予感
季節は冬も終わりに近づき、もうすぐ春がくる。少ししたら、雪も解け始める。
「ノボルさん、まだ?」
「せかさないでください。今、考えているんです」
ノボルは腕を組み、真剣な顔で考え込んでいる。
畑に出られない雪の間、二人は家の中で、本を読んだり、テレビを見たり、ゲームをしたりして過ごした。
ノボルはオセロゲームにはまって、すぐに負けるくせにしょっちゅう「オセロしましょう」とリリーを誘った。
「降参してもいいのよ」
リリーが笑って言った。
「降参なんてしませんよ。一発逆転がどこかにあるはずです」
ノボルは白黒の駒を指で回しながら、盤面を睨んでいる。
「紅茶、入れるわね」
リリーがこたつから出て言う。
「はい。砂糖、多めでお願いします」
ノボルは盤から目を離さないで言った。
キッチンへ行くと、窓から優しい光が差し込んでいた。
空に目をやると、白い雲の中、渡り鳥が列を組んで飛んで行くのが見えた。
「ララララア~ ラララ ラララ ラア~ララア~ラ ラララララ・・・」
リリーは小さな声で歌った。
何となく感傷的な気分だった。
リビングに目をやると、勝つのを諦めたノボルが、こたつで大の字になって寝転がっているのが見えた。
その日は寒い朝だった。
リリーは布団の中で、もう一時間もうだうだしている。
布団の中から出たくないとリリーは思う。
カーテンを通して明るい陽射しが見える。
お天気がいいから、外は案外、暖かいのかもしれない。
きっと、カーテンを開ければ、部屋は陽射しで温かくなるだろう。だけど、今、布団から出たら、寒いに決まっている。
あ~あ、いやだなあとリリーは思う。
さっきからキッチンで水道の水を出す音や、包丁で何かを切る音がしている。
ノボルが朝ごはんの支度をしている音だ。
ノボルはいつも、きっちりと決まった時間に起きて、リリーが起きそうな時間に合わせて朝食の用意をしてくれる。
時々、リリーが寝坊をして、眠そうな顔で遅くに起きて来ても「まだ、寝ててもよかったのに」と言ってくれる。
悪いなあと思う。早く、ベッドから出て、ノボル「おはよう」って言いに行かなくちゃと思う。たまには、早く起きてノボルのために朝食を作ってあげたいと思う。思うけど・・・。
はあっ、とリリーは大げさにため息をついて、布団を頭までかぶった。
もし、ノボルがいなかったら、一日寝ているだろうな。ノボルがもっと、朝寝坊してくれたらいいのに。そんなことを考えた。
リリーは仕方なしにベッドから出て、ガウンを羽織った。
足音を忍ばせてキッチンへ行く。
ノボルはリリーがいくら忍び足で歩いても、リリーに気付いている。だから、いつも、リリーがキッチンを覗くとこっちを見ている。
今朝もきっとそうだろうと思って、そっと部屋を覗いた。
ノボルはいつも、いつものスマイルで「おはようございます」というはずなのに、今朝のノボルはリリーに気付いていないようだった。
ノボルは火にかけた鍋を見つめて、何か考え込んでいるようだった。
随分神妙な顔つきだ。
ノボルの見た事のない表情に、リリーは声をかけられなかった。あたしに気付かないほど考え事をしているなんて。
もう一度、寝室に戻ろうかと思った。しかし、力を入れた足元の床板がきしんで音をたてた。ノボルははっと顔をあげ、
「あっ、リリーさん」
と振り向いて言った。
「おはよう」
リリーはなんとなく決まりが悪くて、小さな声で言った。
「おはようございます。今、起きたんですか? 寒いですよ。早くこたつに入ってください」
「うん」
リリーはうなずいてこたつに入った。
テレビをつけると、ワイドナショーで、政治家の人のことについて、話しをしていた。
「ちょっと待っていてください。今から、玉子を焼きますから」
ノボルがリリーの背中に向かって言う。
「うん、ありがとう」
リリーは振り返って言った。
何度、この光景があったかな。リリーはキッチンに立つノボルを見ながら思った。
そんなに多くはないはずなのに、もう、何年も繰り返しているような気がする。
少しして、ノボルが料理を運んできた。
温かい味噌汁と玉子焼き、炊き立てご飯に白菜の漬物。
のんびり食べる朝食。
テレビでは相変わらず、司会者とゲストが難しい顔をして、批判的な話しばかりしているけれど、ここはなんて平和な空間なんだろうとリリーは思う。
リリーが微笑めばノボルも微笑む。
食後の甘い紅茶とチョコレートを食べ終え、温かくなった体と、満たされたお腹のせいで、また眠くなる。
リリーはあくびをかみ殺して、
「ノボルさん、さっきお料理しながら、何を考えていたの?」
ときいた。
「えっ、さっきですか?」
ノボルが紅茶のカップを置いて言った。
「うん、あたしがキッチンを覗いた時。あんまり真面目な顔をしていたから、声をかけにくかったわ」
「そうですか。ただ、ぼーっとしていただけだと思います」
ノボルは笑った。笑ってから口を閉じて、リリーをじっと見た。
「何?」
リリーが少し目を大きくして言った。
「いや、何も」
ノボルは口ごもり、
「また、今度話します」
と、言ってテレビの方に顔を向けた。
コマーシャルの聞きなれた歌が聞こえる。
リリーはノボルの横顔を眺めた。
少し伸びた髪が、目のところまできている。
初めて会った時より、ちょっとふっくらとした頬。鼻筋、長いまつ毛、ふくらんだ唇、丸いあごの線。目の輝きはあの時のまま。
いつかこの横顔も見られなくなるんだな。不意にそう思った。
いつかじゃなく、もうすぐかな。
リリーの心に予感のようなものが浮かんだ。
コマーシャルが終わり、また、討論が始まった。リリーはうわの空で画面を見つめていた。




