忍者?
それから数日後。
いつもと変わらない朝。のんびりとした日常。
遅い朝食。その後の紅茶とビスケット。それらを食べ終え、また、いつものように、ノボルがオセロ盤をこたつの上に出した。
いつもなら、ウキウキした顔で「オセロしましょう」というのに、今日はいかにも、真面目なようすで言った言葉は「今日は話しがあります」だった。
「何の?」
リリーは言った。
言いにくい話しなんだな。素直な心が顔に出ている。リリーは思った。
でも、何の話しか大体の見当はつく。
「ゲームをしながら、話します」
真ん中に四個駒を並べてノボルが言う。
「リリーさんからどうぞ」
リリーは無言で白い駒を置いた。
ゲームが進んでいく。
ノボルは何も話さないまま、盤面ばかり見ている。
いつ、話しをするんだろう。でも、今日は集中しているな。全力を尽くして、勝つつもりなんだ。
話しがあるなんて言ったけど、それどころじゃなくなったかな。リリーは思った。
そのかいあって、珍しくノボルの黒が優勢だ。
それでも、ノボルは気を許していない。いつもこういうところで、気を抜いて失敗するから。
リリーの打つ手を食い入るように、見つめている。リリーが駒を置くと、
「ああ、そうかあ」
と、ノボルが心の底から悔しそうに言った。
やはり、リリーの方がうわてだった。
リリーは少しずつ駒を増やしていく。それをノボルには、止める術はない。
そして、ほとんどの駒が、白に変えられていくのを見ながら、ノボルはふう~とため息をついた。
「リリーさん、ぼく、ここを出ようと思うんです」
リリーは顔を上げてノボルを見た。
「どうして?」
リリーは優しく言った。
ノボルは答えないで、まばたきを何度もした。
盤から目を離さないで、口を固く閉じて、緊張した顔をしている。
ノボルは今、白い駒を黒に変えることなど考えてはいない。 出て行く理由をどう説明すればいいか考えている。リリーを傷つけないで、悲しませないように、どう言えばいいのか考えているのだ。
かわいそうなノボル。リリーは思った。
しかし、不思議だった。ノボルが別れ話をしているのに、それほどショックを受けていない。何となくわかっていたとはいえ、こんなに平静でいられるとは。リリーも自分のことながら驚いている。
つい、この間まで、ノボルがいなくなるのを恐れていたはずなのに。ノボルに対する気持ちは変わってないのに。
ノボルは小さなため息をつきながら、しょうがなく、駒を置いた。
少し黒い駒が増える。でも、また、この駒も全部取られるのは、わかっている。
リリーが白い駒を置いた。
「オセロでいつも負けるから出て行くの?」
黒い駒を白に変えながらリリーが言った。
「それもありますね」
ノボルの表情が穏やかになる。顔を上げてやっと笑った。
「今日は絶対に勝ってやろうと思っていたんです。できれば勝ってから話したかったんです。
「勝たせてあげればやかったわね」
「いや、僕はそんなずるは嫌いです」
「そうでしょうね」
二人は微笑み合った。
「でも、よかった。リリーさんが笑ってくれて」
ノボルは目を細めて、ほっとしたようすで言った。
もう、話しが済んでハッピーエンドみたいな顔だ。
話しはこれからじゃないの?リリーは思う。
「それで?」
リリーが真っ直ぐノボルの目を見て言った。
「どうして、ここを出て行こうと思うの?」
なぜだか、リリーはノボルを困らせてやりたい気持ちになっていた。
「こんなに、あなたに尽くしたあたしを裏切るの?」
心の中で舌を出す。尽くしてなんていないから。
「最初からあたしを騙すつもりだったのね」
あたしを騙しても、得することはないな。
と思う。
ノボルは驚いた顔をして、首をブンブン横に振る。顔が引きつって青白く見えた。
「リリーさん違います。ぼくは・・・」
次の言葉が出てこない。
優し過ぎるノボル。気の毒なノボル。
「フフッ、冗談よ」
リリーは笑って、空っぽの紅茶のカップに目を落とした。
「すみません」
首を垂らし、ノボルが言った。声が少しかすれている。
「今まで、散々お世話になっておきながら、何のお返しもしないで出て行くなんて、本当に申し訳ないと思っています。
自分勝手だってわかっています。自分の都合でわがままばかりだって。
でも、このままじゃいけないと思ったんです。ぼくはリリーさんに甘え過ぎていました。
リリーさんがぼくに何も聞かないのをいいことに、何も言わないで、こんなに長く居座ってしまって。
ちゃんと自分のことを話さなきゃって思いました。今の自分の気持ちも含めて」
ノボルは立ち上がって、キッチンに行った。
水道の蛇口をひねり、グラスに入れて水を飲んでいる。
「すみません。やけに喉が乾いちゃって」
戻ってきて、ノボルが言った。
「僕、家出してきたんです」
座るなりノボルが言った。
「まあ、そんなところだろうと思ったわ。あのようすだったから」
「そうですか。わかりますよね。あのようすじゃ。それから」
「ちょっと待って」
リリーはノボルが話すのを遮って、立ちあがった。
「あたしも喉が渇いたから、ジュースでも飲もうかしら。カボスジュース飲む?」
「はい」
「じゃあ、作るわ」
「ぼくも手伝います」
二人は一緒にキッチンに立った。
カボスを半分に切る。爽やかな匂いが部屋に広がった。
「それから?」
リリーは言って、中央が尖った山になっている果汁絞り機にカボスを押し付ける。ふちに果汁が押し出される。
「実は僕」
グラスを両手に持って、ノボルが突っ立っている。ちょっと緊張した顔をして。
「僕、何?」
りりーが作業の手を止めてノボルの顔を見る。
「信じられないかもしれませんが、実は僕、忍者なんです」
真面目な顔でノボル言った。
「忍者?」
リリーはきょとんした。そして、プププーと笑いだした。あまりにも唐突だったから、おかしかった。
忍者って、あの忍者?水の上を歩いたり、手裏剣を投げたり、屋根の上を走ったりする
リリーは黒装束の忍者の衣装を着た、ノボルを想像した。以外に似合いそう。リリーは思った。
「信じてもらえるでしょうか?」
ノボルは、笑うリリーに怒りもせず、なおも真面目にきいてくる。
「えっ、うん、まあ。フフフ」
リリーはまだ笑っている。
でも、自分だってイノシシだ。そんなあたしをノボルは信じてくれたんだ。あたしなんかより、ノボルが忍者ってことの方が、よっぽどまともだ。リリーは考える。
そういえば、ノボルは、足音も気配もさせずに歩いた。高い整理棚の上に飛び乗ったり、常人でないことができた。
素早い動きにびっくりしたことが何度もあった。畑仕事も料理も何でも器用にこなしたし、礼儀も正しい。
若い男の人にしては、気が利き過ぎていることもあった。
それらはみんな、忍者の訓練で学んだことなのかもしれない。
「信じるよ」
リリーはカボスから手を放して言った。
ノボルの顔がぱっと明るくなる。
「ほんとうですか?」
「うん。信じる。ノボルは忍者なんだね」
リリーは急にうれしい気分になった。
忍者なんて、すごい! リリーは思った。
「何かして」
「はっ?」
「忍者らしいことよ。ドロロンと消えるとか、分身の術とか」
「ハハハハッ、リリーさんテレビの見過ぎですよ。そんなこと僕にはできませんよ」
ノボルは笑ってグラスを置いた。
「じゃあ、何ができるの?」
「特別なことは何もできませんよ。早く走れるとか、身が軽いとか、力があるくらいです」
「なあんだ」
リリーはちょっとがっかりして、肩の力を抜いた。
カボスを力一杯ガラスに押し付けながら、
「忍者のこと、色々知りたいなあ」
と、独り言のようにぽつりとつぶやく。代わります、とノボルはリリーの手からカボスを取って、
「忍者のことですか? うう~ん、難しいな。本当は、僕が忍者だってことも言っちゃいけないんです。そういう掟で。でも、リリーさんには特別に話しました。だって、リリーさんは」
ノボルはそこで言葉を切り、リリーの顔をちらりと見た。
「イノシシだから?」
リリーがニコリと笑って言う。
「すみません」
ノボルがすまなそうに言う。
カボスをグラスに注ぎ、ハチミツを垂らす。そして、水を入れかき混ぜる。
「リリーさんも僕と同じように、本当の姿を隠して生きているんだなあと思って」
「仲間ってわけね」
ノボルがうなずく。
「忍者とイノシシ、面白い組み合わせね」
「はい」
二人は笑った。
「ねえ、これに焼酎を入れない?」
「いいですねえ。ああ、でも、このハチミツの量じゃあ甘すぎるかな」
ノボルはグラスを目の高さまで持ち上げた。
グラスに陽の光が当たって、ノボルの顔に琥珀色の影が映った。
きれいだな。今のノボルの横顔を目に焼き付けておこうと、リリーは思った。




