ノボル 2
「リリーだ」
「リリーだね」
「誰かと一緒だ」
ネズミたちは窓枠に立って、畑の方から歩いてくる二人を見ている。
「男だな」
「若い男だ」
「リリーったら、家に連れてくる気かな」
「そうみたいだね」
ウフフフッ、と二匹は笑った。
久しぶりのお客だった。ネズミたちにとっては二度目の客だ。
半年ほど前に、三キロぐらい離れたお隣のおじさんが道に迷って、ここにたどり着いた時以来。
お客とは言えないお客だったけれど。
しかし、ネズミたちはそんなことはとうに忘れてしまっている。
「ただいま」
リリーの明るい声と共にドアが開いた。
チュー、チュー。ネズミたちは声を揃えて鳴くと、リリーたちの前から走り去っていった。
「うわっ!」
男が小さな叫び声をあげる。
「今のは?」
ネズミたちが走り去った方を見て、男が言った。
「ネズミたちよ。この家に住んでいるの」
「ネズミ?」
「ええ」
「へっ、へえ~、ネズミですか?」
男の声が小さくなった。
「ネズミは苦手?」
リリーが首をかしげてきく。
「いや、べつに」
男はそう言ったけれど、明らかに戸惑った様子だ。
「大丈夫よ。何も悪さはしないわ。あたしが時々やるえさを食べて、その辺を走り回っているだけだから」
フフッ、リリーはドアを閉めながら笑って言った。
「野菜はそこに置いて。ええっと、あなた、あなたのお名前は?」
「ノボルと言います」
男が言った。
「ノボルさんね」
「はい」
「あたしはリリーよ。ノボルさん、シャワーを浴びてくるといいわ。洋服は洗濯しておくから。服が乾くまで取りあえず、父の服でがまんして」
引き出しを開けてリリーが言った。
「お父さんいらっしゃるんですか?」
「ええ、以前はね。でももう、ずっと前に死んじゃった。あ、でも服はさらよ。一度も着ていないものを残していたの」
「そうでしたか。すみません」
「いいの。どうせ着ない服だし」
引き出しから袋に入ったままの服を取り出す。まだ、付いている値札をハサミで切った
「はい。お風呂は奥よ」
服を渡しながら、あごで場所を示す。
廊下の突き当りに小さなドアが見える。
「ありがとうございます。それじゃあ、遠慮なく」
ノボルがまた、頭をペコリと下げた。
シャワーの音が聞こえてきた。鼻歌も聞こえる。
何だか楽しいな。まな板の音を響かせながらリリーは思った。
父がいた時のことを思い出す。父もよくシャワーをしながら歌を歌った。楽しそうな声で、昔に流行った歌謡曲を歌っていた。
父の歌を聴きながら、父が好きだったナスの味噌いためをよく作った。
「うまそうな匂いだな」
風呂からあがった父はそう言って、キッチンを覗きにきてつまみ食いをした。
懐かしい。リリーは思った。
キュウリを乱切りにして、トマトも同じように切り、ボールに入れ混ぜ合わせる。それにオリーブオイルを垂らして塩をふる。
自分だけのためじゃなく、誰かと食べるために料理をする。
おいしく食べてくれるかしら、とちょっとドキドキしてしまう。でも、幸せな気分だった。勝手に頬がゆるむ。
ボールに玉子を割り入れて、よく混ぜる。
それに塩を少し入れ、熱したフライパンにバターを入れて焼く。玉子をお箸でかき混ぜ、フライパンの真ん中に寄せ、フライ返しでひっくり返し、形を整え皿に盛る。
そういえば、父もオムレツが好きだった。
ああ、砂糖を少し入れればよかった。父は甘いオムレツが好きだったんだ。あの人も甘い方がよかったかもしれない。
でも、これもおいしいし、いいかな。リリーは思った。
次にコンロに網をのせて食パンを焼く。こんがりと焼けたら裏返しにして、チーズをのせる。
こうばしい匂い。とろけるチーズ。
アチチッ。
リリーは焼けたパンを皿にのせた。
その時、
「いい匂いですね」
すぐ後ろで声がした。
あっ、とリリーは声をあげた。
いつの間にかノボルが後ろに立っている。さっきと同じだ。何の気配も音もしなかった
声をかけられるまで、気付かなかった。
パンを焼くのに気を取られて気付かなかったのだろうか? いや、そんなはずはない、ドアの開く音や、歩くとギイギイきしむ床板の音が聞こえないわけがない。それなのに。
「すみません。また、驚かせてしまいましたか?」
ノボルが呑気そうに笑った。濡れた髪からシャンプーの匂いがしている。
「びっくりした。さっきもそうだったけど、いつの間にかいるのね。まるでネコみたいに足音も聞こえなかったわ」
「そうですか」
そんなことにまるで関心がないようにノボルが言う。
「シャワー久しぶりにあびて、さっぱりしました。シャンプーもかりました。ありがとうございました」
本当にさっぱりした笑顔だ。
そして、後ろから覗きこんで、わあっ、うまそう! とトーストとオムレツを交互に見ている。
「丁度、パンが焼けたところよ。さあ、すぐに食べましょう」
「すみません。でも、本当にうまそう」
「フフッ、そこに座って。食べていいわよ」
リリーはダイニングテーブルに料理を並べた。
椅子に座り、ノボルは子供みたいに嬉しそうに目を輝かせ手を合わせた。
「いただきます」
トーストにかぶりつく。
「すごくうまいです!」
後は無言で、夢中に食べ物を口に運んでいく。
「おいしい?」
つい、そうききたくなる。
「はい、もうびっくりするくらいおいしいです」
「あたしの分も食べていいわよ。あと二人分作るわ」
「いいんですか? そんなに」
「食べた後、もうひと働きしてもらえるといいんだけど」
リリーがグラスに牛乳を注ぎながら言う。
「はい、働きます。何でもします」
ノボルはサラダをほおばりながら言った。
かわいい人。
男の人をかわいいなんて思ったのは初めてだった。かわいいといっても、子犬や子猫のことを、かわいいと思うのと、同じではない。
見ていて、ちょっと切なくなるような、優しくしてあげたくなるようなそんな感情だ。
さっき会ったばかりの人なのにそんな気がしない。それが不思議だった。
ノボルはパクパクと箸をすすめ、三人前をペロリと平らげた。
食後に出した甘いクッキーもあるだけ全部食べて、やっと落ち着いたらしかった。
「ふう~、おいしかった。何もかも」
ノボルが満足そうに言った。
ノボルの幸せそうな顔を見て、リリーもうれしかった。
「あなたはどこから来たの」
ノボルが二杯目の紅茶をおかわりした時、リリーはきいた。
質問を予想していたように、ノボルは微笑んで、
「山の向こうからです」
と一口紅茶を飲んで、言った。
「山の向こうってどんな所?」
リリーは聞いた。リリーは山の向こう側には行ったことがない。父はあっちは何もない所だと、言っていたけれど。
「小さな村があります」
「あなたが住んでいる村? どんな村?」
「普通の小さな村ですよ。何にもない、田舎の村です」
「そう」
ノボルはその事についてあまり話したくないようだった。何か事情があって、いろいろきかれたくないのだろうと思った。
「ああ、ほんとにおいしかった。ごちそうさまでした」
ノボルは紅茶を飲み干して言った。
「後かたずけはぼくがします。ゆっくりしていてください」
素早く紅茶のカップを流しに運んで、つまれた食器を洗い出す。
なかなか慣れた手つきだ。
水道の水を出しっぱなしにしないところとか、先に油がついていないグラスや紅茶のカップを洗うところとか、気がきいている。
「さてと、次は何をすればいいですか?」
食器を洗い終えたノボルがにこにこして言った。
「市場まで野菜を売りに行きたいんだけど、ちょっと遠いの。いいかな?」
「もちろんです」
ノボルが大きくうなずく。
「じゃあ、もっと野菜を収穫しようかな。あなたがいてくれたら、たくさん運べるから」
「はい、たくさん運びます」
直立の姿勢でノボルが言った。
ハハハッ、フフフッ、二人は笑って畑に向かった。




