第7話「世界は暗く、道らしき道すらなく」(前編)
「いやあああッ!」
ガクンと膝から床に倒れ込んだエミリーは泣き出した。
両手で胸を抑え、涙を止め処なく流して大声をあげた。
「あああッあッあッ…!!
ひやあああーッッッ!!!」
「新機軸を立ち上げたいと思います。」
「…はあ?」
やる気のなさそうな雪姫のもとに部下の巫女の一人がやって来ました。
そう、確かお稲とかいう優秀な女です。
「私が考案し…。」
「あのさあ、久能ちゃんも今は参ってるからさあ。
あんまり、こっち関連の話題を持ち出し難いんだけど?」
雪姫はそういって耳の穴をほじった。
久能が男として愛した女、結。
愚かにも彼女は仮面兵の働きぶりは母親である女たちのものではないかと主張しようとして、殺された。
諸将の前で仮面兵の秘密を公然と明かそうとしたためです。
もし、仮面兵生産のために身体を提供している女たちに何かしらの手柄を与えた場合、どんどん政治的な問題が出たでしょう。
最初は金品や待遇の改善などで済むかも知れませんが、その予算を調達する場合、理由を秘密にしておくことは困難です。
それにゆくゆくは人格のない仮面兵の代わりに発言力を求め始めるかも知れません。
兵役をこなし、国のために働いた者に政治的な権利を認めるという考え方を主張できるからです。
いずれにしても、あの場で発言しようとしたこと自体が久能に対する復讐だったのかも知れません。
「私の話を取り敢えず聞いて貰えませんか。
その後で判断していただいて結構です。」
お稲はキラキラ輝く笑顔で言います。
雪姫は調子狂うなあ、と思いながら「どうぞ」と手をかざしました。
「まずですが、これを見てください。」
ミミズののたくった様な汚い字です。
雪姫は目を細め、じっと見つめます。
「久能さんの精子を調べて健康なものを数えました。
雪姫様の意図した通り、通常の男性の精液より遥かに高品質な精子が多く含まれていました。」
「…なるほど。」
「そこで思い付いたのですが、久能さんの精子には受精卵を外から見つけるためのマーキング機能がありますよね。
だから卵子を取り出して、手作業で受精卵には出来ないから性交する必要がある…。
そうでしたよね!?」
お稲が楽しそうに話し続けます。
雪姫も普段、自分がそんな感じの癖に同族嫌悪なのか、困った表情をします。
「そうだけど?」
「逆なんです!
精液を生理食塩水で薄めて女たちに塗布すれば、性交の必要はないんです!!
これで久能さんも女たちも精神的にも肉体的にも負担が軽くなります!!」
思い出した。
殆ど霊力もないカスのくせに、ああしようとか、こうしたいって騒ぐ低能女だ。
雪姫はそう思いながらお稲を見つめていました。
とはいえ、細かい作業の嫌いな自分の代わりにデータとかやたらと面倒な仕事を引き受けて来るし。
そろそろ意見を聞いてやるか。
「話してやるよお、久能ちゃあんに、今度お。
…でも、期待するなよ?」
「ありがとうございます!!」
お稲は大喜びしました。
しかし雪目は冷や水を浴びせます。
「でも、久能ちゃんは間違いなく首を縦に振らないんじゃないかなあ。
そもそも、そんな風に気軽に仮面兵を増やすことに反対だから今の形態だった訳で。」
しかし、毒舌にかけてお稲も負けていません。
「今の久能さんは仮面兵の問題に嫌気がさしています。
人間、嫌な物をいつまでも我慢して続けられません。
もう久能さんにとって仮面兵は負担でしかありません。
最初は、それは”おべんちゃら”も言えたでしょうけど。
もともと人の命をもてあそぶ研究者の庭に人道主義の久能さんは不釣り合いなんです。
精子提供者以上の口出しはさせない方がいいと思います。
これを機に、我々だけで研究をどんどん進めましょうよ。」
巫女服にサングラスというサイケデリックな出で立ちのお稲の眼がレンズの向こうで怪しくきらめきます。
雪姫も折れました。
「これまでの働きを考えて、あんたにそれなりの配慮をしよう。
…研究を続けてよ。」
久能とエミリーと雪姫がそろって評定から居なくなり、吉備軍の次の方針を決められずにいた。
伊邪奴は楢崎城に向かったし、狗奴王はアレだし…。
「殿や雪姫様が席を外すのは分かるが、なぜエミリー殿が?」
スカディも腕を組んでうつむきます。
久能が正就の娘を気に入って可愛がり始めたことは知っていました。
心の慰めになればいいと思っていましたが…。
「ここはスカディさんがリーダーシップを取るのがいいんじゃないですか?」
吉良がそう言います。
ですが、スカディはしゃんとしません。
「なんだかなあ。」
ルスランは銀色の髪をずっといじっています。
スカディが目線を送っても目も合わせません。
「後続を待って三原城に向かうっていっても殿がアレじゃあなあ。」
「取り敢えず俺は城の補強と攻城兵器の補修をやればいいんですよね?」
朝倉坊が言います。
険しい表情のスカディが答えました。
「ああ。
…お前はやることが決まってて楽だよなあ。」
「いやあ、ははは…。」
そこで急にスカディは矛先を尾崎に転じます。
「尾崎っちはどう思う?」
「私ですか?」
短い髪を揺らして尾崎が少し驚いた様に顔をスカディに向けます。
それからすぐに彼女なりの意見を答えました。
「じゃあ、私が指揮とっていいですか。
久能さんやエミリーさんが今のまま気分が優れないならですけど。」
「おいおいおい。」
「なんでや!」
スカディと狗奴王が声を上げます。
朝倉坊まで苦笑いします。
「経験はあるのか?」
「ありませんけど。
今のまま話し合っていても何にもならないと思います。
これからどうするか、じゃなくて誰に決定権を任せるのかなら話し合う価値があると思います。」
尾崎がそういうとスカディは、カチンと来たのか顔をしかめます。
要するにお前が座長じゃ話が進まないと言われた様なものです。
しかし事実、反論できる立場にありません。
「一度、相談してみるか。」
スカディはそう言うと尾崎と共に久能の意向を伺うことにします。
久能は気分が優れないといって自室に引きこもったままです。
中年の下女、お義が取り次ぎます。
「御殿様は、エミリー殿が臥せっているなら尾崎殿にお任せしても良いと仰せです。
しかし、エミリー殿にも意見を伺う様にと。」
二人は、そのままエミリーのいる陣屋に向かいましたが部下たちに止められました。
例のホットパンツもっこり海兵たちが応対に出てきます。
「エミリー様は殿がご心痛なのが堪えたよう。
何も手に着かないままです。」
「…左様ですか。」
止む無く二人は用向きだけ伝えて引き上げました。
スカディが道すがら話します。
「仮面兵のこと、正就の娘のこと、先々のことで殿も参ってしまったが、エミリーまで殿の様子を見て参ってしまうとはな。」
「あれでしょ?
エミリーさんは女の人が好きだったりする…。」
尾崎がそう言うとスカディが眉を吊り上げて尾崎を見つめます。
「ああ、なんとなくだが…。
…いや…。」
何か言おうとしてスカディは黙りました。
そのまま二人は歩き続けます。
「久能ちゃあん、ちょっと良い?」
久能が一人で籠っている部屋に雪姫の声がします。
久能は返事をしませんでしたが、天井に霜が広がり、氷柱が下がります。
やがて氷柱の一本が腕になり、頭になり、雪姫が天井から姿を見せました。
「…今後の仮面兵に関してなんだけど。」
「悪いが、今、女たちと情交する気はない。」
「うん。
そのことなんだけど。」
雪姫は勝手に話を進めます。
今後は射精した精液を渡してくれれば、こちらで作業するということ。
しばらくは実験的に経過を見るので、一時的に仮面兵の人数が落ちるかも知れませんが、効率があがり、ゆくゆくはこの方法が定着するということ。
久能は鼻で笑います。
「結局、嫌な思いをするのは女たちだけの方が良い訳か。
では、私が精液を提供する必要もないな。」
「状況が変わったんだよ。」
雪姫がそう言うと久能は身体を起こして向き直りました。
そして、こう告げます。
「私は一体何なのだ。
お飾りの頭領か、仮面兵の材料か。」
「私やエミリーちゃんを登用してくれたのは、久能ちゃんだよ。
他の人間なら私たちを信用して働かせてくれなかった。
仮面兵だって、もっと強引に進める人だっていたかも知れない。
もしかしたら夷と戦う為じゃなく自分の私欲のために使う人だって。
私たちは久能ちゃんの判断を信じるよ。」
雪姫がそういって励まします。
しかし久能は釈然としません。
自信を失い、虚ろにしているだけです。
仕方なく雪姫は、この場を引き上げる前に伝えておきます。
「…ハッキリ言っておくけど、あの結って女が悪い。
でも、あんな女に騙されて気を許した久能ちゃんが馬鹿だったんだからね。」
青い炎が畳の上で消えて行きます。
久能は、その火が消えていくまで、じっと見ていました。




