第10話(中編上)
小谷城の周辺では、奇妙な木造の家が並んでいます。
エミリーたちは兵舎に留め置かれました。
酩酊の夷というのは名前だけではないようです。
明らかにそれの乱用者と分かるような虚ろな表情をしています。
辺りには独特の香りが漂い、目抜き通りには娼館の並ぶ異常な光景が広がります。
「ここは世紀末の世界ですな、スタンフォード様。」
「だが、ここに黄金の男根像は喜ばれるかも知れんな。」
エミリーがそういって冷ややかに笑います。
部下たちも嘲りの笑みを浮かべました。
翌日、早くもアラリア王がエミリーらに会いたいと返事を出します。
しかし三夜がエミリーを止めました。
「エミリー様は、ここでお待ちを。」
「む?」
「この地の夷たちは、女を快楽の相手としか見ておりません。
交渉の場に立つことは無理です。」
三夜にそう告げられ、エミリーはここで待つことにします。
部下たちだけがアラリア王に対面することとなりました。
不整のままに、でこぼこの木材で作られた歪な砦。
香る酒と麻薬の臭い。
低く唸り声をあげる夷たち。
「まるで動物の声だな。」
「犬みたいだ。」
ヴァイキングたちが口々にそんなことを言います。
三夜が答えました。
「犬だよ。
夷どもの声じゃない。」
「犬?」
「セックスの相手にしているんだ。」
一同に寒気がします。
まだ昼間だというのに薄暗い城内を進むとやがて広い部屋に出ます。
全員が用意された椅子に座るとアラリア王が登場しました。
青というより紫に近い、暗色の青紫の肌。
そして赤黒い目を持った恐ろしくも美しい少年に最初は見えました。
しかし薬物で爪や歯、目の色が不健康に変色しています。
様子もどこか正常とは思われません。
何か落ち着かない様子です。
「王は大和王国からの使者を歓迎すると仰っておられます。」
通訳がそう言っている間に、アラリア王は席を立ちました。
ふらふらとそのまま部屋から居なくなります。
場の全員が驚きました。
「え?」
「な、あ?」
「どうしたんだろう?」
やがて、しばらくするとアラリア王が戻ってきます。
「王は大和王国の大名としての地位、自治権、兵権、警察権さえ認めれ貰えば、恭順しても良いと言っています。」
いきなり大きく出ました。
当然、近江に荘園を持っていた公家や知行を持つ大名は黙っていないでしょう。
「我々は王との共闘関係を結びたい。
軍事同盟を結ぶことを望んでいます。
王を臣従させる目的で来た訳ではありません。」
これに通訳がアラリア王の言葉を伝えます。
「…あ。
とにかく、すぐに大和の臣になりたいと。
自分はこれ以上、煩わしい戦争に関わりたくないと…。」
通訳として連れて来た夷の言葉に海兵たちは顔を見合わせました。
ともかく、この場は挨拶程度に済ませ、エミリーにあらましを伝えます。
「…客観性に欠けていはしないのか?」
エミリーは懐疑的です。
ですが、部下は首を横に振ります。
「アラリア王は明らかに重度の中毒者です。」
「俺もそう思います。」
「間違いありません。」
部下は答えます。
「確かにボスの言う通り、客観性を疑われても仕方ないでしょうが。
しかし明らかにアラリア王は普通の状態ではありません。」
「本人なのかもわからんぞ。」
「いえ。
王は大和王国の臣下に入ることを希望しています。
そんな重大な話を…。」
部下の話の途中ですが、エミリーは顔を伏せ、考え込みました。
部下もそれを見て、話すのを止めてしまいます。
「いや、ニリナス王本人のはず。
会場には結界が張られていて入れませんでしたが、王の居場所が他で掴ませませんでしたから。」
三夜がそういって疑いを解きます。
「じゃあ、嘘偽りがないと?」
「くっくっく…。
そこまでは知らないよ。」
エミリーに訊ねられ、三夜はニタニタと笑いました。
部下も答えます。
「正直、正気なのかどうか分かりかねます。」
「…取り敢えず、殿に伝えてみるか。」
エミリーからの連絡を受けた久能は、葛城御所に向かいます。
火急の用事と九厳や幕臣たちを集め、アラリア王の一件を伝えました。
「夷を恭順させるだと?」
「手っ取り早いではないか。」
「馬鹿な近江北部をそっくりくれてやるというのか!?」
「後から滅ぼせば良い。」
九厳の近臣たちは互いに紛糾しました。
しかし最終的な判断を下すのは、九厳です。
皆は九厳の発言を伺いました。
相変わらず静かな湖面のような九厳は、一言。
「許す。」
一同から声が上がります。
また静かになるのを待ち、九厳は己の考えを説きました。
「功績は武門のよって立つところ。
アラリアなる夷の族長が大名となるを望むならば、働き次第で受け入れよう。」
「つまり、彼に実力があるようならば認め、ないという場合には滅ぼすと?」
久能の言葉に九厳は頷きます。
静かにまた着け加えました。
「夷を以て夷を制す。
兵庫頭は、アラリアを自由に動かし、利用するがいい。」
「それは幕府の名をもって?」
久能が率直に訊ねると九厳は、ニコリとするだけです。
「…御意に従います。」
久能は自分の責任になると理解し、頭を下げました。
九厳は最後に着け加えます。
「近江平定には、僕も付き合おう。」
「ははっ。」
久能は御所を出ると船に鸞鳥で戻ります。
近習たちが出迎えました。
「殿、いかがでした?」
「…まあ、まあだな。」
考えるまでもありません。
近江国は京に近すぎます。
そんなところに夷の領地など認められる訳がありません。
「御所は近江の平定には幕府も兵を出すと約束した。」
「では、アラリア王は滅ぼすのですか?」
「いずれな。」
久能は使者を出し、エミリーに伝えました。
アラリア王の恭順を受け入れるが、それにはまず働いてもらうと。
手始めに大溝城周辺地域の制圧に協力することを条件にしました。
「完全に約束すると?」
エミリーの部下が手紙を読むエミリーに伺います。
「…御所も殿もアラリア王を夷と思って馬鹿にしている。」
「は?」
エミリーの言葉に部下たちは顔を青くします。
彼女は言いました。
「京の近くに蛮族の領地なんて、誰が考えてもまともじゃない。
国替えを条件に出すならともかく、これでは滅ぼすつもりだとハッキリ通告するようなものじゃない。
ばかじゃないの…。」
「う、あああ。」
部下の一人がエミリーに伺いを立てます。
「こちらで勝手に条件を加えては?」
「…いえ、幕府がそういう意向なら従うまで。
アラリア王に、この条件を伝えて。」
九厳の思惑、久能の判断、エミリーの杞憂も知らず、アラリア王は条件を受け入れます。
ただし向こうから新たな条件が加わりました。
まず高志国に捕らえられた武将や兵らを解放すること。
次に朝廷から権近江守の官位官職を送り、守護として認めること。
これは単に大和の内情を知っていることをアピールしたかったのでしょう。
次に信仰の自由を認めること等の要求。
「随分と多いな。
それに具体的だ。」
エミリーはそれをそのまま久能と幕府に送りました。
「まさか本当に所領が認められると思っているのでは?」
「…私たちは、アラリア王を滅ぼすことだけ考えていればいい。」
スカディ率いる8千の大和軍は、この数日後にニリナス王の支配する地域に侵入しました。
比叡山を越えたあたりまで進撃し、先鋒の杏の部隊に接触がありました。
「切り刻めッ!
三十六歌仙ッ!!」
『ひいいッ!』
どうやら敵の百姓兵のようです。
満足な装備も持っていません。
敵の侵攻に対し、急に徴発されたのかも知れません。
「手応えのないこと。」
杏は刀の血を払って落とすと構え直します。
毛野国の敵兵と比べると骨のない相手です。
「細川様、スカディ様は慎重にと…。」
「…うるさいですこと。」
北条方との合戦に敗れ、皆、ピリピリしています。
下らない小競り合いで転びたくありません。
結局、杏も自重し、敵を追い払う程度に済ませました。
しかしあまりに消極的な態度にニリナス王陣営は気を大きくしました。
『ニリナス様の申しつけに背き、農民たちが勝手に大和に襲撃をかけました。
しかし敵は軍法に則った追撃もせず、農民どもを逃がしたとの事です。』
『怖気づているのか?』
『恐らく、予期せぬ襲撃に損害を受けたのだ。』
『農民たちに怯えるとは。』
『勝てるぞ。』
ニリナスは立ち上がって声を上げます。
彼の家臣たちも勢いづきました。
『敵の先鋒を破り、この地を赤く染めてやるのだ!』
ニリナス王は叫びました。




