2-15 邪龍戦
強くなりたかった。
邪龍に殴り飛ばされ吹き飛ぶ間、黒無は走馬灯のように過去を振り返っていた。
昔から、何をしても誰に教えてもらっても、努力は実にならなかった。この世界に転生した事実を思い出したときから、強くなりたいと願ったときから、ずっと頑張ってきたのに努力は実らなかった。自身の能力について知った時、どれほど恨んだことか。まるで強くなれない自分に悔しくて泣いた晩は一日や二日ではない。それでも黒無は――
強くなりたかったのだ。
転生前の黒無は普通の青年だった。強いて言えば、少し劣等感が強いだけの、ただの普通の青年。何事も練習すればそれなりにできるが、練習しても普通でしかなかった青年。どんなに努力しても、才能あるものにはすぐに追い抜かれてしまう程度の人間だった。
そんな彼にはどんなに頑張っても他人より劣っているという劣等感がいつもつきまとっていた。弱い弱い自分を卑下しながら。下から仰ぎ見るように他者を見ていたのだ。いつか同じくらいの目線で立ちたいと願いながら。与えられるだけの弱い存在ではなく、他者から頼られるくらいの優れた人間になりたいと、劣等感に悩まされない人間になりたいと、夢見ていたのだ。
だから、この世界に生まれ芽生えたとき、ひどく興奮した。
チャンスが与えられたのだと思って。
弱い過去の自分と決別し、強くなれる機会が与えられたと考えて。
幼い頃からの努力を持って自身の才能を補い、他人に頼られる人間になろうと決意したのだ。
努力の方向に武力が必要だと考えたのは異世界という環境において必然だった。魔物という人外の怪物が存在する世界で、元の世界と異なり治安さえ定かではない世界で、他者に頼られる一番重要な要素は他人を守れる武力だったのだから。魔なる力が存在し、超人が存在する世界でこれほど頼られ、認められる要素はなかった。
そうして彼は努力を積み始めた。恵まれた環境を最大限に活かして。なかなか伸びない自分に心のなかで励まして。他者のやっかみにも怯まず、ただ強くなろうと力を求めた。
世界を一人で変えられるような超人が存在する世界で、努力すれば強くなれると期待した黒無を誰が責められよう。大人の感性を子どもの身に宿し、継続する努力の重要性を痛感していた青年に、その努力さえ無意味なのだと誰が気づかせてあげられたのか。
結局のところ、彼の努力は実らなかった。どんなに努力しても、力を求めても、彼は弱いままだった。強くなれなかったのだ。
黒無は転生者としての自分を取り戻してから十年以上は強くなるために努力していた。けれど、十五歳くらいのときにはもううすうす気付いてしまっていた。自分は強くなれないことに。少なくとも、この世界に多数存在する転生者の中で強者にはなれないことに。
それでも黒無は努力し続けた。周囲の失望にもへこたれず、強くなることを夢見続けた。
それでも彼は強くなれなかった。
いつからだろうか。結果が出ないことに慣れてしまったのは。
いつからだろうか。身にならない努力に諦めてしまったのは。
そして、彼はもう立ち上がれないほど疲れてしまった。
どこまでも弱いままの自分と戦って、戦って。ついに、力尽きてしまった。
誰かのせいにしていれば、まだ良かったのかもしれない。心が削りきられる前に、力尽きる前に自らを休ませれれば、まだ良かったかもしれない。
けれど、黒無の心は誰かのせいにするには真っ直ぐすぎた。努力しても実にならない現状をどんなにみっともなくとも誰かに当たり散らしていれば、まだ立てたのかもしれないのに。全てを自分で抱え込み、自らの責として努力の舞台から降りた。
黒無がひねくれてしまったのはある意味当然だったのだろう。十数年も見返りのない努力をして、だれが歪まずにいられるというのか。
ズザザッと背中が地面に削られる。すざまじい勢いに足が上がり、後ろ向きにゴロゴロと転がってそのまま背中を木に打ち付けた。あまりの衝撃に呼吸が止まった。
「かっはッ…………」
「グラァアアアアアアアアア!!」
邪龍が遠くで雄叫びをあげていた。
全身が優しくしびれる中、黒無は薄れる視界をぼんやり眺めていた。しびれは死へのゆりかご。放っておけば、そのまま誘われるだろう。そして、それに抗う気は、もうなかった。
(これは、無理、だな。……もういいだろう? 十分頑張った。報われない努力を十年以上もな)
ドシンドシンとわざとらしく音を立て、邪龍が近づいてくる。止めを刺そうというのか。それとも、一撃で壊れなかった玩具で遊ぼうと言うのか。それを止めようと背後からミーネが攻撃している。生樹は動けない、か。ミーネが必死に攻撃している。けれど、邪龍は止まらない。気にも留めない。あざ笑うように、ゆっくり近寄って来る。死が近寄ってくる。怯えさせるようにゆっくりと。あと少しで黒無は死ぬ。
(死ねるのか……分からない、な。でも、もういいはずだ、休んでも)
力を抜くようにゆっくりとまぶたを閉じていく。最後であろうこの世の景色を味わうようにゆっくりとまぶたを閉じていった。
最後にアリスの姿が、ちらりと頭によぎった。くだらないことで喧嘩して、そのまま距離が離れた幼馴染。だらけてて、だらしない駄々っ子みたいな、ゆるふわな、
かわいい、かわいい幼馴染。
(ああ、仲直り……、し忘れた、な……。わる……かった、よ……)
「何諦めてんのよ。みっともないわね」
と、黒無の前に影が割り込んだ。視界に朱が挿す。朱い後ろ姿に思わず目を見開いた。ぼんやりとした視界の中、なぜか彼女だけはよく見えた。
(なんで、なんでそこにいるんだよ)
ミーネが邪龍の前に立ちふさがっていた。ろくに力を発揮できない剣を構えて。動かせばむしろ危険になりうる黒無のために、邪龍の目の前に立ちふさがっていた。
(オレを庇うくらいなら、少しでも攻撃してればいいのに、逃げていればいいのに……そうすれば、まだ生き残れる可能性が上がるのに)
「速く立ち上がりなさい。時間は稼いであげるから。どうせ、立てるんでしょ? 動かすとまずいだろうけど、自分で動けるなら大丈夫でしょ」
ミーネが、こちらに振り向く。顔は見えなかったけれど、強がっているのが不思議とわかった。
「さっさと頑張りなさいよ。わたし、長くは持たないからね」
ミーネが駆け出した。
こんな絶望的な最後だというのに少し心が揺れた。嬉しかった。せっかく休めると思ったのに頑張りたくなった。自分の弱さが嫌になる。休もうと決めたのに、それすら守れない。鬼畜なミーネに文句が言いたい。
また立ち上がるなんて。
立ち上がらせるなんて。
ひどい。
ずるい。
卑怯だ。
でも…………
ありがとう。
「ひゅ……はっ……」
(ああ、オレってばチョロイン)
朱い背中が頼もしすぎる。嬉しすぎる。泣きたいくらいだ。でもそれは当然だろう。気になる女の子に命かけてまで守ってもらって動かない男なんていない。嬉しくない男なんていない。
本当は自分が守りたかったけども、その力はなかったから。
(いや、違う。オレが、守るんだ)
ズンズンと邪龍の足音が近づいてくる。背中の木が伝えてくる振動が徐々に大きくなっているのが分かった。
「ひゅ、は」
(速く治れ速く治れ速く治れ!)
ぐぐぐ、と腕が動き始めた。血管がこすれるのが分かる。骨がずれていくのが分かる。肉がつながれていき、体を覆うしびれが引いていく。
(力を貸せよ、くそ異能がッ……)
引き裂かれていた皮膚が、繋がった。足に力が入る。視界がクリアになっていった。
(今戦わなくて、いつ戦うんだ!!)




