第3話「乱れる花、蜜」(後編上)
淀川を越え、久能たちは夷どもの勢力圏に侵入します。
久能たちはあきらかに武装した大和の武士団ですが、誰も咎めだてしません。
ゲリラに大騒ぎする様な無垢な連中ではないのでしょう。
妙に擦れた夷たちが久能たちを見ていました。
「大阪城は目と鼻の先だな。」
久能が左手を見ると崩れ落ちた大阪城が見えます。
拍子抜けしたことに結局、何も起こらないまま久能たちは大和川を越えました。
この先は流石に大和の支配地域です。
高野街道の三日市宿に着く頃には夕暮れになりました。
流石に夜の山道の行軍は難しいと判断して、ここで朝を待つことに決めました。
翌朝、久能たちは紀伊山地に入ります。
夷どもが敬遠するのも分かる険しい山道です。
日本は山の多い地域だからこそ、足軽備という機動力に富んだ部隊編成が生まれました。
軍隊にとって移動の方が戦闘より多くの時間を割き、かつ進軍速度や範囲が勝敗を分けたからです。
足軽の装備は異常なまでに軽装ですが、理由があってのことでした。
しかし夷軍は、そこを突くために極端な重装で行動しています。
おそらく無理がどこかで出ているのでしょうが、今の大和軍にそこを突く余力はありません。
「三夜か。」
エミリーが声をかけると林の木陰から、ぬーっと人間が姿を現しました。
どこかに隠れているという感じではなく、影から人間が溶け出して来た、そんな感じです。
「ここより高野山までの案内を致します。」
「貴公は?」
久能は初対面だったので三夜に名前を訊ねます。
「相州乱破、風魔の三夜。」
「相州?
東人か?」
「くっくっく…。
そう名乗っちゃいますが生まれは紀州ですがね。
あー…、風魔流を名乗らないと障りがあるもんで。」
気味が悪い女だなあ、と一同は渋い顔をしました。
それにしてもヒョロヒョロと痩せているくせに背がやけに高い女です。
手を伸ばすと、まるで枯れ木のように見えます。
「影から姿を見せるとは、大した術だ。
頼むぞ。」
「…承知。」
三夜の案内で一同は高野山までの山道を進みます。
既に古代から神聖な場所として日本で信仰されて来た紀伊山地は、霊能力者の修行場となっていました。
根来衆や伊賀、甲賀などの忍者の有名な流派も興っています。
空海は中国から密教を持ち帰り、この地に根を下ろしました。
密教は加持祈祷を行い、現世利益、つまり死後の霊魂を取り扱う普通の仏教と違い、生きている人間を助けることを目的としています。
しかし釈氏は神や奇跡、魔法のような実証できないものを信じるな、と説いています。
ですが、輪廻転生や死後の世界など証明できない事柄を仏教では教えています。
これは衆生、人々を救うために嘘を吐く必要があったと説明しています。
地獄や極楽を信じれば、犯罪を進んで犯そうという人間は減ります。
神仏を敬えば、苦しい現実に生きる意味を人々が見出せると考えたのでしょう。
而して密教は仏教の最大の矛盾となったのです。
奇跡はないと説く一方で奇跡を起こす方法があると説く、この矛盾。
複雑な建前と嘘で隠された術理の玄義、それが密教でした。
しかし、この時代には高野山にまだ金剛峯寺はありません。
ですが、仏教最大の神秘を受け継いだ空海が選んだ、強力な霊場があります。
雪姫もその地に籠っていました。
もともと東日流王は恐山こと、宇曽利山という霊場を押さえていました。
それが夷に奪われ、代を重ねるごとに霊力を落としていったのです。
長年、高野山か金剛山、石動山を東日流王は望んでいましたが、帝は恐れて与えませんでした。
今も北条九厳は雪姫が高野山に登っていることを許可した訳ではありません。
いわば現状は実力行使です。
「…なんだ、あれは。」
陽が高い内は分かりませんでしたが、高野山の方角に怪しい光が渦巻いています。
禍々しい霧、不気味な雲が渦巻き、ただ事ではありません。
「東日流王は長年、霊場の解放を訴えて来たが、まさかこんなことになっていようとは。」
久能は厳しい表情で高野山の方角を睨みます。
もともと伊勢や高野山は国家鎮守のための重要な土地。
ここで怪しげな術の研究を繰り返し、邪悪な巫覡が修行したことが大和王国崩壊に繋がったのでは?
久能はそう思うと不安に駆られます。
「エミリー殿。
…訳知らぬ南蛮人には解し兼ねる話と思うが、この地は聖域ぞ。
それを穢すような輩ならば、東日流王、斬らねばならぬ。」
「私は構いません。」
エミリーの返答に久能は驚いて目を剥きます。
エミリーは平然と言いました。
「雪姫が殿にとって、悪と思わるるなら御切捨てください。
是非もないことにござる。」
久能はエミリーの口上に舌を巻きます。
純然たる悪意。
彼女の行動原理は全て他を排斥するか、利用することに根差しているのです。
「…いずれにせよ、会って見極めねばな。」
久能がそう言って先を急ぎます。
一行もそれに従い、山を登って行きました。
発令す。
大和葛城の北条九厳、捨て置きしままに高野山の津保化族の長、雪姫斬るべし。
鬼奴国のアズルドヴェイン王は、畿内駐留部隊に、そう命じました。
鬼奴国は毛野国に同じです。
どちらも大和が勝手に着けた漢字です。
畿内軍団中将ゼリンクは畿内軍団大将、ハリ伯グァーアルから、この任務を任されました。
『久方ぶりに仕事だぞ、義兄上。』
『はい、閣下。』
二人とも90歳を超えた年齢ですが、見た目は十代の少年のようです。
グァーアルの妻はゼリンクの妹で、二人は義兄弟でもありました。
それだけに最も信頼する部下としてグァーアルは、彼を厚遇して来たのです。
『陛下は紀伊山地に手を伸ばすことを決定された。
大陸命に従い、貴殿は兵800を率いて高野山を攻めよ。
時期にギルギン、ヨーパンも発進させる。』
『正規軍をですか?』
ゼリンクが椅子に座りながら、右手の執務席に座るグァーアルに顔を向けます。
将軍は答えました。
『同盟軍は出雲国・吉備国に送る。
被害が多いのでな。』
正規軍の場合、戦死者には家族に補償を出さなければなりません。
毛野本国以外の出身者からなる同盟軍ならどれだけ死んでも構いません。
『皆、兵役期限が迫っております。』
『陛下は兵を本国に帰す前に一仕事させたいのだろう。
今のまま帰すと殆ど働いていないのに恩給を出さねばならんからな。』
『…嫌がりますぞ、閣下。』
ゼリンクが抗弁するとグァーアルは冷たく目を光らせて言い放ちます。
『憲章を突き付けて従わせてください、義兄上。』
『止むを得んな。
勅命では。』
妙なタイミングの嫌な出撃。
ゼリンクも経験したことのある良くない予兆です。
軍隊は運隊。
戦争は運が全てで兵隊は、それに従うしかないという意見です。
あれが出来る、これが出来るというのは小賢しい言い掛かりに過ぎません。
ここで命令に背くことができるなら。
ゼリンクも気が進まないまま出立しました。
夷軍は、ここまでの重装を捨て、本来の軽装に換装しました。
これまでは大和軍の装備も整っていたのでそれに対抗していましたが、動き辛いのは堪えます。
『…例の隊を先行させろ。』
ゼリンクも公正な武将ではありません。
どこに行っても不器用なヤツ、反抗的なヤツ、上司のウケが悪い人間がいるものです。
しかし、ここは軍隊。
突っぱねると死ぬことになるものでした。
むしろ、今日までいじめ殺されないだけ、ゼリンクは部隊の秩序を守ったと褒めても良いぐらいです。
ゼリンクの傍には美しい夷の戦士が3名随伴しています。
兵の反乱で殺された指揮官は、古代なら珍しくもありません。
彼らはゼリンクが私費で雇っているボディーガードでした。
つまり私兵であって、正規軍の兵士ではありません。
『なんだ、あの山の様子は…。』
ゼリンクも久能と同じように高野山の異変に気付きました。
尋常ではない霊圧、おぞましい妖気の滾りを感じます。
『山が震えているのか。
…東日流王を軽視していたのは間違いだったな。』
しかし、アズルドヴェイン陛下はどうやって高野山の異常を知り得たのか?
我々、畿内軍団さえ軽視していた紀伊山地に何故、注目して命令を下したのか。
これが軍神の寵愛を受ける我が王の力なのか。
しかし、ゼリンクは信心深い方ではありませんから、何か陰謀めいたものを信じます。
誰かがアズルドヴェインに直接、この高野山の異常を伝えたのでは?
その方が神の加護より、すんなりと腑に落ちます。
『王の密偵か。』
家来としては、ゾッとしません。
密告者の存在など、歓迎するものがどこにいるでしょうか?
王がそんなものに頼っているとすれば、感心出来ません。
東京の深い谷間に在り、玉座より大軍を知らし召す大君アズルドヴェイン。
危うきかな。




