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愚かさの代償 前編 リリア視点

R15に関する記述があります。

娼婦などの言葉に嫌悪を抱かれる方はお気をつけください。


都から遠く離れた修道院で、あたしはひっそりと生きていた。


思うのは、疑問。

――なんでこんなことになったんだろう?


次いで、心配。

――お母さん、どうしてるかな?


何がどうなっているのか、今持って理解できなかった。

ふう、と。

床に這い蹲って聖堂の床を丹念に拭き上げながら、あたしは小さくため息をついた。



あたし、リリアは娼館で生まれた。

といっても、客との間に生まれたわけではなく、お父さんと死別して他に頼れる家族もいなかったお母さんが、あたしをはらんだ状態で娼館に身を売ったからだ。

お母さんは大変な苦労をしたんだと思う。

最初の一年はあたしをお腹に抱えていたせいで、見習いとして姐さんたちを補佐する役目を担っていたらしい。

けど、その見習い期間中にお母さんに目を付けたお客さんは結構な数にのぼった。

あたしを産んで、産褥期を終えるとすぐに客を取ることになった。

最初に姐さんのひとりからその話を聞いた時は非道い、と思ったけど、娼婦という仕事全体をみると、かなり恵まれていたと後にわかった。


あたしはお母さんと娼館の姐さんたちに育ててもらったようなものだ。旦那さんやおかみさんも、仕事の邪魔をしない限りはとても優しくしてくれた。

たぶん、いつかあたしを店に出すつもりだったんだと思う。あたしもそのつもりだったし。

――お母さんは違ったみたいだけど。姐さんたちも、仕事の詳しい内容はあたしには知られないようにしていた。

でも同じ建物で生活してるんだもの。

自然とそちらに関する知識だけは増えていった。


十六歳になった頃。

あまりぱっとしないけど、穏やかな二十代半ばの貴族の男がお母さんを指名した。

彼は何故かあたしに会いたがり、とうとうあたしも客をとるのか、なんて軽く思いながら指定された部屋を訪ねた。

困ったようなお母さんと、あたしを値踏みするような眼差しのお貴族様。


「お呼びと聞きましたが……」


何かご用でしょうか?

そう続ける前に、彼はあたしを椅子に誘った。

そうして語られたのは、あたしのお父さんが彼の父親だと言うこと。

お母さんは没落貴族の娘で、縁あってメイドとして働き、お手つきとなってあたしをはらんだ。そして、妻の悋気を恐れた父に放逐されたのだという。


あたしは正直、だから何? という感じだった。

あたしたちのいるこの娼館にも、貴族の男は結構来る。

ここは、高級娼館に行くお金はなく、場末の、病持ちの娼婦に手を出すほど困窮してもいない、程々の金持ちを多く客としているのだ。そしてそれは多くの下級貴族にあてはまるらしい。

あたしの父がどんな身分かは知らないけど、目の前にいる男はそんな下級貴族たちと似たり寄ったりの印象を受けた。


「君たち母娘を引き取ろうと思う」


ぼんやりしていると、彼はそんなことを言った。

引き取る、って……なんで? そうして貴方に何かいいことあるの?

疑問は尽きなかったけど、相手は貴族。反論など簡単にできなくて、お母さんを見た。

最初困ったような顔をしていたお母さんは、何かを考え込むように瞼を半分落としていた。そのせいであたしとお母さんの目は合わなかった。


「すぐに答えを出さなくていい。また来るよ」


彼はあっさりと帰って行った。

そうなってようやく、あの人があたしのお兄さんでもあるのか、と気づいた。

……名前も聞いてない。

少しだけ、ほんの少しだけ、血の繋がった兄の存在に心が温かくなった気がした。



彼は何度かお母さんの客として現れ、何もせずあたしたちと話をするだけでお金を落として帰って行った。



そんなことが続いたある日、お母さんは彼の申し出に甘えるつもりだと、あたしに言った。

あたしはお母さんの決定に従うつもりだったから、黙って頷いた。ただ一度だけ、


「お母さんはそれで大丈夫なの?」


すでに父親とその妻は死んでいると聞いてはいたが、お母さんの立場がどうなるのか。あたしは何をさせられるのか。

不安はあった。


「大丈夫よ」


少し窶れてはいるけれど、元々の整った顔立ちは褪せないお母さん。

ほんのりはにかむように笑う顔が好きだった。

今のお母さんもそう笑って答えた。

あたしは、久しぶりにお母さんに抱きついた。


なんとなく、わかっていたのだ。

あたしを娼婦にしたくないお母さんと、娼婦として鍛えたい旦那さんたち。十六を過ぎたあたしはいつ店に出てもおかしくない年だった。

見た目もお母さんに似て、自分で言うのもなんだけど男好きのする容姿と肉体だったから。

お母さんが彼の申し出を受けるのは、あたしのためだって。


子供の頃のようにあたしの頭を撫で、背中をぽんぽんと叩いてあやしてくれるお母さんは、乳液の匂いがした。



彼の――マルメット男爵の屋敷に入ると、あたしに対する教育がはじまった。


お母さんは領地から離れた別邸で、メイドとして常駐管理をすることになり、あたしとは別れて暮らすことになってしまった。男爵の腹違いの妹の母、なんて面倒な立場だから仕方ないのよ、とお母さんは言ったが、別れの夜、母娘ふたりして泣いてしまった。今でも寂しさは消えない。

姐さんたちがいたとしても、あたしたちはたったふたりきりの家族だったのだから。


マルメット男爵が言うには、最低限、貴族の前に出ても失礼のない教養を身につけろ、ということだった。

高級娼婦ならともかく、平民と下級貴族を相手取る娼館の女たちに、そこまでの教養はなかった。


「一人称はあたしではなく、わたくし、もしくはあたくしと言いなさい」


女家庭教師の指導はそこから始まった。

あたしはどうしても間違えることが多く、譲歩案として『私』という一人称を使用することになった。

ダンス、食事マナー、社交、歴史……学ぶことにキリはなかった。


そうして半年ほど経って、マルメット男爵があたしに学園へ通うように言ってきた。

教養の基礎はどうにか合格をもらえたが、学園なんて貴族の子女しかいない魔窟に行くなんて、無理だと思った。

たった半年学んだ程度で、あたしに何が身についていると思ったんだろう。

あたしにはその自覚はなかったけど、男爵や女家庭教師の目から見れば、貴族の令嬢として最低限の基準はクリアしていたそうだ。

後に学園でも、あたしと同程度の教養しかない生粋の下級貴族の令嬢もいるのだと知ることになるのだけど。


ちょうど一年間。

一年間だけ、不特定多数の同年代の貴族の中で生活してみなさい。

お母さんの雇い主でもある男爵にそう言われて、やはり逆らうことなど考えられず、あたしは学園に入学した。



周り中貴族ばかり。

平民だった(・・・)のなんて、あたしだけだ。当時のあたしはすでに貴族の一員になっていると思いこんでいた。

だって、マルメット男爵はあたしをひきとって、貴族としての教育を施した。血筋も、腹違いの兄妹だった。

これでまだ平民だったなんて、思いもしなかった。勘違いしても仕方ないと思う。

そんなあたしは、心細くなる度に娼館での楽しかった生活を思い出しては、もう忘れなきゃ、と否定することに必死だった。

お母さんにも会いたくて仕方なかった。

縋れる物が欲しかった。


そして、ひとつの結論に達した。

――貴族の、それもマルメット男爵よりも権力のある上級貴族の男をつかまえればいいんだわ。

そうしたら、お母さんとあたしを一緒に住まわせてくれるかも知れない。

マルメット男爵も、高位の貴族と縁を結べたらきっと喜ぶ。恩返しになるわ。


短慮ではあったと思う。

けど、あたしは少し感覚がおかしくなっていたのかもしれない。

そもそも、あたしたち平民から見たら貴族なんて生きるのに無駄なことばっかりして、遊び暮らしているイメージだった。

だって頻繁に娼館に来てたし。

あたしが学んだ教養だって、それを覚えてお金になるの? って聞きたくなったくらいだ。

食事マナーって……そこまで目くじらたてなくてもいいじゃない。せっかくおいしいのに、味が分からなくなるわ。

なんでわざわざダンスなんて学ぶの? 楽しく踊れたらそれが一番じゃない。

――なにもかもの価値観が違ったのだ。


姐さん達の言葉を思い出したのはそんな頃だった。

『男なんて胸を押しつけて下から見上げればイチコロよ』『彼らをその気にさせるテクがあるのよ』

幼い頃はあたしに娼婦の仕事をみせなかった姐さんたちが、あたしを含む年頃の少女を対象にそんなことを言い出したのは初潮を過ぎたあたりからだっただろうか。

『貴族の坊ちゃんなんて、一度閨を共にしてしまえば女の味を忘れられなくなるわ』

あたしは結構貞操観念が薄い。

誓って処女だけど、別に大事にとっておく必要なんてないと思ってる。


だから。

学園内で有名な男性を調べて、その中でも親の爵位が高い人たちにアプローチした。

そのうちのひとり、なんとかって伯爵家の息子さん――眼鏡がよく似合う、ハーヴェイという名前の彼と知り合い、大物に会わせてもらった。

この国の王子様。

アルス様。

仔犬のような空気を醸し出している、穏やかで優しい、物語に出てくるような王子様。

現金にも、あたしは舞い上がった。

ハーヴェイやその友達のギルバートが、王子様がひとりになる時間や場所を教えてくれたから、王子様とふたりきりで会うことができた。

この人にあたしのはじめてをあげたい。

そんな想いが生まれるのに、時間は掛からなかった。

それとなく伝えてみたら、彼の腕に絡められたあたしの腕を振り解いて逃げてしまった。姐さんたちの教え通りにしてみたんだけど――純粋な人なのね。

嫌われてはいないと感じていた。

その証のように、アルスと呼び捨てることを許してもらえたし、時間のある限りずっと一緒に過ごした。


途中、色々と嫌がらせを受けたが、ハーヴェイたちに「それはディアナの仕業だ」と教えてもらい、言われるままにアルスに教えてあげた。ディアナというのはアルスの婚約者で、お互いに嫌い合っているそうだ。アルスの恋人であるあたしに嫌がらせをしているのだという。

こそこそ逃げ隠れしているせいか、あたしはその女の姿を見たことはなかったけれど、ハーヴェイたちが昨日嫌みを言われた、とか実際にあたしに嫌がらせをしているのを見たとか話していた。

なんて嫌な女。貴族の女ってイメージそのままだわ。



そして、あっという間に一年が経って、とうとう卒業――と、アルスとディアナの婚約破棄。

わざわざ皆の前でする必要があるのか聞いてみたけど、四人ともひかなかった。

アルスが言うには、勝手に婚約を破棄を宣言するのだから、撤回できないように衆目の面前で行わなければかなわないのだそうだ。

貴族の世界ってめんどくさい。

けど、アルスが言うんだからそうなんでしょう。あたしの役割も決められた。

虐められてたこと、謝罪してくれるならこれから仲良くしようと言うこと。

簡単だった。


なのに。

ディアナは一年間も外国にいたという。

嘘、じゃないの?

でもだって、ハーヴェイたちはこの一年、何度もディアナに嫌みを言われて、あたしに嫌がらせしてるのを見た、って。

じゃあ、あたしを階段から突き落としたのって、誰だったの?

すぐにウォーレンが受け止めてくれたから怪我はなかった。けど、確かに後ろから突き落とされたのに。

――あの時、あたしとウォーレンは並んで階段を降りていた。

後ろにいたのは……ギルバートとハーヴェイ?


彼らが階段の上を見上げながら、『ディアナ!? 何て事を!』って叫んだ。

あたしはまたディアナの仕業だと思って、恐ろしさのあまりアルスの元へ直行し、その胸に縋ったのだ。


でもディアナは国にいなくて。

彼らはディアナの仕業だと言って。

……えっ、何? なんなの?

何がどうなってるの?


混乱して足ががくがく震える。血の気が引いて、頭がくらくらする。

その間にもディアナはずばずばと反論している。


あたしはもう、何も言えなくなっていた。


他の脇役たちと直接の関わりがないので、ひと足先に投稿します。


書いてみるとリリアの被害者感が半端ないですね。

でも加害者であることも事実です。

騙されてた、知らなかった、が通用しないことも多いのです。

特に作中世界は身分社会なので。



娼婦、などの単語や考えが多々出てきますが、霧島の想像でしかありません。不快にしてしまったら申し訳ありません。



お読みくださってありがとうございました。


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