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愚かさの代償 後編

アルスに促されるまま王家の馬車に乗りこんで、あたしは目の前に座るアルスをうつむきながらちらちらと見上げた。アルスは窓の外をじっと見ていて、あたしと会話する意志を感じられない。その横顔は断罪に失敗した人間と言うより、むしろすっきりしたような清々しさがあった。


そもそも、さっきの断罪劇の途中、あたしがされていない嫌がらせを事実のように叫ぶ場面があった。


『教科書を破いたり、物を盗んだり、ドレスにワインを引っかけたり、証拠は挙がっているんだぞ!』

『他にも学園や夜会で、呼び出されては幾度となく罵倒されたとか』


教科書は確かに破かれたし、物も時々なくなった。けど、あたしは夜会になんて出たことがない。ドレスだって持ってない。

学園では制服着用が義務づけられていたし、たった一年間しかいない学園行事のためだけにマルメット男爵に無心したくはなかった。だから、ドレスが必要な学生主催のパーティなんかは欠席していた。

アルスたちにも体調不良って言ったはず。

だから公式の場でディアナにも会ったことなんてない。


……あれ?

あたしが受けた嫌がらせは、ぜんぶディアナのせいだって。なんでそう思いこんでたの?

――それは、そう言われたから。

ハーヴェイにギルバート、ウォーレンでさえ、ディアナの仕業と断定した。実際にディアナに何度も会って、何度も目撃した、と。彼女はアルスの婚約者だから注意もできなかったってあたしに謝ってくれた。

あたしからそれらを聞いたアルスも否定したりフォローしたりしなかった。あたしに大変だったねって……無力ですまない、って。


でも一年間も国外にいたなら、それは絶対に無理なこと。ディアナがそんなすぐにわかるような嘘をつくとは思えない。

いえ、彼女のことを知っているわけじゃないけど、さっきのあの凛とした姿からそう思った。

小さな嫌がらせをするような卑怯な人には見えないって。誇りを持って娼婦をやっていた姐さんのような、曲がらない信念を感じた。――貴族と娼婦を並べるなんておかしいだろうけど。


……もしかしてあたし、騙されてた?



そんなことをつらつらと考えていると、いつの間にか王宮に着いていた。

此処に至るまでアルスとは一言も口を利いていない。声を掛けられる雰囲気じゃなかった。今までになく、あたしを拒絶していた。

でもあたしは何とかして馬車の中で話をするべきだったのだ。

王宮の中では私語を禁じられ、あたしはアルスと話をする機会を永遠に失うことになる。


まっすぐ広い部屋――謁見室に通され、目の前の階段上のスペースに座る王様に向かって中腰になって頭を下げる。

そこで明らかになったのは、ディアナが確かに国外にいたことや、あたしが未だ平民扱いだったことなど。

最終的にディアナとアルスの婚約は破棄され、あたしは衛兵に別室に連行された。

その日の内に、そのまま何の説明もなしに、先ほど乗った王家の紋章が施された豪奢なものとは打って変わってシンプルな黒い馬車に押し込まれ、長い間がたごと揺らされた。

二度程宿に泊まり、たどり着いたのは周囲を深い森に囲まれ、高い塀に囲まれた大きいけれど所々朽ちかけた建物。

そこが修道院だとわかったのは、中から年をとった修道女が現れたから。

あたしの身柄は彼女に引き渡され、馬車は早々に来た道を帰って行った。



――そして、今に至る。

此処に来て、もう一年たった。

学園で彼らと過ごしたのと同じだけの時間。

ぎゅっ、とバケツの上で洗った雑巾を絞り、立ち上がる。

未だに何がどうなったのかわからないままだけど、あたしは彼らに利用されてたんだということだけはわかっている。


アルス、あなたそんなに婚約破棄したかったの?

ハーヴェイたちがあたしを騙してること、あなた知っていた? それともあなたも彼らに踊らされてたのかしら?


疑問は尽きない。



「シスターリリアはいますか?」


修道女の一人、未亡人の女性が聖堂の入り口に現れた。


「はい、ここに」


彼女を含めたここにいる修道女のほとんどは、元貴族の女性ばかりだ。

あるいは相談すれば、あたしの疑問に答えてもらえたかもしれない。

けど、ここに放り込まれる前に、あたしをつれてきた衛兵たちに口外厳禁と言われていた。

あたしは何となく、それ以外のことも口に出せず、彼女たちも聞いてこなかった。

皆何らかの事情を持っていることは同じだった。


「面会人が来ています。ついてきなさい」


あたしはバケツの片づけを同じく聖堂の掃除をしていたひとりにお願いし、彼女の後を追った。


――面会人って、誰だろう?



木の扉を開いて、あたしは呆然とした。


「お母さん……!」


元々痩せていたけど、今はもっと窶れて、美貌が見る影もない。

あたしの姿を見たお母さんは、あたしによろよろと駆け寄ってきた。


「リリアッ。リリア、この、馬鹿娘!」


泣きながら、あたしを抱きしめながら、お母さんはあたしを詰った。といっても、怒ったり叱ったりといった感じではなく、何か言わずにはおれない、という風に。


「お母さんッ。ごめ、ごめんなさぁいッ」


あたしも泣きながらお母さんにしがみつく。骨の感触。痩せたのはあたしのせいだ。



ひとしきり再会の抱擁を済ますと、ごほん、と咳払いの声がした。

顔を上げると、マルメット男爵の姿。

さあ…、と血の気が引く。

あたしは大変なことをしでかした。

それはマルメット男爵へも波及しただろう。

以前から思い至っていたその事実に、申し訳ない、なんて言葉じゃすまない程の後悔に襲われる。


「あ、あの、あたし――私」


何か言わなきゃ。

でも何も浮かばない。

あたしはお母さんにしがみつきながら、ぎゅっと目を閉じた。


「リリア。君は大変なことをしでかしたね」


記憶にある、落ち着いた声があたしに投げかけられる。

そっとお母さんから離れて、マルメット男爵に頭を下げた。


「はい。本当に、ごめんなさい。いえ、謝って済む事じゃないですけど、それでも、本当に、申し訳ありませんでした…!」


マルメット男爵はしばし無言であたしを見ていたようだが、ふ、と空気が弛緩した気がした。


「私が君を学園に入れたのは、君が今後貴族としてやっていけるか見るためだった。直系でなくとも、父の血を引き、容姿、学問、身につけた教養、すべて問題なかった。どこかの家に嫁がせることもできるだろうと。あとは本人の素質だけ。娼館で育った君に、貴族社会は理解しがたい物だっただろう。だが君は、屋敷での教育を黙々とやり遂げた。だから、君自身も貴族になる意志があるのだと、そう思っていたんだ」


違ったのかな。

マルメット男爵の言葉を咀嚼して、あたしは首を振った。


「あたしは――お母さんと一緒にいたかっただけなんです。あのまま娼館にいたら、近い内に娼婦になってました。あたしはそれでもよかった。けど、お母さんはあたしにふつうの幸せをって考えてて……。マルメット男爵があたしたちを引き取ってくださって、そうなれるのかなって思いました。けど、お母さんと離れて暮らすことになって、学園に入れられて――お世話になってるってことはちゃんとわかってるんです。貴族としての教養を身につけて男爵の役に立つことが恩返しになるって」


またぼろぼろと涙を流しながら、あたしは必死に伝えた。


「学園に入って、居場所がなくて、考えたんです。あたしとお母さんが一緒にいられないなら、一緒にいさせてくれる人を探そうっ、て。偉い人の子供なら、あたし達を一緒にいさせてくれるかも、って」


馬鹿だったんです。

何も考えてない、現実のわかっていない子供だったんです。

ぐしぐしと泣きながらの言葉に、マルメット男爵はまた黙り込んで、それから口を開いた。


「そうか。わかった。――君を男爵家の娘にすることは、決してできない。王家とセシル公を敵に回すことはできないからね」

「勿論です。あたしも、そんなこと望んでません」


きっぱり言い切ると、マルメット男爵は苦笑した。


「男爵家としても、君を放置はできない。……だから君には、エリアが働いている別邸で一緒に働いてもらうよ」

「……はっ?」


言葉の意味をつかみかねて、男爵を見て、お母さんを見て、もう一度男爵を見る。


「え、いや、でも。あたしがここにいるのは王様の命令で」

「先日、立太子の儀が執り行われた。第二王子殿下が王太子になられたんだ。同時にディアナ嬢との婚約が発表された」

「じゃあ、アルス……様は?」

「正式に王位継承権の剥奪、王籍の返上がなされ、代わりに侯爵位を与えられた。近いうちに領地へ下がられる」


あっさりとした返答。

それがアルスたちの望みだったの?


「それで――一連の関係者に、恩赦が出た。リリア、君にもだ。君の修道院での言動は定期的に報告され、反省が見られるということで、私が生涯にわたり監視する条件で還俗が許された。……どうする?」


どうする、って……。

あたしは、お母さんといられるの?

いいの?

たくさん迷惑かけたのに、役に立てなかったのに。

あたしの逡巡をみてとり、マルメット男爵は言葉を繋いだ。


「君たちを引き取ったのは、贖罪のつもりだったんだ。父が手を出し、放り出したメイド。私は当時十歳そこそこの小僧だったからね、何も言えなかった。私が結婚して、子ができて初めて、あのときのメイドとその子供のことに頭がいったんだよ。探して、見つけるまで数年掛かったが……」


遠い目をしてあたしとお母さんを交互に見やる。


「貴族にしようと思ったのは、私にとっても唯一の妹だったから、かな。利用できるという思いもあったが、今まで苦労した分、報われてもいいのではないかと思ったんだよ。いや、それも私の身勝手だったようだが」


価値観が違うから。

あたしと彼らでは、物の見方考え方が全然違った。貴族社会では自分以外の人間は利用できるかできないかで判断される。家族も例外じゃなかった。

それが理解できないあたしは、貴族に向いてない。


そもそもあたしは、一人の人間として未熟な子供だった。

状況を判断できず、人の言葉の裏を読めず。

だから、こんなことになった。


「帰りたいです……。お母さんと一緒に暮らしたいです……」


気がついたら、そう答えていた。

お母さんはあたしの手をそっと握って、マルメット男爵に頭を下げた。


「私も同じです。貴族になることが必ずしもいいことだとは限らないと知っていたのに、はっきりと娘の意志を確かめないままに置いていってしまいました……。幸せになって欲しかった。男爵家の血を引いていることを認めていただいて、受け入れていただいたことが奇跡のようだとわかっていたから、それに流されてしまいました」


娼館にいたころ、貴族社会のことを何も教えずに、逆らうな、とだけ教え込んだのは私の責任です。

そう言い切った母に、あたしは首をぶんぶん振った。


「貴族に逆らわないのは平民の常識だよ! あたしが間違えたのはもっと別の――ちゃんと考えなきゃいけないことを考えなかったせいだよ! お母さんは悪くない!」


虐められたとき、ディアナにちゃんと確かめようとするべきだった。誰かの言うことだけを盲目に信じるんじゃなくて、ハーヴェイたちの言葉の意味を考えなきゃいけなかったんだ。

この一年、事態を客観的に考えてようやく気づけた。

あたしみたいな不審な中途入学生を、次期王太子に一番近かったアルスに簡単に近づけたハーヴェイたちの行動のおかしさに。

それをあっさり受け入れた――ふり、だったのか――アルスにも。王族がそんなに危機管理がなってないはずがない。



何もかも、間違えてた。


身分とかそういうのを見て見ぬ振りしたのはあたしの罪。舞い上がって周りを見回すことを怠ったことも。

でも。

アルスを好きだった気持ちは。あの時の気持ちはたぶん本当。

あの人達に利用されていたとしても、それでもあたしは――。



それから。

あたしはお母さんに厳しくメイドの心得を教わっている。

お母さんはあたしが物思いに耽っているとそっと隣に立って、抱き寄せてくれる。

あたしが気を持ち直すと、はにかむように笑って頭を撫でてくれる。

あたしももうすぐ二十歳になるのに、このままじゃ駄目だと思いながらも甘えてしまう。そんなとき、幸せだな、って思う。

当たり前のようにお母さんが居て、客を取ることもなく昼でも夜でも会える生活。

男爵たちへの罪悪感も、同時についてくるのだけど。


時々――年に一、二度。マルメット男爵は奥様とご子息を連れて別邸にいらっしゃる。奥様は元々多くの社交には出ない方だったけど、今では本当に仲の良い家の夫人としか交流していないようだった。

なのに元凶のあたしにもお母さんにも優しくしてくださる。


あたしのせいでついたマルメット男爵家の傷を、小さな子供が負うのだと思うと、胸がずくりと痛んだ。

恩赦が出たとはいえ、マルメット男爵家の名前を覚えている人はいるだろう。

そんな人たちが、いつか社交界に出るようになった彼にどんな態度に出るのか。じきに王妃となられるディアナ…様、が、どんな感情を抱くのか。


本当に愚かだった。

過去は取り返せない。


愚かさの代償はあたしにも周りにも高くついたし、一生掛かっても購いきれない程だ。

いつか甥っ子があたしを恨んだら、憎んだら、それを受け止めなきゃいけない。


だからあたしは、今をひたすら全力で生きていく。

せめてその時に、まっすぐ彼の目を見られるように。


リリアのハッピーエンドは母子共に平穏に過ごせるという点でした。

これハッピーなの? と思うかもしれませんが、リリア視点で総合的に、ということで。



マルメット男爵について

男爵家が爵位を下げられずにすんだのは、男爵家が金持ちだからです。

元々商家が準男爵となり、現在の男爵家にまで成り上がりました。なので商家としての他国との伝手や仕事も継続しています。

国として、手放せない家の一つです。

故に多額の罰金刑となりました。平民のリリアを学園に潜り込ませることができたのも金の力です。

男爵は作中1、2を争う人格者ですね。頭もかなりいいです。見た目は平凡ですが。

リリアがしでかした件も、詳細は王家から聞かされてはいませんが、王族のごたごたにいいように利用されたのだろうな、と理解しています。

リリアが割とハイスペックだったので学園に軽い気持ちで放り込んでしまい、責任を感じてたりします。だからあんまりリリアのことを責めてはいません。馬鹿な子だな、くらいの感覚。


……なんて、ふわっとした設定もあったのですが、出せなかった上、うまくまとまらなかったのでここにちらっと書いてみました。


リリアの今後は、静かに傷を癒しながら、いつか新しい恋ができるかもしれません。別邸の近くの村に買い出しとかに行ってるので、そこで平民の男と出会いとかがありそうです。リリアの罪を理解し、受け止めてくれる器のでっかい男に会えるといいですね。甥っ子のこととか気にして、結婚は晩婚になりそうですが。母親に孫を見せたいくらいは考えるでしょう。



お読みくださりありがとうございました。


ブックマーク、評価などしてくださった方々、ありがとうございました。


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