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第1話「夷共の進撃」(後編上)




近江国、現在の滋賀県。

電撃的に尾州が夷軍に占領され、まだ半年も経っていない。

それでもここ、横山城が関ヶ原方面から西に進む夷軍を迎え撃つ重要な拠点として、補強が急ピッチで進んでいました。


敵軍もそれを見て手強しと見たのか、今度は海路から逃れる様に進軍ルートを変更。

そのためか一度も夷軍は姿を見せる気配はなく、平穏無事に日々を過ごしていたのです。


…あるいは、それが油断を誘う作戦であったのかも知れません。


「横山城が、今や天下一の名城に見えるのう。」

「夷どももこれでは諦めて尻尾まくしかないようじゃ。」

「しかし海の方ではだいぶ暴れとるそうだぞ。」


「いやいや、被害が大きく言われとるのじゃろう。

 どこも自分たちの街が襲われたら、兵を回して欲しいからな。」


土塁、櫓、柵…。

横山城は拡張され、天磐楠舟を着ける空港そらみなとまで建てる計画が進んでいる。


「正直、琵琶湖があるんだから空港は要らんと思うけどな。」

「公卿衆は大袈裟だからなあ。」

「なーに、あった方が便利は便利ぞ。」


泥だらけになった男が顔を上げて、辺りを見渡して言う。


「しっかし百姓どもを駆り出せぬか?」


「おう、武士の対面も丸つぶれじゃ。」

「へっへ…。

 大方、どこもかしこも三男坊じゃないか。」

「兄者、姉者は賢く健やかにおわす。」


完全な兵農分離、武士と農民の区別が着いた社会ではありませんが比較的、軍事を生業とする家人が集められました。

いざとなった時、戦えない連中が多くては足並みが乱れるとの北条九厳の考えです。


何より百姓は給金が滞れば暴れ出すこともあり、却って武士の方が御し易くもありました。

失うものの多い身分の方が従順にいうことを聞いたのでしょう。


それでも完全に身分が固定された公家と違い、社会的な地位や特権を求めて武家になろうとする豪農や豪商がいました。

中には分家という形で商売を続け、資金力に物を言わせて出世する武士もいたぐらいです。


「皆の衆、今日の作業はここまでとすーッ!」


白髪の老人が陣太鼓を鳴らして刻を告げる。

一斉に人集ひとだかりが出来、陣屋に駆け寄る。

城門が開かれ、郭内に入った労働者たちに晩飯が振る舞われる。


どこも山のような芋、干し肉、雑穀米が並んでいる。

それを男も女も牛か馬のように飲み込んで行く。


「月五郎。」


少女といっていい年齢の若い娘が、同じ年ぐらいの少年に声をかけます。

月五郎と呼ばれた少年も振り返って答えました。


「へえ、兵庫頭ひょうごのかみ様。」


「後で来い。」


兵庫頭と呼ばれた女は、それだけいうとその場を去りました。

別の男が月五郎に話しかけます。


「あれが噂の久能くのの姫君か。

 何もこんな所に降りて来なくとも良い大身旗本の息女にありながら、困ったことじゃ。

 男漁りが目的とはな。」


月五郎の拳が男の顔を捕らえました。

そのまま男が倒れ込み、崩れ落ちます。


月五郎は飯を食べ終わると席を立ち、心当たりのある場所に向かいます。

仮設の足場が組まれた横山城の天守閣、そこに通じる階段を登り、城の外側を歩いて行きました。

風が吹き、手すりもない夜道で危険な場所です。


倉皇そうこうして月五郎は天守閣の屋根の上に降ります。

先に着いていた久能の姫様が待っていました。


「月五郎。」


「おとよ。」


二人は縛っていた糸が切れた様にお互いに抱き合うと両手を繋ぎ、見つめ合います。

なんと他愛のないことでしたが、若い男女にとって、これより燃え上がることがあるでしょうか?

そのまま夜空を見、城の陣屋を見下ろして語り合います。


日々の事、将来の事。

この時間が永遠に続けばいいのに。


そんな二人の願いを聞いたかのように夷軍は動き出す。




矢倉の上の見張り番が、林の中で光る物を見つけました。

目や鎧が光を反射して光っているのです。


「なんぞ、動いたか。」

「来よた…、来よったぞ。」


鐘が鳴り、敵襲が知らされます。

ほうぼうの櫓から矢や石が放たれ、松明が増やされます。


「敵襲ー!」

「敵襲ー!」


松明を持った足軽たちが城内を走り回ります。


「鸞兵など出すなっ。」

「敵を見て来させるだけぞ!」


大騒ぎで命令が錯綜しているのか、あちこちで上級武士同士が言い争っています。

別のところでは整列したまま兵たちが命令を待っていました。


「あ、上がった。」

「まただぁ。」


鸞兵たちが飛び立ったと思ったのに、すぐに地上に降り、またすぐに飛び立ちます。

それを弓兵たちが矢倉門の窓から指をさして見ています。


「暗いのに良くやるなあ。」

「夷は夜目が効くっちゅうやないか。」

「…怖や、怖や。」


小一時間ほど横山城のあちこちで矢玉が飛び交いますが、手応えはありません。

それでも何かの軍勢が物陰から城に近づいて来ていることは間違いないようです。


そもそも城の近くの森は、殆ど切り倒され、隠れられる場所などそうありません。

林と言っても木の数は数える程度です。


「おるのは分かっておるのだ。

 さっさと出てきたらどうなんだ。」


やがて城内の大和軍も苛立ちが募ります。

向こうでも何か手違いがあったのでしょう。

恐らくここで横山城勢が強く出ていれば流れを掴むことが出来たかも知れません。


「イーアーッ!」


しかし今回の決断は夷軍の方が早かったようです。

蛮声と共に遮二無二に突進してきます。


黒備衆くろぞなえしゅうだーッ!!」


誰かが叫びました。


「何をいうか。」

「適当に言葉を作るな。」

「なんだよ、黒備衆って…。」


最初は冷静に、あるは疑惑をもって、こんな言葉が皆の頭に浮かびます。

しかし、聞いたこともないこの言葉が何故か城内を駆け回ります。

そうすると集団は恐怖に囚われたのです。


「く、黒備衆が来たぞー!」

「そんなもの、聞いたことがないぞ…。」

「良く分からんが夷軍の精兵に違いない。」

「ワシは夷の名のある部隊など聞いたことないわっ。」


まるで狂騒の最中にあるように城内は背筋を凍らせていきます。


「黒い鎧を着た夷の精鋭部隊だぞー!」

「全身が黒鎧ぞー!」


何しろ、誰も夷軍を見たという兵はいないのです。

おまけに3万の味方の軍勢が壊滅したという話を聞いた後では、夷への恐怖は高まるばかりです。


「矢が通らぬ!

 夷どもの鎧は頭から足の先まで鋼で守られておるわー!!」


「何を…、バカなッ。」


やがて大きな物音。

どうやら門を破って敵が城内に入り込んだようです。

一層、騒ぎが強まり、皆が四方八方に逃げ始めます。


「静まれー!

 静まれー!!」


組頭たちが兵たちをなだめようと声をあげますが、その当人たちが正気ではありません。

目が泳ぎ、顔面は蒼白なのです。


「何がどうなっておるのか、分からぬ。」


城内の曲輪の中、そなえの一隊が敵を待ち構えています。

備とは槍、弓、騎馬などの兵種を合わせた一つの部隊のことです。


「イアー!」

「イェェェアァァァァー!」


夷どもの蛮声が聞こえてきます。

弓隊が弓を構え、長柄組が槍を突き立てて槍衾を押し出しました。


そして不意に黒い鎧に守られた夷どもが闇から這い出してきます。

事前に他の兵たちが騒いでいた通り、夜目が効くのか松明などは持っていません。

何より、黒く塗られた全身鎧で胴丸だけでなく手甲や脚甲まで鋼で包まれています。


「かかれー!」

「押し潰せー!」

「かかれー!」


城兵たちが次々に夷軍に向かって突進します。

向こうも訳の分からない喃語を喚きながら突撃してきます。

走る兵たちの頭がパチパチと白熱し、目が泳ぎ、息が乱れます。


そして二つの塊が衝突し、形が崩れます。

最初、同じに見えた両者の形勢は違っていました。

すぐに夷軍が城兵を圧倒し、見る見ると一方的に数を減らしていきます。


15分もしない間に夷どもは人間たちを殺戮すると城内をまた走り始めます。




大蛇オロチを出せー!」


城内の西の丸にある厩舎から巨大な蛇たちが解き放たれます。

蛇使いたちに誘導され、家ほどもある蛇たちが夷軍の迎撃に向かいます。


「城内では大蛇は大き過ぎる。

 味方を踏み潰すつもりかー!」


抗議した武将を大蛇を出撃させた武将が切り捨てます。

もう下らない問答は御免ということでしょうが、これこそ狂気の沙汰。


「構わん、さっさと行けー!」


蛇使いたちの組頭も怒鳴ります。

もう他に手が残されていない以上、無理無謀は承知の上です。

大蛇たちは水堀を渡り、漆喰の城壁を突き破って夷軍の頭上に襲い掛かります。


何人かの夷たちが空中に投げ出され、地面に落ちて潰れます。

ですが、もう手遅れです。


「完全に城が包囲されとる!」


敵も大蛇の存在は知っていたのでしょう。

大蛇たちが向かった逆の方向から別働部隊が突入してきます。


「お、お終いじゃー!」


直前まで主戦場になっていた曲輪と反対側を守っていた武将が血の気を失って地面に倒れました。

夷どもが持ち込んだ軍用獣が瞬く間に城門を破砕し、侵入してきます。

大きな五十間櫓と小天守が崩れていくのを城兵たちは見守るしかありませんでした。




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