ノボル 5
ノボルが来て、三週間になる。
ノボルはずっと以前から、ここにいる住人のように今の生活に馴染んでいる。
朝は早く起きて、すぐ畑に行き、朝食後もまた畑仕事。昼食の後もすぐに畑に行く。
そして、何日か置きに、できた野菜を市場へ持って行く。
ノボルのおかげで、畑は倍以上の広さになり、野菜も大きく元気に育つようになった。
ずっと、ここに居て大丈夫なの? 家族の人たちは心配していないの? リリーは何度かそうきこうとしたけれど、きけなかった。
そんなことをきけば、ノボルがいなくなりそうで怖くてきくことができなかった。
ノボルのいないそれまでの一人暮らしも、別に悪くはなかった。
父が亡くなって一人になった時は、どうしようと思ったほど、やっぱり寂しかった。けれど、少し時間が経つと、一人も自由で気楽だと思えるようになったし、一人でいる方がいいと思っていた。
でも、ノボルが家に来て一緒に暮らすようになったら、それがすごく楽しかった。
ノボルとの生活は父と暮らした毎日とは全然ちがう。
父とは、十年間一緒に暮らした。
父と呼んでいたけれど、本当の父ではない。
母を猟師に殺され、一人ぼっちで森をさまよい、倒れていた子イノシシのリリーを拾ってくれたのが父だった。
ひん死のリリーを看病して助けてくれた。
暖かい毛布に包んで、温かいミルクを飲ませてくれたことを、今でも覚えている。
リリーという名をつけて、優しく世話をしてくれた。
リリーは生きるため、父と一緒に暮らすため、イノシシのありとあらゆる全ての知恵を絞って、人間に化けた。
「おまえ、本当にリリーか?」
「そうよ、とうさん」
人間になったリリーを本当の娘のように育ててくれた父。父は周りから変わり者と思われているようだけど、リリーにはそんなこと関係なかった。無口な人だったけれど、愛情深い人だった。
リリーは父が大好きだった。
父の晩年、リリーは、父にに代わって一人で畑仕事をした。慣れない力仕事に少し辛い時もあったけど、あの時は、いつも笑っている父がそばにいてくれるだけで頑張れた。
でも今は、一緒に畑仕事をしてくれるノボルがいる。
一緒に働いて、一緒に休憩して一緒に食事をする。交代で家事をして、交代でお風呂に入る。
「おいしいね」って言いながら、お菓子を食べ、テレビのバラエティ番組を見て、二人で大笑いする。
毎日が楽しく、アッという間に一日が終わる。
ノボルは頼もしいし、実際頼りになった。
野菜作りのことは、リリーよりもよく知っていて、昨日も
「ここへ、大根を植えましょう」
そう言って、また畑を広げていた。
畑はリリー一人では到底できない広さになった。
でも、ノボルに任せておけば心配ない。それに、新しい物を植えると、うまくできるかわからないし、収穫するまではノボルも気になって、ここから離れられないだろうと思う
だから、今、しばらくはこの生活が続きそうだ。
ずっと、続いてほしいとリリーは思っている。
自分が何かへまをしない限り、大丈夫だと信じている。
それから、半年が経ち季節も移り替わった。
でも、ノボルとリリーの生活は変わらない。
雪の間、二人はのんびりと、家にこもって過ごした。
そして、雪が溶けだすとまた、二人して畑仕事に取り掛かった。
今日はできた野菜を持って、市場へやって来た。
「よっ、お二人さん、あはよう」
顔見知りのおじさんが言う。
「おはようございます」
ノボルとリリーは声を合わせて言った。
「今日もデートかい。いつも楽しそうでいいなあ」
「フフフ」
二人は顔を見合わせて笑った。
「子供はまだか?」
おじさんはリリーのお腹を見て言い、
「赤ん坊はかわいいぞ」
と、笑った。
「実は三日前、俺もとうとうおじいさんになったんだ」
おじさんはうれしそうに笑って、帽子を脱ぎ頭をなでた。
「そうなんですか。おめでとうございます」
リリーは手をぱちんと合わせて、言った。
まだ、若そうなのにおじいさんかあ、とリリーは思った。
「自分の子よりかわいいかも、なんてね」
おじさんは、ハハハと笑って、歩いて行った。
二人は顔を見合わせる。
「あの人、私たちのこと夫婦だと思っているのね」
「そうみたいですね」
ノボルは前を向き、ちょっと上の方を見上げて言った。
ノボルは笑っていなかった。
リリーは急に不安になった。
ノボルさんはあたしと夫婦に見られて、迷惑なのかしら。
リリーは思った。
そりゃあ、あたしとノボルさんは、寝室も別々で、夫婦のような関係ではないけれど、一緒に暮らしているんだから、夫婦に見られてもおかしくはないし、あたしはうれしいくらいなのに。
ノボルさんはあたしのこと嫌いなの?
そうかもしれない。それで、あんなに冷たい横顔。
でも、だったらあたしと暮らせるわけがない。いくところがなくて、仕方がなくあたしと暮らしているの?
ノボルさんは、毎日楽しそうに働いて、あたしにも親切で、優しくしてくれるのに。
つい、先日も畑仕事をしながら、
「ここはいいところですね。土も肥えているし、水はけもいい。長雨でも大丈夫です。僕の住んでいるところに似ていて、のんびりできて、幸せだなあって思います」
と言い、それから、照れくさそうに笑って、
「リリーさんもいつもそばに居てくれるし」
そう言ったのだ。
あんな事言っていたのに、うそだったの?
リリーは思った。
リリーは悲しくなってきて、下を向いた。
涙が出そうになる。
「どうしたんですか?」
ノボルが顔を覗き込むようにしてきいた。
「ううん、ううん」
リリーは何度も頭を振った。
何よ、無神経。
だんだん腹も立ってきた。
涙がポトポト、アスファルトの上に落ちる。
「リリーさん」
二人はしばらく黙っていた。
冷たい風がリリーのスカートを揺らしていた。
リリーとノボルは、暖房のきいた建物の、イートインスペースでソフトクリームを食べていた。
リリーのまぶたは少し腫れ、目も赤かった。
「おいしいですね」
とノボルが言うと、
「うん」
とリリーがうなずく。
リリーはさっきと打って変わって、上機嫌だった。
「リリーさんのこと好きです」ノボルが言った言葉が、まだ頭の中で聞こえている。
優しい横顔のノボル。さっきはどうして、冷たい横顔に見えたのか不思議だった。
あんなに感情的になって、悲しんだり、怒ったり、泣いたりしたのが恥ずかしい。
「さっきはごめんね」
リリーがソフトクリームを舐めるのをやめて言った。
ノボルは微笑んで首を振る。
「いいんです。リリーさんが笑ってくれたから」
ノボルもソフトクリームを舐めるのを止めて言う。
考えてみたら、あんなに興奮することはなかった。とリリーは思う。
リリーはノボルと結婚したいなんて思った こともなかったし、まして、子供がほしいなんて考えたこともなかった。
だだ、ノボルが自分のことを、嫌いなのではないかと考えた時、とても悲しかっただけなのだ。
それで「あたしのこと、どう思っているの?」
なんてきいてしまった。
本当はそんなこときかなくても、わかっていたのに。
子供じみたわがままな質問だったと、リリーは反省した。
でも、ノボルは迷わず「リリーさんのこと好きです」と言った。そのことが、リリーはすごくうれしかった。
「ソフトクリーム食べに行きましょう」と、手をつないでくれたことも。
初めてつないだノボルの手は温かく、大きかった。
ノボルは大切な人だ。ノボルもあたしのことを大切に思ってくれている。
その気持ちがあれば、それだけでいい。
リリーは思った。
「もう一つ食べてもいいですか?」
一口残ったコーンを口の中に放り込んで、ノボルが言った。
「ええっ! もう一つ食べるの? 待って、あたしも食べるから」
「ハハハハハ、慌てなくてもいいですよ。慌てて食べると、お腹痛くなりますよ」
ノボルがからかうように言う。
ふふっ、急いでソフトクリームにぱくついていたリリーが笑った。
外は風が強く吹いている。帽子を押さえながら、歩く人を寒そうだなあと、二人は見ていた。




