1-1 始まりの日常
「突然ですがクイズだよぉ~。働かなくてもぉ、努力しなくてもぉ、ご飯が食べられる職業はなぁーんだ?」
「は?」
それは始まりの言葉だった。黒無は幼馴染の少女の言葉に目を瞬かせた。
季節なんかないんじゃないかと思うぐらい平坦なある日のお昼すぎ。少し黒い木目が見えるベッドの上でごろついていた幼馴染のアリスがいきなり言葉を放った。
唐突に何を言い出すのやら。ゆるゆるふわふわな髪が頭にまで侵略を果たしのだろうか。
そんな感想を抱きつつ黒無はうつ伏せの体制を整えてアリスを見た。どんな意図があるのか、見極めようとしてだ。そして、振り上げた拳、伸び放題、乱れ放題の白い金の長髪、無駄に輝く金の瞳、タブついたスウェットの上下を見て結論を下した。また、アホが騒ぎ出しただけだと。
「いきなり何だ、今オレは本を読んでいるんだが?」
「突然ですがクイズだよぉ~。働かなくてもぉ、努力しなくてもぉ、ご飯が食べられる職業はなんでしょー」
シュタッとアリスが立ち上がる。伸び放題、乱れ放題の白味を帯びた金髪をふわつかせ、無駄に綺麗な金色の瞳を無駄に輝かせて、どうでもいいことを楽しそうに繰り返した。
黒無はそのふにゃっとしたしまらない笑顔にイラっとしたがいつもの事なのでため息をつく。
「二回も言わんでいいわ。なんだそのあてつけみたいなクイズは。やんのか? 7秒以内倒してやるから表出ろや」
「黒ちゃん、らんぼー。8秒で返り討ちだよぉ」
シュッシュッと口で言い、ゆるゆると拳を降るアリス。それを見て、勝てるか?などと拳を握るがそうでもないことを思い出し、ゆっくりと拳を開く。どうせ、己では勝てはしない身に内心ため息を吐いた。とはいえ、悔しいは悔しいので明日、起こすついでにベッドから蹴落としてやろうと誓って。
「……後でみてろよ」
「酷いよぉ! ってぇ~そうじゃなくて重要なクイズなんだよ、これぇ」
アリスは乱れ放題の髪を指でくるくると遊びながら言った。金の眼差しは壁にかかっている地図のような旗物を見ているようで見ていない。どこから、どう見ても重要なようには見えなかった。――だが、黒無は少し警戒した。アリスはふざけたことばかり言うが嘘をついてまでは言わない。
「そのうちさ~、今の黒ちゃんの穀潰し生活にピリオドが来そうだからね~」
「は? どういうことだ、そりゃ」
「んっん~。まーだ秘密ぅ~♪」
「……うぜぇ」
「ひどぉーい。かわいい幼なじみになんてこと言うんだよぉ。しくしく泣いちゃうよぉ~?」
「へえへえ、悪かったよ」
「黒ちゃんツンデレぇ~。いいよ~許してあげる~」
「うるせぇ」
「いや~ん」
良い子良い子と頭を撫でてくるアリスの手を払い、そのにこにこした顔を睨む。
19にもなるくせに、もう少しまともにならなかったのかと頭が痛くなった。黙っていれば、まだましな面をしているくせに。まぁ、だぼっとした袖の長いスウェットを着替えて、ふわふわボサボサの髪を整えればの話だが。
「あれあれぇ? アリスそんなにかわいいぃ? 黒ちゃん、惚れちゃうぅ?」
「それだけはないから安心しろ。ブス」
「ひどぉいよぉ。桜さんに言いつけてやるぅう!」
「勝手にしろ」
じたばたと子どものように憤慨しているアリスは放置し、本に目を戻した。だが、残念ながら一旦それた思考はアリスの言葉に掴まれていた。
このすばらしきだらけ生活が終わる? それは困る。
「……何か考えるか」
「それがいいよぉ。それで答えは、答えは~?」
「“貴族”サマだろ?」
「ハズレ~。正解はニート! でした~」
「うっさいわ。お前もだろうが」
確かに黒無は18。成人はとっくに済んでいて働いていないが、アリスも人のことを言えなかった。というか、ニートは職業ではない。
入り浸り系幼馴染アリス。頭も髪の毛もゆるゆるふわふわなアリスは世間一般の羨ましい世話焼きな幼なじみではなく、むしろ世話させようとしてくる寄生虫みたいな女だ。
「えへへぇ仲間だね~」
「……別に仲間じゃねえだろ。お前は貴族だしな」
そう、アリスは貴族だ。位は知らないが娘がニートになっても問題ないくらいの。国家公認ニートだ。こんちくしょう。
「アリスと結婚すれば、黒ちゃんも貴族になれるよぉ? 結婚するぅ?」
「……しねぇよ」
「ああ! 今悩んだでしょぉ! ひどいよぉお」
「いてて、どっちだよ」
ポカスカと殴ってくるアリスを抑えつつ宥める。
自分で話を振ったくせに、なんつー奴だ。自由奔放わがまま子どもにもほどがある。言動がおこちゃまで困る。結婚の話を振ったのはそっちだろうに。
「待って、ふたりとも! お母さん、結婚なんて許さないよ!」
突然、バンと扉を開いて若い誰かが入ってきた。半ば、予想しながら振り向く。
予想通り育ての親がいた。黒髪黒目の童顔気味な自称永遠の17歳。自称というのは実際には三桁を超えるババアだからだ。
魔術灯の白い光で映える艶やかな黒髪を腰辺りで簡単にくくり、昼は過ぎたってのにエプロンを身に着けて豊かな双丘を強調して若妻気分に浸っている馬鹿だ。無駄に若くて、綺麗だからムカつく。永遠の17歳に偽りはなく、黒無と並んでいたのなら、髪の色も相まって兄妹に見られることだろう。
そして部屋に侵入してきた桜の手のひらにはパチパチと鳴り響く白い雷が浮かんでいた。
アリスが桜に泣きつく。
「サクラさぁん、黒ちゃんがひどいんだよぉ~。貴族になるために結婚するんだってぇ~」
「そうなの!? なおさらいけないよ!」
「だから、しないっつーの……」
「財産目当てなんだってぇ~」
「そんな……黒くん……。そんな子に育てた覚えないよ」
さっと桜の手首が返された。雷撃が静かに黒無を撃ち抜いた。
「アバババッ……んなこと、言って、ねえよ……」
白雷に焼かれた黒無はベッドに倒れ込む。そして、そのまま気を失った。
いつが始まりなんてのは、非常に曖昧で決めがたいことだが過去に振り返ってみれば、何となく分かるものだ。だから変わらない日常にあえて区切りをつけて言うのなら、いつだかも忘れそうなこの時、物事は始まったと言えるような気がする。
そう、アリスが言った言葉から全ては始まった……気がする。まぁ、間違っていても誰に文句を言われる筋合いもない。