2-2 寝坊した朝
「起ーきーてー黒くん。朝だよ~。お寝坊さんは許しませーん~」
「ん……」
その日の朝は寒くなかった。
だから、いつまでも寝ていたかった。
心地よいぬくもり。いつまでも引き止める安らかな睡魔。ああ、ベッドから出たくない。
「起ーきーなさい!」
布団が、温かなぬくもりが引剥された。ひんやりとした空気に思わず手を伸ばすも、空を切り、代わりに誰かが腕をつかむ。柔らかい手の平。
宙を浮く感覚。重力から解き放たれた浮遊感は次の瞬間には衝撃に変わっていた。
「ぐはっ」
肺を貫く衝撃。全身が痺れる感覚。天国は一瞬にして地獄に変わった。
「痛ってぇ……なに、しや、がる」
「おはよう黒くん。もう朝だよ。ほら、起きよ」
「……はぁ。おはよ」
差し出された手に捕まり、引っ張り上げられる。そのままぽすんと抱きとめられた。頭を撫でられる。だが、そんなことはどうでも良かった。目の前の柔らかい双乳のほうが問題であった。
「うん。おはよ。アリスちゃんがいないからって凹んじゃ駄目だからね」
「やっ、め! ろ!」
ふよんふよんと乳が弾む。抜け出そうと暴れても桜の細腕は、びくともしない。それどころか、より沈んでいくようだ。
「あん♪ 黒くんはいつまでも甘えん坊よね」
「んなわけあるかー!!」
いつもならアリスだけだが、これからはミーネもいる。こんな姿を見られた男としていろいろ終わってしまうこと受け合いだった。
黒無が疲れる頃にゆっくりと解放される。
「はぁ、はぁ、はぁ」
「ふふ。黒くんといつまでも遊んでいたいけど、朝ごはんの準備があるから、また後でね? お母さんの部屋に来てくれればいつでも遊んであげるから」
「誰が行くか!」
絶対に行かない。黒無はそう心に刻んだ。
「じゃあ、着替えたら来てね。あ、それとミーネちゃん迎えに行ってもらえるかな」
そう言って部屋を出ようとした桜は、部屋の前の思い出したように告げた。
「さっきまで中庭にいたから、お願いね」
「……わかった」
桜が出て行くや否や黒無は速攻で着替え始める。
ワイシャツと長ズボンのいつもの格好に着替えて、急いで中庭に向かった。
「ふっ……ひゅっ、ふっ、はっ」
ミーネは庭で舞っていた。特徴的な朱色だからすぐにわかった。陽光に朱と銀の輝きが光っていた。
縦に、横に、流れるように剣が軌跡を描く。朱色が踊った。決して速くはなかった。むしろ、丁寧に剣筋を通しているように見える。だが、黒無の目にも動きに無駄が見えた。才能があるとは言えないだろう。けれど、何千回と繰り返したかのように不思議と様になっている。一歩一歩確実に登っていった証が、確かに見てとれた。
いつまでも剣を振り続ける少女に、黒無は手をギュッと握ってから開いた。かつて、討伐者になるために一心不乱で剣を振るった手。固くなるまで振り続けた手の平は今ではもう柔らかかった。道を進むことを許されず、立ち止まってしまった手がそこにあった。
諦めてしまった少年は諦めない少女を羨望の目で見つめる。
輝く朱色を眩しい。少女は朝日に輝いていた。とても、綺麗に。いつまでも見つめていたいくらいに。
だが、いつまでも見つめている訳にはいかない。真剣な眼差しは何を追っているのか。いつまでも見続けていたい気持ちを抑え、ミーネに声をかけた。
「そろそろ朝食だ。キリの良いところで切り上げてくれ」
そう言ってから、タオルの一つでも持ってくるべきだったと気づく。
「わかった……ました」
黒無の言葉にミーネが剣舞を止める。息を整えながら、返事をした。
「……別に敬語じゃなくてもいいぞ」
「…………」
黒無の言葉にミーネは沈黙する。まぁ、仕方ないかと黒無は思う。桜はあっさり受け入れたが、いきなり他人が家族になったと言われても困る話だろう。
「……とりあえず、行こうぜ」
「……はい」
気まずい空気が黒無たちの間を漂っていた。ざっざと土を踏む音が中庭に響く。
「あ、剣を置いてきます。あと着替えてきます」
「ん、ああ、そうだな」
空気に耐えきれなくなったのか、ミーネはそそくさと黒無から離れていった。
ピンとした背中が着いてくるなと言っているようで、追いかけるのもはばかられる。結局黒無はミーネを見送った。
「今度から、タオルとジュース持ってくるか……」
会話のネタを少しでも、と黒無は心に決めた。




