第3話「乱れる花、蜜」(前編下)
「ドジョウ鍋でごせます。」
料理番の媼が、そういって小鍋を火鉢ごと用意しました。
久能やエミリーたちが首を伸ばして鍋を見ます。
「これは精が着きそうな馳走だ。」
「出雲国に出立すると聞き、何か魚か肉を食べて貰おうと用意しましたで。」
この媼、お義と呼ばれているが、地元の人間ではない。
いつの間にか城に住み着き、久能たちの下女として働いていた。
ですが、誰も詳しい経緯を知らぬ。
「東日流王・雪比米という名を聞いたことは?」
急にエミリーが仕事の話を久能に振ります。
少し不愉快そうに久能が答えました。
「東人の王だ。
…もっとも東人も夷たちに追われ、大和に逃げ込んでバラバラに移住したから民族としての繋がりは消えた。
今は王家だけが帝から、その称号と地位を認められているに過ぎん。」
「なんでや!」
狗奴王がドジョウを食べながら怒鳴ります。
確かに治める国も民もないのに王として同列に扱われるのは釈然としません。
「なんでも東日流王の霊力は、帝に並ぶものと聞く。
王を名乗ることが許されているのも、その験力が畏れられているからだとか。」
「高野山に籠っているとか。」
エミリーがそういうと久能は目を細めました。
「連れ出せと?」
「戦力になるのならば、声をかける価値があると思うのでござるが。
…御所様と行動を共にしていない辺り、気があるかと。」
陸奥の巫覡王、雪姫か。
確かに魅力的な話ではある。
しかし夷軍の鼻先をかすめて行かねばならない。
「兵を選りすぐっておけ。
私も出向こう。」
「御意にござる。」
その夜、エミリーは忍に雪姫への伝手を頼んだ。
事前のアポイントメントです。
「風魔の三夜か?」
「くっくっく…。
ご用命で?」
闇の中から、ぬーっと背の高い女が現れた。
人を食ったようなニヤニヤした、嫌な面構えだ。
「雪姫様にお伝えしてくれ。
我が主は話に乗った。」
「承知。」
三夜と呼ばれた女忍者は再び闇に溶けた。
やがて冷たい風が吹き、何か嫌な雰囲気を残して物音一つ立てずに”何か”が駆け抜ける感じを池田城から高野山までの道々の住民は覚えました。
「風魔の忍か。
恐ろしい術を持った奴等よ。」
夜の河原に立つ姿は二人。
狗奴王と朝倉です。
え?
男の裸の話なんかするなですって?
なんでや!
何とはなしに池田城の北にある猪名川の支流、身体を洗う時に定位置のようなものが決まっていました。
「狗奴王様、おねだりしても宜しいでしょうか?」
朝倉少年がそういって声をかけると川を泳いでいた狗奴王が上がってきます。
なんとなく泳いでいないと邪心に囚われてしまいそうだからです。
「なんでや。」
「狗奴王様にしか頼めない話なんですが。」
朝倉がそうやって目を輝かせます。
この年ぐらいの子供の考えそうなことは予想が着きます。
狗奴王は、ちょっと年の離れ過ぎた息子の頼みを訊く様に岩に腰を下ろします。
「なんでや?」
「夷の遊女を買いたいのです。」
「な、なんでやー!!」
朝倉のとんでもない告白に狗奴王は頭を抱えました。
ですが、朝倉はいつも真面目に働き、苦しい戦いの中、人一倍、明るく振る舞っています。
王も女を抱きたいという少年の望みを叶えてやりたくもあります。
しかし、よりにもよって夷の女というのは…。
「なんでやぁ…。」
「お願いです、狗奴王様っ。
俺に力を貸してくださいっ!」
結局、朝倉少年の望みを叶えてやる約束を狗奴王はしました。
取り敢えず、久能たちが高野山に向かう間、居留守役を引き受ければ足りるでしょう。
「おおッ…、うっ!」
スカディとエミリーが同じ畳の上で横になります。
二人とも切なそうに蕩けた表情で天井を見つめていました。
女同士だと後腐れがないのが面倒がなくて良い。
スカディにとっては、その程度の話で別にエミリーに気がある訳ではありません。
エミリーにとっては久能にフラれた腹いせでしょう。
まあ、つれないのも仕方ありませんが。
「殿に相手にされん。」
「…無茶いうな。
どう見てもあの人はノーマルだぞ。」
鉄瓶から水を茶碗に注ぐとエミリーは一気にそれを呷ります。
スカディはエミリーの背中を叩きました。
バシッと良い音がして、エミリーが背筋を伸ばします。
「あの物憂げな顔を見ておると、こう…。」
エミリーは、そういって何もない闇を一人で抱きしめます。
「御慰めして差し上げたくなるのでござる!」
「ケダモノめ。」
スカディは鉄瓶を掴むと、そのまま自分の口の上から水を注ぎます。
それが済むと畳から起き上がり、エミリーを力任せに押し倒します。
「今一度、良いな。」
「ケダモノはどっちでござるか。」
久能は一人で、ボーっとして夜半を過ごしています。
城内の他の場所の睦言が聞こえぬよう、かなり離れた場所に久能の寝所はあります。
白書院、黒書院、奥書院と手前に部屋が2つもありますから、隔離されているようなものです。
ふと気が着くとルスランが庭石の上で寝ています。
朝倉が小さいながら庭を作ったのですが、驚くべき多才ぶりです。
見事な形の岩まで用意し、作庭の設計まで一人でやってしまいます。
「…。」
ルスランは、ここに来て日が短いのですがスカディと違って分からないことが多い女です。
前は井戸の中に落ちているところを見つかったほどです。
「…。」
ここは居場所の見つからない人間の吹き溜まりだな。
久能は自嘲するように悪い笑いを浮かべると畳まで引き返し、着物を掛け布団の代わりに被って寝入りました。
2日後、久能とエミリーたちは高野山に進軍します。
狗奴王と朝倉が留守を預かります。
片道で丸1日はかかる道程です。
途中で夷軍と戦闘が起これば、それだけ日数も要ります。
「潜水艦で向かう方が良くないか?」
「電池が回復していないのでござる。」
電池かあ。
久能は良く分からないのに、分かったように頷きます。
おそらく、あの船を動かすカラクリなのであろうことは分かりますから。
「あの船も朝倉殿の手を入れるか?」
スカディがそういってエミリーに話しかけます。
「いや、あれは幕府の御用学者しか構造が分からないのでござる。
いくら朝倉殿が天才とはいえ、おいそれと分解されては困る。」
「信用できねーってか?」
「朝倉殿の才は確かなもの。
しかし科学の知識というものは広範で、かつ複雑な大系を成しておる由。
あれが出来るから、これも出来るという類のものではござらぬよ。」
エミリーがそう答えますが、スカディは半分以上、聞いていません。
途中から飽きてしまったのか、エミリーのホットパンツに目が移っていました。
上半身は胸甲で守ってるのに腰から下は無防備だな。
動き易くて羨ましいが、ちょっと不安でしょ。
スカディは、エミリーの恰好をそんな風に見ていました。
「どーでもいいが、その袴(?)は歩き易そうで良いな。」
「…。」
スカディがエミリーのホットパンツを指差して言います。
ルスランは、あまり好意的ではない様子です。
「スカディには小さすぎるぞ。」
「何も脱いで寄越せとは言ってねーじゃん。
また機会があったら、同じ物を作らせようぜ。」
スカディがそういうと久能が考え込みます。
「…考えておこう。」
真面目だねえ。
スカディは、また一つ久能が気の毒に思えてきました。
もともと平和な時代に生まれたお姫様なのだ、この人は。
夷どもと大和の戦争が久しく絶えたのは、先代の毛野国王の意向なのでしょう。
それが王の代替わりで方針が転換されてしまった。
ずっと、そのまま戦争がなければ武勇に優れた姫として誉れ高かったことでしょう。
しかし技術としての武と現実の殺人は全く違うものです。
久能は無能ではありませんが、悪辣で無慈悲な戦場には似合いません。
ですが、だからこそ彼女が重要なのです。
彼女は、この軍勢の良心なのですから。
彼女がいなくなれば、ここは野の獣の群れになります。
久能は、自分たちに心を与えてくれる存在なのだ。
スカディは付き合いの短いながら、彼女の気高い態度が皆を奮い立たせていると感じていました。
そして、この得難い輝きを放つ侍を支えなければと誓いました。
きっと時代に必要な女です。
それは、ここにいる者たちが肌で感じているはず。
あとは本人に自覚が生まれることを祈るのみ。




