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イノシシ!? リリーさん  作者: カワラヒワ
8/16

帰り着く

リリーは随分走って、少し開けた岡に出た。

 見覚えのある景色だった。

 少し前、この小さな丘にノボルと二人で、星を見に来た。流れ星がたくさん見えた。その日の夜は、流星群が出現する日だったのだ。

 二人で流れ星の数を数えて、リリーは心の中で願い事を唱えた。平和なこの生活がずっとつづきますようにと。

 ノボルさんはあの時、何を考えていたのだろう?

 リリーは空を見上げた。今夜もたくさん星が出ている。

 リリーはやっと、落ち着きを取り戻した。

 家はもう、すぐそこだ。リリーは走らずにゆっくりと歩き出した。


 家が見えた。

 ドアの前にノボルが立っている。体を少し前かがみにして、畑へと続く道の方を見ている。

 リリーを心配して待っている様子だ。

「ノボルさん」

 リリーは小さな声でつぶやいた。

 ノボルさん会いたかった。やっと会えた。

「ノボルさーん」

 リリーは嬉しくて、ノボルの名前を叫んで、ノボルに向かって走って行った。

 ノボルはリリーの方を振り向いて、あっ、と言って身構えた。

「イノシシッ!」

 ノボルが言った。

(えっ)

 リリーは立ち止まった。

 リリーは自分の足元を見た。小さな毛むくじゃらの泥に汚れた足が二本。その先に黒い蹄がついてる。

 リリーは唖然として、ノボルの方を見た。

 ノボルは驚いた顔のままこちらを見ている。

 少しの間、二人は黙ったまま見つめ合い、お互い固まったように立ち尽くした。


「リリーだ」

「リリーだ」

 少し開いていたドアの隙間から二匹のネズミが叫びながら、りりーの前に飛び出した。

「リリーがイノシシになっているぞ」

「リリーはイノシシだ」

 ネズミたちはリリーの回りを走り回った。

「あたし、イノシシに戻っちゃたんだ」

 リリーは目を見開いたまま言った。


 いつの間に変身したんだろう。きっと、手を地面についたあの時からだ。

 リリーは立ち尽くしたままでいた。

 ネズミたちはリリーの回りをなおも走り続けて言う。

「リリー、イノシシの姿も悪くない」

「そうだ。悪くないぞ」

「いやだ。イノシシの姿なんて」

 リリーは言った。

 こんな姿をノボルさんに見られるなんて、恥ずかしい、消えてしまいたい。

 リリーは思った。


 ノボルはまだ、驚いた顔でリリーを見ている。

 そうか。ノボルさんはイノシシがあたしだって気付いていないんだ。気付くはずないんだ。あたしがイノシシに変身するところを見たわけじゃないんだし。誰だって、イノシシが人間に変身するなんて、信じるわけがないんだから。

そう考えると、リリーはちょっとほっとした。

 森へ戻らなきゃ。人間の姿に戻ってから帰ってこなきゃ。リリーは思った。

 リリーが森へ引き返そうとした時、

「もしかして、リリーさん?」

 近づいてきたノボルが遠慮がちに尋ねた。

 ネズミたちはチュー、チュー鳴いて、家の方に走って行った。

「ブヒ」

 リリーが小さな声を出す。

「リリーさんなんでしょう?」

ノボルは真剣な顔でリリーを見つめた。

 まさか、どうしてあたしだってわかるの?

 信じられるの? 人間がイノシシになることなんて。

「ブヒヒヒッ」

 リリーは言った。


「やっぱり、リリーさん」


 信じられない! でも、ノボルさん、あたしだってわかるのね。こんなあたしでも受け入れてくれるの?

「ブヒ、ブヒッ」

 ノボルはうん、うんとうなずいている。

「ブヒ、ヒー」(ありがとう、ノボルさん)

 ノボルはしゃがむむと、リリーの頭の上にそっと手を乗せた。

 ネズミは苦手でもイノシシは大丈夫らしい。

「リリーさん、心配しました。どんな姿になっても、帰ってきてくれてうれしいです。寒かったでしょう。さあ、中にはいりましょう」

 ノボルはリリーの肩に手をやり、家の中に入るよう促した。


 シャンプーの香りに包まれて、リリーはベッドの上にいた。

 隣りにはノボルがいてリリーの肩をしっかり抱いている。

 夢のようだとリリーは思った。

 イノシシでよかったなんて思ったのは生まれて初めてだ。

 ノボルはリリーを優しく見つめ、時々頬を撫でてくれる。

 あたしの毛ゴワゴワしていないかしら。リリーはちょっと心配になる。


 頭の先から足の先まで、ノボルが洗ってくれた。

「シャンプーがいっぱいいりますね」なんて冗談を言いながら。

 シャワーのお湯が熱くないかときいてくれたり、目にシャンプーが入らないよう気を使ってくれたり、あたしみたいなイノシシに対しても優しい。

 時間をかけてドライヤーをかけてくれたおかげで、フワフワになった。


 牛乳を、お皿に入れて渡してくれた時はびっくりしたけれど、イノシシなんだからしかたがない。恥ずかしかったけれど、お皿からでもうまく飲めた。

 ノボルが作ってくれた、野菜スープもすごくおいしかった。ノボルがスプーンで一さじずつ、あたしの口に入れてくれた。スープが体中にしみわたって、涙が出た。


 ああ、ノボルさん、あたしはあなたに会いたかった。それで、必死でここへ帰って来た何があってもノボルさんの顔が見たかった。

 心配して待っていてくれたノボルさん。

玄関の前で立っていたノボルの姿が目に浮かぶ。


それと同時に、逃げて行く鹿、銃声、火薬の臭い。そんなものまで、思い出された。

リリーは目をつぶって、思わずノボルの体に自分の体を寄せた。

寒くないのに勝手に体が震える。

「大丈夫ですよ、リリーさん」

 ノボルが優しく言う。

 顔を上げるとノボルの顔がある。

 ノボルは微笑んで、

「ぼくがついています」

 そう言って、リリーを抱きしめた。

「随分、怖い目に合ったんですね。それでイノシシの姿に。でも、リリーさんが帰って来てくれて、本当によかった」

 ノボルの手に、少し力が入る。

「無事でよかった」

 ノボルは安堵のため息をついた。


「ブブッ、ブヒー」(ノボルさん、あたし)

 リリーは小さな声で言った」

「ブブッ、ブヒ、ヒー」(ノボルさんを、愛してる)


 目が覚めると、辺りはもう明るかった。

 隣りで寝ていたノボルはいない。

 リリーはベッドの上で体を起こした。

 掛け布団がするりと落ちて、その下からスベスベした肌があらわになった。

「あっ」リリーは慌てて布団を胸元に引き寄せた。辺りを見渡す。ノボルは部屋にいない。

 もう、人間に戻っている。

 リリーはドキドキする心臓を、押さえた。

 前もその前も、イノシシになった時、人間に戻るのに三日かかったのに。それなのに、今度はもう人間に戻っている。どうしてだろう。リリーは首を傾げた。


 キッチンで物音がする。何かを炒めるこうばしい匂いもする。

 リリーは服を着て、キッチンへ急いだ。

 ノボルさん、あたしのことどう思ったかしら。変なやつだと思ったでしょうね。本性はイノシシだったなんて。

 キッチンの入り口からそっと中を覗く。ノボルはこっちに顔を向けて立っていた。

「おはようございます。もう、起きて来るころだと思っていました」

 ノボルはいつもと同じように、にっこりと笑って、フライパンを振った。昨夜のことを何とも思ってないのだろうか?

「おはよう・・ございます」

 リリーはおずおずと言った。

「気分は悪くないですか?」

 ノボルがちょっと心配そうな顔をする。

 人間の姿に戻ったあたしに質問はそれだけ?

「あ、うん、大丈夫。昨日はごめんね」

 リリーは恥ずかしくなって、下を向いた。

「それと、色々ありがとう」

 ノボルがコンロの火を止めて、首を振った。

「心配しました。もう、帰って来ないのかと思って」

 ノボルはリリーの方へ体を向けた。

「銃声が聞こえたので、僕慌てて畑に行ったんです。火薬の臭いがしていましたが、誰もいませんでした。畑を調べてみると、足跡が残っていました。僕とリリーさんのと、リリーさんのいたところに、イノシシの足跡も。二人と一匹の足跡だけでした」

 ノボルはちょっと笑い、

「土には争ったような跡も、血痕などもありませんでした。それで、リリーさんが誰かにさらわれたりしたのでも、間違って銃で撃たれたのでもないとわかりました。イノシシの足跡は、森の方へと続いていました」

 フフッ、とノボルはまた笑った。

「しばらく、家で待っていましたが、帰ってこないから森の中も探しました。リリーさんが僕に何も言わずに、どこかへ行くはずないから」

 ノボルは背を向けると、コンロに火を入れた。

「何かあったんだと思って、僕、心配で。でもどうしていいのかわからなくて」

 ノボルが鼻をすすり、何度もフライパンのジャガイモをひっくり返す。

「ごめんね」

 リリーは胸が詰まって苦しくなった。

「ごめん」

 リリーはもう一度言って、そっとノボルの背中に触れた。

 ノボルは何も言わず、フライパンを置いた。

 そして、正面を向いて、目をつぶり深呼吸するみたいに、深いため息をついた。

 それから、振り向いて、いつもみたいに優しく笑って、

「さあ、ごはんにしましょう。リリーさん、お腹すいたでしょう」

 と元気よく言った。

「えっ? ああ、うん」

 リリーはちょっと驚いて言った。

「そこにお皿、出してください」

「うん」

 リリーは食器棚を開けた。


 ノボルさん、抱きしめてくれないの? イノシシのあたしなら、昨日みたいに抱きしめてくれたの?

 リリーは考えて、寂しくなった。

でも、これでいいの。リリーは思った。今まで通りで。その方が、ずっとうまくいく。

「さあ、食べてください」

 ノボルが言った。

 二人は食卓に着き、いただきますと声をそろえた。

 ノボルの作ったポテトのガレットは、少し焦げた味がした。


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