プロローグ
これはたぶん、昔の夢だった。
「約束しろ! 僕が生きている限り彼女には手を出さないと!!」
目の前で黒髪の男の子が叫んでいた。震える足で小さな背中を精いっぱい支えて、手を目一杯広げて、歯を鳴らして、それでも必死に叫んでいた。
足が震えるのも、歯がなるのも仕方ないことだった。
なぜなら男の子の前には大きな黒い龍がいたのだから。
「シュー……」
その龍は大きな家よりも大きかった。黒く淀む鱗がその巨体を覆い、邪な知性に満ちた縦にひび割れた大きな目が爛々と光る。剣より大きな牙が生えた口は人を丸呑みできそうに大きく、そこから伸びる二つに裂けた長い舌がチロチロと少年の前で揺れていた。いつ食べようかといたぶるように。
その恐ろしい巨体に震える背中を見ていて、ふと、確信する。これは夢だと。
なぜなら、匂いがない。
色と音だけの世界が夢でないとしたら何なんだろう。
「僕はどうなってもいい……だからっ」
震える声で少年は懇願する。彼は自らの命を投げ出して戦っていた。後ろで身を縮こませる少女――私を守るために。
「ククク……どうしてくれようか」
邪龍が人の言葉を話す。今思えば人の言葉を話す龍なんて龍の中でも高位の存在で、生存を諦めたほうがいいほど絶望的なことだったけど、当時の私はそんなことは塵も知らずにただ震えるだけだった。ほんと、苛立だしい。
その後のことはよく覚えていない。幼い私は恐怖のあまり意識を失ってしまったから。だからこの後、どうなったのか。よく分からない。
でも、ひとつだけはっきりしていることがある。
「良かろう。お前が妾の玩具になるのならば、その間はその娘を生かしておいてやろう」
この言葉が耳にこびりついている。うすぼんやりとした意識の中、邪龍は確かにそう言った。
つまり、そういうことだ。
私は彼のおかげで生きている。