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イノシシ!? リリーさん  作者: カワラヒワ
15/16

帰って来ない

 夕焼けのオレンジ色だった空が紫色に変わり、辺りはほとんど暗くなった。

 ノボルはまだ帰って来ない。

「お腹が減った」

 リリーは独り言を言った。

 ノボルが帰ってきたら、一緒にシチューを食べようと待っているのに。

 そういえば、昼前に起きてから熱いカフェオレを一杯飲んだだけだ。

 ノボルは今頃、どこで何をしているのだろう。暗くなった雪道で道に迷ってはいないだろうか。

 いや、ノボルが道に迷うことはない。この頃は、あたしよりも森のことをよく知り尽くしている。リリーは思った。 おかしい、こんなに遅くまで帰って来ないなんて。


 もしかしてこれが、突然のさよならなの?

 まさかね。そんなはずないわ。

 リリーは独りでクスッ、と笑ってみた。

 時計に目をやる。時計の針は、六時二十分を指していた。

 でも、これが突然のさよならじゃなかったら何なの?


 リリーはやっと気が付いた。ノボルはもう、帰って来ない。行ってしまったんだと。

 本当に? ちょっと信じられない気分だった。

 キッチンへ行き、鍋の蓋を開ける。白いシチューの中にニンジンやブロッコリーの鮮やかな色が見える。

 ノボルと一緒に食べたかったな。リリーは思う。

(でも、まあ、いいわ。一人で食べても、おいしいものはおいしいんだから)  

 リリーはコンロに火を入れた。


 冷蔵庫からワインの瓶を取り出して、グラスにそそぐ。それをグイッと喉に流しこむ。冷たくておいしい。

 フランスパンを薄く切り、ガーリックバターをぬって、オーブントースターに入れる。

 リリーはワイングラスを持ったまま、リビングをつくづくと眺めた。

 がらんとした部屋。電気がついているのに薄暗く感じる。

 壁に掛かったカレンダーの写真の子犬も、ユーフォキャチャーで取った、白いうさぎのぬいぐるみも、何だか寂し気な表情に見える。

「ノボルさん」

 小さな声でつぶやいてみる。悲劇のヒロインみたいに滑稽だと思う。


 テレビのサスペンスドラマは終わりに近づいて、もう、クライマックスシーンだ。

 刑事が犯人に向かって言う。

「やっと、楽になれたな。これでよかったんだ」

 犯人に同情しているような、優しく思いやりのある言い方だ。

 シチューがぐつぐついいだした。

 リリーは慌てて、火を弱めおたまでかき混ぜる。

 オーブントースターがチンと鳴って。パンが焼けたことを知らせる。

 オーブントースターのドアを開けると、ガーリックのこうばしい匂いがする。

 皿に焼けたパンを並べ、シチューを深皿につぐ。


 シチューはまだまだ、たくさん鍋の中に残っている。一人で食べられる量じゃないわね。ノボルさんたらこんなに沢山作って、あたしをまた太らす気かしら。

 もしかしたら、シチューを食べに帰ってくるかもしれない。

 ううん。

 未練がましい。リリーは頭を振る。

 お盆にそれらを入れ、リビングに運ぶ。テレビのドラマはまだ終わっていなかった。


「あなた、待っているわ」

 テレビの中の妻らしき女が、犯人の夫に声をかける。背中を向けうなずく夫。

 エンドロールが流れ、寂しげな歌と共にパトカーが去って行く。

「いただきます」

 リリーは手を合わせてから、シチューのジャガイモをすくって、口の中に入れる。

 熱い。口の中でハフハフする。熱すぎて、涙が出る。ワインを一口飲む。

 ハアーと大きく息をはく。


「あたしはもう待たなくていいんだ」

 グラスを持ったまま、顔を上げてリリーが言う。

「ノボルさんが出て行くのを、待たなくていいんだ。もう、ノボルさんがいなくなるのを心配しなくていい。朝寝坊してもいいし、好きな時間にごはんを食べても、おやつも好きなだけ好きな時間に食べてのいいんだ。ごはんの支度や仕事をさぼっても、悪いななんて思わなくてもいい。あたしは何をしてもいい。自由なんだ」

 フフフフッ、とリリーは笑った。


 ガーリックトーストをかじる。

 ノボルはガーリックトーストが好きだった。

 毎日食べても飽きないですよ。と言っていた。

「何でもおいしそうに食べていたなあ」

 ノボルがいなくなって、まだ、半日しか経っていないのに、リリーはもう昔のことのように、懐かしそうに言った。

 もう一度、一緒にガーリックトーストをかじることはできないだろうか。

 リリーはまた首を振る。


「これでよかったんだ」

 さっきのドラマの刑事の言い方を真似て言ってみる。

「そうよ、あたし、ほっとしたわ」

 リリーはグラスを持ち上げた。

「ノボルさんの門出に乾杯」

 そう言って、ワインを飲み干す。

 涙がリリーの目からこぼれた。

「ひどいよ。ノボルさん」

 シチューから温かそうな、湯気があがっている。



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