。

「いや、だって! せっかくの花見なのに、楽人(がくと)、いつのまにか寝ちゃってるんだもん。これは悪戯仕掛けるチャンスだって、神様が僕に囁いたんだよ!」

「そんな囁き、無視しろ!」

 まったく、油断も隙もない。俺たちの仲間内で一番童顔で背が低くて、子どもっぽいのが龍也だ。こいつはほんっっとにちょっと隙をみせると他愛のない悪戯を仕掛けてくる。まぁ、本気で嫌がったら、さすがに反省し、二度とその悪戯はやらないが。

「龍也の前で堂々と居眠りする楽人が悪いんやん」

 茶髪でちょっと軽薄な雰囲気を出した海都(かいと)が、関西訛りで龍也を擁護する。

「居眠りなどするから、そうなる」

 俺たちの中で一番がたいがよく、厳つい顔立ちの(げん)も、海都と同意見のようだ。俺の味方はどうやらいないらしい。

 俺は嘆息した。俺たち四人組は、すでに卒業しているが同じ高校の部活仲間だった。今日は4月1日、無事に俺たち全員が大学合格し、どうせなら高校で花見をやらないかという龍也の提案に乗って、俺たちは卒業したばかりの高校に集まっていた。

 何故、4月1日に卒業した高校で花見かというと。


「懺悔します! 俺、実は橋本のペンケース踏んで、中のシャープペン壊したことあります!」

「犯人はおまえかぁぁぁあああ!! あの後、俺、シャーペンなくて大変だったんだぞ!?」

 俺たちの近くで花見をしているグループから、そんな声が上がるのが聞こえてきた。

「変な風習だよな」

「うちの高校だけらしいで。4月1日のエイプリルフール、つまり嘘をついてもいい日に、花見をやりながら懺悔って。嘘かほんまかわからんから、相手も怒られへんっていうのを逆手にとったらしいわ」

 俺の呟きに海都が答えた。

「懺悔といえば、去年の龍也の懺悔は秀逸だったな」

 源が、思わずといった風に微笑する。

「あぁ、担任の教師の前でやったやつな。あの、明らかに懺悔じゃあらへんかったやつ」

「まさか、担任の前で、「懺悔します、僕、実は一回先生に水をぶっかけたいと思ってました!」って言いながら用意したバケツの水ぶっかけるとか、普通、絶対にやらねぇよな」

「僕もあんなに怒られるとは思わなかったよ。おちゃめな悪戯で済ませてくれてもいいのに」

「「「いや、無理だろ」」」

 俺らのつっこみがハモった。もちろん、その後、龍也は担任からのお説教が待っていたのは言うまでもない。

「そういえば、龍也はなんで、担任に水ぶっかけるとかやりたかったんだ? 別にキライとかじゃなかっただろ?」

 ふと俺が疑問に思い問いかけると、龍也は少し沈黙した後ちょっと話しにくそうに教えてくれた。

「あー、あのさ、先生、あの当時、離婚騒動で相当ストレス溜めちゃってたみたいに僕にはみえて。ついつい、爆発する前にガス抜きさせたげようとか思っちゃったんだよね」

「それ、そもそも誰情報だよ。おまけに、そんなのお前が怒られ損になるってわかっててやるかぁ?」

 俺が呆れると、龍也も苦笑気味に肩をすくめた。

「うーん、どうも爆発させると、先生自身がヤバい立場に立たされそうで、みてられなくて」

「龍也は妙に鋭いところあるさかいになぁ。それで自分が損してりゃ世話ないわ」

「気をつけた方がいい」

「もう、気をつけようもないって! 僕ら卒業してんだし!」

 あはははは!と龍也は笑う。だが、俺にとっては他人事ではない。

「大体、お前は・・・」

 俺は龍也のおかげで被った悪戯被害についてここぞとばかりに語った。海都と、源も話に乗ってくる。俺たちは高校談義に花を咲かせた。

 話が一段落して。

「みんな、離れ離れになっちゃうね」

 ポツリと、龍也がどこか寂しそうに言葉を落とした。俺たちは、みんな別々の大学に行くことになる。三年間、俺たち四人は一緒だった。だが、これからは違う。それぞれが別の大学に進み、別々の人生を歩んでいく。

「ま、しゃーないんとちゃう?」

「進路相談の時点で、大体こうなることは予想できていたからな」

「全員、第一志望の大学に合格してた時は、抱き合って喜んだもんな」

 まだ、一月も経ってないのに、何故かもう懐かしい気持ちになる。大学生活はこれからだっていうのに。

「ねぇ、みんな。一つだけ、約束しない?」

「なんだ?なんの約束だ?」

「みんな、これからは忙しくなると思うけど、一年に一回、ここに集まってお花見しようよ。それでこの一年の報告とかやるの」

「いいな、それ!」

 龍也の提案に、俺が一も二もなく乗るのとは反対に、海都と源の表情が強張った。様子のおかしい二人に俺は内心で首を傾げる。

「どうしたんだ、海都、源? 別にそんなにおかしな話じゃないだろ」

「いやー、これから忙しなるかもしれんのに、そんな約束、とてもできへんわ」

 へらっと海都が苦笑し、源もそれに同調する。

「悪いが、俺も海都に賛成だ。そもそも、ここまで帰ってこれるかもわからん」

「お前ら、そんなに薄情なやつらだったか? いいじゃねぇか、一年に一回くらい、こっちに帰って来ても」

「・・・・・・簡単にできたら苦労せんわ!」

 海都が唐突に激昂し、俺の方に手を伸ばしてきた。慌てて源が、海都を羽交い締めにする。

「やめろ、海都!」

「なんでや! なんでなんや、俺らが・・・俺は!」

「落ち着け! 楽人に言っても仕方ないだろうが!!」

「源、お前は悔しくないんか!? なんでや! なんで!!」

 凄まじい勢いで口論する二人の迫力に、俺は絶句してしまった。

「かい、と? 源? 俺、お前らに何かしたか? お前らが怒るようなこと、なんかしちまってたか?」

 急に感情的になった海都のことが理解できず、どうしたらいいのかもわからない。答えを求めた俺に、二人がばつの悪そうな、いや、悲しそうな表情になる。その二人の表情に、俺の胸に不安がこみ上げる。

 ぱあぁぁあああん!!

 大きな音に、俺らは反射的に音の出所を探した。にんまり、という表現がぴったりな笑顔で、龍也が手を下げる。こちらがびっくりするほどの大きな音の正体は龍也が手を叩いた音だった。

「ほらほら、そんなしけた顔してたら、三人とも男前が台無しじゃん! まぁ、僕の男前っぷりには負けるけどね?」

 龍也はおどけながら、まだ羽交い締めにされてる海都の腹にかなり容赦ない一撃を打ち込んだ。あれは、絶対に痛い。

 俺は心の中でちょっぴり海都に同情した。

「ち、ちょ、自分、容赦無さすぎちゃう?」

 腹を抑えて、うずくまり、涙目になった海都に、龍也があきれたと言わんばかりの視線を注ぐ。

「あのね、今はみんなで楽しくお花見してる最中なの。余計なもめ事や厄介事はお呼びじゃない。空気が読めてないのは海都の方だったよ」

 諭すような龍也の口調に、「・・・悪かったわ」、と素直に謝る海都。ほっ、と安堵したように息を吐く源。こういう場面では、龍也が俺たちの中で一番頼りになる。どんな時でもこいつは暗い雰囲気を吹き飛ばして、明るい空気に変える。だからこそ、在学中、色々と悪戯を仕掛けまくったにも関わらず、龍也のことを本気で嫌う人間はほとんどいなかった。そのバランス感覚がすごいと素直に俺は思う。

 キーンコーンカーンコーン。キーンコーンカーンコーン。

「チャイム?」

 校庭に響いたチャイムの音に、俺は内心、あれ、と思った。今日はまだ春休みで休校中のはずなのに。

「・・・・・・そろそろ、いこうか」

「え?」

 龍也の声に何故か俺は言い知れぬ不安を感じた。いや、不安だけではない。寂しさや悲しさ、孤独。なんでだ? 三人はちゃんとここに・・・。

 顔を上げた俺は驚いた。俺の側にいつのまにか三人はおらず、三人の背中は校門のすぐ側にあった。

「おい、待てよ!俺一人だけ、置いてくなよ!」

 慌てて追い掛けようとして、俺は体が動かないことに気づいた。

「ダメだよ、楽人。まだ、こっちに来たら」

「龍也?」

「せやせや。お前は、俺らについてきたらあかん」

「海都?」

「まだ、その時ではない」

「源? みんな、何言ってんだよ! なんで俺だけ除け者なんだよ? そもそも、どこにいこうとしてんだ!?」

 三人は俺に背を向けたままだ。あと数歩龍也たちが足を動かせば、彼らは校門から出てしまう。いかせてはいけないと、強く俺は思った。なのに、俺の手足はピクリとも動かない。

「ほんと、世話が焼けるなぁ、楽人は」

 龍也が振り返った。校門まで距離があるのに、俺には龍也が笑顔であることが何故か感じ取れた。

「楽人! 今日した約束、忘れないでね! 一年に一回、お花見して、どんな一年だったか報告するやつ! あぁ、あと、今日お花見した桜の木の下に宝物を隠しておいたから、掘り出してみてよ! 二人は、まだ言うことある?」

 龍也が両隣にいる海都と源に尋ねる。

「言うこと、なぁ。こういう時、何言えばいいんか俺にはわからへんわ」

「楽人。元気でな」

「せやな。楽人、元気に大学生活楽しみや!」

 今度こそ、三人が校門をくぐった。

「待てよ! いくなよ、いくなっ!!」

 俺は必死に叫んだ。俺の目からはいつのまにか涙が流れていた。




「いくなっ!!」

「きゃあ!?」

 俺の耳に最初に届いたのは、馴染みのない誰かの悲鳴だった。自分の状況が把握できず、俺は少しの間呆然としてしまった。知らない天井、あまり嗅いだことのない臭い、ぴっぴっと規則正しい音がしていたので、そちらに顔を向けると、テレビドラマなどでよくみる、心電図を測るための機械が置いてあった。

「ここ、は・・・・・・?」

「えっと、あの、中原さん? 意識が戻られたんですか?」

 気づけば俺の側に白いナース服を着た女性がいた。

「意識が戻った?」

 オウム返しに俺が尋ねると、看護婦は慌てて部屋を出ていった。ついで、看護婦と一緒に慌てて部屋にやって来たのは俺の母さんだった。

「楽人! 意識が戻ったのね!」

母さんは俺を見るなり、涙を溢れさせ、俺に抱きついてきた。母さんの手には痛いぐらいの力が込められている。

「良かった、本当に良かった・・・」

「母さん? 一体、なにがどうなって・・・」

「あんた、三週間ぐらい意識が戻らなかったのよ!」

「は?」

 母さんの言ってる意味がよくわからず、俺は間抜けな声を出した。

「本当なのよ! 楽人、あんた三週間、ずっと寝たきりだったの! 意識が全然戻らないから、このままずっとあんたの意識が戻らなかったらって思うと、母さん、すごく怖くて・・・!」

「ま、待てよ! 待ってくれ、母さん、頼むから!」

俺は早口でまくしたてる母さんに慌てて待ったをかけた。

「俺が、なんだって? どうなってたんだ?」

「病院に運び込まれて、本当に三週間、楽人は寝たきりで意識が戻らなかったのよ。ほら、今着てるのもパジャマでしょ?」

 俺は自分の格好を見下ろした。確かにパジャマ姿だ。と、いうことは、母さんが言ってることは本当なのか?

「すみません、遅くなりました。中原さんの意識が戻られたということで、一応診察させてもらえませんか?」

 医者が到着し、俺は簡単な診察を受けた。医者曰く、特に記憶障害などなく、寝たきりであったことを除けば健康体そのものだそうだ。母さんがあからさまにほっとする。

「中原くん。答えたくなければいいんだが、事故のこと、どれぐらい覚えているかな?」

「事故?」

「そう。君が乗っていた電車の、脱線事故のことだよ」

 脱線事故。

 その単語を聞いた瞬間、俺の胸は嫌な鼓動を立て始めた。

 吐き気を感じて手で口を覆う。

 なんで、忘れていたんだろう。四人で花見をし、帰りの電車の中で、突然凄まじい音がして、衝撃が走り、俺は後ろに転倒して、その場で意識がブラックアウトしたのだ。そして、それから目覚めたのが今だ。

「・・・・・・・・・なぁ、母さん」

 俺の口の中はカラカラに乾いている。一言発するだけでも、多大な労力を強いられた。

「みんなは? 俺と、一緒の電車に乗ってた、他の、やつらは? 無事、なのか?」

 母さんは大きく目を見開き、医者は厳しい表情になった。

「ケガ、してるのか? 重傷なのか?」

「楽人。あのね、その三人は・・・」

 母さんは恐怖で顔をひきつらせている。まるで、その先を言うことが怖いみたいに。


「なくなったの」


 一瞬、俺は言葉の意味を理解し損ねた。いや、理解することを頭が拒絶したのかもしれない。

 俺は気づけば、掛け布団を頭からかぶっていた。

「楽人!?」

 聞きたくない、なにも。母さんの言うことを今はなにも聞きたくない。

「お母さん。今は、楽人君を一人にしてあげましょう。いきなり過ぎて、混乱してしまったんですよ」

「そう。そうよね。ごめんね、楽人。母さん、楽人の気持ち、なんにも考えてなかったわ。楽人が目覚めたことで、浮かれちゃったみたい。少し頭を冷やしてくるわ」

 ぽんぽんと掛け布団を優しく叩かれてから、ドアの開閉する音がし、部屋の中から人の気配が消えた。

「ウソ、だよな?」

 心にたくさんの重石が乗ったように苦しい。息ができなくなりそうで。

 現実を拒否したかったからか、俺はいつのまにか寝入ってしまっていた。


 俺は早くに寝入ってしまったせいか、変な時間に目が覚めた。ベッドの側にある机に、母さんからのメモが置いてあった。一旦帰って明日、また来るとのことだった。俺は着替えをしたくて、部屋の物入れをごそごそとやり、たまたま、自分の携帯電話を見つけた。

 もし、母さんが言ったことが本当なら。俺は、震えながら携帯を操作し、アプリを起動して、あいつらに電話を掛け始めた。

 源、海都には繋がらず、最後に龍也に掛けている最中。

『・・・・・・・・・はい』

「もしもし、龍也か!?」

 電話が繋がったことが嬉しくて、つい勢いがついてしまった。途端、相手が不審げに訊いてくる。

『誰だ? 龍也の友達か?』

 その声に俺は聞き覚えがあった。何度も龍也の家に行った時に話した相手だ。

「ひょっとして、虎太郎さんですか?」

 虎太郎さんは、龍也の兄だ。今は会計士をしていて、忙しそうにしていたのを覚えている。

『その声、中原君か? そうか、目が覚めたんだな。良かったな』

 向こうも俺のことを覚えていたらしい。

「はい、中原楽人です。こんばんは。あの、なんで、龍也の電話に、虎太郎さんが?」

『・・・・・・・・・龍也のこと、なんにもきいてないのか?』

「・・・・・・・・・。」

 俺は沈黙してしまった。母さんから、聞きはした。だけど、それを信じたくなくて、こんな時間に電話を掛けているとは切り出しにくかった。

『・・・・・・あいつ、死んだんだ』

「あ」

『列車の脱線事故で。しかも、原因がたった数分の遅刻も許されないから、スピード出しすぎたとかさ。人の弟殺しといて、ふざけんなって言いたいよ!』

 虎太郎さんは激情のままに電話口で叫ぶ。

『なんでだよ!? なんで龍也が死ななきゃならなかったんだ!? あいつがどんだけ勉強して大学受験に合格したと思ってんだよ! たった数分の遅刻がなんだよ!? 事故起こすくらい重要なことなのか!』

「虎太郎さん・・・・・・」

『今度の、ゴールデン、ウィークに、合格祝いに、家族旅行に行く予定だったんだよ・・・あいつが、行きたがってた沖縄でさ・・・なのに・・・』

 虎太郎さんの声は涙ぐんでいた。

「それ、龍也から聞きました。花見の最中に」

『あいつ、本当に嬉しがってた。ガイドブックまで、わざわざ買ってきてさ、ここに行きたいとか、お土産どうしようかな、とか。色々、印、つけて・・・うっ。うぅ。なん、で・・・こんなのないだろ。あんまりだよ』

「・・・・・・・・・龍也、本当に、死んだんですね。ううん、龍也だけじゃない。源や、海都も。他の誰かも」

『・・・・・・・・・・・・あぁ。あの電車に乗ってた龍也の友達で生きてるのは、中原君だけだ』

「そう、ですか。夜分遅くに、すみません。突然電話を掛けて」

『いや、いいよ。でも、今、こっちもあんまり余裕なくてさ。悪いけど、切ってもいい?』

 はい、という俺の返事にじゃあ、と虎太郎さんが通話を切った。

 俺は携帯をベッドに放り出し、ごろりと横になった。腕で目元を覆う。

 母さんから聞いたときは、信じられなかったし、信じたくなかった。三人がなくなったなんて。だけど、今、虎太郎さんと話して、真実だと受け入れるしか、なくて。

「う、うぅ。うぅぅうううう。ひでぇよ、お前ら。俺だけ置いてきぼりかよ・・・・・・」

 龍也の悪戯をしたときの子どものような笑みは、もう二度と見られない。

 海都から鋭いつっこみを入れられることも、もうできない。

 源が龍也や海都をたしなめる声を聞くこともできない。

 できない、できない、できない。

 だって三人はもういないのだから。

「なん、で。なんでなんでなんでなんでなんでっ!!」

 口は動くのに、息をすることが苦しくてたまらない。

 なんで三人が死ななきゃならなかったんだよ。

 なんで俺たちが乗ってたあの電車だったんだよ。

 俺だけじゃなく、三人も助かっても良かっただろ!

 三人ともこれから新しい生活が待ってたんだ。新しい大学で、また友達をつくって、合コンとかコンパとかにも出てみたいなって、花見のとき話してたんだ。たった三週間前まで、生きてたんだ!!

「りふじん、すぎるだろ」

 こんな唐突な別れ、ひどすぎる。返してくれよ、それができないならせめて時間を巻き戻してくれよ。

 頭も心もぐちゃぐちゃで。悲しみと苦しみと辛さと寂しさと喪失感でなにも考えられなくて。

 俺はただ、ただ、声を押し殺して、夜が明ける間際まで泣いた。


 翌朝。目は腫れぼったくなっており、さらには充血していた。たった一晩で憔悴した俺を、食事を持ってきてくれた看護師さんが心配してくれたが、今は誰とも話したくない。なにも考えたくない。なにも聞きたくない。こんな風に考えるのっておかしいのかな。

 現実から目をそらしていることぐらい、わかってる。

 それでも、目をそらさずにはいられないほど痛いのだ。

「楽人? 大丈夫?」

 着替えを持ってきてくれた母さんが俺のことを心配してくれる。でも、返事をする気にさえなれない。

「楽人が望むなら、心理カウンセリングを受けることもできるわ」

 俺は首を横に振る。今は、知らない誰かと関わりたくない。

「楽人・・・。そうよね、時間が必要よね。立ち直るための時間が。でも、楽人、覚えておいて。なにがあっても父さんも母さんも、楽人の味方だから」

 ありがたいと、心底そう思った。俺のことを大事にしてくれる両親には感謝してもしきれない。

「楽人。ご飯、少しだけでも食べられる? 空腹の時には悪いことしか考えられないって父さんがいつも言ってるわ」

 俺はのろのろと起き上がり、食事を口にした。とはいえ、しばらく点滴だった俺の食事に固形物はあまりないが。俺が手を動かしていると、不意に母さんが動き、俺の手を握ってきた。

「楽人。生きててくれて、ありがとう」

 母さんは握った俺の手を、ゆっくりと自分の額にくっつけた。

「楽人が目を覚ましてくれて、こうして目の前で生きててくれることが、母さん、嬉しくて仕方ないの。他の人には気の毒だと思うけど、それでも楽人が生きててくれて、私は嬉しい」

 母さんと繋げた手から、温かさが伝わってくる。

「無理はしなくていいから。楽人と龍也君たちがどれだけ仲が良かったかなんて知ってる。楽人がどれだけつらいかも、母さんわかってる。だけど、これだけは言わせて。楽人はけして一人じゃないから。一人には、孤独にはさせないから。お願い、つらくなったら、抱え込まずに話して。話すだけで楽になることもあるから」

 母さんのその言葉に励まされて、俺は口を開いていた。

「・・・・・・・・・・・・。母さん」

「なぁに?」

「俺、どうすればいいのかな。どうすれば、いいのか、全然、わかんない。ただ、すっげぇつらくてつらくて仕方ない。あいつらがいなくなって、俺だけ、生き残って」

「うん」

「もう、あいつらには会えなくて、寂しくて、苦しくて、どうしようもないんだ。受け入れなきゃって思うけど!だけど、受け入れられないんだ。あまりに苦しすぎて、受け入れられないんだよ」

 溢れた感情が涙となって、流れた。母さんがゆっくりと俺の頭を抱きしめてくれる。

「すぐに受け入れなくてもいいの。ちょっとずつ、ちょっとずつでいいから」

 俺は母さんの優しさを直に感じた。ちょっとずつなら、この痛みも苦しみも喪失感も受け入れられるのかな。

「花見の時、さ。俺たち、色々と話したんだ、自分たちのやりたいこと。龍也は、企画職に就きたいって言ってた。源は、デザイナーになりたいって言ってさ、みんな驚いた」

 涙ぐみながら、俺は母さんに最後にみんなでやった花見の時のことを語る。

「海都は実家に帰って、家を継ぐって。俺はまだなんにも決めてないって嘆いたら、龍也が、「じゃあなんにでもなれるね、楽人は」って言ってくれてさ。嬉しかった」

「そう。お花見、楽しかった?」

「楽しかった」

 即答する俺に、母さんはちょっとだけ苦笑したようだった。

「高校生活で、一番の思い出になった。きっと一生忘れない」

「良かったわね」

 うん、と俺は頷いた。その拍子にまた、涙が目尻からこぼれる。

「唐突な、突然の別れはつらいわね。母さんは楽人と別れなくて済んだけど、楽人が目を覚まさない間、ずっと生きた心地がしなかったわ」

 母さんは俺が落ち着くまで側にいてくれた。人の温もりがこんなに安心するものだったのだと俺は初めて知った。


 俺が落ち着き、母さんが家に帰ってから、俺はぼんやり窓の外を眺めた。この病院には中庭があり、中心には巨大な垂れ桜が植えてある。とはいえ、そろそろ花の見頃も過ぎているので、ほとんど花はついていない。かわりに、若葉の黄緑色が枝から芽吹き、花とは違った生命力をいきいきと表現している。ふと、俺は思い付いた。この病室に長時間いるのも塞ぎこむ原因なのかもしれない。あの垂れ桜は側に行くとどんな感じなのだろうか。

 俺はのろのろとパジャマから普通の服に着替え、ベッドの手すりを掴んで、床に降りた。三週間寝たきりであったため、筋力は当然の如く落ちており、体が重く感じる。

 それでも、あの桜の間近に行きたかった。俺は一歩一歩踏みしめるように、ゆっくりと中庭を目指した。

 


 なんとか中庭まで降りた俺は、垂れ桜の下に立った。やはり、窓から見下ろした通り、花はほとんど散ってしまっている。それが無性に悲しく感じる。そっと幹に触れた。所々ごつごつしているが、すべすべした部分もある。

 大きく息を吐いた。目を閉じると、優しい梢の音が耳に心地よい。

 俺はさまざまなことを思い出した。最初の出会い時に悪戯を仕掛けてきた龍也。

 たまたま、席が近くで話すようになった海都。

 部活で初めて知り合った源。

 よく、四人で部活の練習に励んだ。丁度四人だと、二対二の練習ができたので、学校ではほとんどの時間を一緒に過ごした。クラス替えがあった時も、昼休みやちょっとした休み時間にはよく、話した。あの頃はきっとどんな未来になっても、四人の縁は続くんだろうなと根拠もなく思い込んでいた。そんなわけ、なかったのに。

 失ってから、初めて気づいた。

 どれだけ自分があの日常を大事に思っていたのかを。

 どれだけあの日常が尊く、貴重なものだったのかを。

 もう、戻らない。新しく始めることもできない。俺一人だけで始められるわけがない。

 せっかく気分転換に来たのに。結局、暗く落ち込んでしまっている。


「おにぃ、ちゃん?」


 微かな声が聞こえ、俺は振り向いた。松葉杖をついた、小学生ぐらいの女の子がよろよろと俺の方へとやってくる。危なっかしい足取りだなと俺が思うのと、その子が、なにかにつまずいてこけかけたのはほぼ同時だった。

「危ない!!」

 反射的に体が動いていた。その子に駆け寄り、慌てて小さな体を抱き止める。

「大丈夫?」

 女の子は俺の顔を見上げ、くしゃりと表情を歪めた。

「おにぃちゃんじゃ、ない」

 その女の子にとって、「おにぃちゃん」は特別な存在なのだろう。ちょっとむっとしたが、ここで女の子を突き放すのも冷たいと思われそうだ。

「おにぃちゃんじゃ、なくてごめんな」

「・・・・・・(ふるふる)」

 女の子は、俺から離れると、松葉杖を取ろうと腕を地面に伸ばした。

「あ、俺がとるよ。ちょっと待って」

 また、こけそうになる女の子が心配で、俺は自分から松葉杖を拾って女の子に渡した。

「ありがとう、別のおにぃちゃん」

「・・・その、別のおにぃちゃんって、やめてもらえるかな。一応、俺には中原楽人って名前があるから」

 なんとなく、女の子の呼び方に引っ掛かって俺は思わず名乗っていた。

「じゃあ、楽人おにぃちゃん?」

「うん、そう呼んで」

「松葉杖、拾ってくれてありがとう、楽人おにぃちゃん」

 にこりと、女の子の顔に笑みが咲いた。

「ゆゆはね、東野(ひがしの)ゆゆ。ゆゆって呼んで、楽人おにぃちゃん」



「ゆゆは、なんで、わざわざ中庭まで出てきたんだ?その足じゃ、ここまで来るだけでも大変だっただろう?」

 中庭にあったベンチに座りながら、俺はゆゆに話を聞くことにした。なんとなく、一人になりたくなかっただけかもしれない。

「ゆゆね、おにぃちゃんを待ってたの。すっごく優しいおにぃちゃんでね、いっつもゆゆに折り紙とか教えてくれたんだ。退院してから、家から手紙書くって言ってくれてたの」

 どうやら、ゆゆの言うおにぃちゃんは元々ここの入院患者だったらしい。

「・・・・・・でもね、待っても待っても、おにぃちゃんから全然手紙は届かなかったの。だから、おにぃちゃんとよく会ってた中庭に来て、おにぃちゃんに早く手紙ちょうだいって、お願いするの」

「住所とか、電話番号とか、きいてないのか?」

 俺にとっては、軽い、質問のつもりだった。だが、ゆゆは力なく、首を横に振った。

「無理なの。本当はおにぃちゃんからお手紙もらえないの、ゆゆ知ってるの。だって、おにぃちゃん、もういないんだもん」

 いない? その単語に、俺の胸は早鐘を打ち始めた。ゆゆは、意気消沈しながら、俺に打ち明けてくれた。

「おにぃちゃんね、なくなってるの。看護婦さんたちが話してるの、ゆゆ聞いたの。ゆゆに会いに来る途中、事故に遭ったって」

「事故・・・・・・」

 それは、いまだに俺を傷つけ、悩ませるキーワードの一つだ。俺の変化に気づかず、ゆゆは続ける。

「列車の脱線事故だって」

 つかのま、息を吸うのを俺は忘れた。

「ゆゆね、テレビいっぱいみたの。そしたらね、電車がめちゃくちゃになってたの。おにぃちゃんもその時死んじゃったんだって」

 じわりと、ゆゆの目に涙が浮かんだ。ぐすぐすしながら、ゆゆは俺に言った。

「おにぃちゃん、ゆゆのせいで死んじゃったんだ」

「そんなこと!」

「だって、ゆゆのせいだもん! ゆゆがおにぃちゃんに会いたいって思わなかったら、おにぃちゃん電車に乗らなかったもん! だから、だから、ゆゆのせい・・・・・・うぅ、うわぁぁああん!!」

 とうとう堪えきれずにゆゆは、大声で泣き出した。

「ごべん、なさい、ごべん、なさい! ゆゆが、ゆゆが、わ・・・まま、言ったから! おにぃちゃん・・・!!」

「やめて、やめて、くれよぉ、ゆゆ・・・! そんなの、俺も・・・」

 あぁ、無理だ。ゆゆを泣き止ませなきゃいけないのに。ゆゆにつられて、俺の弱さが露になる。

「な、んで、なんで、俺だけ生き残ったんだよ! なんで、あいつらが死ななきゃいけなかったんだよ! ちくしょう!!」

 泣いてるゆゆの隣で俺もまた泣きながら、怒った。怒りながら、また泣いた。ゆゆの泣き声がいっそう大きくなり、とうとう病院内から看護婦たちがとんでくる。ゆゆと二人して大泣きしている場面をみた看護婦や看護師たちが、慌てて俺らを自分の病室に戻らせた。

 病室に戻っても、しばらく俺の感情は荒れたままで、ベッドの上で何度も拳を降り下ろした。無意味な八つ当たり。理性は告げるが、感情はそれでもいいと叫ぶ。だってつらいんだ、苦しいんだ。誰かに助けてって言いたいのに、自分にそんな資格があるのかさえ、わからない。

 ある程度感情が落ち着くと、俺はゆゆのことを思い出した。

 きっと、ゆゆも俺と同じように、いや、俺以上に苦しいんだ。

 自分の大切な人が、自分に会いに来るために事故に遭ったなど、まだ小さなゆゆの心を深く傷つけたに違いない。

 だから、ゆゆは自分が悪いのだと思い込んでしまった。

 だけど、ゆゆはなにも悪くないのだ。

 あの事故で生き残った俺は、ゆゆがなにも悪くないことを知っている。

「伝え、ないと・・・」

 ゆゆにもう一度会って伝えたい。ゆゆはなにも悪くないと。だって、ゆゆはただおにぃちゃんに会いたがっただけだ。

 それなのに、あんなに小さい身で俺みたいにこんな苦しさを味わうなんてあんまりだ。


 コンコンコン。


「中原さん、すみません。入ってもいいですか?」

「ばい、開いてます」

 鼻をかみながら、俺は答えた。

「失礼します。・・・少しは落ち着かれましたか?」

 入ってきたのは、目覚めたときに俺を診てくれたあの医者だった。

「はい、すみません。公共の場であんな騒ぎを起こして」

「いえ、こちらこそ気づくのが遅れて申し訳ありません」

「ゆゆは、どうなりましたか?」

 ゆゆのことを尋ねると、医者はあっさりと教えてくれた。

「あの子も自分の病室に戻っています。それでですね、中原さん、頼みがあるんです。あの子とあなたが、今後接触することを控えてもらえませんか」

 俺は一時的に思考が停止してしまった。

「どうして、ですか」

 絞り出すような、か細い声が出た。

「あなたがあの子に接触することであまり良くない精神状態になっているからです。それは、あの子も同じです。だから、あなたたち二人の接触は危険だと判断しました。・・・接触を控えていただけますね?」

 それは、疑問形の言葉にも関わらず、ニュアンスは確認に近かった。

「待ってください! そんなの、あまりにも横暴じゃないですか!? 誰と話そうが、自由なんじゃないんですか!?」

 俺の反論に、医者は毅然とした態度を崩さない。

「普通ならばそうでしょう。ですが、双方に害があると判断すれば、行動を制限することも病院では当たり前です。ここは病院です。他の患者さんも当然いますし、そんな患者さんからすれば、今日の中庭での騒動はびっくりする出来事のはずです。他の患者さんの意向もこちらは考慮しなければいけません」

「じゃあ、誰がゆゆのことを助けてくれるんですか!? 医者がなんとかしてくれるんですか!?」

 俺は声を荒げていた。あんなに苦しんでいるゆゆを、このまま放ってなどおけない。気持ちがわかるからこそ、一刻も早くゆゆの苦しみを軽くしてやりたい。

「この病院にも、カウンセラーはいます。彼女には、カウンセリングを受けてもらって、少しずつ立ち直ってもらおうと思ってます」

「なんだよ、それ! あんた、どんだけこれが苦しいのか、本当にわかってんのか!? 誰かに助けを求めたくても求められない気持ちが本当にわかんのか!」

「わかりますよ。私も医者の端くれですから。それに言うのはどうかと思いましたが、今日のゆゆちゃんの様子をご両親がみています。これは、あちらのご両親の意向でもあるんですよ」

 ガツン、と頭を殴られたような衝撃を受けた。ゆゆには、ちゃんと両親がいる。だけど、その両親はゆゆの苦しみを果たして本当に理解できるのだろうか?俺には理解できるとは思えない。ゆゆを励まし、立ち直らせようとはするだろう。それをみて、ゆゆが心配をかけるまいとする姿がなんとなく想像できた。そう振る舞ってるうちに、ゆゆは誰にも秘めた胸の内を明かせなくなってしまうのではないだろうか。

 ダメだと思った。

 俺はゆゆがなにも悪くないことを知っている。俺だからこそ、ゆゆの心を深く理解できる。

「中原さん、答えてください。今後、ゆゆちゃんと話さないでもらえますか?」

 最後通帳の二択。

 俺は深く息を吸い、吐き出した。

「・・・・・・聞けません」

「中原さん。厳しいことを言いますが、あなたのそれは、ただのわがままです。同情で誰かに接することはおすすめしません」

 同情? 違う。俺のこの気持ちは・・・。

「違います。先生、俺のこの気持ちは同情なんかじゃない。ただ、ゆゆが少しでも苦しみから抜け出せたら、それをみた俺も少しだけ自分の苦しみから救われる気がするんです。最低な理由でしょ?」

 そう、俺はゆゆを救いたいわけではなくて、自分を救いたいだけなのだ。

「ねぇ、先生。俺、今でもわからないんですよ。なんで、俺だけ生き残ったのか。なんで、俺の友達は死ななきゃいけなかったのか。こんなに苦しいのに、生きてるのがつらいって思ってるのに、俺は生きてるんですよ。生きなきゃいけないんですよ。だって、あいつらができなかったことを、俺はやらなきゃいけないから。あいつらが大学生になれなかった分、俺はちゃんと大学生活送んなきゃ、それこそあいつらに会わせる顔がない」

 あいつらの中で、俺だけ、生き残って。

 俺だけが大学生になる。あいつらがなれなかったものになる。

 もうできないことを、せめて俺だけはやる。だって、そうじゃなきゃあいつらの死はなんのためにあったんだよ?

 もしも俺があいつらと逆の立場なら、精一杯生きろって、絶対に生き残ったやつに言うはずだ。だから。

「ゆゆの言ってたおにぃちゃんも、ゆゆが自分のせいで苦しむことなんて、絶対に望まないし、許せないと思うんです。だから、俺が代わりに言いたいんです。ゆゆのせいじゃないって。だから、お願いします。あと、一回だけでいい。ゆゆと話をさせてください」

「・・・・・・まず、ご両親の許可が要ると思います。ゆゆちゃんと話したいのなら、ご両親を納得させてからにしてください」

 嘆息混じりに、俺は医者から消極的な賛成をもぎ取ったのだった。



 ゆゆと出会ってから数日が経った。あれから俺の担当の医者が動いてくれたらしく、俺はゆゆとの面会を許された。ただし、ゆゆの母親が念のためにその場に同席するということだった。

 俺は指定された時間に、中庭に向かった。

「あ、楽人おにぃちゃん」

「数日ぶりだな、ゆゆ」

 この間会った時よりもゆゆの顔色はいい。俺は少しほっとした。

「ゆゆ、この間はごめんな。急に俺も泣き出して、驚いただろ」

「ううん。大丈夫だよ! ゆゆの方こそ、楽人おにぃちゃんに迷惑かけて、ごめんなさい」

 しょぼん、とするゆゆの態度に不自然なところはない。それこそが不自然なのだと俺は思った。ゆゆは内心を隠している。それは、母親の前だからかもしれない。俺はゆっくりと息を深く吐いて、吸い込んだ。

「ゆゆ。こんなところにわざわざゆゆを呼び出したのは、俺から話があるからなんだ。聞いてもらえるか?」

「うん。ゆゆ、そのつもりで来たよ」

「そっか。ちょっと驚くかもしれないけど、ごめんな。・・・ゆゆ、俺はゆゆが言ってた、おにぃちゃんが死んだ列車脱線事故の生き残りだ」

 ゆゆが大きく目を見開いた。俺は、そんなゆゆを正面から見据える。

「あのとき、電車に乗っていたのは、俺だけじゃない。俺の友人たちも、一緒に乗ってたんだ。そして、俺だけが違う車両にいて、生き残った」

「・・・・・・・・・。」

「最初はさ、俺、信じられなかったんだ。事故があってから、三週間俺は寝たきりだったらしいから。意識が戻って、みんな死んだって聞かされたときはなんでって心底思った。なんで、俺だけ生き残ったんだ、あいつらだって生き残っても良かっただろって、そう思った。それから、ずっと悩んでる。俺は生きてて本当に良かったのかって」

 ゆゆの体が震え出す。だが、俺はちゃんとゆゆに言わなきゃいけない。

「ゆゆ。俺は直接現場にいたにも関わらず、なにもできなかった。なにも守れなかった。それを俺は後悔してる。だけどな、ゆゆ。その電車に乗ったのは、全部自分の意志なんだよ。なにか理由があったとしても、乗るって決めたのは本人なんだ。だから、おにぃちゃんが死んだのはけしてゆゆのせいじゃないんだ」

「・・・・・・・・・・・・。」

 ゆゆはぎゅっと唇をかみしめ、顔を俯けた。

「つらいよな、苦しいよな。さみしいよな。いいんだ、そう感じて。俺も母さんに言われた。泣けばいいって。つらいのも苦しいのもさみしいのも、少しずつ受け入れていけばいいんだって、そう教えてもらった。俺、考えたんだ。なんで、こんなにつらいのか。答えは簡単だった。俺があいつらのこと、本当に好きだったから。最高の仲間だと思ってたから、だからこんな気持ちになってるんだって。ゆゆがどうしようもなく、悲しいんだったら、それはゆゆがそれだけおにぃちゃんのことが大好きだったからなんだ。きっと、おにぃちゃん、天国でゆゆのことを心配してる。ムリして明るく振る舞って、その裏で、自分のせいでおにぃちゃんが死んだんだって、自分を責めてるゆゆを心配してるよ」

「ふぇ、うぅ」

 握りしめたゆゆの拳にポタポタと雫が落ちた。

「ゆゆ。もう一度言う。列車の脱線事故が起きたのはゆゆのせいじゃない。おにぃちゃんが死んだのは、けしてゆゆのせいじゃないんだ。あの列車に乗ってた俺が断言する。ゆゆは、なにも悪くない」

 とうとう、堪えきれなくなったゆゆが嗚咽を漏らし始めた。隣に座っていた俺にしがみつき、泣きながら、ゆゆは自分の気持ちを叫んだ。

「ゆゆ、おにぃちゃんに生きててほしかった! もっと、折り紙教えてほしかった! もっと、もっと、ずっと一緒にいたかった! 一緒に遊んでほしかった! それだけ、だったのに・・・! いやだよ、おにぃちゃんにもう会えないなんて・・・・・・いやだよぉ」

 ゆゆは泣きじゃくりながら、どんどんと俺の胸を叩いてきた。ゆゆの八つ当たりを受け入れながら、俺はゆゆの小さな体を抱きしめた。

「あぁ、そうだな、ゆゆ。生きててほしかったな」

 もう、ゆゆが言葉を発することはなかった。ただ、ただ、俺にしがみついて、ゆゆは思う存分泣くのだった。


 泣き疲れて、ゆゆは俺の胸の中で眠ってしまった。それを確認したゆゆの母親が、俺からゆゆを引き取り、ゆゆをだっこする。

「ありがとうございます。ゆゆの気持ちを軽くしてくれて。ゆゆが苦しんでいるのには気づいていました。だけど、ゆゆは私たちの言葉では納得してくれなかったんです。誰に似たのか、本当に頑固で・・・・・・」

「理屈で納得できるものじゃないですよ、感情は。俺だってこんなに図体がでかくなってもまだ感情に振り回されてますから」

「本当に、その通りですね。勉強になりました。これからはもっとゆゆの話を聞くことにします。お世話になりました」

 ペコリと頭を下げてから、ゆゆたちは俺から離れていった。その後ろ姿を見送っていると、俺もほんの少しだけ救われた心地がした。



 ようやく、精密検査も終わり、異常なしと結果が出て、俺は病院から退院することになった。中庭での一件以来、ゆゆとよくしゃべるようになり、俺の病院生活の環境はけして悪くなかっただろう。

 今日が退院日で、俺は見送りに来てくれたゆゆやゆゆの両親、担当医に別れを告げてから、迎えに来てくれた母さんの車に乗った。窓の景色が変わっていくのを俺はぼんやりと眺めていた。

 これから、どうしようか。

 入院中に母さんと相談して、大学には休講届けを出していた。俺の大学生活が始まるのは、今年の九月からになる。季節はもう五月に入り、所々鯉のぼりの飾りが風にそよいでいる。

「なぁ、母さん。ちょっと、高校寄って欲しいんだけど」

「えっ?? ・・・・・・いいけど、楽人、あんた、大丈夫なの?」

「大丈夫、かはわかんないけど。でも、桜がみたいんだ。最後にみんなで花見をした桜」

 病院生活の中でずっと考えていた。

 みんなで、花見など、しなければ良かったのか。今さら言っても遅いことはわかってる。

 もしも、あの日雨が降って、花見を延期にしていたなら。

 全員が大学生になれていたんじゃないだろうか、とか。

 ゆゆにあんなことを言っておきながら、俺自身は一歩も前に進めちゃいないことを嫌でも自覚する。

 後悔しても始まらないと、理性は告げるが、感情を納得させることはできない。・・・できそうにない。

 なにか、きっかけが欲しい。前を向くための力がもらえるきっかけが。

 あのみんなで花見をした桜の下で誓えば、少しは前を向けそうな気がして。気づけば高校に行きたいと、母さんに口走っていたのだ。

「わかったわ。でも、辛くてムリそうなら、車に戻って来ればいいから」

「ありがとう、母さん」

 俺は母さんにお礼を言い、車が方向転換することに少しだけ笑った。



「すっかり、葉桜になってるな」

 五月の連休中とはいえ、駐車場の関係もあり、母さんが学校の職員室に出向いて説明してくれてる間に、俺はみんなで花見をした桜の木の下へと赴いた。

 花の見頃は既に終わり、桜の木は既に濃い緑色の葉を繁らせていた。

 俺はそっと、桜の幹へと触れた。

「龍也、海都、源。なぁ、まだ俺、お前らが死んだって信じたくないんだ。信じんのがすっげぇイヤで。退院したばかりだけど、しばらくお前らの墓参りにも行けそうにない。ひでぇよな、俺」

 俺は自嘲する。こんなの、友人失格だろう。

「だってさ! たった一月程前まで、お前ら生きてたじゃん! 俺と花見して、笑って、大学のこととか、話して・・・うっ、うぅ」

 限界、だった。涙の。

「・・・・・・・・・んで、なんで、なんで、なんで、なんでなんで!?」

 俺は拳を、幹に叩きつけた。痛みなんて気にならない。胸の方が苦しくて痛くて、息さえもままならない。

「なんで、だよぉ。なんで、俺だけ・・・っ!!」

 苦しい苦しい苦しい苦しい。

 認めたくない。認めたくなくて仕方がない。

 ずるずると足から力が抜けた。桜にすがりつきながら、みっともなく子どものように泣いてしまう。

「え? せん、ぱい?」

 戸惑いがちな声が背後から聞こえた。俺はびくっとしてしまう。聞き覚えのある声だった。

「・・・・・・田村(たむら)、か?」

 振り返らずに、俺が問うと、相手が「はい」と、肯定する。田村は、俺たちの部活の後輩だ。身長が高く、技術も高いため、よく俺たちに混じって練習したりもした。

「・・・・・・悪い、たむら。少し、一人にしてくれないか」

「すみません、中原先輩。そうしたいのは山々なんですが・・・こっちにも事情があって・・・」

 顔は見えないが、田村の声は困りきっていた。退かない田村に、俺は少し苛立つ。

「事情ってなんだよ? 俺がここにいると、邪魔ってか?」

「いや、邪魔っていうか! 俺、ちょっと桜の木の下を掘り返したいだけなんです!」

「・・・・・・はあ? そんなもん、俺がいなくなってからにしろよ」

「・・・・・・中原先輩にも、いえ、先輩たち全員に関わりがあるかもしれないんっすよ」

 田村の次の言葉に、俺は息を呑み、思わず勢いよく振り返ってしまった。

「俺、龍也先輩が残した「お宝」を探してるんです」

 振り返った俺の目に映ったのは、大きなスコップ片手に真剣な面差しをした田村だった。本人は真剣なんだろうが、ちょっと間抜けな絵面だと、つい思ってしまった。



 三月下旬。終了式が終わり、本格的に春休みに入るその前日。部活に行くために部室で着替えようとしていた田村は、たまたまスコップを担いだ龍也とばったり出会った。龍也はご丁寧に、卒業したにも関わらず、制服を着こんでいる。

「なにしてるんですか、龍也部長」

 思わず、目を点にしながらも声を掛けた田村。そんな田村に、龍也は悪戯小僧の笑みを浮かべながら、答えた。

「ちょっとね。せっかくだから、卒業記念に「お宝」を埋めてきたんだ」

「「お宝」?」

「そう。タイムカプセル的なやつ。十年後とかだと、僕も忘れちゃいそうだから、来年掘り起こすつもりなんだ。4月1日のお花見のとき」

「タイムカプセルの意味あるんすか、それ」

 田村の問いに、龍也はさみしさと悲しさと嬉しさが混ざったような、なんとも形容しにくい笑顔になった。

「あるよ、きっと。思い出になることはわかってるけど、どうしても今の気持ちを残しておきたくってさ。時と共に気持ちも忘れちゃうかもしれないから」

 田村には、龍也の気持ちがよく理解できなかった。だが、龍也に「部活大丈夫?」と訊かれ、慌てて部室へと急いだ。

 それが田村と龍也の今生の別れになるとは、さすがに田村も予想していなかった。



「俺、急いでたからどこに龍也部長が「お宝」を埋めたのかわかんないんすけど。花見の時に掘り起こすって言ってたから、多分、桜の木の下かなって思って。それで、部活休みの今日、龍也部長が隠した「お宝」を探しに来たんです」

 花見。「お宝」。龍也。

 なにかが俺の琴線に引っ掛かった。

 なんだ? なにか、心当たりが・・・。

『 今日お花見した桜の木の下に宝物を隠しておいたから、掘り出してみてよ!』

「・・・・・・夢。そうか、夢だ!」

 俺が目を覚ました日。妙に心に残った明晰夢。あの夢の中で、龍也が別れ際に言い置いた言葉。

「スコップ、貸せ!?」

「はい!?」

 田村からスコップを引ったくると、俺は地面を観察した。よく見ると、草が他とは違って生えてる場所がある!

「ここか!」

 俺は猛然とスコップで桜の木の下を掘り返した。

 がきん!

「・・・・・・・・・っ!? あった!」

 スコップの先に当たった硬い感触に、少し腕が痺れたが構っていられない。

 周囲の土をさらに掘ると、四角い白の空き箱が出てきた。それを地面から取り出す。

「本当に、あった・・・」

「これが、龍也の埋めた「お宝」か?」

 開けてみなければわからないので、俺は箱の上蓋をそっと開けた。

「・・・・・・これは、手紙?」

 中に入っていたのは、龍也の筆跡で宛名が書かれた封筒だった。

 俺と、海都と、源の分。合わせて三枚入っている。

「なにが書かれてるんですか?」

「田村。俺の分だけ、開けてくれ。箱を掘り起こした時に手が汚れて、俺が触ると汚れちまう」

 田村が素直に手紙を開けた。中からは白い便箋が二枚出てくる。

 田村に読んでくれるように頼んだ。だが、田村はざっと手紙を読んで首を横に振った。今にも泣きそうな程に顔を歪めている。

「だめです、先輩。これ、声に出したら、俺、絶対に泣きます。俺が持ってますから、先輩、隣に来て、手紙読んでください」

 田村の言葉に俺は素直に甘えた。田村の隣で、手紙を読む。



『楽人へ


 この手紙を読んでる頃なら、きっとお互い大学生活を楽しんでるんだろうなぁ。あはは、なんとなく、卒業式が終わって、みんなの進路も決まって、バラバラになるんだなって思ったら、どうしても今の自分の気持ちを何かに残したくなってさ。古典的だけど、手紙を書くことにしたんだ。楽人、改めて言わせて欲しい。高校での三年間、僕の友達でいてくれてありがとう。僕、結構(いや、かなり?)好き勝手にしてたのに、楽人はあきれたり、怒ったりしながらも、僕の友達でいてくれた。僕は、それがとっても嬉しかったんだ。だから、ありがとう。楽人達のおかげですごく充実した高校生活を送れた。三年間の思い出は時と共に薄れてゆくのかもしれない。だけど、きっと楽しかったっていうことだけは、絶対に忘れないよ。それくらい、輝けた三年間だった。正直、みんなバラバラになっちゃったことは、すごくさみしく思う。でもさ、別れのない出会いなんてないよね。どれだけ長く過ごしても、いつかどこかで別れの時は必ず訪れる。別れがつらいなって思うのは、きっと、その出会いが、とても素晴らしい出会いだったからだと思うんだ。別れが来ても、また再会すればいいし、一緒に過ごしたらいい。それができなくなった時は・・・そうだな。語ろう、みんなで、思い出を。だってさ、誰かがいなくなったって、思い出が消えるわけじゃないし、出会いがなかったことになるはずもない。大事なものは、ちゃんと心に残ってる。それでいいと、僕は思うんだ。だから、くれぐれも記憶喪失にはならないでね。なーんて、僕が忘れちゃう可能性もあるよね。なんだろ、まとまりのない文章になっちゃったかも。まぁ、でも、楽人なら許してくれるよね。これだけは最後に書かせて。何年経っても、僕と友達でいてね。最後まで読んでくれてありがとう。また、桜の季節にみんなで集まって、お花見しようね。


龍也より』



 読み終わると、堪えきれなかった嗚咽が、俺の口から漏れた。

「そう、か。そう、だったな。別れの、ない、出会いなんて、なかったよな・・・龍也」

「ぶ、ちょ・・・」

 田村もボロボロと涙をこぼしている。

「すごく、いい、であい、だった、から・・・っ!! だから、こんなに、つらいんだなっ、つっ!!」

 俺は心の限り、叫んだ。

「おれも、おまえらにあえてよかった! たのしかった!! おまえらがいなくなって、ぼろぼろになるぐらいつらいのは! おまえらとのであいがめちゃくちゃいいもので! だから、くるしくて!! おまえらはもういないのに!! おれはいきてっ。なんでっておもったけど! でもわかった! おれのこころのなかに! だいじなものがのこってる!! おもいでが、ちゃんとのこってるあかしなんだな! たつや! げん! かいと! いつになんのかわかんねぇけどっ。いつか、おれもおまえらといっしょのとこにいくから! また、さくらのきのしたで、はなみをしよう! そんときは、きっちりおれのうらみごとにつきあってもらうからな!? おぼえとけよ!?」

 いつ、三人に再会するのか、俺にもわかんねぇけど。

 俺は泣きながら笑い、ようやく前を向けそうだと、目を閉じる。

 三人の笑い声が耳の奥で聞こえた気がした。

 読了して頂きありがとうございました。

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