ノボル1
リリーは毎朝、畑に行く。
やることはたくさんある。水やり、害虫駆除、雑草取り、収穫などなど。
最近お天気がつづいたから、野菜がたわわに実っている。
みずみずしく赤く熟れたトマトにハサミを入れながら、今日は多めに野菜を収穫して売りに行こう。リリーは思った。
そろそろお肉や、缶詰の蓄えもなくなってきたし、お米やお味噌も大分減ってきたことだし。
町に行って、いろいろ買い物をしなきゃ。
お菓子もほしいな。チョコレートとかポテチも食べたい。ビールも飲みたいな。ワインもほしいけど、そんなに運べないかしら。大丈夫そうだったら、買おう。
リリーはそんなことを考えて、うきうきしながらハサミの音を響かせていた。すると、
「すみません」
急にリリーのすぐ後ろから、男の小さな声がした。
リリーはギクッとして体をこわばらせた。
滅多に人の来ない山奥に、こんなに朝早くから何をしに。いつの間に来たのか。足音も草をふむ音も何も聞こえなかったし、気配もしなかった。
まさか! ハンターか!
一瞬のうちにいろんな考えが浮かんだ。
リリーの野生の血が騒いだ。
恐怖を感じたリリーは飛び上がりながら後ろを振り向いた。
「あっ」
男が一歩下がり、また小さな声を出した。
男の方もリリーの動きに驚いたようだった。
「驚かせてすみません」
男は自分も驚きながらも、申し訳なさそうに言った。
白いティシャツにジーンズを穿いた、背の高いすらっとした男だった。
銃など持っているはずもなく、両手を胸元まで上げて手のひらを開き、びっくりした仕草をしている。
ハンターじゃなかった。
当たり前だ。ハンターがわざわざ獲物にすみませんなんて声をかけるはずはない。
それにもし、ハンターだとしても、今のリリーは獲物なわけがない。
ちゃんと洋服を着て、二本の足で立っている。四つん這いの毛むくじゃらのイノシシの姿ではなく、人間の姿で。
ハンターについては、恐ろしい思いでしかない。
リリーがイノシシだった頃、母がハンターに撃たれるのを見たためだ。逃げ惑う母とリリー、ハンターの声、銃声、火薬の臭い。
それがトラウマになって、今でも夢にうなされる。このことは、月日が経ってもきっと忘れることはできないだろう。
しかし、目の前にいる男は自分に危害を加える者ではない。そうわかってリリーはほっとした。
「へへへっ」
リリーは笑って、開いていた足を慌てて閉じた。
「ふふふっ」
男も笑った。
優しそうな目をしている。少し長めの黒髪で、体は細そうに見えたが、半袖のティシャツから出ている腕は筋肉質で力がありそうだった。
「いい畑ですね」
男が畑を見回すように首を動かして言った。
「いろいろたくさん実っている」
「ええ、まあ」
リリーは自分の顔が赤くなるのを感じた。
「あのう」
男が言いにくそうに口ごもりながら言う。
「頼みがあるんですけど」
上目づかいに恥ずかしそうにしている。
「何かしら」
リリーは微笑んで優しく問いかけた。
「実は僕、三日ほど何も食べてないんです。畑仕事を手伝いますから、トマトかキュウリなんかを少し分けて頂けないでしょうか」
男が少し笑って言った。
「まあっ! 三日も!」
リリーが驚いた声をあげた。
「はい、森の中でちょっと迷ってしまって」
男は自分の頭に手をやって笑った。
よく見ると男の頬はこけ、唇はかさかさに渇いている。服もほこりで汚れているし、靴も泥だらけだった。
「かわいそうに」
リリーは同情して言った。
収穫していたトマトを、かごから取り出してタオルで磨く。
「はい、食べて。農薬は使ってないから、洗わなくても大丈夫よ」
トマトを手渡す。
「いいんですか? 先に頂いても」
「どうぞ。だって腹ペコな人に手伝いなんて頼めないでしょう」
リリーが笑う。
「ありがとうございます」
男はトマトにかぶりついた。
「うまいっ! こんなうまいトマト食べたことがない」
口の端をトマトの汁で赤く染め男が言う。
「うふふふふ」
リリーはおかしくて声を出して笑った。
あたしもこんなにおいしそうにトマトを食べる人を、見たことがないわ。とリリーは思った。
トマトはあっという間にへただけになった。
「もうひとつ、どうぞ」
リリーがトマトを手に持って言った。
「いいえ、今ので元気になりました。仕事をした後で、またもう一つ頂きたいです。いいですか?」
男が笑って言った。
「もちろん」
リリーはうれしくなって答えた。
「じゃあ、ハサミを借ります」
男はハサミを手に取った。
男はリリーの指示に従って、もくもくと働いた。
テキパキと手慣れた様子でハサミをさばき,オクラ、トマト、キュウリ、ナスなどで収穫かごはすぐにいっぱいになった。
「ありがとう、助かったわ」
本当に大助かりだ。
「いえ、これくらい容易いです」
男は照れたように頭をかきながら言った。
「家まで運んでもらえる? あたしも朝食まだだから、一緒に食べしょう」
お腹を空かせててもしっかりと働いてくれた男に、何かおいしい物を食べさせてあげたいとリリーは思った。
「えっ? そんなのいいんですか?」
男が驚いたように言う。
「うん、がんばってくれたから」
「ありがとうございます」
男がきおつけをして、ペコリと頭を下げた。
フフッ、礼儀正しい人だな。リリーは思った。




