第12話「東夷王」(前編中)
押込とは、クーデターのことです。
時代劇で考えられるような殿様ほど、本当の君主は強権ではありませんでした。
家臣団の反感を買い、隠居させられる大名もいました。
しかし今回、久能は自らが隠居を宣したのです。
家臣団と考えの違う君主が家政から退くことは珍しくありません。
ですが、続投を望む家臣団の意見を跳ね付けられては困ります。
「…しかし閣下は若い。
隠居と言っても一時的な処置かも知れないであります。」
ある重臣が言いました。
他の家臣団も追従します。
「同意であります。」
しかし議題は、当然、幕閣でも起こりました。
「これまで最前線で指揮を執って来た久能様が隠居するとは。」
「反対だ。」
「うむ。
派閥やパワーバランスの問題よ。」
逆に肯定的な意見もありました。
「いいんじゃない?」
「まず、だいたい久能様は外様。
失礼だが、幕府の重要な役職に収まるには相応しい家柄ではない。
それが今のような落ち着き始めた時代ではな。」
「ああ。
本人のためにも賢明だ。」
「とにかく久能様は死んだわけではない。
卿の武力、器量は幕府に大きく貢献した。
何、卿の力が必要になれば出仕を願えば良いのだ。」
最終的な決定が東京の久能に伝えられました。
使者は天磐楠舟で到着し、出来るだけ素早く伝える努力をしていました。
幕閣としては、遠地で久能の家臣団が気を揉んでいるのを想っての気遣いでした。
「閣下の申し入れに対し、上様と幕閣は、協議なされた。
その結果、閣下の管領たるを退く意向は承認された。
この議、恙無くお伝えします。」
使者は、久能より上座に立ち、将軍の書簡を堂々と読み上げました。
久能も深々と頭を下げます。
顔を上げた久能が返礼と共に使者に訊ねました。
「有難く存じ申し上げます。
この豊の無理強いを容れて頂き、上様には御礼申し上げます。
…時に後任は、如何になりますか?」
「まだ決まっていませんね。
まあ、北条家から出るんじゃないの?」
使者は、そういうと書簡を久能に手渡して窮屈そうに裃をただしました。
久能は、砕け切った使者の態度に少し驚きました。
「さようで。」
「ああ!」
急に使者は、大声をあげます。
そして久能に告げるのです。
「東日流王、雪姫様の足取りを御存じありませんか?」
随分と昔の名前に久能は眉をひそめます。
今となっては苦々しい思い出です。
「…東日流王様とは、志を違いました。
それ以降、お互いに接点はありませぬ。」
「やはり、そうですか!」
使者はそういうとアゴを手で揉みます。
やがて庭を眺めながら言いました。
「実は東日流王様を幕府も捜索しているのですが、これが見つからないんだな。
しかしたまに死人が出るところを見るに姫様は生きて見えると思うんだけど。」
「…何か私の耳に入れば幕府にお伝え申し上げましょう。」
「いや、結構。」
使者は素早く久能を封じました。
次にこう答えるのです。
「自分は、それほど高い身分ではないので。
しかし雪姫様に危険が及ぶようなことは避けたいと思うんだなあ。
…閣下も昔、一緒に戦った姫様が妙な問題に引きずり込まれても嫌でしょう?」
「いえ。
姫様は、力ある者。
王族として生まれた以上、責任から逃れる事は出来ないのです。」
「ほっほほう。」
使者は、小馬鹿にするように口を尖らせます。
「閣下は、管領を退かれるのに?」
「私は今の更なる戦火を望む風潮に抗いたいがため。」
久能がそう答えると使者は、深々と礼を返しました。
しかしその態度には、やはり揶揄いの色がありました。
「…ご意見、心に留めておきましょう。」
さらに後日。
親王が毛野国の長官として赴任しました。
久能は、入れ替わりで京に上り、正式に管領を辞めました。
「久しぶりに西国に帰ったが…。」
朝倉坊の率いる職人衆は、ますます京を変な方向に開発していました。
「朝倉坊の仕業か。」
「今は匠の衆を率いる長として、義梵法眼と呼ばれておりますよ。」
朝倉義梵、19歳。
彼の戦いは、まだまだ始まったばかりである。
「法眼?
これはまた知らぬうちに出世したな。」
法眼とは仏僧の位階を表す言葉ですが、医者や職人なども名乗るようになったものです。
「ただ夷とも付き合いが深いですから、敵も多いとか。」
「ははは。
それは、援助してやらんとな。」
久能は、そう言いつつもゾッとしました。
京は、まさに夷の気色に満ち満ちています。
建物だけでなく市街の臭いすら連中の気配が充満しています。
あの柱、あの屋根、あの街角。
明らかに大和の文化とは、異なる風情。
久能は、それを心地よいとは感じませんでした。
ただ、ただ、異民族に凌辱された都に悪寒を感じます。
「…ち。」
ハッキリ言ってこれは、謀略でした。
久能の行動原理に異民族恐怖症があることは幕府は、把握していました。
彼女は、攘夷の士であり、開明的な融和を認める人物ではないことは明らかでしたから。
「久能様の生き方から言って、今の都の姿に憎悪さえしても喜びはすまい。
いずれは、武魂を取り戻されることであろう。」
幕臣たちは、そう話し合いました。
彼らとて大和中に散らばった夷を嫌悪する者たちです。
まさに彼らにとって久能は旗頭となる人物であったのです。
「良いのですか?」
「良いのだ。」
「閣下は、実直なお人柄だ。
平和な時代に下らぬ輩と腹の探り合いで傷ついても詰まらぬ。
今は野に置かれてもいずれは立たれる。
ともかく時期を待つのだ。」
「左様。」
「マメに連絡を入れてやれば十分だろう。
時期にどこぞかで勝手に夷どもが事件を起こす。」
「そうすれば閣下は夷どもを成敗するために立つ。」
「海外での略奪では、幕府の威信は高まらん。
どんなに民の暮らしが豊かになっても贅沢に人は飽きる。
人は感謝を忘れる。」
「うむ。
遠い海の向こうで兵が倒れてもな。」
「海内で戦がなければ。」
「そうよ。
民の心を掴むには、武威を示す戦が要る。
血の祭りだ。」
「その時こそ、閣下の出番だ。」
京屋敷にて久能はエミリーと再会しました。
長い間、京で東京と吉備の間を取り次いできたのです。
おまけに幕府や朝廷との交渉を務めました。
流石は、久能の、天下の軍師と言ったところです。
「エミリー。」
久能は、彼女を見るなり駆け寄って声をかけました。
「殿。」
二人は、妙な距離を埋めるように、じっと見つめ合いました。
まず久能が口を開きます。
「今、軽々しく、苦労を掛けたと言うのも憚られるな。
本当に、なんと言って良いのか分からぬ。
長い間、粗略に扱った。」
「構いません。
殿が満足なら、私は何も。」




